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      <title>都市の遊歩者による草の根文化政策</title>
      <link>http://www.furuhon.info/blog/</link>
      <description>バブル崩壊後十余年、企業メセナやフィランソロピーといった言葉は、もはや「資本主義」と相対する概念として扱われるようになったのか？失われた日本独自の文化を取り戻し、良質なミームを「ブログ」という次世代情報ツール(インターネット)を利用し後世へ伝えてゆこうとする試み。</description>
      <language>ja</language>
      <copyright>Copyright 2008</copyright>
      <lastBuildDate>Sun, 26 Mar 2006 02:41:08 +0900</lastBuildDate>
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      <docs>http://blogs.law.harvard.edu/tech/rss</docs> 

            <item>
         <title>文化人類学者、米山俊直氏が死去 ～人間社会に対する人々の興味を広げた功績～</title>
         <description><![CDATA[<strong>■<a HREF="http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20060320-00000135-kyodo-soci" target="_blank">米山俊直氏が死去　日本に文化人類学広める</a></strong>

先ほどの<a href="http://furuhon.info/blog/archives/2006/03/post_75.html">エントリー</a>でホワイトバンドの件でアフリカの話に触れて思い出したニュースである。氏の著作は一冊だけ所有していた。

cf.<strong>『<a HREF="http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4790703886/1192296com-22?creative=1615&camp=243&adid=19WTJH50E8YRWWRBAYXC&link_code=as1" target="_blank">文化人類学を学ぶ人のために</a>』</strong>

上記の著作である。学生時代に一般過程で教育学を受講した際、<strong>「21世紀に求められる教育」</strong>をテーマに発表するという内容があった。私はその頃ゲーテの<strong>「知るに値せぬものや、知り得ぬものに携わることによって、学問は非常に阻止される」</strong>という言葉に傾倒していて、知の狩猟目的というか、つまらない授業を勝手に楽しむために、また現行の教育制度へ対する辛辣な風刺を込めて、「大学教育」という蓑にくるまりながら、めちゃくちゃペダンチズムに満ちたスノッブなレジュメを作ってやろう！と一人燃えたことがあった(笑)。

内村鑑三の<strong>『<a href="http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4003311949/1192296com-22?creative=1615&camp=243&adid=0SX65N9092FEZQK073FQ&link_code=as1">後世への最大遺物</a>』</strong>（cf.「金も名誉もない人間は後世に何をのこせるか？と問うて、"勇ましい高尚な生涯を遺せるではないか"と教えた」）や、フィリップ・アリエスの<strong>『<a href="http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4938661500/1192296com-22?creative=1615&camp=243&adid=0GKMME2Q6H6183PAG3M7&link_code=as1">「教育」の誕生</a>』</strong>に始まり、山本五十六やファシズムの思想、「君が代」問題、カジュアルデーの適用（学校五日制、ゆとり教育）、いじめ問題やヴァルネラビリティについて、あるいはI・M・ペイ氏（香港にある中国銀行ビルや、ルーブル美術館横のピラミッド型建造物の建築デザイナー）の作品解説から中国に伝わる風水学について（cf.<strong>『<a href="http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/408748159X/1192296com-22?creative=1615&camp=243&adid=1NG1122MX1G6VEVTT1P9&link_code=as1">風水先生―地相占術の驚異</a>』</strong>）、果ては、後年になってから知ることになる言葉でいうと<strong>「ファシリティ・マネジメント」</strong>という言葉に近いかもしれないが、千葉にある<a HREF="http://www.msh.ed.jp/" target="_blank">幕張総合高校</a>の校舎や、当時施工が済んだばかりだった大分のコンベンションセンター「<a href="http://www.coara.or.jp/~b-con/">B-CON PLAZA</a>」（磯崎新氏設計）などを引き合いに、近未来型のコンピュータルーム、多目的ホールや円形劇場や地下施設の利用等ユートピア小説の影響も色濃く、パウル・シェーアバルト（cf.<strong>『<a href="http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4878932112/1192296com-22?creative=1615&camp=243&adid=0G46RSFTPEPQ1E7KQ3E5&link_code=as1">永久機関 附・ガラス建築―シェーアバルトの世界</a>』</strong>）やブルーノ・タウトのガラス建築（cf.「グラスハウス」）に移り、エンデとベックマンの仕事（cf.<strong>『<a href="http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4753022706/1192296com-22?creative=1615&camp=243&adid=0YYPH8PECKKC11NJWVWG&link_code=as1">明治のお雇い建築家 エンデ&ベックマン</a>』</strong>）まで、その他今後一生読むことがないだろうと思われる教育学の専門誌等を参考文献として、<strong>生涯教育</strong>や<strong>女子大生亡国論（cf.『<a href="http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4790704815/1192296com-22?creative=1615&camp=243&adid=12E8YQN9CE0JN8CX0BP6&link_code=as1">若者論を読む</a>』）</strong>、ルソーや雷鳥、サルトルの思想、<strong>価値相対主義</strong>、千葉大の<strong>先進科学課程</strong>、学生が教師を評価するという<strong>「生徒指導・生活指導に関する学校評価項目」</strong>、学級新聞の発行、参加型授業、ディベートの方法、ロビン･ウィリアムスの<strong>『<a href="http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B000CFWNAS/1192296com-22?creative=1615&camp=243&adid=0ZH1RD4PC6FJ6CA80AYP&link_code=as1">いまを生きる</a>』</strong>etc……、結論としては旧文部省・中央教育審議会の進めてきた<strong>「内容知」（cf.「方法知」）中心の授業カリキュラム</strong>が、子供たちの「未知への欲求」を減退させ、「生きる力」を失いやすい子供たちを生んできたのでは？という結論というか、揶揄を書いただけの風刺で終わったクソ論文であった(笑)。たまたま大学の教授にしては珍しく、熱っぽく授業をして下さった若い先生だったので、期待に応えようと私も熱く書いたものであった（上記『いまを生きる』の影響が強かったｗ）。

その後、ブログを書くようになってからも、そうした傾向は続いたものである。

<strong>・<a HREF="http://furuhon.info/blog/archives/2002/10/post_48.html" target="_blank">『闇をひらく光』　～照明について、ふと考えた～</a></strong>
※<strong>『<a href="http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4588276433/1192296com-22?creative=1615&camp=243&adid=1F5CGP1NVV07AT08K5DP&link_code=as1">闇をひらく光―19世紀における照明の歴史</a>』</strong>（ヴォルフガング・シヴェルブシュ）や、<strong>『<a HREF="http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4311605021/1192296com-22?creative=1615&camp=243&adid=1VCC5GEBBFA1V5F7ZBD9&link_code=as1" target="_blank">「縮み」志向の日本人</a>』</strong>（李 御寧）について触れた。
<strong>・<a HREF="http://furuhon.info/blog/archives/2004/06/post_45.html" target="_blank">新札発行の『夜明け前』（島崎藤村） ～真実はすべて闇の中～</a></strong>
※<strong>『<a HREF="http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4003311817/1192296com-22?creative=1615&camp=243&adid=0AGZR7X2G3MCHV3FTCN1&link_code=as1" target="_blank">武士道</a>』</strong>（新渡戸稲造）、<strong>『<a href="http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4061597086/1192296com-22?creative=1615&camp=243&adid=1N6Z6N2W3K9DKW7YRV46&link_code=as1" target="_blank">菊と刀―日本文化の型</a>』</strong>（ルース・ベネディクト）、<strong>『<a HREF="http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4043207018/1192296com-22?creative=1615&camp=243&adid=14G7D6AT2ZY0D2JV8SN2&link_code=as1" target="_blank">日本人とユダヤ人</a>』</strong>（イザヤ・ベンダサン）と<strong>『<a HREF="http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4102020047/1192296com-22?creative=1615&camp=243&adid=0J7Q5QCKE79T283MHZQN&link_code=as1" target="_blank">ヴェニスの商人</a>』</strong>（シェイクスピア）等について触れた。
<strong>・<a HREF="http://furuhon.info/blog/archives/2004/12/_edit.html" target="_blank">『菊池君の本屋 ヴィレッジバンガード物語』（永江朗著）　～こだわりの編集方針「定番をEDITする」（前編）</a></strong>
※レヴィ・ストロースの著作（cf.<strong>『<a href="http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4121600045/1192296com-22?creative=1615&camp=243&adid=1S94A5G34W3P8BMFY1EK&link_code=as1">悲しき熱帯</a>』</strong>）、あるいは後年になって、マルクスの階級闘争の周辺について（cf.<strong>『<a href="http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4272802402/1192296com-22?creative=1615&camp=243&adid=0J8Y4J9ZF8X89ZKBTRY3&link_code=as1">フランスにおける階級闘争</a>』</strong>）や、ホイジンガ（cf<strong>.『<a href="http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4121600002/1192296com-22?creative=1615&camp=243&adid=1PD2KZ0PPPYXYESB1ZNN&link_code=as1">中世の秋</a>』</strong>）、コメニウス（cf.<strong>『<a href="http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4582761291/1192296com-22?creative=1615&camp=243&adid=09HBNRSXK38CC43A50E1&link_code=as1">世界図絵</a>』</strong>）の作品に対して抱くこととなる興味の源泉について触れた。

いずれにしても、そのような多感期の時期に触れた氏の著作（編著）には、直接的な影響を受けたという程のものではないが、少なからず多方面における興味をもたらしたと言うべきであろう。

冒頭に挙げた<strong>『<a href="http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4790703886/1192296com-22?creative=1615&camp=243&adid=1N0G1QKXE79QSFA6Z842&link_code=as1">文化人類学を学ぶ人のために</a>』</strong>中にあるフィリップ・アリエスの<strong>『<a HREF="http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4622018322/1192296com-22?creative=1615&camp=243&adid=00CBDJTSQCQV7A10W6CA&link_code=as1" target="_blank">子供の誕生</a>』</strong>とピーテル・ブリューゲルの作品比較については、自分の<a HREF="http://myshop.7andy.jp/myshop/des-esseintes?shelf_id=09" target="_blank">ブックレビューのサイト</a>内でも、評の内容をパクってしまった格好である(汗)。また、併記されていたユゴーの<strong>『<a href="http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4002010163/1192296com-22?creative=1615&camp=243&adid=07WPHZPMQDDKPVTMF6N6&link_code=as1">レ・ミゼラブル</a>』</strong>（ユーグ版）については、後年になって鹿島茂氏の<strong>『<a HREF="http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4163415505/1192296com-22?creative=1615&camp=243&adid=1TWAPHE96ZM1YB416QE5&link_code=as1" target="_blank">「レ・ミゼラブル」百六景―木版挿絵で読む名作の背景</a>』</strong>などへの興味へと派生していったものである。

<strong>「文化人類学」</strong>は、<strong>「自然人類学」</strong>に対する言葉である。平たく言えば、人類学へ対する文系的アプローチを試みる学問である。それは民族性や風俗・習慣、儀礼、信仰・宗教、言語学や社会学、都市論etc…、およそ広大無辺な博物学的遊覧をも展望させる学問である。
私は別に専門家ではないということもあるが、小難しい話は抜きにして、人や世界への興味を引き出してくれるような本が好きである。そうした観点でいくと、米山俊直氏の遺した功績は偉大である。追悼。]]></description>
         <link>http://www.furuhon.info/blog/2006/03/post_75.html</link>
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                  <category domain="http://www.sixapart.com/ns/types#category">書評</category>
        
        
         <pubDate>Sun, 26 Mar 2006 02:41:08 +0900</pubDate>
      </item>
            <item>
         <title>「ホワイトバンドはアフリカを救ったか」（Newsweek）を読んで</title>
         <description><![CDATA[<strong>※同じ記事を<a href="http://mixi.jp/">mixi</a>の方でも書いてしまっているが、次のエントリーに関係する内容が含まれているためログを残しておきます。</strong>

最新号の<strong>「<a href="http://www.newsweekjapan.hankyu-com.co.jp/" target="_blank">Newsweek</a>」</strong>の特集は<strong>「ホワイトバンドはアフリカを救ったか」</strong>であった。

このホワイトバンドについては、以前に自分のブログでも話題に出したことがあった。

<strong>■<a href="http://plaza.rakuten.co.jp/prman/diary/200509300000/" target="_blank">「ほっとけない 世界のまずしさの"ホワイトバンド"」は、なぜ怪しまれるのか？ </a></strong>

否定派の出典元を多く紹介したからか、マイナスのイメージで捉えているように思われたかもしれないが、個人的には、ホワイトバンドは（ああいうオシャレちっくなアクセは身に付けるタイプの人間ではないので、）結局買わず終いに終わっているくらいで、実はほとんど興味を持たなかったので詳しいことは知らない(汗)。

ただ、当時話題に上がったサニーサイドアップ社側の見解に倣い、アフリカなど普段あまり気にすることのない世界情勢にも少しは興味を持つようになったきっかけにはなったかもしれない。

cf.
・<a href="http://dailynews.yahoo.co.jp/fc/world/africa/" target="_blank">Yahoo!Japan 海外トピックス</a>
・<a href="http://www.mofa.go.jp/mofaj/gaiko/summit/evian_paris03/af_kigah_k.html" target="_blank">外務省 G7 / G8 -特にアフリカにおける飢餓に対する行動-</a>
・<a href="http://moura.jp/scoop-e/courrier/backnumber.html" target="_blank">クーリエ・ジャポン バックナンバー</a>
・<a href="http://today.reuters.co.jp/news/NewsChannelJP.aspx?type=worldNews" target="_blank">ロイター > ワールド</a>

Newsweekの中ほどには、当のサニーサイドアップの次原社長の言葉が掲載されている。
多くの意見が広報活動（テレビCM等）に芸能人やセレブを起用したことに批判の矢が向いている（賛成派もいるが）。個人的に言えば<a href="http://www.ad-c.or.jp/" target="_blank">公共広告機構</a>のＣＭなんて昔から好きである。<strong>「ホワイトバンドの収益は当社の売り上げにはなりません」「出演者はもちろん全員ノーギャラです」</strong>と次原社長は言う。

私がブログで採り上げた当時も、販売価格300円の内訳のうち、直接支援には１円も使われていないという事実を槍玉に上げた人が多かったが、実行委員会もサニーサイドアップ側も売り上げの一部が寄付される仕組みでない旨（cf.「<strong>アドボカシー</strong>」）を元々謳っている。

でも、記事を読み進める内に、論点がそこに集中するのは筋違いかとも思えてきた。論点はそんな部分ではない。先進国を名乗るのなら、民度の低さが露呈するような議論はお互い避けたいものである。

「直接支援にならない不毛な論議」を交わしている間にも、アフリカでは３秒に１人、貧困のために命を落とす子供がいて、その数は減ることがない。また、こうしている間にも国を代表するような人が、私利私欲のために国のお金を使い込んでいるかもしれないのである。

正直自分も、アフリカの現状を知らないで言っている。また、目の前の問題もあるかとは思うが、アフリカの貧困問題にだけ視点を移しても解決しない部分も多い。"アフリカ"と一口に言っても当たり前だが大陸の名前だし、一つの国を指しているわけではない。サハラ以北と以南では政治・経済や文化も全く違う。自給社会をつくり上げるまでは本誌でも書かれているように、<strong>「絶えず支援を必要とする、無力で希望のない大陸というアフリカのイメージを定着させただけ。アフリカ人の自助努力を見くびり、自信を低下させた」</strong>だけで、このまま政治的に変わらないようでは無政府主義も台頭し、テロや内紛は絶えないことだろう。

未知のアフリカには世界遺産や遺跡が多くある。何よりも真の大自然がある。ピカソやアポリネール、レーモン・ルーセル、ジャコメッティやブランクーシの表現したアフリカ――、大変魅力的な国々が多い。自分もいつかこの目でそれを見てみたいなとも思った。]]></description>
         <link>http://www.furuhon.info/blog/2006/03/newsweek.html</link>
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                  <category domain="http://www.sixapart.com/ns/types#category">書評</category>
        
        
         <pubDate>Sat, 25 Mar 2006 23:32:27 +0900</pubDate>
      </item>
            <item>
         <title>「タカラトミー展」　― 夢の玩具考 ―</title>
         <description><![CDATA[<blockquote><strong>オーギュスト・コントの発見した人間精神の三段階の法則は、玩具の発達の歴史をながめた場合にも、ほぼ、ぴったり当てはまるように思われる。すなわち、最初は「神学的状態」であり、次は「形而上学的状態」であり、最後は「科学的状態」である。

『<a href="http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4309406459/1192296com-22?creative=1615&camp=243&adid=1YW6AV2QJD9ACDX0SKMX&link_code=as1">幻想の画廊から</a>』（「玩具考 古き魔術の理想」より）／澁澤龍彦</strong></blockquote>

2006年3月1日、日本の玩具メーカー大手、<strong>タカラとトミーが合併</strong>して、新会社<a href="http://www.takaratomy.co.jp/">タカラトミー</a>ができた。それを受け、先日まで渋谷パルコミュージアムでは、「<a href="http://www.parco-art.com/web/museum/takara_tomy/"><strong>タカラトミー展</strong></a>」を開催しており、私は最終日の21日に訪れた。

タカラと言えば、ライブドア堀江元社長が製作に関係したといわれる「<a href="http://www.takaratomy.co.jp/products/jinsei/product/m-a/howto.html"><strong>人生ゲームM&A</strong></a>」（cf. <a href="http://dic.yahoo.co.jp/tribute/2005/10/11/2.html">Yahoo!辞書</a>）が生産・販売中止になったというニュースが記憶に新しい。そのシリーズもののボードゲームの代表作である<strong>「人生ゲーム」</strong>、他にも<strong>「ダッコちゃん人形 」</strong>にはじまり、<strong>「リカちゃん」、「チョロQ」、「ベイブレード」</strong>、一方トミーの方は、<strong>「モノポリー」、「黒ひげ危機一発」、「ゾイド」、「トミカ」、「プラレール」、「Nゲージ」</strong>等々――。

仏作家ボードレールの言葉に（私の記憶が正しければ）、<strong>「玩具は芸術への小児の最初の入門である」</strong>というものがある。

<strong>cf. <a href="http://www.toyculture.org/notice/">「おもちゃとは」／財団法人 日本玩具文化財団</a></strong>

単に右脳開発のための……といった商品コンセプトでなくとも、玩具、つまりおもちゃが私たちの子供時代にもたらした影響は絶大である。個人的に言えば、今となっては「幼少時代はなぜ、デパートのおもちゃ売り場のショーケースの前で執拗なくらい親に買ってくれとせがんだのだろう？」と思うけれど、昨年夏に美術館巡りのために箱根にひとり二泊の旅に出た際に立ち寄った「<a href="http://www.toymuseum.co.jp/"><strong>箱根おもちゃ博物館</strong></a>」で感じたことでもあるのだが、過去回帰的ノスタルジーと、ある種の幼稚性（アンファンティリスム）がもたらす収集癖、それにデパートのきらびやかな夢の演出とが、とてつもなく大きな魅力として小さな胸を満杯にしてしまったのだろうと思う。

cf.
<a href="http://furuhon.info/blog/archives/2004/09/post_50.html">「「花と緑の物語展」　～東京都現代美術館（後編）」</a>
<a href="http://furuhon.info/blog/archives/2005/01/post_11.html">「「サムライ魂でデパートを創れ！～近代百貨店誕生物語～」」</a>

先にも挙げたように、タカラとトミーは合併直前まで両社共に子供はもちろんのこと、大人まで巻き込んでのロングセラー商品を多く開発してきた企業である。その発案の過程の中には単に利益追求だけでない、信念のようなものも多分に含まれているだろうと思う。企業合併のケースは様々だが、そのような競合他社同士の強みを合わせあうような２社の合併によって、両社の持つ強みが一層倍増されてゆくようなイメージさえ感じる。

ところで、教育心理学の用語に<strong>「ピグマリオン効果」</strong>というものがある（派生して、人形愛を<strong>「ピグマリオン・コンプレックス」</strong>と呼ぶこともある）。ギリシア神話に登場するキュプロス島の王ピュグマリオンが、ガラテアという自らの理想像である女性の彫刻をつくり、それが人間になることを念じ思いが叶うという一種の変身譚で、それをモチーフとして描かれた有名な絵画もあるが、この神話を語源として、<strong>「教師が期待することで、被教育者の成績が上がる」</strong>ということを唱えたアメリカの教育心理学者である<strong>ローゼンタール</strong>氏が命名したものだそうである。

幼少期の子供が飛行機のおもちゃなどを片手に、エンジン音を真似ながら擬似的に飛ばして遊んでいるのを見かけるに、レオナルド・ディカプリオが演じた<strong>ハワード・ヒューズ</strong>の映画『<a href="http://www.flix.co.jp/page/A0000765">アビエイター</a>』を思い出す。おもちゃには無限の可能性が秘められており、子供のみぞ持つ無限の可能性を引き出す<strong>「夢の玩具」</strong>としての力が宿っているものと信じている。暗い世相ばかりでは大人もつまらない。せめて新生タカラトミーの紡ぎ出す夢が、今まで以上に子供たちの夢を叶える夢の増幅装置として機能し、それを見守る大人たちも楽しめるようなエンターテイメントな世の中にしてほしいと思った。]]></description>
         <link>http://www.furuhon.info/blog/2006/03/post_74.html</link>
         <guid>http://www.furuhon.info/blog/2006/03/post_74.html</guid>
                  <category domain="http://www.sixapart.com/ns/types#category">美術展</category>
        
        
         <pubDate>Wed, 22 Mar 2006 02:49:22 +0900</pubDate>
      </item>
            <item>
         <title>「アンデルセン生誕200年展」 ～みにくいあひるの子がやがて白鳥になり、私らを癒しむるに至るまで～</title>
         <description><![CDATA[<blockquote><strong>「さあ、わたしの話すことを、絵におかきなさい」と、月は、はじめてたずねてきた晩に、言いました。「そうすれば、きっと、とてもきれいな絵本ができますよ」

／『<a href="http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4102055010/1192296com-22?creative=1615&camp=243&adid=1T1FHRVA5THG22HX2TM2&link_code=as1">絵のない絵本</a>』（アンデルセン）</strong></blockquote>

　今日は印刷博物館で開催中の<strong>「<a href="http://www.printing-museum.org/jp/exhibition/planning/060201/">アンデルセン生誕200年展</a>」</strong>を観に行ってきた（<a href="http://1192296.com/review_exhibition/180.html">チケットはコチラ</a>）。
　昨年2005年は、アンデルセンの生誕200周年ということで、事務局運営の記念展が巡回しており、2月に印刷博物館で開催される運びとなったようである。

cf.「展覧会のご案内」（<a href="http://www.medialynx.co.jp/andersen/exhibition/"><strong>アンデルセン生誕200年アジア事務局ウェブサイト</strong></a>）

　上記エピグラムに引用したアンデルセンの代表作の一つ『絵のない絵本』の冒頭文では、月にインスピレーションを受けて、創作意欲にわいたアンデルセンの思いが描かれている。月にこうした神秘な思いを寄せたり、象徴的に扱った作品は多い。

<strong>cf.<a href="http://www.furuhon.info/blog/2004/09/post_50.html">中秋の名月　-ルナティックス</a>　（※『<a href="http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4122045592/1192296com-22?creative=1615&camp=243&adid=0JCB1YZKXA3M98518G7M&link_code=as1">ルナティックス - 月を遊学する</a>（松岡正剛著）』）</strong>

　アンデルセンはデンマークの国民的作家、<strong>『マッチ売りの少女』</strong>や<strong>『人魚姫』</strong>、<strong>『みにくいあひるの子』</strong>などの作品で知られる創作童話作家として日本でも人気の作家である。私はアンデルセンというよりも、童話や児童文学に興味があり、これまでにも幾度かブログの中で採り上げてきた。

<strong>cf.
・<a href="http://www.furuhon.info/blog/2003/07/post_20.html">『ハーメルンの笛吹き男』に見る誘拐犯の心理と社会の病理</a>
・<a href="http://www.furuhon.info/blog/2003/08/post_22.html">「未知の世界へ　児童文学にえがかれた冒険」展 ～過去の冒険小説には「夢」や「教養」があった。</a>
・<a href="http://www.furuhon.info/blog/2003/07/post_19.html">「追悼もまた文学なり」／嵐山 光三郎　――「ことば」を残す作家たち</a></strong>

上記にも見られるように、故矢川澄子女史や、澁澤龍彦（cf.<strong>『<a href="http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4059040045/1192296com-22?creative=1615&camp=243&adid=1EKAVNP2K3BQ8CVKJ4Y8&link_code=as1">変身のロマン</a>』</strong>、「野の白鳥」）といった好きな作家の影響であるかもしれないし、在りし日の講談社雄弁会（<strong>野間清治</strong>）、<strong>鈴木三重吉</strong>や<strong>岩波茂雄</strong>、『暮らしの手帖』の<strong>花森安治</strong>などが唱えた教養小説志向の影響かもしれない。

しかしそれ以上に興味を持つきっかけとなったのは、大学時代のゼミの影響かもしれない。当時私は、<strong>「童謡・唱歌学」</strong>という内容のゼミを取っていた。文字通り<strong>『<a href="http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4003109317/1192296com-22?creative=1615&camp=243&adid=0RZSJ567CG6T3MRBJYZ3&link_code=as1">日本童謡集</a>』</strong>や、<strong>『<a href="http://associates.amazon.co.jp/gp/associates/network/build-links/individual/get-html.html/503-5733326-1783115?%5Fencoding=UTF8&asin=400310921X&t=1192296com-22">日本唱歌集</a>』</strong>などを教科書に、古き良き昭和の世相と今の社会とを比較するという社会学的なアプローチを試みた授業内容であった。

澁澤龍彦の<strong>『<a href="http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4309404944/1192296com-22?creative=1615&camp=243&adid=1DBW7TCSS46C7GJA47C0&link_code=as1">狐のだんぶくろ―わたしの少年時代</a>』</strong>を引き合いに出し、私も少年時代を回顧したものである。
何度かの授業の中で、上記澁澤の著作の中で語られていた北原白秋の<strong>『チューリップ兵隊』</strong>という唄を調べることにした。近所の図書館でアルス版全集を借りてきて、<strong>北原白秋</strong>の歌詞と<strong>中山晋平</strong>の旋律についてを調べた。それに並行して『コドモノクニ』版に挿絵を寄せた<strong>武井武雄</strong>、『狐のだんぶくろ』のカバー絵にも作品があしらわれた<strong>岡本帰一</strong>、影絵に郷愁を感じざるを得ない<strong>藤城清治</strong>、また生涯にわたりアンデルセンを愛した<strong>いわさきちひろ</strong>、白秋を学ぶ上で外せない、作風の対照的な叙情性の高い作風であった<strong>西条八十</strong>、その門下生であった<strong>サトウハチロー</strong>（cf.当時参考とした文献に、『<a href="http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4763241346/1192296com-22?creative=1615&camp=243&adid=1JBGXP4BEKJ85NV375D3&link_code=as1">サトウハチローものがたり</a>』、『<a href="http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4861820219/1192296com-22?creative=1615&camp=243&adid=1WXKGZV31VMVC09QZRWN&link_code=as1">ぼくは浅草の不良少年―実録サトウ・ハチロー伝</a>』、『<a href="http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4079193297/1192296com-22?creative=1615&camp=243&adid=19KGEVA13B3Q7NW9EE46&link_code=as1">うたうヒポポタマス―サトウハチローの詩と人生</a>』などがある）、果ては中学・高校時代に読み耽ったハイネやヴェルレーヌの詩集、ネルヴァルの『<a href="http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4475021065/1192296com-22?creative=1615&camp=243&adid=1Y6878P1G444HHG52T4M&link_code=as1">シルヴィ</a>』などに挿絵を寄せていた、<strong>ラクリエール版画工房</strong>が輩出した画家――すなわち、ジャン・フレローやピエール・ラプラードの作品群などについても調べたものだが、これらの探究行為の中にアンデルセン童話に興味を持つきっかけとなった遠因も含まれるだろう。

　それから、その後になって感銘を受けることとなる<strong>「象徴主義（サンボリスム）」</strong>――、

<blockquote><strong>《サンボリスト》たちは、彼らの主要な合言葉のなかに次のようなステファヌ・マラルメの提言を数えている、

――「この世のいっさいは書物となるために存在する」。

／『<a href="http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4560054533/1192296com-22?creative=1615&camp=243&adid=1D951AS84ZD7G842M6Z9&link_code=as1">象徴主義―マラルメからシュールレアリスムまで</a>』（窪田般彌）</strong></blockquote>

――故窪田般彌訳の『<a href="http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4003257812/1192296com-22?creative=1615&camp=243&adid=0HGQH5ERQWQ4EPP0454T&link_code=as1">死都ブリュージュ（ローデンバック）</a>』や『<a href="http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4003258614/1192296com-22?creative=1615&camp=243&adid=0A4B84V6JK565VJAVZE0&link_code=as1">生きている過去（アンリ・ド・レニエ）</a>』等の作品の中に垣間見るヨーロッパの薄暗い曇った空に映える中世の建物の醸し出すアウラなどについて触れながら、自分なりの児童作品に対する郷愁を書いたことがあった。

<strong>cf.
・<a href="http://www.furuhon.info/blog/2004/11/post_52.html">文化の日、「フィレンツェ ――芸術都市の誕生展」観覧 ～「アベラシオン」方法序説～</a>
・<a href="http://www.furuhon.info/blog/2004/11/coyote.html">【オススメ雑誌評】　『coyote（コヨーテ）』</a>
※上記の中でもアンデルセンに触れた。</strong>

余談ではあるが、後日大学の卒業旅行でイタリア４都市（ローマ、フィレンツェ、ミラノ、ヴェネツィア）を訪れた際に、そうした郷愁をヘンリー・ジェイムズの『<a href="http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B00005FXNM/1192296com-22/503-5733326-1783115?%5Fencoding=UTF8&camp=247&link%5Fcode=xm2">鳩の翼</a>』をテーマに、ヴェネツィアの夜の美を詩にしたことがあったものだが、薄暗い雲に覆われた空、あるいは日本でも、日の長い季節の夕方が醸し出す雰囲気には強い郷愁の念を抱かずにはいられない。

先の北原白秋について書いた論文の中で、私は以下のようにその憂愁の時間帯を表現した――。

<blockquote>　アルス版全集に掲載された『チューリップ兵隊』の歌詞の中で私は特に第五連が好きだ。すなわちそれは「そして夢見るゆふがたは、もやにとんろり、やさしいな」であるが、これこそまさに白秋の心象風景であり、私がもっとも郷愁の念によって心傷める部分なのである。そして「チューリップ」の咲く季節、つまりは日の長くなり始める、あの春の明るい夕方のゆっくりとした時間の流れが醸し出す、深く立ち込めた郷愁の靄に囚われるのである。春ないしは夏の夕方のもつロマネスクな詩情（cf.『<a href="http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4309201555/1192296com-22?creative=1615&camp=243&adid=0TAJXSQBM1XN45NYGK5B&link_code=as1">夏の雨</a>（マルグリット・デュラス）』）は、私も幼少時代強く感じたことがあった。幼い子供が夕方のフィルターを通して見る光景は、昼間のそれとはうって変わり、いかにも楽しかった一日の終わりを予期させる憂いを含みながら、それでいて明日への希望も抱かせる「やさしい」灯のともる家庭への帰還までをも連想させる。
　似たような時間帯による固定観念というか思い入れは誰にでもあるものだと思う。江戸川乱歩や海野十三が深夜徘徊を好み、深夜の散歩中における東京が、昼間の東京とは一線を画した異端の都市として錯覚するのもそうである。また、そういった感性が『<a href="http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4394301041/1192296com-22?creative=1615&camp=243&adid=0T6JF891NA1WSTCV5YN5&link_code=as1">屋根裏の散歩者</a>』や『<a href="http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4062620766/1192296com-22?creative=1615&camp=243&adid=1KS0BNNRAV3R4HHCT6Q0&link_code=as1">深夜の市長</a>』を生んだのも事実である。</blockquote>

　――随分と本展とは関係のない、個人的な回想話を長く書いてしまったが、私の童話に対する思いには上記のようなことが複雑に絡み合った結果、好きになるに至ったという背景があって、どうしてもこれだけは書いておきたかった。ある種のナルシシズムなのかもしれないが、人はこうした過去の思い出に支えられて生きているというケースも少なくない筈である。

展示の後半には、現代になって繰り返し翻訳されてきたアンデルセンの童話絵本が手にとって見れるようになっている。私が訪れた時間には人がほとんどいなかったが、一人の少女が食い入るように絵本をめくっていたのが印象的だった。時代を経ても子供に愛される絵本。残酷なイメージのある<strong>グリム</strong>や<strong>シャルル･ペロー</strong>の童話も情操教育上必要なものなのかもしれないが、個人的には研究者向けなら別として、子供向けの童話に奇を衒う必要はないと思う。コクトーも称賛したボーモン夫人の<strong>『<a href="http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4812410959/1192296com-22?creative=1615&camp=243&adid=0P7SM46B2VWQVAB5M070&link_code=as1">美女と野獣</a>』</strong>、ワーグナーのオペラ『<a href="http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4276375312/1192296com-22?creative=1615&camp=243&adid=1SQV4JXBK3GHMM8ZJZQ0&link_code=as1"><strong>ローエングリン</strong></a>』、結論がハッピーエンドだろうとそうでなかろうと、ストーリーには心の美しさを啓蒙し、高次の次元へと昇華してゆくようなメタモルフォシスを含んだ教養小説的構成があるのが望ましい。

最後になるが、本展はあくまでも「印刷博物館」で催された展示であることもあり、ヨーロッパでまたたく間に広まっていったアンデルセン童話に用いられた装丁や挿絵の印刷技術の変遷史についても言及する部分があり、印刷・出版文化に興味のある方にとっても楽しめる企画・構成となっていたことを付記しておくことにする。]]></description>
         <link>http://www.furuhon.info/blog/2006/03/200.html</link>
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                  <category domain="http://www.sixapart.com/ns/types#category">美術展</category>
        
        
         <pubDate>Sun, 12 Mar 2006 23:44:22 +0900</pubDate>
      </item>
            <item>
         <title>PSE法（電気用品安全法）が奪う!? 中古楽器店の思い出</title>
         <description><![CDATA[■<a HREF="http://www.itmedia.co.jp/news/articles/0603/09/news094.html" target="_blank">廃業する中古店も　広がる<strong>PSE法</strong>の波紋、集会で訴え（ITmedia News）</a>
■<a HREF="http://career.ameba.jp/column/20060302/" target="_blank"><strong>『電気用品安全法』</strong>で中古ゲーム機もアンプも買えなくなる!?（Ameba キャリア）</a>

上記の記事に目を通した。対象となる電気用品の種類は、上記の記事の一つに目を通すと、平易に言えば以下のようになる。

<blockquote><strong>４月１日より本格施行となる、『電気用品安全法』。法で定めた安全基準を満たした電化製品に『PSEマーク』を付けて製造・販売するよう義務づけるという法律だ。これにより、2001年以前に製造された冷蔵庫、洗濯機、オーディオ機器やゲーム機などの電化製品は、PSEマークがついていないものすべてについて販売できなくなってしまう。（中略）アンプやシンセサイザー、電源内蔵型ゲーム機など259品目は、今年３月31日に猶予期間が終了する。</strong></blockquote> 

しかし、ここでは主に記事のテーマとして採りあげられた中古楽器に絞って書いてみることにする。

資格や免許等の規制同様、国の定める○○マークというものは得てして、<strong>「（資格を持ったなら）責任は（国ではなく資格保持者が）取れ、手柄は俺のモノ」</strong>的（cf.映画『プロジェクトＡ』、「手柄はくれてやる、責任は俺が取る！」）な押し付けを大衆に強いているように見える。

同法の適用により、4月1日以降は対象商品をPSEマークなしで販売すれば販売者は罰せられるのだから、せめてPSEマークを付けていて事故が起こった際には国側は単なる免責などではなく、被害者への補償を約束して欲しいものである。

ところで、"中古楽器"と言って思い出すのは、私は中学から大学時代にかけて周囲の流行に便乗してバンドなぞを組んでいた時代のことである。印象強い中古楽器店と言えばやはり<a href="http://www.ishibashi.co.jp/">石橋楽器店</a>をおいて他にはなく、新宿店に限って言えば、<strong>「ヤマハ・ポピュラー・ミュージック・スクール」</strong>が開講していた頃に足繁く通ったものだし、お茶の水店はまさに<strong>「神田カルチェラタン」</strong>ではないが、先の石橋楽器店や<a href="http://www.shimokura-secondhands.com/">シモクラセカンドハンズ</a>で、学ラン姿で「いつか買うぞ！」と固く思っていた<a href="http://www.soldano.com/"><strong>ソルダーノ</strong></a>の真空管アンプや、アレシスの「<a href="http://www.supersonica.com/public/Products/Alesis/_Q2/Ale_Q2_PRD-en.htm"><strong>Alesis QuadraVerb2</strong></a>」を前に硬直しつつ、音楽講師よろしく売場担当のお兄さんがかき鳴らすメタラーなフィルインに見とれていた若かりし頃を思い出す。大学に進学したことで趣味のレパートリーが広がったり、就職活動を迎えるにあたり時間や経済的余裕が思うように取れなくなって急速に終息していった僕の中の音楽熱は、ずっと憧れていたスティーヴ・ルカサーモデルの<strong><a href="http://www.gibson.com/Products/GibsonElectric/ValleyArts/">ヴァレイアーツ</a></strong>のギターを購入したのち、まるでバブルがはじけたかのように燃え尽きることになるのだった――。結局それら憧れの中古楽器（音響機器）たちは、二度と私は手に入れる機会を得ぬまま今に至るのであった。

確かに法律は大切なものである。しかし大切なモノは他にもある。願わくばこの法律は、私たちを守るためのものであって、決して縛り付けるものにならないことを祈りたい。]]></description>
         <link>http://www.furuhon.info/blog/2006/03/pse.html</link>
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                  <category domain="http://www.sixapart.com/ns/types#category">ニュース時評</category>
        
        
         <pubDate>Sat, 11 Mar 2006 23:01:03 +0900</pubDate>
      </item>
            <item>
         <title>『インターネット図書館 青空文庫』 ～著作権の保護期間延長について～</title>
         <description><![CDATA[<blockquote><strong>ニューヨーク公共図書館は、単に本を借りるための場所ではない。名もない市民が夢を実現するための「孵化器」としての役割を果たしてきた。ここからは、アメリカを代表するビジネス、文化、芸術が数多く巣立っている。

／『<a href="http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4004308372/1192296com-22?creative=1615&camp=243&adid=0BTW7RYYWCDTC9DNR34H&link_code=as1">未来をつくる図書館 ―ニューヨークからの報告―</a>』（岩波書店）より</strong></blockquote>

『<a href="http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4899840721/1192296com-22?creative=1615&camp=243&adid=00VFQ2GH241TRVMS6X55&link_code=as1"><strong>インターネット図書館 青空文庫</strong></a>』を読んだ。「<a href="http://www.aozora.gr.jp/"><strong>青空文庫</strong></a>」と言えば、<strong>「インターネットの電子図書館」</strong>として、90年代後半よりインターネット上で展開している草の根オンライン図書館のようなサイトである。570名にのぼる<strong>「青空文庫工作員」</strong>と呼ばれる入力や校正を行うボランティアスタッフによって今も運営されている。本書はその青空文庫の創設メンバーの一人である、野口英司氏の編著によるものである。付録として青空文庫に登録されている4843作品のデータ等が収録されたDVD-ROMが付き、巻末には年表が付いている。

今でこそ「<a href="http://ja.wikipedia.org/wiki/"><strong>Wikipedia</strong></a>」（cf.<a href="http://japan.cnet.com/special/story/0,2000050158,20092803,00.htm">「Wikipediaは果たして「オープンソース」なのか（CNET Japan）</a>」）などのネット上のデータベースが社会的地位を得て、私たちもその恩恵に与ることが出来ているが、インターネットという地理的・物理的・経済的などの観点からでも、情報検索に関して優位性を持つ媒体・ツールが主流となってきた昨今において、ときに便利なサイトであった。

2000年12月31日にオープンした「<a href="http://www.excite.co.jp/News/bit/00031099278651.html"><strong>インパク</strong></a>」自体は、時期尚早なものとしてイマイチぱっとしない印象のまま終了したが、その後の<a href="http://www.kantei.go.jp/jp/it/network/dai1/0122summary_j.html"><strong>e-Japan戦略</strong></a>や<a href="http://www.e-gov.go.jp/"><strong>電子政府</strong></a>に対する興味をわかせ、<strong>電子カルテ</strong>や<strong>電子書籍</strong>の登場を促すこととなり、こうしてインターネットの急速な普及によって、人々の生活は一昔前と比べて一変した。

そんな折、<strong>「著作権の保護期間が50年から70年に延長」</strong>されるかもしれないという議論が、アメリカ政府などからの規制改革案が持ち込まれたことによって話題性を増し、一部世論をわかせている。青空文庫のサイト上では既に<strong>「著作権の保護期間延長に反対します」</strong>というバナーが貼られ、本書の帯の上でも同じコピーが謳われている。

<strong>cf.
・はてなリング「<a href="http://noextend.ring.hatena.ne.jp/">Stop! Copyright-Extend</a>」
・「<a href="http://www.siesta.co.jp/aozora/archives/001717.html">青空の行方／なにゆえの著作権保護期間70年延長か</a>」（<a href="http://attic.neophilia.co.jp/">富田倫生</a>氏）
・「<a href="http://hotwired.goo.ne.jp/original/shirata/060111/">やっぱり著作権保護期間延長を批判する</a>」（<a href="http://www.welcom.ne.jp/hideaki/hideaki/">白田秀彰</a> と<a href="http://grigori.jp/"> ロージナ茶会</a>）
・「<a href="http://plusd.itmedia.co.jp/lifestyle/features/0405/copyright/">ITmedia LifeStyle：特集：輸入音楽CDは買えなくなるのか？</a>」</strong>

その昔、松岡正剛氏が漏らした夢、<strong>「ネットワーク上の一角に巨大な空中楼閣のような“図書街”を出現させる」</strong>（cf.「<a href="http://www.isis.ne.jp/mnn/senya/senya0282.html"><strong>松岡正剛の千夜千冊『ヨーロッパの歴史的図書館』ヴィンフリート・レーシュブルク</strong></a>」）が、やがてリアリティを持って話されるようになり（cf.<strong>「「<a href="http://furuhon.info/blog/archives/2004/07/post_43.html">松岡正剛千夜千冊達成記念ブックパーティー」に参加！</a>」</strong>）、実際にシンポジウムまで開催されたことがあった（cf.<strong>「<a href="http://www2.nict.go.jp/pub/whatsnew/press/h17/050902/050902.html">NICTユニバーサル・コミュニケーション・シンポジウム</a>」</strong>）ようだが、ネット上のソースやリアルな図書館が持つ蔵書が繋ぎ合わさった"図書街"が、市民が自由に膨大な歴史のデータベースを紐解くことができるような社会をもたらすとしたら面白いと思う。

本書の中にも、<strong>「著作権の権利は尊重する、と同時に、保護期間を終えた著作物は、みんなが自由に、手軽に、広範囲に利用できるようにしていく。これが青空文庫の目的といってもいいだろう」</strong>と書かれている。せっかく無料で読めるということを知らずに、学校側からの指示通りにお金を払って文庫を買っている学生なんかには是非勧めたいところである。

本書にも引用された青空文庫創設メンバーの一人、富田倫生氏による言葉が印象的である。

<blockquote><strong>【著作権制度の目指すもの】

青空のぬくもりは、誰もが共に味わえる。
一人があずかって、その恵みが減じることはない。
万人が共に享受して、何ら不都合がない。</strong></blockquote>

世界の中における日本。この土地から青空を眺めやるとき、私たちは一体どこの上空まで仰ぎ見ることが許されているのだろうか――。意外に私たちの可視範囲にある青空はそんなに広くはないのかもしれない。]]></description>
         <link>http://www.furuhon.info/blog/2006/03/post_73.html</link>
         <guid>http://www.furuhon.info/blog/2006/03/post_73.html</guid>
                  <category domain="http://www.sixapart.com/ns/types#category">書評</category>
        
        
         <pubDate>Mon, 06 Mar 2006 01:32:40 +0900</pubDate>
      </item>
            <item>
         <title>『BRUTUS　天才たちに学べ！』を読みました。 ～天才時計師フランク・ミュラー～</title>
         <description><![CDATA[今号の<strong>『<a href="http://www.brutusonline.com/">BRUTUS</a>』</strong>は、再び「<a href="http://www.franckmuller-japan.com/"><strong>フランク･ミュラー</strong></a>」特集であった。<strong>"再び"</strong>と言うのは、今号のトビラにもこの件に関する事件の発端をBRUTUS誌が書いたときの記事が小さく掲載されているが、私もその号を過去に一度採り上げている。

<a href="http://furuhon.info/blog/archives/2004/06/brutus.html"><strong>cf.「『BRUTUS　さあ、ブックハンティングの季節です！』を読みました。　＜後編＞ ～スイス時計業界の新星フランク・ミュラー～」</strong></a>

BVLGARIの時計の広告の対向面にあることを意識させるかのように、漆黒の表紙に合わせ、綴じ込み付録の体裁でその特集記事は組まれていた。主な内容は、フランク・ミュラーが、共同創業者兼共同経営者であったヴァルタン・シルマケス氏との確執の末、自身の起こした会社を離れるというものだった。

今号では、やはりフランク・ミュラー自身へのインタビューとして、和解に応じた後の経緯などが書かれてある。「<strong>FMVS（Flaｎck Muller,Vartan Sirmakes）</strong>の頭文字より」という新しいコンセプトのラインナップのことや、<strong>「メンズモデルとレディースモデルがあり、スチール製が888本、ゴールド製が88本の限定」</strong>で、それ自体が会員証となる時計の1号モデルがリリースされるという、<strong>「フランク・ミュラー クラブ・メンバー」</strong>の話などが書かれているが、後半、クロノグラフを作る方がトゥールビヨンウォッチを作るよりはるかに難しいと述べ、その後に興味深い発言があった。

<blockquote><strong>　――これは時計に限らず、ひとつの真理だから覚えておいたほうがいい。複雑なものを、たくさんの部品を使って複雑に作るのは、実は簡単なのだ！複雑なものを、少ない部品で簡単な仕組みで作るほうがはるかに難しい。部品数が増えれば増えるほど、故障も増えるのだ。
　何ごとであれ、シンプルであることが一番大切だ！私は常にその一点に挑戦している。私のこの時計のように、本来、3つのムーブメントを使わなければ絶対に動かないはずの機構を、たったひとつのムーブメントで動かせたら最高だ！
　これこそが成功というものだ！挑戦とはそういうことなのだ！</strong></blockquote>
　――なるほど、天才が考えることは一瞬常軌を逸した考えのようにも思う。がしかし、よくよく考えてみると、こうした考え方は我々ビジネスマンの中でも普段の仕事の中で、<strong>「どうしたら、これ以上複雑にならずに、組織を効率的に動かすことができるのだろうか？」</strong>と組織の形成、<strong>仕組み化（見える化）</strong>で悩む人は多いことだろう。
　どんなに崇高な理想、多くの目標を掲げても、また、そのためにどんなに他人に自慢できるような複雑な数式を盛り込んだデータファイルを用いようとも、それがその組織で機能していなければ全く無意味である。スイスの天才時計技師フランク・ミュラーの言葉の中にさえ、思わず活路を見出したくなるような名言であると思った。

　他にも誌面では、フランク・ミュラーの私邸や所有するコレクション、工房などの紹介があり、<strong>「私は自分が好きなことしかやらない」</strong>という、フランク･ミュラー自身の言葉かと思われるコピーで特集を終えていた。

　ところで、BRUTUSがときにとても面白く感じることがあるのは、これだけ興味深い特集を組んでおきながら、記事がこの域で終わらないことだ。
　その後も<strong>「天才」</strong>をコンセプトに、世界中の天才たちの紹介を飽きることなく列挙し、ある種ストイックな博物誌的様相さえ帯びてきている。

　昨年10月に開かれた「第15回ショパン国際コンクールに最年少の17歳で出場、見事ポーランド批評家賞を受賞した」という生まれつき目の見えないハンデに往年の天才音楽家たちを彷彿とさせる神童ピアニスト、「全米最年少記録の12歳でシカゴ大学大学院医学博士・生物学博士課程合同プログラムに入学」したという現在15歳の少年、各面４列の複雑なルービックキューブを54.13秒でクリアしたという「ルービックキューブの世界王者」という19歳の少年、トリノ五輪では残念な結果（<a href="http://www.yomiuri.co.jp/torino/news/20060214iez1.htm">「着地失敗の今井メロ、腰椎ねんざと診断（2006年2月14日,YOMIURI ONLINE）」</a>）であったが、渋谷駅前の巨大モニターに映し出されたハーフパイプのパフォーマンスには驚愕した今井メロ（18歳）さんについてのプロフィール・実績紹介、さらには歴代人気マンガに登場する天才キャラの紹介(笑)、締めには「もしかして、オレって天才？」などという、読者自身が診断できる天才診断チャートまで用意されている周到さ。もちろん私の結果は<strong>「凡人」</strong>である。人間、何事も中庸が大切なのである(笑)。]]></description>
         <link>http://www.furuhon.info/blog/2006/02/brutus_2.html</link>
         <guid>http://www.furuhon.info/blog/2006/02/brutus_2.html</guid>
                  <category domain="http://www.sixapart.com/ns/types#category">書評</category>
        
        
         <pubDate>Sun, 19 Feb 2006 13:00:50 +0900</pubDate>
      </item>
            <item>
         <title>【街角考現学・第９部】表参道ヒルズ（旧同潤会青山アパート）オープン！ ～原宿・表参道の新たなまちづくり施策とランドスケープデザインの変遷～</title>
         <description><![CDATA[　昨晩放映されていた<strong>『<a href="http://www.tv-tokyo.co.jp/adomachi/">出没！アド街ック天国</a>』</strong>は、「表参道」特集であった。11日にオープンしたばかりの"<a href="http://www.omotesandohills.com/"><strong>表参道ヒルズ</strong></a>"にスポットをあて、生中継を含む特集であった。表参道の並木道に斜度を併せたという表参道ヒルズ内のスロープ、そして並木の高さと併せたという建物の高さは"スカイラインの美"と呼べるか、建築家の思いが込められているようである。

cf.「<a href="http://dailynews.yahoo.co.jp/fc/local/omotesando_hills/"><strong>Yahoo!ニュース - 表参道ヒルズ開業</strong></a>」

　昨年12月には表参道駅の地下に巨大なモールが出現したばかり。その名を「<a href="http://www.tokyometro.jp/echika/"><strong>エチカ表参道</strong></a>」といい、パリの市場をイメージしてつくられたものだという。

　毎年「<a href="http://www.tdwa.com/"><strong>東京デザイナーズウィーク（デザインアソシエーション）</strong></a>」の時期になって表参道周辺を散策するに、ブランド物には関心の薄い私でさえその名をよく耳にするような、世界を代表するブランドの旗艦店と思しき店構えの豪奢な店舗が一つ、また一つと増えてゆくような光景に出くわすようになってきた。世界に誇るブランドストリートとして、東京の新たな顔としても十二分な役割を果たすこととなった。

cf.「<a href="http://nihonno.sakura.ne.jp/blog/archives/2004/01/post_12.html"><strong>フィリップ・スタルクとバカラのコラボレーション</strong></a>」

　地上6階・地下6階建て、総事業費189億円という「表参道ヒルズ」の大掛かりな事業を手掛けたのは森ビル、設計はかの<strong>安藤忠雄</strong>氏である。少し前から新聞や雑誌などで採り上げられることが多くなってきた表参道ヒルズ。その全貌が11日、ついに私たちの目の前に公開されることとなった。

　新聞の記事に寄せた森稔氏は――、

<blockquote><strong>「これは単なるアパートの再開発ではなく、地域そのもののさらなる発展に寄与する都市のルネサンスです。コンセプトは"メディアシップ"。表参道ヒルズは、商業施設としてではなく、人と人、人と空間、人と街、街と世界をつなぐ、新しい形のメディアとして、新たな価値、表現を生み出していきます（読売新聞,2006年2月9日）」</strong></blockquote>
と述べている。

　つまり安易な<strong>「スクラップ・アンド・ビルド」型建築</strong>ではなく、六本木ヒルズ竣工当時のコンセプトである<strong>「文化都心」</strong>的、またその街が内在する人や事業などに併せてつくられてゆくようなまちづくりの一環であるとされる。六本木ヒルズレジデンスとの共生、お台場にある<a href="http://www.venusfort.co.jp/">ヴィーナスフォート</a>等に見られるような高次の文化集積都市、職住近接の「<strong>コンパクトシティ</strong>」という点では、同じ方針の元につくられたものと言える。同時に今後の上向き経済の時流に乗り、<strong>"消費牽引文化"</strong>の新たな発信地としても栄えてゆくだろうと思う。

　表参道ヒルズは、<strong>同潤会青山アパート</strong>の跡地に建てられた。
同潤会青山アパートと言えば、戦前昭和のモダニズム建築として、また集合住宅の代表格として、今まで様々な雑誌――、とりわけ<strong>『<a href="http://www.toshishuppan.co.jp/tokyojin.html">東京人</a>』</strong>などで多く採り上げられてきた。少し前まではまさに表参道の顔として、初夏ともなれば緑萌える並木の合間からこぼれる木漏れ日を浴びながら眺めやる道の両側のオープンテラスカフェにはかつて訪れたヨーロッパの街並みを見出し、それでいて現実と非現実の間を繋ぐタイムトンネルを抜けてさまよい歩くような抗い難い時の流れの中に身を置くような不思議な感傷に浸れる格好の癒しスポットであった。

　それが今ではもう面影と言えば、表参道ヒルズの建物の高さと、"同潤館"と呼ばれる住居用建物だけに留まっているくらいである。ベンヤミンの言葉を借りて表現すれば、アウラは喪失した。建物の解体前には随分と反対運動もあったらしい。旧丸ビルの取り壊しの際にも同じことがあった。伝統と郷愁の残る建築物を、簡単に破壊せしめることをすんなりと快く思う人は少ないだろう。

　まして、同潤会青山アパートと言えば、東京・横浜合わせて計16ヶ所に建てられたという同潤会による集合住宅の中でも最も人気のあった建物である。11日の開業と同じ日には<strong>「<a href="http://kioku.info/">同潤会記憶アパートメント展 Vol.5</a>」</strong>という展覧会が開かれている。時間があれば見に行きたいと思う。

　同潤会アパートの歴史は、先に紹介した雑誌『東京人』で今まで幾度となく特集されてきたので今さら詳しく説明する由もないと思うが、旧内務省の外郭団体として設立（1924年）された<strong>財団法人同潤会</strong>が中心となって、関東大震災（1923年）の罹災者のために設計・建築をおこなった集合住宅の総称で、青山アパートは1927年（昭和２年）に竣工している。当時の高級マンションである。

　在りし日の青山アパートが私たちに対し、70余年の歳月に渡る栄光の歴史を見せていた頃、渋谷駅から一駅、ファッショナブルな若者が多く集まり活気を生む、山の手のお洒落な街。そしてそんなセレブレティ＆ハイソサエティな雰囲気に不思議と融和する昭和のモダン建築――、青山アパートの印象をそんな風に表現することができたかもしれない。

　こんなことを思ううち、近年似たような事象がなかったか？とふと思い出してみる。
2000年に竣工した「<a href="http://www.kajima.co.jp/news/digest/jul_1999/tokushu/toku1.htm"><strong>代官山アドレス</strong></a>」がそれである。

　この地は、かつて、1927年に青山アパートと同時期に建てられた<strong>同潤会代官山アパート</strong>のあった跡地である（1996年解体）。
　この代官山アパートの取り壊しが決まった際にも、先に挙げた建築物の取り壊し同様、反対運動や保存運動が多く起こった。同潤会代官山アパートの歴史も含め、この辺の経緯については、<strong>『<a href="http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/492433054X/1192296com-22?creative=1615&camp=243&link_code=as1">代官山再開発物語―まちづくりの技と心</a>』</strong>に詳しい。

　代官山駅前、周囲に開ける遊歩道、公園、そして空を貫くように高くそびえる代官山アドレス ザ・タワー。このマンションは、竣工当時一戸あたりの平均価格は1億1千万円と言われ、いわゆる億ションと呼んだ方がいいだろう。代官山アドレス ザ・タワーの登場は、あの隠れ家的雰囲気を持った代官山の街を、良くも悪くも変貌させた契機となったと思う。ペットの飼育も可能というコンセプトの都心部のマンションということで、セレブな女性が火付け役となり新しいペットブームも呼んだことと思う。

　この代官山アパートや青山アパートだけではなく、1999年には鶯谷アパートが、2002年には清砂通アパートが、2004年には江戸川アパートや大塚女子アパートが次々と解体され、今年2006年には三ノ輪アパートが解体予定だと言われる。代官山アパートの解体を折り返し地点として、東京から同潤会の手掛けた集合住宅建築がどんどんと失われていっている（参考『<a href="http://nihonno.sakura.ne.jp/blog/archives/2006/01/20_1.html">東京人</a>』より）。

　表参道は普段私用で出かけることは少ないが、職場が渋谷ということもあり、仕事ではよく降りることがある。いつも渋谷とは全く違う雰囲気だなという印象を受ける。さらに南青山の方へ抜けてゆくとまた違った光景に移り替わってゆく。<a href="http://www.nezu-muse.or.jp/">根津美術館</a>もそうだが、周辺には<a href="http://www.taro-okamoto.or.jp/">岡本太郎記念館</a>や<a href="http://www.spiral.co.jp/">スパイラルホール</a>などの文化施設、あるいは小さなギャラリーなどが多くあり、インスピレーションを受ける街として文化人が多く住むのも頷ける。

<strong>cf.「このアパート以外に同潤会アパートがあることなんて知らない。そういう人が圧倒的に多い。つまり、青山アパートは、同潤会アパートの代名詞だったのである」
／『<a href="http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4309727344/1192296com-22?creative=1615&camp=243&link_code=as1">消えゆく同潤会アパート 同潤会が描いた都市の住まい</a>』より。</strong>

　同潤会青山アパートの残した７０余年の歴史の節目に生きる私たちが、表参道ヒルズをはじめとした森ビルの進める東京都心部再開発事業の投げかける問いの中に垣間見る未来の生活は、果たして精神的充足を約束し、なおかつ天災や犯罪などから守られる安全で住みやすい地域となり、人々が多く集まる活気のある持続可能なコミュニティとして、今後さらにどのような発展を遂げてゆくのか――、『東京人』（2006年2月号）の中で書かれていた都市計画の最先端<strong>「ロンドンプラン」</strong>について、<strong>「環境か都市か、福祉か公共事業かという二者択一の時代は終わり」</strong>、リビングストン現大ロンドン市長の市長選に出たときの公約、<strong>「経済成長」、「ソーシャル・インクルージョン（社会的包容力）」、「環境」</strong>等のアメニティの追求がどこまで行われるか、同潤会青山アパートの遺した郷愁に代わる未来への期待として十分な存在意義を持つこととなるのか楽しみである。]]></description>
         <link>http://www.furuhon.info/blog/2006/02/post_72.html</link>
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                  <category domain="http://www.sixapart.com/ns/types#category">都市を遊歩する</category>
        
        
         <pubDate>Sun, 12 Feb 2006 23:54:10 +0900</pubDate>
      </item>
            <item>
         <title>雑誌『東京人』創刊20周年に寄せて。</title>
         <description><![CDATA[　私の愛読誌<strong>『東京人』</strong>（<a href="http://www.toshishuppan.co.jp/">都市出版株式会社</a>）は、1986年1月に創刊されて<strong>今年で創刊20周年</strong>だそうだ。その記念号である2006年1月号<strong>「特集：１９８６－２００５　『東京人』が見てきたもの」</strong>では、巻頭を歴代の『東京人』を飾った表紙が抜粋して紹介されてあり、そこに書かれた特集の見出しを読み上げるだけでも、ここ20年の東京の一大クロニクルを追うようで楽しめる。書店によってはバックナンバーを設置するコーナーで、表紙が見えるタイプのラックにバックナンバーを飾り、通りがかりの人の足止めに一役買っていたりするところもあった。

cf.「<a href="http://www.mainichi-msn.co.jp/shakai/wadai/archive/news/2005/12/20/20051220dde014040056000c.html"><strong>雑誌『東京人』：創刊２０周年　変わらないものの魅力を－－高橋編集長に聞く</strong></a>」

　私が『東京人』を読むようになったのは、以前「<a href="http://nihonno.sakura.ne.jp/blog/archives/2003/07/post_52.html"><strong>「箱庭幻想」　ナチュール・クー・ドイユ　～世界を一望の下に～</strong></a>」の中でも少し触れたことがあったが、学生時代に「東京学」という社会学や都市論の類、考現学、ひいては極ローカルな地域における地誌学が派生したかのようなゼミを選択するようになってからだった。この授業は自分にとっては大変興味深いものであった。例えば、中原中也という詩人がいる。代表作に<strong>「正午 丸ビル風景」（『在りし日の歌』より）</strong>というものがあって、私たちにも馴染みのある光景を詩にしている。

<blockquote><strong>あゝ十二時のサイレンだ、サイレンだサイレンだ

ぞろぞろぞろぞろ出てくるわ、出てくるわ出てくるわ

月給取の午休み、ぷらりぷらりと手を振って

あとからあとから出てくるわ、出てくるわ出てくるわ（後略）</strong></blockquote>
　これはあの丸ビル（丸の内ビルヂング）を歌ったものだが、もちろん今の<a href="http://www.marubiru.jp/">丸ビル</a>のことではない。大正12年2月の竣工以来、変わらず丸の内の顔として居座った昭和十年前後の丸ビル風景のことである。中原中也の死の直前の20代後半の頃の作品である。さすがに今では「サイレン」はないだろうが、大きく変わった光景でもないだろう。また、当時はサイレンだったのか？という疑問というか興味も同時にわいてくる。

　当時の私は、中原中也が紹介した同じく若くして夭逝した仏詩人ランボオや、同年代に活躍した詩人、立原正秋の作品などとの比較を試みつつ、明治から昭和初期にかけての詩人が歌った東京の原風景と現在の東京の現風景とを比較し、そこに読み取れた社会風俗の移り変わりや経済価値の変遷などから不易流行を見出し、発表するということをおこなっていた。この作業にどうしても付き物なのが、フィールドワーク（取材）と写真撮影という行為である。自身のメモでは書き取れなかった風景を写真で補完しておくことで、記憶を鮮明なものとして表現しレポートに説得力が出るように工夫した。この一連の作業で、東京という一都市に興味を持ったのみならず、街散策や写真撮影という行為自体にも次第に興味を持つようになっていった。

　閑話休題。冒頭に挙げた『東京人』は、まさにそうした当時の私にとって教科書代わりのような存在であった。もともと興味のあった古書店や美術館、建築物などに加え、その他、迷宮都市・東京を形成するありとある事象について言及された『東京人』に寄稿する作家は、自分にとっては大学以外の外部の先生であった。

　当ブログのタイトルは<strong>「都市の遊歩者による草の根文化政策」</strong>で、この<strong>「遊歩者（フラヌール）」</strong>はもちろんヴァルター・ベンヤミンの『<a href="http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4006001010/1192296com-22?creative=1615&camp=243&link_code=as1"><strong>パサージュ論</strong></a>』からとっている。また、松岡正剛氏がかつて編集した雑誌<strong>『遊』</strong>の字も含まれていて自分では気に入っているのだが、このブログやタイトルが『東京人』の影響を受けている部分もあるということは説明するまでもないだろう。

　<strong>「特集：１９８６－２００５　『東京人』が見てきたもの」</strong>では、レギュラー執筆陣とも言うべき、赤瀬川原平氏、川本三郎氏、坪内祐三氏、海野弘氏、鹿島茂氏、陣内秀信氏などに加え、隈研吾氏らの寄せた記事などがあり大変面白く読むことができる。

　また途中に<strong>「東京人 蓋棺録」</strong>というコーナーがあって、惜しくも亡くなられた故人について追悼の意をもって振り返る特集が組まれており、種村季弘氏や杉浦日向子さんへ寄せた編集部の記事や、『<a href="http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4006000499/1192296com-22/249-4305783-0281145?creative=1615&camp=243&link_code=as1"><strong>街並みの美学</strong></a>』（←大変難しいｗ）の著者である芦原義信氏（2003年逝去）について書いた記事もあった。芦原氏は1986年の創刊当時、私の好きな美術評論家である高階秀爾氏、芳賀徹氏などと共に『東京人』の初代編集委員を務められた方と説明にあった。

　<strong>「古書店」「中央線」「同潤会アパート」「建築」「喫茶店」「サブカルチャー」「映画」「演劇」「美術館、アート」「落語、お笑い」「銀座」「ウォーターフロント」etc……、</strong>この20年間に『東京人』で語られた多くの事象について断章形式で紹介され、また各記事の最後には簡単な年譜まで付記してあり、縦断横断、読者が自由気ままに東京散策できるようになっている。

　時代というものは、どんな時代を切り取ってみても「激動」かもしれない。しかし1975年生まれの私にとって、物心の付き始めてからのここ20年間というものは、他の世代の人以上に感慨深く感じるのかもしれないと感じた。これからも気概のある、面白い雑誌であり続けて欲しいと思った。]]></description>
         <link>http://www.furuhon.info/blog/2006/01/20_1.html</link>
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                  <category domain="http://www.sixapart.com/ns/types#category">書評</category>
        
        
         <pubDate>Sun, 01 Jan 2006 10:53:20 +0900</pubDate>
      </item>
            <item>
         <title>「300%スパニッシュ・デザイン展」「ファッションとスペインの文化」（愛知万博関連企画）</title>
         <description><![CDATA[今日10/10は、<a href="http://www.momas.jp/"><strong>埼玉県立近代美術館</strong></a>にて開催されていた<strong><a href="http://www.saitama-j.or.jp/~momas/003kikaku/k2005/k2005.07/k2005.07.htm" target="_blank">「300%スパニッシュ・デザイン展」「ファッションとスペインの文化」</strong>（２展同時開催。＝愛知万博スペイン・パビリオン関連企画）</a>の最終日であった（<a href="http://www.1192296.com/review_exhibition/173.html" target="_blank">チケットの半券</a>をアップ）。

私は格別ファッションに興味があるわけではないが、<strong>"文化史や、デザイン・服飾史の中のファッション"</strong>という見方をすれば若干の興味があって、<a href="http://furuhon.info/blog/archives/2004/09/louis_vuitton_1.html" target="_blank"><strong>LOUIS VUITTON</strong></a>や、<a href="http://myshop.7andy.jp/myshop/des-esseintes?shelf_id=10"><strong>ココ・シャネル</strong>などの人となり</a>などにも興味がある。

先日、一時はモードからの現役引退を宣言していたKENZOこと、高田賢三さんが復帰されたというニュースが発表されたが、日本が世界に誇る服飾デザイナー――、<strong>三宅一生、山本耀司、川久保玲</strong>などが台頭する数十年前、1920年代以降のパリ（やモンマルトル、モンパルナス）では19世紀末の万国博覧会の開催ラッシュにより世界が近づき（ベンヤミンの言葉を借りて言えば、<strong>「礼拝的価値」から「展示的価値」へ移行</strong>し、さらには流通革命を起こし）、現代のファッションやインテリアとのコラボレーションにも通ずるデペイズマン的な邂逅が多く見られるようになった（cf.「<a href="http://furuhon.info/blog/archives/2004/01/post_12.html" target="_blank">フィリップ・スタルクとバカラのコラボレーション</a>」）。

――そういえば、大学の<a href="http://www.1192296.com/works_other/graduation_trip/" target="_blank">卒業旅行</a>のときに中学時代からの親友二人でアメリカ４都市を周遊したが、ビバリーヒルズのロデオドライブ周辺を散策しているときに、連れの友人が来ていた黒いコートを見て現地の人が「ヨージ・ヤマモト？」と聞いてきて、安物のコートだった友人はその後ずっと浮かれていたものだった(笑)。

<strong>ジョルジュ・バルビエ、ルパープ、マルティ、マルタンら</strong>、また、<strong>エルテ</strong>を代表格とするアール・ヌーヴォーやアール・デコの時代が去り、バウハウスや未来派などの前衛芸術が花開き始めた時代――、戦争による徴兵・召集によって女性が台頭した時代、ロシアからは<strong>ディアギレフ</strong>のバレエ・リュスが、イタリアからは<strong>エルザ・スキャパレリ</strong>がダリやコクトーを介してアンドレ･ブルトンらによるシュルレアリスム運動の吸引力に引っ張られ、ピカソやミロらを生んだスペインからは<strong>クリストバル・バレンシアガ</strong>が、既にファッション王ポール・ポワレや<strong>「ニュールック」</strong>で一世風靡したディオールらとのモード対決に打ち勝った女王シャネルに対抗するために続々と集結してきたような、ファッション史上の中でも怒涛の時代であったと言える（cf.「<a href="http://furuhon.info/blog/archives/2002/07/post_15.html" target="_blank">晴天の中、「ミロ展　～世田谷美術館～」へ</a>」）。

さらに、写真技術や印刷・出版の技術も発展し、それまではイラストによる広告（cf.<strong>『<a href="http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4094047719/1192296com-22?creative=1615&camp=243&link_code=as1">かの悪名高き十九世紀パリ怪人伝</a>』</strong>）等しか行えなかったファッション広告の表現も多用になってきたことで、モードの普及が加速した。

このように単に「服」一つとってみても、それを取り巻く文化史上の出来事や登場人物が膨大で、美術や文学をはじめとした各種芸術運動、バレエや演劇などの舞台芸術、実験映画や音楽、宮廷文化から受け継ぐ陶器やガラス製品、あるいは<a href="http://furuhon.info/blog/archives/2002/10/post_48.html" target="_blank">照明</a>等の工芸・インテリア、写真史、出版・印刷の歴史、ポスターや広告史、建築史、（民族史的観点からの）衣装etc……と、ほぼ同時多発的に様々な事象が入り乱れた結果、人々のライフスタイルが進歩した経緯を振り返ってみると、いろいろと面白い相関関係があって楽しめる。

余談が多くなってしまったが、本展では先に述べたスペインが生んだ偉才――、ピカソやダリ、ミロ、古くはベラスケスに至るまで、現代のファッション・モードの基盤となった芸術作品に影響を受けた作家による照明やポスター、イス、ドレスなどが多く展示され、企画展を企画した方の熱い意図が伝わるかのような、スペイン文化にどっぷりと親しめる展示内容であった。<strong>愛知万博（スペイン・パビリオン）の関連企画</strong>ということで、当の万博では時間がなくあまりゆっくり見ることができなかったので、今回改めてじっくり見ることが出来て良かったと思う。

■参考サイト
・「<a href="http://www.mode21.com/history/"><strong>ファッションの歴史 - モードの世紀</strong></a>」]]></description>
         <link>http://www.furuhon.info/blog/2005/10/300.html</link>
         <guid>http://www.furuhon.info/blog/2005/10/300.html</guid>
                  <category domain="http://www.sixapart.com/ns/types#category">美術展</category>
        
        
         <pubDate>Tue, 11 Oct 2005 03:32:58 +0900</pubDate>
      </item>
            <item>
         <title>「エミール・ガレ展」（江戸東京博物館） ～文化と商業の複合芸術～</title>
         <description><![CDATA[　本日は日曜日だったが有楽町で１件仕事があり、その合間に両国まで出向いて江戸東京博物館で開催中の「エミール・ガレ展」を観に行った。
　2004年9月23日のエミール・ガレ没後100年の節目として、以前にもサントリー美術館などで記念した展覧会が行われたが、その一環の展覧会であろうと思う。

　私が少し以前よりガレに興味を持つ理由は、もちろん、アール・ヌーヴォー期のパリにおいて万博で栄誉を授かり、あの一度見たらその作風を忘れない程に斬新で華麗なデザインのガラス工芸品を多く創ったからという理由もあるが、同時にそうしたラスキンやモリスの流れ（cf.<strong>「アート・アンド・クラフト運動」</strong>）を組む、<strong><em>固有価値と産業の進歩を生んだ「生活の芸術化による社会の進化」</em>の動き</strong>（cf.『<A HREF="http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4621050931/1192296com-22">生活の芸術化―ラスキン、モリスと現代ー</A>』）の歴史上にある手工業などをはじめとした職人の手による伝統的な文化――、すなわちモリスで言えばモリス商会で扱われたテキスタイル、ガレで言えばガレ商会におけるガラス・家具作品等の量産化による文化と商業の複合等が果たした社会的役割を知りたいと思ったこともあったろう。

　ガレ幼少時代より興味を持ち始めた博物学・植物学の知識は、やがて後年になって一つの造詣となって花開くことになる。熱を加えることで変幻自在に形を変えるガラス工芸の工程の中に創作芸術としての造形の可能性を見出したガレは、<strong>「アップリケ」、「グラヴュール」</strong>などの技法（cf.「<a href="http://kitazawamuseum.kitz.co.jp/glass/technique.html">北澤美術館 工芸技法</a>」）を駆使して独自の世界を開拓してゆく。
　特に1846年、ナンシー生まれのガレが出会ったジュール・ヴェルヌが1869年に発表した大作、<strong>『<A HREF="http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4488517048/1192296com-22">海底二万里</A>』</strong>の影響は多大であろう。小説の中で描かれるネモ船長率いる潜水艦ノーチラス号が出くわす未知なる深海の光景！芸術家のガレ青年を襲った感動は計り知れない。そこで見た深海の生物群の神秘的な姿形は、ガレの作風にも現れ始める。

　また、一時、<strong>高島北海</strong>などジャポニスムにも傾倒していたガレだが、そうした中、時代は幾度かの万博などで世界中が祭りに浮かれていた頃、当時ガレの祖国フランスの友好国であったロシアと、日本との間で日露戦争が勃発（1904年）。ガレ自身も死と隣り合わせかと思える程の病の淵にいた。

　江戸東京博物館１階にあるシアタールームでは、『<a href="http://www.tv-tokyo.co.jp/kyojin/">美の巨人たち</a>』でのガレ特集を放映していた。
　ここでピックアップされた作品が、ガレ晩年の名作、<strong>『手』</strong>（1904年）である。オルセー美術館他、世界に３点同じモチーフの作品が残っているという。最も出来の良いものがオルセー美術館所有のものということで、本展にも日本初公開として来ていた。

　今までもグロテスクな雰囲気の作品は多かったが、この「手」はグロテスクを通り越して、不気味ささえ覚える。海の波を彷彿とさせる青い台座から人間の手首だけが伸びている。その手に絡み付いている海草や貝殻から、この「手」が海の中から伸びているものと想像できる。

　死の間際、しかもガレの愛した日本とロシアとの間の大戦を目の当たりにし、「人間の死」を観念的に捉えようとした後年のガレが作り出したのは、悲痛に助けを求める、あるいは別れを告げようとした自身の「手」であったのか？深い悲しみに満ちた作品「手」を是非実際に見られることをお勧めする。]]></description>
         <link>http://www.furuhon.info/blog/2005/02/post_68.html</link>
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                  <category domain="http://www.sixapart.com/ns/types#category">美術展</category>
        
        
         <pubDate>Sun, 06 Feb 2005 23:03:37 +0900</pubDate>
      </item>
            <item>
         <title>みなとみらい線開通一周年</title>
         <description><![CDATA[　今日で、みなとみらい線が開通一周年だそうである。個人的には、「もう一年経つのか？」と時の流れの速さに驚いている。仕事で横浜周辺に行くとき、横浜駅でJRから東横線に乗り換えるのに、今まで通り階段を上がってしまうということを何度もしてしまっていた。それほどみなとみらい線が開通してからの横浜駅は変わった。

　当初は、桜木町の駅前の雰囲気が好きで、あのランドマークタワーが建設された当時、私は高校生であったが、オープン２日目にはクラスの友人を誘って見に行ったものだった。当時はタピオカなんかを珍しく思い、お土産に買っていったものだった。そんな桜木町駅に東横線は通らなくなった。もちろん、従来通り、京浜東北線や横浜市営地下鉄線は走っているが、それはそれで一抹の淋しさも覚えたものだ。

　しかし、みなとみらい線が通り、横浜駅からみなとみらい21地区の中心地に新設されたみなとみらい駅を経由し、馬車道駅、終点の元町・中華街駅まで線路が伸びたことは、大変画期的なことだとも思った。

　私が以前読んだ本に、『<A HREF="http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4621053361/1192296com-22"><strong>イベント創造の時代 自治体と市民によるアートマネージメント</strong></A>』というものがあった。著者は横浜市の職員で、今まで関わってきた横浜市のプロジェクトについてを本書の中で多く紹介している。本書が発売されたのが2001年なので、それ以前のことまでしか書かれていないが、まるで今の横浜市が、みなとみらい線の開通までをも視野に入れていたかのような、文化と商業の複合を目指し突き進んできたような歴史があることを想像させる。

　外国からの玄関としての港につくられたみなとみらい21地区。そこにはパシフィコ横浜もあれば、横浜ワールドポーターズもある。もちろん、ランドマークタワーや横浜美術館もあるが、みなとみらい駅ができてからは地下出口を出れば目の前だ。また、ロフトスペースを活用した赤れんが倉庫も見事に今風の複合施設として復活を遂げている。少し歩けば馬車道駅や日本大通り駅で、横浜の古い歴史や史跡に巡りあい、元町・中華街で食事もできる。何もない土地に一から鍬入れをして区画整備をし、確固とした都市や産業を築き上げた後、交通網の整備をし、そこへ人の流れを作ってゆく。

　<em>「日本を含め世界十数カ国約百画廊から約3000点の現代美術作品が展示される日本初の国際アートフェア」</em>NICAF、すなわち国際コンテンポラリーアートフェスティバル（International Contemporary Art Festival, Japan）の記念すべき第１回開催は横浜であった。
　そして今年、2005年は４年に一度の現代美術のイベント、「<a href="http://www.jpf.go.jp/yt2005/">横浜トリエンナーレ2005</a>」の開催が迫っている。

　89年の市政100周年を記念して行われたという「YES'89　横浜博覧会」以降、美術に限らず、古くは本牧ジャズ祭や横濱ジャズプロムナードをはじめとする音楽（JAZZ）、映画、演劇、ダンスと文化的な催しが多い。これも多くの群集を誘致するという目的では的を得たものと言えるかもしれないが、とにかく規模が大きいし、定期的に行い、しかも成功させてゆくには並大抵の企画力では無理である。イベントに携わった方々の思いに胸を打たれる。

　みなとみらい線開通一周年を機に、YOKOHAMAのさらなる飛躍に期待したい。]]></description>
         <link>http://www.furuhon.info/blog/2005/02/post_66.html</link>
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                  <category domain="http://www.sixapart.com/ns/types#category">都市を遊歩する</category>
        
        
         <pubDate>Tue, 01 Feb 2005 02:08:58 +0900</pubDate>
      </item>
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         <title>「ミュシャ財団秘蔵 ミュシャ展」 ～売れるミュージアムグッズ～</title>
         <description><![CDATA[　前人気の高かった本展に出向いた。予想以上に混雑していて、人気画家ぶりが知れた。
前にミュシャの作品に触れたのはいつだったろう。もう1年も前のことになる。去年の春先、東京都庭園美術館で開催された「<a href="http://nihonno.sakura.ne.jp/blog/archives/2004/04/1900.html">パリ1900 ベル・エポックの輝き</a>」展で、ジスモンダのポスターなどを見たのが最後だった。その前は東京都美術館での「アール・ヌーヴォー展（2001年）」、その前だと世田谷美術館での「煌くプラハ展（1999年）」となる。いずれにしても、ミュシャに限定した展覧会を見るのは初めてだったかもしれない。

　当時から、日記にも書いていたように万博絡みであったり、ロートレックやスタンラン、J・シェレの体系からか、アール・ヌーヴォー期の、殊にポスター芸術のようなものに興味があった。私の好きな作家である海野弘氏の著作、『<A HREF="http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/412204152X/1192296com-22">アール・ヌーボーの世界</A>』の表紙には、ミュシャの「黄道十二宮（Zodiac）」という作品が装丁として使われている。私はこの作品のＢ５大のポスターを購入し、また、販売されていた画集も買い求めたが、中を見るとやはりこの作品が収められていた。

　このように、私たちは実際にわざわざ展覧会まで絵を観に行かなくても、ミュシャの作品を見ることはできる。このことについて、先の「アール・ヌーボーの世界」の中で<strong><em>「写真の発明は芸術にミメーシス（模倣）の概念の変革を迫った」</em></strong>と著者は言い、ベンヤミンの複製技術の話に触れている。

　私も以前、「<a href="http://nihonno.sakura.ne.jp/blog/archives/2005/01/post_8.html">『写真論』 ～追悼、スーザン・ソンタグ女史～</a>」の中で書いたかもしれないが、この時期くらいを境としてポスター芸術などが花開き、つまり芸術の大衆化が始まったとされている。先の「ジスモンダ」が描かれた翌年、1895年には既にリュミエール兄弟らによりシネマトグラフが発明されている程である。またミュシャ自身も多く写真を撮影していたように、時代は芸術を庶民の域まで着実に届けられるようになっていたのである。つまり、「黄道十二宮（Zodiac）」はその絵柄がカレンダーに採用されて庶民の生活の一部に組み込まれたり、他の作品群も煙草のパッケージデザイン、石鹸箱やビスケットの箱などへデザインが採用されるなどである。

　冒頭で「パリ1900 ベル・エポックの輝き」展でのミュシャ作品のことについて触れたが、1900年のパリと言えば既に５度目の万国博覧会が開催された年で、ミュシャ自身もこの万博でパビリオンの構想などに加わったというが、他にもルネ・ラリックや後述するエミール・ガレ、ウイリアム・モリス、ティファニーなどアール・ヌーヴォー期を代表する芸術家の作品がフィーチャーされたことから、アール・ヌーヴォー様式を<strong>「1900年様式」</strong>と呼ぶこともあるそうなので、そうした狙いもあった展覧会名なのだろうと思った。
　また、『<A HREF="http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4634344602/1192296com-22">世界史リブレット 世紀末とベル・エポックの文化</A>』によれば、この<strong>「アール・ヌーヴォー（新芸術）」</strong>の名の発祥を、ベルギーの建築家アンリ・ヴァン・デ・ヴェルデが、1894年のブリュッセルでの工芸博で自ら作った家具に対して名付けたものとしている。

　いずれにしても、第一次大戦前までの芸術・文化が花開いた時代、後年になって人々が<strong>「ベル・エポック（古き良き時代）」</strong>と懐かしんで呼ぶようになった時代に創出された芸術様式である。いつの時代になっても、人の心を癒し、穏やかにしてくれるような雰囲気を残し続けるアール・ヌーヴォー期の芸術作品――、今回で言えばミュシャの作品だが――私は画集とポスター、数枚のポストカードしか購入しなかったが、横で見ている限りでは多くの限定ミュージアムグッズが売れたものと思う。

　これはあくまでも私見だが、他の展覧会に比べ、ミュージアムグッズの売れ行きが良いように思う。ミュシャの作風のポピュラーさや、キャッチーさというのもあるだろうが、何より先ほど述べた「人の心を癒し、穏やかにしてくれるような雰囲気」が、今の殺伐とした世相にうけているのかもしれない。そんな思いを本展でさらに強めた。]]></description>
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                  <category domain="http://www.sixapart.com/ns/types#category">美術展</category>
        
        
         <pubDate>Mon, 31 Jan 2005 22:46:04 +0900</pubDate>
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         <title>「サムライ魂でデパートを創れ！～近代百貨店誕生物語～」</title>
         <description><![CDATA[　NHKで放映されていた「<a href="http://www.nhk.or.jp/sonotoki/">その時歴史が動いた</a>」を見た。歴史が動くときには得てして誰それかの「決断」がある。どういった思いで事業に当たったのか――？時の経営者に少しでも学びたい気持ちで見入った。
　百貨店の歴史をさかのぼると、古くはロンドンやパリで行われた万国博覧会へとたどりつく。元来私はそうしたイベント・行事に興味があったため、純粋に面白そうな特集だとも思っていた。この日の特集は昨年の11月放映分の再放送であった。

　昨年の百貨店業界はと言えば、数年前からの不況で百貨店業界全体の売上が低迷し、多くの再編やリストラなどが行われる中、電車の中吊り広告で派手に宣伝されていた、<strong>「"デパートメントストア宣言"から100年」</strong>という三越百貨店のコピーが妙に感慨深い、そんな催事の広告を何気なく見入ったものだった。

　今日の主人公は、その三越の創始者・元会長、<strong>日比翁助（1860-1931）</strong>である。日比翁助はもともと三井銀行で働いていたが、ある日のこと、三越の前身である三井呉服店へと引き抜かれた。その目的こそが、当時経営が逼迫していた三井呉服店の再建だった。ところが近代化の進む明治中期以降の日本は、日清・日露戦争など緊迫した世界情勢の中に置かれており、時代は非情にもこうしたサービス業優勢ではなく、重工業に重きが置かれる風潮が自然と高まっていっていた。

　そうした時流の中で日比翁助率いる三井呉服店は、とうとう三井の傘下を離れることを余儀なくされるのであった。時は1904年、この番組の放映された100年前――、つまり先の<strong>「デパートメント宣言」</strong>がなされた年へ向かってゆく。

　慶應義塾在学時代に影響を受けた福沢諭吉の<strong>「"利"よりも"義"を重んじる」</strong>思想――、<strong>「士魂商才」</strong>の念（解説の方の言葉を借りて言えば、<strong>「公共」「社会」「人倫」「規範」「節度」といったような「武士道」というよりは「士道」と呼ぶに相応しいもの</strong>）を胸に、伝統あるイギリスの百貨店ハロッズを視察するために渡英した日比翁助は、そこから多くのことを学ぶこととなった。

　それは、解説の方が言っておられましたが、<strong>「公共空間の創造」「商品を選択できる主導権を消費者に」</strong>の実現であり、それは従来までの旧態依然とした日本の商習慣を画期的に覆すやり方だった。社会に貢献するデパートとして、戦後は未来を切り開いてゆく子供たちのために、児童博覧会の企画なども行ったそうである。

　また、社員教育に関しても全く新しい手法を導入したとあった。<strong>「持ち株会」の設置や、業績の３割を賞与還元するという「能力給」の導入</strong>である。こうした（百貨店に関する）有徳者による経営論、伝記・回想記は、以前私も読んだことがあった。

　<strong>『<A HREF="http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4532190401/1192296com-22">ノードストローム・ウェイ　絶対にノーとは言わない百貨店</A>』、『<A HREF="http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4480085173/1192296com-22">百貨店の誕生―都市文化の近代</A>』</strong>――。

　いずれにしても言えることだが、「お客様」にいかに良い気持ちでご利用いただくか。何も「お客様は神様」なんかではない。サービスを提供する側がいかに気持ち良くなるために、そこを利用するお客様を気持ち良くさせるか、なのである。パーティーや祝宴の席で主役を驚かせるようにして喜ばせる<strong>「サプライズ」の提供</strong>が、サービス精神の表れであるとするならば、お客様に喜んでもらう、しかも予想以上に、または驚く程喜んでもらう。<strong>それこそが「サービス」の本質</strong>であると思う。]]></description>
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                  <category domain="http://www.sixapart.com/ns/types#category">ニュース時評</category>
        
        
         <pubDate>Thu, 27 Jan 2005 05:22:27 +0900</pubDate>
      </item>
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         <title>成人の日　～三十にして立つ～</title>
         <description><![CDATA[　今日は成人の日で、各地で式典が催されたことと思う。思い返せば私も10年前、地元の会場で行われた式典に参加した。あの頃、再会した旧友たちとは、あれ以来10年も会っていない。独立した者や家庭を持った者、ニートを続ける者、おそらくそれぞれの道で活躍してるのだろうと思う。

　そんな私の世代は、今年30歳になる。男の30歳と言うと、ハタ目にはどう映るだろうか？
孔子は論語の中で、<em>「十有五にして学に志す、三十にして立つ、四十にして惑わず、五十にして天命を知る、六十にして耳順う、七十にして心の欲するところに従へども矩をこえず」</em>と言った。

　30歳、三十路を起点として、15歳のときに学業に力を入れなかった者でもいい加減どうにか自立したいと思うだろう。それが独立なのか家庭を持つことなのか家を建てることなのかは分からないが、いずれにしても今年20歳の成人式を迎えた新成人の新鮮な気持ちに負けないように頑張らなくてはいけないと思う。

　もちろん新成人だろうと、30歳だろうと、いつの年齢だって新たなスタートは切れる。ただ、「いつでもスタートは出来る」という心持ちと、「いつまでにスタートする」という心持ちでは、その後を大きく変えてゆくことだろう。

　今年の９月にはスタートさせてみせる！
今はまだ右も左も分からないが、20歳の新成人のほとんどだって、同じ心持ちで社会に出てゆくのである。それから10年も多く生きている私が、たった10年の経験でしかないが、全く同じ不安を抱えているというのもおかしな話ではないか――。とにかく目標達成のために頭と体をフルで動かしていかなくてはならない。]]></description>
         <link>http://www.furuhon.info/blog/2005/01/post_63.html</link>
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                  <category domain="http://www.sixapart.com/ns/types#category">雑事断章</category>
        
        
         <pubDate>Mon, 10 Jan 2005 21:20:16 +0900</pubDate>
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