2006年03月26日

文化人類学者、米山俊直氏が死去 ~人間社会に対する人々の興味を広げた功績~

米山俊直氏が死去 日本に文化人類学広める

先ほどのエントリーでホワイトバンドの件でアフリカの話に触れて思い出したニュースである。氏の著作は一冊だけ所有していた。

cf.文化人類学を学ぶ人のために

上記の著作である。学生時代に一般過程で教育学を受講した際、「21世紀に求められる教育」をテーマに発表するという内容があった。私はその頃ゲーテの「知るに値せぬものや、知り得ぬものに携わることによって、学問は非常に阻止される」という言葉に傾倒していて、知の狩猟目的というか、つまらない授業を勝手に楽しむために、また現行の教育制度へ対する辛辣な風刺を込めて、「大学教育」という蓑にくるまりながら、めちゃくちゃペダンチズムに満ちたスノッブなレジュメを作ってやろう!と一人燃えたことがあった(笑)。

内村鑑三の後世への最大遺物(cf.「金も名誉もない人間は後世に何をのこせるか?と問うて、"勇ましい高尚な生涯を遺せるではないか"と教えた」)や、フィリップ・アリエスの「教育」の誕生に始まり、山本五十六やファシズムの思想、「君が代」問題、カジュアルデーの適用(学校五日制、ゆとり教育)、いじめ問題やヴァルネラビリティについて、あるいはI・M・ペイ氏(香港にある中国銀行ビルや、ルーブル美術館横のピラミッド型建造物の建築デザイナー)の作品解説から中国に伝わる風水学について(cf.風水先生―地相占術の驚異)、果ては、後年になってから知ることになる言葉でいうと「ファシリティ・マネジメント」という言葉に近いかもしれないが、千葉にある幕張総合高校の校舎や、当時施工が済んだばかりだった大分のコンベンションセンター「B-CON PLAZA」(磯崎新氏設計)などを引き合いに、近未来型のコンピュータルーム、多目的ホールや円形劇場や地下施設の利用等ユートピア小説の影響も色濃く、パウル・シェーアバルト(cf.永久機関 附・ガラス建築―シェーアバルトの世界)やブルーノ・タウトのガラス建築(cf.「グラスハウス」)に移り、エンデとベックマンの仕事(cf.明治のお雇い建築家 エンデ&ベックマン)まで、その他今後一生読むことがないだろうと思われる教育学の専門誌等を参考文献として、生涯教育女子大生亡国論(cf.『若者論を読む』)、ルソーや雷鳥、サルトルの思想、価値相対主義、千葉大の先進科学課程、学生が教師を評価するという「生徒指導・生活指導に関する学校評価項目」、学級新聞の発行、参加型授業、ディベートの方法、ロビン・ウィリアムスのいまを生きるetc……、結論としては旧文部省・中央教育審議会の進めてきた「内容知」(cf.「方法知」)中心の授業カリキュラムが、子供たちの「未知への欲求」を減退させ、「生きる力」を失いやすい子供たちを生んできたのでは?という結論というか、揶揄を書いただけの風刺で終わったクソ論文であった(笑)。たまたま大学の教授にしては珍しく、熱っぽく授業をして下さった若い先生だったので、期待に応えようと私も熱く書いたものであった(上記『いまを生きる』の影響が強かったw)。

その後、ブログを書くようになってからも、そうした傾向は続いたものである。

『闇をひらく光』 ~照明について、ふと考えた~
闇をひらく光―19世紀における照明の歴史(ヴォルフガング・シヴェルブシュ)や、「縮み」志向の日本人(李 御寧)について触れた。
新札発行の『夜明け前』(島崎藤村) ~真実はすべて闇の中~
武士道(新渡戸稲造)、菊と刀―日本文化の型(ルース・ベネディクト)、日本人とユダヤ人(イザヤ・ベンダサン)とヴェニスの商人(シェイクスピア)等について触れた。
『菊池君の本屋 ヴィレッジバンガード物語』(永江朗著) ~こだわりの編集方針「定番をEDITする」(前編)
※レヴィ・ストロースの著作(cf.悲しき熱帯)、あるいは後年になって、マルクスの階級闘争の周辺について(cf.フランスにおける階級闘争)や、ホイジンガ(cf.『中世の秋)、コメニウス(cf.世界図絵)の作品に対して抱くこととなる興味の源泉について触れた。

いずれにしても、そのような多感期の時期に触れた氏の著作(編著)には、直接的な影響を受けたという程のものではないが、少なからず多方面における興味をもたらしたと言うべきであろう。

冒頭に挙げた文化人類学を学ぶ人のために中にあるフィリップ・アリエスの子供の誕生とピーテル・ブリューゲルの作品比較については、自分のブックレビューのサイト内でも、評の内容をパクってしまった格好である(汗)。また、併記されていたユゴーのレ・ミゼラブル(ユーグ版)については、後年になって鹿島茂氏の「レ・ミゼラブル」百六景―木版挿絵で読む名作の背景などへの興味へと派生していったものである。

「文化人類学」は、「自然人類学」に対する言葉である。平たく言えば、人類学へ対する文系的アプローチを試みる学問である。それは民族性や風俗・習慣、儀礼、信仰・宗教、言語学や社会学、都市論etc…、およそ広大無辺な博物学的遊覧をも展望させる学問である。
私は別に専門家ではないということもあるが、小難しい話は抜きにして、人や世界への興味を引き出してくれるような本が好きである。そうした観点でいくと、米山俊直氏の遺した功績は偉大である。追悼。

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2006年03月25日

「ホワイトバンドはアフリカを救ったか」(Newsweek)を読んで

※同じ記事をmixiの方でも書いてしまっているが、次のエントリーに関係する内容が含まれているためログを残しておきます。

最新号のNewsweekの特集は「ホワイトバンドはアフリカを救ったか」であった。

このホワイトバンドについては、以前に自分のブログでも話題に出したことがあった。

「ほっとけない 世界のまずしさの"ホワイトバンド"」は、なぜ怪しまれるのか?

否定派の出典元を多く紹介したからか、マイナスのイメージで捉えているように思われたかもしれないが、個人的には、ホワイトバンドは(ああいうオシャレちっくなアクセは身に付けるタイプの人間ではないので、)結局買わず終いに終わっているくらいで、実はほとんど興味を持たなかったので詳しいことは知らない(汗)。

ただ、当時話題に上がったサニーサイドアップ社側の見解に倣い、アフリカなど普段あまり気にすることのない世界情勢にも少しは興味を持つようになったきっかけにはなったかもしれない。

cf.
Yahoo!Japan 海外トピックス
外務省 G7 / G8 -特にアフリカにおける飢餓に対する行動-
クーリエ・ジャポン バックナンバー
ロイター > ワールド

Newsweekの中ほどには、当のサニーサイドアップの次原社長の言葉が掲載されている。
多くの意見が広報活動(テレビCM等)に芸能人やセレブを起用したことに批判の矢が向いている(賛成派もいるが)。個人的に言えば公共広告機構のCMなんて昔から好きである。「ホワイトバンドの収益は当社の売り上げにはなりません」「出演者はもちろん全員ノーギャラです」と次原社長は言う。

私がブログで採り上げた当時も、販売価格300円の内訳のうち、直接支援には1円も使われていないという事実を槍玉に上げた人が多かったが、実行委員会もサニーサイドアップ側も売り上げの一部が寄付される仕組みでない旨(cf.「アドボカシー」)を元々謳っている。

でも、記事を読み進める内に、論点がそこに集中するのは筋違いかとも思えてきた。論点はそんな部分ではない。先進国を名乗るのなら、民度の低さが露呈するような議論はお互い避けたいものである。

「直接支援にならない不毛な論議」を交わしている間にも、アフリカでは3秒に1人、貧困のために命を落とす子供がいて、その数は減ることがない。また、こうしている間にも国を代表するような人が、私利私欲のために国のお金を使い込んでいるかもしれないのである。

正直自分も、アフリカの現状を知らないで言っている。また、目の前の問題もあるかとは思うが、アフリカの貧困問題にだけ視点を移しても解決しない部分も多い。"アフリカ"と一口に言っても当たり前だが大陸の名前だし、一つの国を指しているわけではない。サハラ以北と以南では政治・経済や文化も全く違う。自給社会をつくり上げるまでは本誌でも書かれているように、「絶えず支援を必要とする、無力で希望のない大陸というアフリカのイメージを定着させただけ。アフリカ人の自助努力を見くびり、自信を低下させた」だけで、このまま政治的に変わらないようでは無政府主義も台頭し、テロや内紛は絶えないことだろう。

未知のアフリカには世界遺産や遺跡が多くある。何よりも真の大自然がある。ピカソやアポリネール、レーモン・ルーセル、ジャコメッティやブランクーシの表現したアフリカ――、大変魅力的な国々が多い。自分もいつかこの目でそれを見てみたいなとも思った。

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2006年03月06日

『インターネット図書館 青空文庫』 ~著作権の保護期間延長について~

ニューヨーク公共図書館は、単に本を借りるための場所ではない。名もない市民が夢を実現するための「孵化器」としての役割を果たしてきた。ここからは、アメリカを代表するビジネス、文化、芸術が数多く巣立っている。

/『未来をつくる図書館 ―ニューヨークからの報告―』(岩波書店)より

インターネット図書館 青空文庫』を読んだ。「青空文庫」と言えば、「インターネットの電子図書館」として、90年代後半よりインターネット上で展開している草の根オンライン図書館のようなサイトである。570名にのぼる「青空文庫工作員」と呼ばれる入力や校正を行うボランティアスタッフによって今も運営されている。本書はその青空文庫の創設メンバーの一人である、野口英司氏の編著によるものである。付録として青空文庫に登録されている4843作品のデータ等が収録されたDVD-ROMが付き、巻末には年表が付いている。

今でこそ「Wikipedia」(cf.「Wikipediaは果たして「オープンソース」なのか(CNET Japan)」)などのネット上のデータベースが社会的地位を得て、私たちもその恩恵に与ることが出来ているが、インターネットという地理的・物理的・経済的などの観点からでも、情報検索に関して優位性を持つ媒体・ツールが主流となってきた昨今において、ときに便利なサイトであった。

2000年12月31日にオープンした「インパク」自体は、時期尚早なものとしてイマイチぱっとしない印象のまま終了したが、その後のe-Japan戦略電子政府に対する興味をわかせ、電子カルテ電子書籍の登場を促すこととなり、こうしてインターネットの急速な普及によって、人々の生活は一昔前と比べて一変した。

そんな折、「著作権の保護期間が50年から70年に延長」されるかもしれないという議論が、アメリカ政府などからの規制改革案が持ち込まれたことによって話題性を増し、一部世論をわかせている。青空文庫のサイト上では既に「著作権の保護期間延長に反対します」というバナーが貼られ、本書の帯の上でも同じコピーが謳われている。

cf.
・はてなリング「Stop! Copyright-Extend
・「青空の行方/なにゆえの著作権保護期間70年延長か」(富田倫生氏)
・「やっぱり著作権保護期間延長を批判する」(白田秀彰 ロージナ茶会
・「ITmedia LifeStyle:特集:輸入音楽CDは買えなくなるのか?

その昔、松岡正剛氏が漏らした夢、「ネットワーク上の一角に巨大な空中楼閣のような“図書街”を出現させる」(cf.「松岡正剛の千夜千冊『ヨーロッパの歴史的図書館』ヴィンフリート・レーシュブルク」)が、やがてリアリティを持って話されるようになり(cf.「「松岡正剛千夜千冊達成記念ブックパーティー」に参加!)、実際にシンポジウムまで開催されたことがあった(cf.NICTユニバーサル・コミュニケーション・シンポジウム)ようだが、ネット上のソースやリアルな図書館が持つ蔵書が繋ぎ合わさった"図書街"が、市民が自由に膨大な歴史のデータベースを紐解くことができるような社会をもたらすとしたら面白いと思う。

本書の中にも、「著作権の権利は尊重する、と同時に、保護期間を終えた著作物は、みんなが自由に、手軽に、広範囲に利用できるようにしていく。これが青空文庫の目的といってもいいだろう」と書かれている。せっかく無料で読めるということを知らずに、学校側からの指示通りにお金を払って文庫を買っている学生なんかには是非勧めたいところである。

本書にも引用された青空文庫創設メンバーの一人、富田倫生氏による言葉が印象的である。

【著作権制度の目指すもの】

青空のぬくもりは、誰もが共に味わえる。
一人があずかって、その恵みが減じることはない。
万人が共に享受して、何ら不都合がない。

世界の中における日本。この土地から青空を眺めやるとき、私たちは一体どこの上空まで仰ぎ見ることが許されているのだろうか――。意外に私たちの可視範囲にある青空はそんなに広くはないのかもしれない。

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2006年02月19日

『BRUTUS 天才たちに学べ!』を読みました。 ~天才時計師フランク・ミュラー~

今号のBRUTUSは、再び「フランク・ミュラー」特集であった。"再び"と言うのは、今号のトビラにもこの件に関する事件の発端をBRUTUS誌が書いたときの記事が小さく掲載されているが、私もその号を過去に一度採り上げている。

cf.「『BRUTUS さあ、ブックハンティングの季節です!』を読みました。 <後編> ~スイス時計業界の新星フランク・ミュラー~」

BVLGARIの時計の広告の対向面にあることを意識させるかのように、漆黒の表紙に合わせ、綴じ込み付録の体裁でその特集記事は組まれていた。主な内容は、フランク・ミュラーが、共同創業者兼共同経営者であったヴァルタン・シルマケス氏との確執の末、自身の起こした会社を離れるというものだった。

今号では、やはりフランク・ミュラー自身へのインタビューとして、和解に応じた後の経緯などが書かれてある。「FMVS(Flanck Muller,Vartan Sirmakes)の頭文字より」という新しいコンセプトのラインナップのことや、「メンズモデルとレディースモデルがあり、スチール製が888本、ゴールド製が88本の限定」で、それ自体が会員証となる時計の1号モデルがリリースされるという、「フランク・ミュラー クラブ・メンバー」の話などが書かれているが、後半、クロノグラフを作る方がトゥールビヨンウォッチを作るよりはるかに難しいと述べ、その後に興味深い発言があった。

 ――これは時計に限らず、ひとつの真理だから覚えておいたほうがいい。複雑なものを、たくさんの部品を使って複雑に作るのは、実は簡単なのだ!複雑なものを、少ない部品で簡単な仕組みで作るほうがはるかに難しい。部品数が増えれば増えるほど、故障も増えるのだ。  何ごとであれ、シンプルであることが一番大切だ!私は常にその一点に挑戦している。私のこの時計のように、本来、3つのムーブメントを使わなければ絶対に動かないはずの機構を、たったひとつのムーブメントで動かせたら最高だ!  これこそが成功というものだ!挑戦とはそういうことなのだ!
 ――なるほど、天才が考えることは一瞬常軌を逸した考えのようにも思う。がしかし、よくよく考えてみると、こうした考え方は我々ビジネスマンの中でも普段の仕事の中で、「どうしたら、これ以上複雑にならずに、組織を効率的に動かすことができるのだろうか?」と組織の形成、仕組み化(見える化)で悩む人は多いことだろう。  どんなに崇高な理想、多くの目標を掲げても、また、そのためにどんなに他人に自慢できるような複雑な数式を盛り込んだデータファイルを用いようとも、それがその組織で機能していなければ全く無意味である。スイスの天才時計技師フランク・ミュラーの言葉の中にさえ、思わず活路を見出したくなるような名言であると思った。

 他にも誌面では、フランク・ミュラーの私邸や所有するコレクション、工房などの紹介があり、「私は自分が好きなことしかやらない」という、フランク・ミュラー自身の言葉かと思われるコピーで特集を終えていた。

 ところで、BRUTUSがときにとても面白く感じることがあるのは、これだけ興味深い特集を組んでおきながら、記事がこの域で終わらないことだ。
 その後も「天才」をコンセプトに、世界中の天才たちの紹介を飽きることなく列挙し、ある種ストイックな博物誌的様相さえ帯びてきている。

 昨年10月に開かれた「第15回ショパン国際コンクールに最年少の17歳で出場、見事ポーランド批評家賞を受賞した」という生まれつき目の見えないハンデに往年の天才音楽家たちを彷彿とさせる神童ピアニスト、「全米最年少記録の12歳でシカゴ大学大学院医学博士・生物学博士課程合同プログラムに入学」したという現在15歳の少年、各面4列の複雑なルービックキューブを54.13秒でクリアしたという「ルービックキューブの世界王者」という19歳の少年、トリノ五輪では残念な結果(「着地失敗の今井メロ、腰椎ねんざと診断(2006年2月14日,YOMIURI ONLINE)」)であったが、渋谷駅前の巨大モニターに映し出されたハーフパイプのパフォーマンスには驚愕した今井メロ(18歳)さんについてのプロフィール・実績紹介、さらには歴代人気マンガに登場する天才キャラの紹介(笑)、締めには「もしかして、オレって天才?」などという、読者自身が診断できる天才診断チャートまで用意されている周到さ。もちろん私の結果は「凡人」である。人間、何事も中庸が大切なのである(笑)。

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2006年01月01日

雑誌『東京人』創刊20周年に寄せて。

 私の愛読誌『東京人』都市出版株式会社)は、1986年1月に創刊されて今年で創刊20周年だそうだ。その記念号である2006年1月号「特集:1986-2005 『東京人』が見てきたもの」では、巻頭を歴代の『東京人』を飾った表紙が抜粋して紹介されてあり、そこに書かれた特集の見出しを読み上げるだけでも、ここ20年の東京の一大クロニクルを追うようで楽しめる。書店によってはバックナンバーを設置するコーナーで、表紙が見えるタイプのラックにバックナンバーを飾り、通りがかりの人の足止めに一役買っていたりするところもあった。

cf.「雑誌『東京人』:創刊20周年 変わらないものの魅力を--高橋編集長に聞く

 私が『東京人』を読むようになったのは、以前「「箱庭幻想」 ナチュール・クー・ドイユ ~世界を一望の下に~」の中でも少し触れたことがあったが、学生時代に「東京学」という社会学や都市論の類、考現学、ひいては極ローカルな地域における地誌学が派生したかのようなゼミを選択するようになってからだった。この授業は自分にとっては大変興味深いものであった。例えば、中原中也という詩人がいる。代表作に「正午 丸ビル風景」(『在りし日の歌』より)というものがあって、私たちにも馴染みのある光景を詩にしている。

あゝ十二時のサイレンだ、サイレンだサイレンだ

ぞろぞろぞろぞろ出てくるわ、出てくるわ出てくるわ

月給取の午休み、ぷらりぷらりと手を振って

あとからあとから出てくるわ、出てくるわ出てくるわ(後略)


 これはあの丸ビル(丸の内ビルヂング)を歌ったものだが、もちろん今の丸ビルのことではない。大正12年2月の竣工以来、変わらず丸の内の顔として居座った昭和十年前後の丸ビル風景のことである。中原中也の死の直前の20代後半の頃の作品である。さすがに今では「サイレン」はないだろうが、大きく変わった光景でもないだろう。また、当時はサイレンだったのか?という疑問というか興味も同時にわいてくる。

 当時の私は、中原中也が紹介した同じく若くして夭逝した仏詩人ランボオや、同年代に活躍した詩人、立原正秋の作品などとの比較を試みつつ、明治から昭和初期にかけての詩人が歌った東京の原風景と現在の東京の現風景とを比較し、そこに読み取れた社会風俗の移り変わりや経済価値の変遷などから不易流行を見出し、発表するということをおこなっていた。この作業にどうしても付き物なのが、フィールドワーク(取材)と写真撮影という行為である。自身のメモでは書き取れなかった風景を写真で補完しておくことで、記憶を鮮明なものとして表現しレポートに説得力が出るように工夫した。この一連の作業で、東京という一都市に興味を持ったのみならず、街散策や写真撮影という行為自体にも次第に興味を持つようになっていった。

 閑話休題。冒頭に挙げた『東京人』は、まさにそうした当時の私にとって教科書代わりのような存在であった。もともと興味のあった古書店や美術館、建築物などに加え、その他、迷宮都市・東京を形成するありとある事象について言及された『東京人』に寄稿する作家は、自分にとっては大学以外の外部の先生であった。

 当ブログのタイトルは「都市の遊歩者による草の根文化政策」で、この「遊歩者(フラヌール)」はもちろんヴァルター・ベンヤミンの『パサージュ論』からとっている。また、松岡正剛氏がかつて編集した雑誌『遊』の字も含まれていて自分では気に入っているのだが、このブログやタイトルが『東京人』の影響を受けている部分もあるということは説明するまでもないだろう。

 「特集:1986-2005 『東京人』が見てきたもの」では、レギュラー執筆陣とも言うべき、赤瀬川原平氏、川本三郎氏、坪内祐三氏、海野弘氏、鹿島茂氏、陣内秀信氏などに加え、隈研吾氏らの寄せた記事などがあり大変面白く読むことができる。

 また途中に「東京人 蓋棺録」というコーナーがあって、惜しくも亡くなられた故人について追悼の意をもって振り返る特集が組まれており、種村季弘氏や杉浦日向子さんへ寄せた編集部の記事や、『街並みの美学』(←大変難しいw)の著者である芦原義信氏(2003年逝去)について書いた記事もあった。芦原氏は1986年の創刊当時、私の好きな美術評論家である高階秀爾氏、芳賀徹氏などと共に『東京人』の初代編集委員を務められた方と説明にあった。

 「古書店」「中央線」「同潤会アパート」「建築」「喫茶店」「サブカルチャー」「映画」「演劇」「美術館、アート」「落語、お笑い」「銀座」「ウォーターフロント」etc……、この20年間に『東京人』で語られた多くの事象について断章形式で紹介され、また各記事の最後には簡単な年譜まで付記してあり、縦断横断、読者が自由気ままに東京散策できるようになっている。

 時代というものは、どんな時代を切り取ってみても「激動」かもしれない。しかし1975年生まれの私にとって、物心の付き始めてからのここ20年間というものは、他の世代の人以上に感慨深く感じるのかもしれないと感じた。これからも気概のある、面白い雑誌であり続けて欲しいと思った。

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2005年01月06日

『写真論』 ~追悼、スーザン・ソンタグ女史~

 昨年のニュースで、哲学者のジャック・デリダが亡くなったことが一部報じられ、その後幾日もしないうちに、今度は12月28日に、掲題のスーザン・ソンタグが癌のため71歳で亡くなったということを知った。正確に言えばそれらのニュースを知ったのは年が明けてからのことである。スマトラ沖地震のニュースがあまりにも衝撃的で、それに隠れてしまっていた。
 この二人の人物の共通点は、共にユダヤ系アメリカ人で、哲学者、思想家、批評家であり、2001年9月11日の対米同時多発テロ事件に対する批評の中で、当時のブッシュ政権についてラディカルな批判を続けた知識人というくらいのことしか知らない。

 最近になって、そんなスーザン・ソンタグの『写真論』をようやく読み終えた。女史の作品を読むのはこれが初めてだ。以前よりネット上のコミュニケーションサイト内で話題になったり、私の好きな作家である松岡正剛を書いていることもあり、名前だけは覚えがあった。それくらいの意識で読んだのがまずかったのか、やはり、というか当然難解なもので「目を通した」と言った方が適切なくらい全体の1割を理解出来たかどうかも怪しい。このような奇を衒ったような読み方は高校・大学時代から続いており、字面を追う作業をときに楽しく感じることもあり、蓮實重彦(『フーコー・ドゥルーズ・デリダ』等)、柄谷行人といった難解な文章を書く作家などの著作を購入したが、これらも難し過ぎて目を通しただけだった。

 私は哲学など習ったことはこれまで一度もない。中学3年の頃の「倫理」の授業がそれに似た最後の授業だった。哲学を日常の生活に置き換えたりと、易しく解説した本も多く刊行されているが、どちらにしても難しいことに変わりはない。それは「現象学」だとか「構造主義」だとか「記号学」だとか、あるいは「ポストモダン」、「エクリチュール」、「グラマトロジー」、「アウラ」などと言った専門用語が溢れかえった著作ばかりで、私がこれらの本を読んでこなかった原因として、字面を追うだけでも平易ではないという感想を受けたことに依るものが大きいと思う。

 それではなぜ今になって、『写真論』なのか――?
もちろんソンタグ自身が本著の中で、「写真術は新しい型のフリーランスの活動を開いて、ひとりひとりがある独特な、貪欲な感受性を発揮できるようになった」と言っているのに呼応するかのような昨今のデジカメの普及などによって、手軽に掌中に収められるようになった「"世界"という名のコレクション」や、またベンヤミンが『生産者としての作家』の中で言う、「われわれが写真家に要求すべきことは、写真を当世風の変質からひきはがし、写真に革命的な使用価値をあたえる画像の説明〔となる言葉〕を付与する能力である」にあるような、テレビや新聞といったメディアや出版物(キャプションも含む)・広告等を通じて日々私たちの元へ届けられる「世界の断片」、あるいはそれらを自ら沸き起こったジャーナリズム精神をもってホームページやブログなどへ表したりなど、より身近になった「写真」や「カメラ」などに、私の中の好奇心がかき立てられたからに他ならない。

 そのための第一歩として書店で『写真論』を手にとったわけではない。まだ読みかじった程度なのかもしれないが、『図説写真小史』、『ベンヤミン「複製技術時代の芸術作品」精読』、『20世紀写真史』などはもともと読了していたし、そのほか、アジェやマン・レイ、ブラッサイ、ドアノー、キャパ、ブレッソンといった写真家の作品集などは好んで購入し、眺めやったこともある。

 それから全くの私事であるが、学生時代から聴いている好きな曲がある。それはマーク・ジョーダンが79年に発表した名盤2nd、『Blue Desert』に収められている『I'M A CAMERA(邦題:「私はカメラ」)』という曲である。大好きなジェイ・グレイドンのギターが多くフィーチャーされていることも好きな理由の一つだが、恋に疲れたロマンティストな主人公の男を描いた歌詞の一部に、学生時代の私は感銘を受けたものだった。

僕はカメラ、あなたの写真も写したはずなのに
僕はカメラ
僕はカメラ、あなたの姿をもち歩いていたのに
どこに行くにも――
僕はカメラ

 当時の私は自分の置かれた境遇に照らし合わせながら、随分と感傷的になってこの曲を何度もリピートして聴いていたものだった。今になって思えば女々しいことこのうえないのだが、これも若気の至りと許されたい。

 ソンタグは本著の中で、「だれもかつて写真を通じて『醜』を発見したものはなく、多くは写真を通じて『美』を発見してきた」と書き、後半で女史が引用している多くの文献の一つより、「目前に現れた美という美の姿を捕えたくて仕方がなかったのですけれど、あこがれはついに満たされました」に見られるように、私たち"素人カメラマン"は、雲の形や夕映えが美しい空や、雪をかぶった山、色の神秘を感じる程に綺麗な配色をした花々などのような美しい景色や植物、家族のふれあいを感じるような子供の無垢な姿など、一般的に美しい被写体を選んではカメラに収めてきた。もちろんイベントや儀式の際の記念写真や報道写真、刑事事件のときなどの証拠写真などもあるにはあるが、私たちが一般的に自ら欲して撮ろうと思うものは、個人差あれど概して「美しいと思われた」被写体がほとんどである。

 ところが残念なことには、後になってその写真を見返すに、思い出にはなっても「今、その場にいる」という真実に基づいた感動はもたらされることは多くない。ベンヤミンはこうした概念を「アウラ(いわゆる"オーラ"のこと)の喪失」と呼んだが――、広告界で言えばその失われたアウラを少しでも取り戻そうとしたノウハウが「シズル(感)」ということになるかもしれない。――絵画にしろ景色にしろ、実物を持ち帰ることは出来ない。またもベンヤミンの言葉を借りれば「礼拝的価値」から「展示的価値」へ変遷したオリジナルとコピーとの関係の隔たりは大きく、確かに写真技術などを無視して考えても、実際現地で見た建築物や廃墟を写真に撮影して持ち帰り、ゆっくり感傷に浸ったところで、その場で受けたオーラに勝る感動は得られない。

 とはいえ、写真術の登場は人類にとって至極画期的だったに違いない。人類の歴史の中でも、複製技術時代の幕開けとも言えなくもない、ルネサンスの3大発明の一つ「活版印刷」にはじまり、銅版、鋼版、木版、石版といった版画の類を経て、カメラ・オブスキュラ、ルイ・ダゲールによるダゲレオタイプ(銀板写真)の発見、タルボットのカロタイプ、そしてエジソンやリュミエール兄弟らによる映画の発明まで、疾走とも言えるくらいある意味で迅速に進歩し、私たちは世界中に散逸した自然美・創作物を我が物としたいと考えたのであった。

 その登場から現在に至るまで多くの批評家が書いたように、カメラや写真は印象派画家へ対する脅威として始まり、置かれた歴史的背景の中でピクチャレスクのようにも、即物主義的にも、またマン・レイやデュシャン、コクトーら、ダダイスト・シュルレアリストを通じて実験的に、あるいは戦争やテロ事件を通じてラディカルなジャーナリズム精神の表現方法としても用いられ、日本へは黒船に乗ってペリーによってもたらされてからというもの、私たちに様々な用途を提案し続けてきた。

 何枚も焼き増してイベント参加者全員に行き渡らせることも可能だし、連写技術によって動的な被写体の中にある発見をしたり、建築物の細部を見るために一部分だけ大きく引き伸ばすことだって、ソフトフォーカス的にデジタル加工してより美しく見せることも可能になる。

 ソンタグはそんなカメラをその特性上から、真実や真理を映し出す鏡、証拠となる記録性、速攻性を持った複製技術、そしてカメラ自体や写真術を「フィルムを"装填"」「映画を"撮影(シュート)"する」という使い方に見られるように攻撃性を帯びたもの(あるいは「カメラは略奪の武器」)、性的妄想をかき立てるものとしても書いている。

 先ほど引用した『私はカメラ』という曲――、こじつけ的な解釈かもしれないが、ソンタグも本著の中で多くの写真家や映画などを引き合いに出し『写真論』を語るように見せながら、実は他の多くの著作の中に見られるように、決して写真家ではない彼女は自らをカメラに置き換え、現代アメリカの疲弊した精神を捉えようとしたラディカルな批評家であったのかもしれない。

 『写真論』を読み終えた私は、東京都写真美術館のページで解説されている第一の視覚「裸眼」、第二の視覚「カメラ・オブスキュラ」、第三の視覚「フォトグラフ」に続けて言えば、第四の視覚「映画(あるいは、「シネマトグラフ」)」に継ぐ「第五の視覚」とも言うべき、カメラや写真を媒介とした「批評家精神的視点」をも養っていかなくてはならないような義務感に襲われるのであった。

 現代アメリカの誇る、偉大なる批評家に追悼――。

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2005年01月03日

『ミュージアムが都市を再生する 経営と評価の実践』 ~日本版ソーシャル・キャピタルを育むための独立宣言~

 私は本書、『ミュージアムが都市を再生する 経営と評価の実践』(上山真一・稲葉郁子著/日本経済新聞社)をバイブルとして、今後の自身の方向性を考えていきたいと思っている。また人生の指針、バイブルにもなる著作とさえ思える。そして今日の日記は、私のこのサイト自体のサイトコンセプトともなるだろうと思っている。

 本書の概要は、従来まで相対する事象として広く認知されてきた「資本主義経済」と「文化芸術振興」という二つの民主的な動きを、それらを相対峠させて考えること自体を批判するものである。
 共に共生させてゆく考え方を、ミュージアム側、ビジネスライクな立場に立ち、国内外の幾つかの事例を挙げつつ、その可能性を模索する。

 誰もが分かっているように、私たちが生きるこの社会は常に変動している。
10年前のインターネット黎明期には、こうしたブログをはじめ、今のようなネット社会が出来ることなど、どれだけの人間が想像できただろうか?

 戦後、日本はモノ作りの時代と呼ばれ、団塊世代を中心として高度成長期を歩んできた。やがてバブルを迎え、崩壊し、長い不景気に突入し、「ニート」などという新たな語を生んだ。一部の政治不信や鬼気迫る国際情勢、度重なる大型天災などで、『日本沈没』の書かれた1973年当時の世界規模での石油ショックやモノ不足の深刻化にあえぐ時代と同じような心境に直面している。しかもそれが、「何が原因で」という特定できる要素もなかなか見当たらず、ただ極自然発生的に迎えたある種の氷河期である。

 おそらくは今後しばらくの間、こうした悪いスパイラルから日本は脱出できないだろうと推測している。
単純に考えて、昨今長らく続く景気の低迷は、失業者や犯罪者、買い控えの消費者の増加を促し、税収が減る。一方で続く少子高齢化はますます進み、やがて都市財政は破綻をきたし、国民への還元どころか搾取の方向へと向かい、産業の衰退へと繋がってゆく。産業の衰退は職人を減らし、芸術が育たない文化を生み出し、国民の不安を解消する、あるいは激しい労働をねぎらい癒すような文化は廃り、無秩序で荒廃した社会を創り出してゆくのだと思う。

 それでは、一体誰が、こうした悪循環に歯止めを利かすのか?これは政府でも行政でも自治体でもない。企業やNPO、そして民衆自らが動き、社会を変革してゆく他ないのである。そのために必要な要素と著者が言うのが、「ミュージアムの再生」であると言う。それこそが、タイトルにも挙げた「ソーシャル・キャピタル」――、日本流に言い換えれば「社会資本」ということになろうが、そうした概念を認知させ、民度を高めてゆく起爆剤となるのではないか?

 ミュージアムと一口に言っても、もちろん美術館や博物館をはじめ、歴史・民俗博物館や科学博物館、文学館、水族館やプラネタリウムまで種々あるのであるが、これらの再生と言うのは、実は数的に言えば、日本全国に数千館以上あるのである。それら全てが経済的にうまく機能していないことが槍玉に挙げられ、時として「資本主義経済」と相対するものとしての認知をされているケースがほとんどである。しかし、昨今の風潮はと言えばどうか?昨年の「ヴェネチア・ビエンナーレ第9回国際建築展」に日本が選んだテーマは「オタク」だった。また、昨今ネット上でしばしば話題となっているのが、SNS(ソーシャル・ネットワーキング・サイト)と呼ばれる新しい形態のコミュニケーションの場があるが、こうした文化を生んだのは、長い不景気を背景に、私たち自らが望んだ、あるいは欲した文化ではなかったか?つまり人とのコミュニケーションを図りたい、人から多くの知識を得て自分の糧にしたい――、そういった気持ちを生んでいったのは、まさにそうした社会の変動によるものが大きいと思う。

 確かにミュージアムへ訪れる人数は年々減っているという。
本書でも挙げられているが、事実一時の企業メセナがブームとなった80年代以降、こうしたミュージアムが相次ぐ閉鎖に追い込まれている。
 近年で言っても「セゾン文化」という言葉を生んだ、セゾン美術館(西武美術館)を皮切りに、東武美術館、三越、小田急、伊勢丹などの都内百貨店の美術館が相次いで閉館した。百貨店誕生100年の歩みの中で、私たちは初めて経済にあえぐ百貨店の姿を見ることとなった。また、目黒雅叙園美術館、出光美術館(大阪)などの企業ミュージアムや、五島プラネタリウム、サンシャインプラネタリウムなどの自然科学系のミュージアムが閉鎖に追い込まれた。今や少子高齢化や景気低迷といった社会的情勢を背景に、パトロンやフィランソロピーの精神を持った有志を失い、こうしたミュージアムを守ろうという意識は低下した。

 ところが他国ではうまく運営しているミュージアムがある。代表的なものが、ニューヨーク・マンハッタン地区にある主要な3つの美術館――すなわちメトロポリタン美術館、ニューヨーク近代美術館(MoMA)、グッゲンハイム美術館である。しかもそれら3つのミュージアムはそれぞれ異なるやり方で成長を続けてきた。本書からの引用となるが、「美術館の運営もゼネラル・モーターズの経営も変わりはない」と言ったトマス・ホーヴィング氏がかつて館長を務めたメトロポリタン美術館では、そうしたビジネスライクな経営方針で地元企業などとうまくタイアップし、年間20億円相当の収入にもなるという会員を増やした。昨年六本木ヒルズで行われた展覧会以降、日本でも一般の人々からの関心を多く集めたニューヨーク近代美術館(MoMA)は、90年代に作られたという「MoMA」の愛称とロゴマークでブランディングを図り、今では大分質量ともに増えたミュージアムグッズをオンラインショッピングで購入できるようにするなど、インターネットをいち早く導入・実践させた展開で美術館自体の単体収支を支える事業を立ち上げた。また、グッゲンハイム美術館も、昨年、渋谷文化村に展示品が来て話題になったが、ここはフランク・ロイド・ライトが建てた美術館ということで、美術館そのものが建築物として話題になっているなど住民を喚起するための要素を秘めている。もちろん美術館の創設者である鉱山王ソロモン・R.グッゲンハイム氏は、他のナショナル・ギャラリーを建てた銀行王アンドリュー・W・メロン氏や、その他石油王ロック・フェラー、金融王モーガン、鉄鋼王カーネギー、石炭王フリックといったアメリカン・ドリームを叶えた資産家、大富豪、財閥・財団など、「現代のメディチ家」と著者が言うところのパトロンとして運営を続けているNYスタイルの代表格である。ここは他国への分館進出など、ともすると行き過ぎた「経営姿勢」が賛否両論を呼ぶこともあるそうだが、3つの美術館とも日本ではあまり見られないような成功をおさめたミュージアムであると思う。

 このようにして、ニューヨークではマンハッタン・ソーホー地区をはじめ、今も世界から芸術家たちが集まってくるなど、芸術文化は金融と並ぶ2大「産業」となっているかのようである。

 今、日本でも似たような社会的変革が起こっている。モノ作り中心であった戦後の風潮は、大手企業の衰退に併せて草の根のように登場してきたベンチャー企業が増え、人作りやコミュニケーションに注目されるようになってきた。著者はこれらを「大木経済」から「雑木林経済」へ推移しているというように呼んでいる。これを文化政策的に置き換えて言えば、国家や行政主導であった地域づくり、まちづくりを、企業や個人レベルでの動きにシフトしてゆかなくてはならないことを示唆しているかのようである。

 今、「創造都市」という言葉がもてはやされている。これはイタリアのボローニャや、日本で言えば京都・金沢といった産業と文化が一体となったある種の独立都市のことを指して言われることが多いようだが、著者はそのために必要な創造性を育むために、イノベーティブな人材作りを挙げている。こうした人材は、従来までの「大木経済」からよりも「雑木林経済」からの方が生まれてきやすいのではないかと思う。かつて赤瀬川原平氏が唱えた「老人力」ならぬ「地域力」を育て、小さなコミュニティ(共同体)から起こった、きちんとした運営指針によってミュージアム運営を行い、著者が言うところの「単体収支」→「地元経済効果」→「創造都市効果」というステップを踏み、真の意味での豊かさをもたらす。これは決してユートピア構想なんかではなく、条件さえ満たされれば実際に可能なことではないか?

 まもなく始まる愛知万博、30年ぶりに日本で開催される万国博覧会に期待が膨らむ。
既に開催会場である長久手町では交通網などをはじめ、インフラ整備が進んでいると聞く。かつてパリやロンドンを、世界のそれにまで押し上げた万博効果、岡本太郎亡き今、私たちは私たち自身でこの一大イベントを盛り上げていかなくてはならない。もちろん開催するにあたってのメリット・デメリットもあるし、開催をすることによって主旨から外れるという矛盾もあろうから賛否があるのは当然だが、少なからずこの長久手町だけでなく、日本全国、ひいては世界にまで波及する可能性を秘めたイベントである。

 会期終了後も、大阪万博公園やパリのオルセー美術館のようにコンバージョン事業として再利用されるケースもある。これらが他方「スクラップ&ビルド」事業的な六本木や丸の内再開発事業、安藤忠雄氏が進める青山同潤会アパートの建て直し事業などとともに、文化経済に寄与することになるだろう。

 今年は、万博会期終了後にも「横浜トリエンナーレ2005」が控えている。こうした社会的変動が、先に述べたソーシャル・キャピタル(民度)を高めてゆくための動きになれば良いなと考えている。

 私はそうした社会的動きに賛同・推進するために、自分が出来ることを自分なりに進めていきたいと考えている。本書はそのための教科書として、常に手元においておきたいと思った。

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2004年12月20日

『ペヨトル興亡史 ボクが出版をやめたわけ』(今野裕一著) ~こだわりの編集方針「定番をEDITする」(後編)~

「雑誌があれば誰にでも会え、いろいろなことに出会える。」(今野裕一氏)

※今日書いている分は昨日の続きです。

 ――一方、タイトルで後者に挙げた『ペヨトル興亡史 ボクが出版をやめたわけ』だが、著者である今野裕一氏自身が主宰となっていた出版社、ペヨトル工房(著書名に名称をかけているようですが、)が2000年の春に急遽解散宣言をしたが、そのときの経緯や心境などを回想した構成となっている。

 ペヨトル工房も、ある意味で一部の男子大学生を魅了したテーマに沿った書籍や雑誌を刊行していた出版社ではないだろうか?ペヨトル工房解散の時期、実はセゾングループの出版社であるリブロポートとトレヴィルも解散をしているのだが、どれも私の好きな本を多く出していた出版社だった。先のセゾン文化ではないが、ペヨトル工房を陰ながら支えられていたという西武百貨店との雑誌『WAVE』、また、レーモン・ルーセルの『ロクス・ソルス』をはじめとした秀逸な書籍、そして私も数十冊所有する人気の雑誌『夜想』(瀧口修造の詩のタイトルから命名)や『銀星倶楽部』、『ur』などといった雑誌など、ラディカルな一時代、一ブームを築いた出版社だったと思う。

 余談だが今野裕一氏は進学校であった湘南高校出身と聞く。1953年生まれというから、先日採り上げた『タフ&クール Tokyo midnightレストランを創った男』(鹿島茂著)の中で書かれた、グローバルダイニング創業者である長谷川耕造氏や、その回想を書いている著者の鹿島茂氏などと、ほぼ同じ年代に湘南高校に通っていたことになりはしないか?

 そんなペヨトル工房の創業は1976年。あの澁澤龍彦編集の『血と薔薇』(のオリジナル,1968年)創刊から8年、唐十郎編集の季刊誌『月下の一群』が創刊された年である。全共闘時代の60年代から、前衛芸術を多く生んだ70年代を通して、セゾン文化が花開いた、先のヴィレッジバンガードが創業することになる80年代へと継承していった「文化」――。

 これら2冊の本は、それぞれ異質なものであると思うが、「書店」と「出版社」は「本」という切り口では繋がると思う。ネット古本屋やネットオークションなどでの学生せどりが増えたボーダレスな現代では気が付きにくいのだが、インテリアや手書きPOP、また展覧会とのコラボレーションなど、アナログ的な展開もありなのではないかと思った。今一度、自分の持てる「定番」をEDITする試みをしてみたいと思い、読んだ本の感想をまとめてみた。

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2004年12月19日

『菊池君の本屋 ヴィレッジバンガード物語』(永江朗著) ~こだわりの編集方針「定番をEDITする」(前編)~

「よい本屋を計る尺度とは、その店が定番となる本をいくつ持っているかではないだろうか?」(菊池敬一氏)

 まず掲題の「ヴィレッジバンガード」についてだが、私が初めて訪れたのは(今は閉店している)六本木ヒルズ店だったので、極最近になってからのことである。あとはお茶の水店くらいか。

 最近は、青山ブックセンターの閉店騒ぎもあってか、以前にも書いたかもしれないが、何かこだわりのある書店が注目されている時期である。
 ヴィレッジバンガード1号店が開店したのは、1986年のことなので予想外に歴史がある。その頃、文化的側面から言うと、いわゆる「セゾン文化」華やかなりし頃と想像する。セゾン文化については、当時西武美術館で働いていたという永江朗氏がエッセイのようなものを書いている。

 実は私も高校~大学時代はセゾン美術館(旧西武美術館)が好きで、テーマによっては時々足を運んだことがあった。閉館になったときは淋しい感じがしたものだった。普通の百貨店の中にある美術館なのに、上野に匹敵するくらい、否それ以上に独創性に富んだ内容の濃いテーマの展覧会を多く催していたところが好きだった。帰りはリブロ池袋店で、値段は高いのだけど奮発して関連本を買って散財するという週末を過ごしていた。

 永江朗氏が菊地君の本屋 ヴィレッジバンガード物語を書いている。永江朗氏と言えば、今春休刊となった『噂の真相』の中で、「メディア異人列伝」などのコーナーを持つなど、特異なテーマで若者の支持を仰いだ方だと思う。今手元に『噂の真相』、通称「ウワシン」についてを回想する永江氏のコラムが書かれた『出版ダイジェスト』というタブロイド版の専門紙があって、それを目に通しながら書いている。

 永江氏は「菊池君」、すなわち冒頭でエピグラムとして挙げた、「ヴィレッジバンガード」創業者である菊池敬一氏についての人となりと、ヴィレッジバンガードの創業秘話のようなものを先の本の中で書いている。
 途中は菊池敬一氏自身による回想や、先に挙げたリブロ池袋店の店長を務められたという今泉正光氏の対談などで構成されている本書である。

 1948年生まれの菊池敬一氏は、大学時代よりずっとアウトドアや山登りやジャズやブルースなどの音楽が好きだったと書いている。店名の由来も、ビル・エヴァンスをはじめとした往年のジャズミュージシャンが発表しているアルバム、『Sunday At The Village Vanguard(サンデイ・アット・ザ・ヴィレッジ・バンガード)』のタイトル、あるいは同名の名門ジャズクラブの店名から採ったものとどこかで聞いた。

cf.ヴィレッジ・ヴァンガードで休日を(新風舎文庫)

 こだわりのある店内は、どこの店舗もいかにもメインターゲット層である男子大学生を魅了してやまない本やグッズで埋め尽くされている。有名なクルマやビリヤード台などのインテリア、というか棚についての話や、「黄色い手書きPOP」のエピソードなども書かれている。他の書店で売れないものでも、ヴィレバンなら売れるという法則もあるそうで、本ならば片岡義男氏、山川健一氏の著作、雑誌のバックナンバーで言えば、「BRUTUS」「スタジオ・ヴォイス」「BT(美術手帖)」「ユリイカ」などだそうである。なるほど、これらの雑誌は私も学生時代にハマったものである。

 この「ヴィレバン」がすごいのは、単にそうした自店で売れる本を集めたことではないのである。「売るためのレイアウトを考える」。すなわち本書にあったエピソードで言えば、L・L・ビーンやエディ・バウアーのフィールドコートのポケットにヘミング・ウェイの文庫をさして販売したりなど、ボヘミアンと言わないまでも、放浪好きバックパッカー学生が見たら思わず手に取りたくなってしまうだろう。そうした「あるテーマに沿った"モノ"(オブジェ)」が、アカデミックな方向に深入りし過ぎない程度に、およそ直感的な感じで有機的に絡んだ展示となっているというか、アマゾンなどのネットショップで言うところの「関連商品を買う」「あわせて買いたい」「この商品を買った人はこんな商品も買っています」系の、いわゆるマーケティング用語で言う「クロス・セリング」のようなものが、店員や客までをも巻き込んで楽しく表現されているのである。

 私は書店や出版業界にいたことのある者ではないが、本書の随所に表れる菊池敬一氏の、本の品揃えやレイアウトに対する思いのようなものが不思議と分かるような気がした。
 就職活動をしていた頃、実は出版社をはじめとしたマスコミ関連も数社受験したことがあった。出版社というのはご存知の方も多いと思うが、筆記試験や面接を受ける前に大抵書類審査がある。履歴書のほかに自己PRのような書類の提出が必要となり、中にはさらにそれとは別に課題作文を強いられるところもある。実は私はこの課題作文を書くのが面白そうで受験していたというのもあった。

 そのうちの1社の課題作文のテーマに「私の本棚」というものがあり、当時の私は熱を込めて書いたものであった。今でこそ、「ブクログ」などのWEBサービスがあるが、当時の私はパソコンなんて触ったこともなかった。強いて言うなら大学の授業で、「パソコンらしきモノ」に触ったこともったが、OSはWindows3.1と呼ばれる型式のパソコンだったから、記憶にほとんどあるわけもない(笑)。
 そこでどう熱弁したかというと、本棚というのはつまり自身による自身の編集であり、表現の場であり、それがいかに自己満足であろうとも、少なくとも意図的なメッセージを有しているのが望ましいといったようなことであった。要するに自分にまつわるエピソードとして書いたのは、例えば自分の本棚の中に、違和感のある隙間があったとする。これはあくまでも意図的な隙間であって、実はまだ探し得ていないが、自分の理想としている本が存在して、いつの日か本を辿り読んでいくうちに該当の本に出会った際に入れるスペースとしてとってある――、だとか、この本とこの本の間にこの本があるということが「こだわり」である――だとか、ここの書店は何で「地理・歴史」のコーナーにレヴィ・ストロースの『悲しき熱帯』が置いてあるんだ!と嘆いたエッセイストのエッセイを引用して、自分の住んでいる近所には同じように自分の理想とする書店がないことを嘆くエピソードなどを熱を込めて語ったのであった。

 ――とそんなどうでもいい?「こだわり」だが、後年になって知ることになる松岡正剛氏の言う「編集」とはまさにそういった意味も含んでいるのではないか?という仮説が立った。

 別冊宝島134の特集に『編集の学校』というのがあって、これは内容が結構面白くて、学生時代に何度か読み返したことがあった。「編集」をテーマに、様々な実生活上のものに置き換えて仮想的に編集に取り組む練習をしようという内容だった。例えば、「店を編集する 自分好みの品揃え、自分好みの空間の店をしつらえてみる」という「ワークショップ(項になっている)」の冒頭で、「都市は書物である」という言葉を引用して、空間を構成してゆくプラクティス・パターンを書いている。
 その他、お店ではなくて「旅(ツアー)を企画」するという「編集」を行い、そうしたものを実際に雑誌の誌面に置き換えて考えてみたりするという企画などのケースがいっぱい掲載されていて、楽しんで企画をすることができる本だった。

 ヴィレバンで言えば、私も以前、石津謙介氏のことなどについて触れたことがあったが、VANが好きだったという菊池敬一氏らしく、店内に置いた商品の額やカレンダーにはノーマン・ロックウェルなどを置いたり、客足の多い少ないや、そのとき店内にいた客層の年齢構成比でBGMを切り替えたりなど。冒頭で挙げた「定番」の見せ方が勝負なのである。

 私の表現が正しいか間違っているか分からないのだが、こだわりのある書店というのはある種の箱庭主義というか、ジオラマ装置のように感じる。菊池敬一氏も本書の「理想的な本屋」という項で、「本当の理想的な本屋は二〇坪だと思う。二〇坪を手塩にかけて。店長一人でやったらすごい店になる」と書いている。

【明日の日記へつづく】

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2004年11月17日

Pen 「(特集)美しいブックデザイン」

※旧「楽天広場」時代のブログより転載。

 キオスクで最新号のPenを購入してみた。

 特集が「美しいブックデザイン」、つまり装丁特集である。私は特にこだわりを持って装丁を追いかけているわけではないが、本や雑誌を買うときに何となく目についたり、ときには装丁だけで無性に欲しくなったりすることもあって、我ながら不思議だなと感じることはあった。それはこのページ内の「古本」コーナーに書いたように、ある種のノスタルジーの影響かもしれないし、最近レベルがどんどん高くなる企業や個人のWebサイトのデザインの影響かもしれない。

 先日からよく引き合いに出しているSNSサイト「mixi」の中で、何の気なしに「装丁」というコミュニティを立ち上げたのは今年5月のこと。流行りと言えば流行りなのかもしれないが、まさかこんなマイノリティなコミュニティのテーマに、今日現在で720人以上もの賛同者が現れるとは思ってもいなかった。また、以前に文京区小石川にある「印刷博物館」を訪ねるきっかけをもたらしたのも、そのコミュニティに情報を投稿していただいた参加者の方からの情報が元だった。

 この印刷博物館には、館長である粟津潔氏が著名な装丁作家、兼デザイナーであることもあり、今回の「Pen」にも出ていたチェコの装丁などに関する本やコーナーも充実したものであった。

 こうしたふいの過熱は、以前にも触れたことのあった書店、ユトレヒトなどが、さらなるブームを築いていっているのかもしれないと思った。

 また、あいにく私は見る機会を逃したが、つい先日まで東京都庭園美術館にて、幻のロシア絵本 1920~30年代展という展覧会をやっていた。この時代はちょうど第一次世界大戦が終わり、世界が平和に向かって歩み出し始め、再び悲運の第二次世界大戦へと突入してゆく40年代初頭にかけての束の間の平安の時期だった。アーティストたちがせめて子供たちには平和な思いをと願って、こうしたやさしい雰囲気の絵本が多く作られたのだという。

 ときにはそれとは逆に、ヒトラー時代のデザインなどの本によれば、葉書やポスターなどにまで、ある種のプロパガンダを込めたデザインを施したりなどされたが、そうした動きは日本にもあって、少年倶楽部文庫などで書かれている山中峯太郎をはじめとした作家の作品にも戦時色の強かった時代ならではのテーマの著作もあった。

 それから、以前に訪れた「バラの宮廷画家 ルドゥーテ展」では、荒俣宏氏などが書かれるボタニカルアートの大著と言われる作品などの紹介もあったし、関連した話を挙げればキリがないのだが、ウィリアム・モリスのアーツ・アンド・クラフツ運動が、本をアートとして見る見方をもたらした話(cf.『美術手帖』「アートブックの魅力」~美しき本のカルト アートブックの二十世紀/海野宏)や、先の荒俣宏氏や、伊藤俊治氏が懐古する『プレイボーイ』誌のピンナップなどまで、そういう点でおよそ装丁というのは、商品であり芸術であるのと同時に、ある種の文化の投影だったのかもしれないと思ったりもした。

 以前に何度か紹介したことのある作品社発行のメルマガ「随筆名言集」に、かつて堀口大学氏が装丁について書いたときのものがあった。堀口氏が装丁について――、

きもの──と云つてはいけないかも知れない、むしろ身だしなみと云ふべきであらうか──(中略)装幀も是非それぞれの書物の内容の表情であつて欲しいと思つてゐる。

 と紹介していたことがあった。

 なるほど、と思いながら改めて今号の「Pen」を手にとってみる――。世界各国の珍しい装丁の本、可愛らしいものから奇抜なものまで、多くの装丁が並んでいる。コンピュータグラフィックが隆盛を極める現代において、人の温もりを感じさせるような装丁の本が、世界にはまだまだ存在するのだなと感じた。

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2004年11月11日

【オススメ雑誌評】 『coyote(コヨーテ)』

※旧「楽天広場」時代のブログより転載。

 私は比較的雑誌が好きで、結構衝動買いしてしまうタイプの人間だと思っている。なので、ちょっと見慣れない雑誌などが創刊されると、ついつい手にしてしまい、その後も何となく買ってしまい、雑誌貧乏になっているというようなことも少なくない。

 そういった背景もあり、今は割と雑誌を買うのを自粛していたものだった。いろいろ逡巡している時間が長いと、心なしか、殊「自分好みの内容の雑誌」に関しての直感が働くようになるというか、ある面で目利きになったかにような錯覚に陥ることがある。これは単に雑誌を買うための自分なりの口実なのかもしれないが(笑)。

 それが今回ご紹介するcoyote(コヨーテ)である。創刊は今年の夏だが、つい先日も都内の書店にて、創刊号(特集 森山大道 その路地を右へ)と、第2号(特集 星野道夫 ぼくはこのような本を読んで旅に出かけた)をまとめ買いしてしまった。

 この雑誌は、先行する『SWITCH』などの雑誌を刊行する、新井敏記編集長率いる株式会社スイッチ・パブリッシングの刊行物である。『SWITCH』は読者数も多いのかと思うが、私は2000年1月号(特集 岡崎京子)しか所有していないぐらいで、私にとってこの『coyote(コヨーテ)』は、随分と新鮮なイメージのある雑誌に映った。

 この雑誌のテーマは一言、「旅」に集約される。『SWITCH』が特定の人物について深く追求したのに比べ、同じ人物評でも「旅」がテーマの重点に置かれている。
 『coyote(コヨーテ)』のWebサイトでは、先の新井敏記編集長が書く日記を読むことができる。第1回の日記を次のような言葉で締めくくっている――。

「夢見た旅をもう一度考えてみることから雑誌作りを始めたい。」

 そういえば旅を愛してヨーロッパ各地を遊学したアンデルセンは、「旅は精神の若返りの泉だ」と旅に思いを込めている――。

 かくいう私はといえば、「旅」には縁遠い。一人旅はもちろんのこと、年に何度かの定期的な旅行なども行っているわけでもない。ただ、その反発からか冒険小説に関しては割と好きな方だったと思う。

 ――1954年生まれの新井敏記編集長は今年50歳。まだまだ様々な事象に興味が尽きないのか、誌面の内容は濃いものとなっている。

 一冊950円の本誌を高いと受け取るかどうかは読者によると思う。全編にわたって多くの写真やイラストをふんだんに配し、背表紙の付いた厚手の表紙に、各号にはタブロイド紙を模したものや、カラーの小冊子などが綴じ込み付録として付いていたりと、「自分の好きなことを書きたい」と言った、編む者のこだわりがたくさん詰まっている。

 次の休みの日にぶらり空想の旅へと出るのに、この雑誌はとても手ごろである――。

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2004年09月27日

「古地図から幻の国々を読む方法」/辻原康夫(河出書房新社)

 先日また、以前の日記でも紹介していたメルマガ随筆名言集の記事が目に留まった。
 その号は、私が他のブックレビューサイトでも紹介している深田久彌氏の言葉だった。

「よい地図があるかないかは、文明のバロメーターである。」

 これだけの文章だと何が何だかよく分からないが、たまたま少し前に、タイトルに挙げた古地図から幻の国々を読む方法という新書を読んだことがあったので、ふと内容を見返してみた。

 この本ではオカルトマニアの方でなくともなじみのある、アトランティス大陸やムー大陸、レムリア大陸などの伝説上の大陸をはじめ、大航海時代に人々の誤見で生み出された大陸や島々のことなどが少しづつ紹介されている。

 今では既に途方もないオカルト話のように語られることも、決して笑えることではないと著者は言う。なぜなら、未知のものに対する無知あるいは興味は、人間が想像力を失わない限り必ず存在し続けるからだと著者は言い切る。

 ここでふと思い出したのは、先日のニュースにあった、「小学生の4割が天動説を信じる」とか、「小学生の約5割は月が満ち欠けする理由を理解していない」とか、「「太陽の沈む方角」(東西南北から選択)の正答率が65%」ということが発覚した話である。

 ただ、私も当時は知らなかった話だったかもしれない。今でさえそれらを人から聞いたり本で読んだことはあっても、実際に見たわけではないし弁証法的に確認したことがあるわけでもない。私自身が特に教育現場に携わっているわけでないからかもしれないが、ファンタジーブームに浮かれる世相に対するちょっとした警句程度にしか、このニュースを傍観していない。

 それよりも悪質だと思うのは、大の大人が、それも名のある考古学者が自身の名誉のためか捏造までして世紀の大発掘を謳い、その他真面目な研究者たちのプライドを傷つける行為の方である。これも少し前のニュースにあった。

 知らないで誤った解答をする子供と、知っていて相手を騙そうとする大人とは比較するまでもないのだが。もしこのニュースを言い換えるとするならば、無知からスタートして新しく物事を発見してゆく喜びを持ったコペルニクス的可能性を秘めた人間と、歴史上からは名を消してゆくこととなる大航海時代以前から存在した大法螺吹きとの差に近いと思う。この本の中には、そうした昨今のニュースをも示唆するかのようなコメントが含まれていたようにも感じる。

 私自身が興味を持ったのは、「未知の南方大陸 テラ・アウストラリス・インコグニタ」という章で語られる「対蹠人(紀元前四世紀頃のピタゴラス学派たちは、地球の裏側にはバランスをとるために、何もかもが全く逆の人が住んでいると考えた)」の話に、思わず昨日の日記でも触れた澁澤龍彦の『高丘親王航海記』中に登場する「アンチポデス」を思い出し、この本の中にもオリジナルのテキストに近づく一歩が記されていると思ったりした。

 特に興味をそそられた章は、「聖ブランダン諸島」の話の部分であった。今でも市販されているが聖ブランダン航海譚という本を読んでみたい気になってきた。

 この本のタイトルには「地図」が含まれているので、地図についてはそんなに詳細に渡ってではないかもしれないが、頻繁に触れられている。私自身、特に地図マニアというわけではないのだが、以前にも引き合いに出した『ナショナル ジオグラフィック 1998年2月号』の付録であった「世界を変えた探険家たち」という見出しの入った地図を、未だに机のシートの下に敷いていたりもする。他にも建築MAP東京』やその続編、成美堂出版から出ているムック今がわかる 時代がわかる 世界地図 2004年版なんてものまで手元に揃えるくらいに興味はあり、これはきっと「地図旅行」という言葉があるくらいなので、おそらくは、普段は絶対異国の地を踏むことなんて絶対にない環境に自分がいるという諦めと、もしかしたら!という期待を込めてのことなのかもしれない……。

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2004年08月20日

世界の中心で愛を叫んだけもの ――『廃墟大全』、『廃墟の美学』について

 最近は、第何次廃墟ブームと言うのか、殊に「廃墟」がブームのようである。

 自分も行くことのあるコミュニティサイト内でも専用のトピックが立ち上がるなど、私自身は行ったことはないけれども、長崎県にある島全体が廃墟化している「軍艦島」や、90年代になって取り壊された香港の「九龍城砦」の写真集などについて、話が盛り上がっている。

 自分にとっての「廃墟」の印象は?と聞かれても、あまりそうしたものを見かけるケースは多くないので返答に窮する。なので、もう7年くらいも前のことになるが、大学の卒業旅行で訪れたイタリアはローマで見たコロッセウムやフォロ・ロマーノなどが、いわゆる廃墟のようなものだなと感じるくらいであった。

 かつて読んだ幻想の地誌学―空想旅行文学渉猟(筑摩書房)などを書いている、私の好きな作家でもある谷川渥氏の著作に、廃墟大全(トレヴィル、中央公論新社)や、廃墟の美学(集英社)というものがある。

 廃墟というのは、過去のもので言えば何世紀もの歳月をかけて廃墟化したとか、戦争や災害などによって一夜のうちに滅ぼされたとか、先の本の中の言葉を借りて言えば、廃墟を構成するものは大きく「時の仕業」と「人の仕業」とに大別される。

 こうした様を描写した画家や写真家も多く、代表的な画家の中では、クロード・ロラン、ユベール・ロベール、モンス・デジデリオ、(ジョバンニ・バティスタ・)ピラネージなどがよく聞く名前である。俗に「廃墟画派(ルイニスティ)」と呼ばれる18世紀末のイタリアで興った作風の系統などである。

 不思議とこうした絵画を眺めていると、アニメやゲームにも通づるその非日常性の時空間を醸した世界観に自身の想像力を掻き立てられたりなどして見とれてしまうことは誰しもにあると思うのだが、そうした嗜好はもしかしたら本来は日本人であれば多くの者が有する共通感覚なのかもしれないと思うまでになった。

 「諸行無常の響きあり」とそんな無常観を謳った者もいれば、春の桜の散り方に風情を感じる者もいる。華やかさや艶やかさが、極限られた期限をもって終息に至る過程が日本人の歴史の中では、様々な修辞や芸術で表現されてきている。

 廃墟も同様に「崩壊」や「終末」、「無人」など、およそ廃墟に至るまでの過程の中に、そうした無常観をもって見ることができるかもしれない。

 『廃墟大全』の中で、あの人気アニメ新世紀エヴァンゲリオンに言及した解説のようなものが収められている。
 この『新世紀エヴァンゲリオン』については、テレビ番組やアニメに疎い私でさえ名前を知っているし、数年前にテレビ東京の再放送版で4夜連続で放映されたときには、友人の薦めもあり毎晩タイムリーに見ていた覚えがあるほどだし、賛否分かれる劇場版も見に行った覚えがある。

 このアニメの制作は、あのガイナックスである。ガイナックスと言えば知る人ぞ知る会社なのだろうが、私も先日別の日記で創設者である岡田斗司夫氏について触れたばかりだった。ちなみにガイナックスは今年で創設20周年を迎えるとのことで、様々なキャンペーンを行っているようである。

 『廃墟大全』の中で、この奇妙奇天烈なラストを迎えた『新世紀エヴァンゲリオン』について、『GUNDAM CENTURY』などを書いた永瀬唯氏が言及する、「伝道」または「福音」を意味する「エヴァンゲリオン」の物語の中で執拗に語られる独特なキーワード――、すなわち「人類補完計画」「使徒」「死海文書」「アダム」「セカンド・インパクト」などの専門用語や、身近な存在感を醸し出す主人公碇シンジの内面へと掘り下げてゆく心理状況をダブらせながら展開する物語構成などに、私も当時多くの疑問とともに強い興味がわいたものだった。

 永瀬氏は、『新世紀エヴァンゲリオン』TV版最終回のタイトル、『世界の中心でアイを叫んだけもの』が着想を得たオリジナル本は、ハーラン・エリスンという作家のSF短編、世界の中心で愛を叫んだけものだと断言する。謎の組織「ネルフ」、「ゼーレ」といった存在、そして地下深くに保存された巨人アダムと、その体を貫くロンギヌスの槍についてを触れ、「大きな物語にまつわる謎やら小道具やらのラッシュ・アワーと、自己救済にまつわる主人公の独白がサンドイッチ構造となったまま、物語は進行してゆく」という見解に至り、それから明るく元気なキャラクターの惣流・アスカ・ラングレーの自虐的かつ狂気的行動や、水槽に浮かぶ無数の綾波レイの姿などを通して、そこに廃墟的様相を見、また自己救済と世界終末とを結びつけてゆく展開をグノーシス主義に結びつけて考えていく試みがあったところが面白いなと感じた。

 こうしたある種異端的な主義・思想・オカルティックな物語の誕生の仕方としては、昨今話題となった『イノセンス』(cf.「イノセンス・都市の情景展(森都市未来研究所)」)や、球体関節人形展などに通づるものがあるのかもしれないと思った。

 最近ではこうしたオリジナルのテクストから影響を受けたと思われるアニメ作品が増えていると聞く。それはもしかしたら、昨今の絶え間ない戦争の繰り返し、言わば人類の闘争の歴史に文明の行き詰まりを予測した警鐘のようでもあり、ネット上で呼びかける集団自殺のような、グノーシス主義者風に言うところの「悪の宇宙」を構成する行為などが、逆にそうした作品を生むきっかけとなっているのかもしれないと思った。

 そういった終末的思想が、どことなく廃墟ブームへと繋がっていっているのではないか?つまり、滅びゆく文明の姿こそに真の美を感じるといったような特異な感情が一般の人の中にも芽生え始めてきているというか……。

 遺跡だ廃墟だと言いながらも、実は私たちはつい3年程前にも大きな廃墟というか、哀しい鉄の残骸を見せ付けられているのである(cf.「凄惨な対米同時多発テロ事件から1年……。」)。
 これは論理を飛躍して言えば、インターネット上の情報などに対しても言えるかと思う。言葉の残骸が多数眠る共同墓地のようでもある。

 もはや「廃墟」は、最も身近な存在となって私たちの目の前にあるのである。
最後に、ワンダーランドを書く作家、荒俣宏氏の「廃墟は常に「できたての廃墟」として生まれ出る」という言葉が帯に書かれた、万―懐古文化綜合誌 (臨時増刊号)(ゆとり文化研究所愚童學舎)で、博覧強記の作家、高山宏氏の寄稿した興味深い記事(「十八世紀末廃墟庭園・絵画論 廃墟のパラドキシア」)が読めることを加筆しておくことにする。

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投稿者 cyberpoet : 22:34 | コメント (0) | トラックバック (0)

2004年08月07日

『ホットドッグプレス(講談社)』休刊!?

※旧「楽天広場」時代のブログより転載。

 そんな見出しがヤフーのページに踊った――。

「え、ウソでしょ?講談社ってこんなネタやるの?」

などと一瞬思ってしまった程、すぐには信じがたいニュースであった。

 私と同世代(昭和50年生まれ)ならもちろんのこと、前後数年の世代にとってはまさに青春のバイブル!?思春期をホットドッグプレスを教科書に過ごしたという人も多いことと思う。

 中学・高校時代は購読している友人がとても多かった覚えがある。
"俗なタウン誌"とは思いつつも、合コン前にはこっそり家で読んで来ていた輩もいたに違いない。

 「合コンではまずブスから攻めろ!」という、まったく根拠のない格言に踊らされては逐一実践し、そうした相手を実際に持ち帰った友人もいた。ラブホテル特集などでも、しっかり綴じ込み特集だけは捨てずに保管している友人もいたものだった。

 北方謙三氏の、試みの地平線の中で、「そんなにやりたきゃ風俗へ行け!」と、「これって生徒よりもむしろ先生が読んだ方が良いのでは?」と妙な感心をしてしまう程の人間の深層心理をえぐった傑作連載モノなど、1979年の創刊以来、若き男子高生を魅了して止まなかったあの雑誌が部数低迷のため休刊だなんて、一体誰が信じられるというのだろうか――?

 今日、会社に届いていた帝国データバンク発行の日刊誌、帝国ニュースを見ると、ちょうど先日も日記に採り上げたばかりだった「青山ブックセンター」の閉店についての記事が冒頭にあった。

 その中で、ニッソーという会社の民事再生の申し立てが受理されたことについての言及もあった。

 私はこの会社について全く知識がないのだが、熱帯魚の飼育セットなどを販売する会社だそうである。熱帯魚と言えば、先の『ホットドッグプレス』が流行っていた高校時代、周囲で熱帯魚を飼育するブームがあり、高校卒業後はその手の道に進む友人などもいた程であった。

 それが、20代の人口を30代