2006年03月22日

「タカラトミー展」 ― 夢の玩具考 ―

オーギュスト・コントの発見した人間精神の三段階の法則は、玩具の発達の歴史をながめた場合にも、ほぼ、ぴったり当てはまるように思われる。すなわち、最初は「神学的状態」であり、次は「形而上学的状態」であり、最後は「科学的状態」である。

幻想の画廊から』(「玩具考 古き魔術の理想」より)/澁澤龍彦

2006年3月1日、日本の玩具メーカー大手、タカラとトミーが合併して、新会社タカラトミーができた。それを受け、先日まで渋谷パルコミュージアムでは、「タカラトミー展」を開催しており、私は最終日の21日に訪れた。

タカラと言えば、ライブドア堀江元社長が製作に関係したといわれる「人生ゲームM&A」(cf. Yahoo!辞書)が生産・販売中止になったというニュースが記憶に新しい。そのシリーズもののボードゲームの代表作である「人生ゲーム」、他にも「ダッコちゃん人形 」にはじまり、「リカちゃん」、「チョロQ」、「ベイブレード」、一方トミーの方は、「モノポリー」、「黒ひげ危機一発」、「ゾイド」、「トミカ」、「プラレール」、「Nゲージ」等々――。

仏作家ボードレールの言葉に(私の記憶が正しければ)、「玩具は芸術への小児の最初の入門である」というものがある。

cf. 「おもちゃとは」/財団法人 日本玩具文化財団

単に右脳開発のための……といった商品コンセプトでなくとも、玩具、つまりおもちゃが私たちの子供時代にもたらした影響は絶大である。個人的に言えば、今となっては「幼少時代はなぜ、デパートのおもちゃ売り場のショーケースの前で執拗なくらい親に買ってくれとせがんだのだろう?」と思うけれど、昨年夏に美術館巡りのために箱根にひとり二泊の旅に出た際に立ち寄った「箱根おもちゃ博物館」で感じたことでもあるのだが、過去回帰的ノスタルジーと、ある種の幼稚性(アンファンティリスム)がもたらす収集癖、それにデパートのきらびやかな夢の演出とが、とてつもなく大きな魅力として小さな胸を満杯にしてしまったのだろうと思う。

cf.
「「花と緑の物語展」 ~東京都現代美術館(後編)」
「「サムライ魂でデパートを創れ!~近代百貨店誕生物語~」」

先にも挙げたように、タカラとトミーは合併直前まで両社共に子供はもちろんのこと、大人まで巻き込んでのロングセラー商品を多く開発してきた企業である。その発案の過程の中には単に利益追求だけでない、信念のようなものも多分に含まれているだろうと思う。企業合併のケースは様々だが、そのような競合他社同士の強みを合わせあうような2社の合併によって、両社の持つ強みが一層倍増されてゆくようなイメージさえ感じる。

ところで、教育心理学の用語に「ピグマリオン効果」というものがある(派生して、人形愛を「ピグマリオン・コンプレックス」と呼ぶこともある)。ギリシア神話に登場するキュプロス島の王ピュグマリオンが、ガラテアという自らの理想像である女性の彫刻をつくり、それが人間になることを念じ思いが叶うという一種の変身譚で、それをモチーフとして描かれた有名な絵画もあるが、この神話を語源として、「教師が期待することで、被教育者の成績が上がる」ということを唱えたアメリカの教育心理学者であるローゼンタール氏が命名したものだそうである。

幼少期の子供が飛行機のおもちゃなどを片手に、エンジン音を真似ながら擬似的に飛ばして遊んでいるのを見かけるに、レオナルド・ディカプリオが演じたハワード・ヒューズの映画『アビエイター』を思い出す。おもちゃには無限の可能性が秘められており、子供のみぞ持つ無限の可能性を引き出す「夢の玩具」としての力が宿っているものと信じている。暗い世相ばかりでは大人もつまらない。せめて新生タカラトミーの紡ぎ出す夢が、今まで以上に子供たちの夢を叶える夢の増幅装置として機能し、それを見守る大人たちも楽しめるようなエンターテイメントな世の中にしてほしいと思った。

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2006年03月12日

「アンデルセン生誕200年展」 ~みにくいあひるの子がやがて白鳥になり、私らを癒しむるに至るまで~

「さあ、わたしの話すことを、絵におかきなさい」と、月は、はじめてたずねてきた晩に、言いました。「そうすれば、きっと、とてもきれいな絵本ができますよ」

/『絵のない絵本』(アンデルセン)

 今日は印刷博物館で開催中のアンデルセン生誕200年展を観に行ってきた(チケットはコチラ)。
 昨年2005年は、アンデルセンの生誕200周年ということで、事務局運営の記念展が巡回しており、2月に印刷博物館で開催される運びとなったようである。

cf.「展覧会のご案内」(アンデルセン生誕200年アジア事務局ウェブサイト

 上記エピグラムに引用したアンデルセンの代表作の一つ『絵のない絵本』の冒頭文では、月にインスピレーションを受けて、創作意欲にわいたアンデルセンの思いが描かれている。月にこうした神秘な思いを寄せたり、象徴的に扱った作品は多い。

cf.中秋の名月 -ルナティックス (※『ルナティックス - 月を遊学する(松岡正剛著)』)

 アンデルセンはデンマークの国民的作家、『マッチ売りの少女』『人魚姫』『みにくいあひるの子』などの作品で知られる創作童話作家として日本でも人気の作家である。私はアンデルセンというよりも、童話や児童文学に興味があり、これまでにも幾度かブログの中で採り上げてきた。

cf.
『ハーメルンの笛吹き男』に見る誘拐犯の心理と社会の病理
「未知の世界へ 児童文学にえがかれた冒険」展 ~過去の冒険小説には「夢」や「教養」があった。
「追悼もまた文学なり」/嵐山 光三郎 ――「ことば」を残す作家たち

上記にも見られるように、故矢川澄子女史や、澁澤龍彦(cf.変身のロマン、「野の白鳥」)といった好きな作家の影響であるかもしれないし、在りし日の講談社雄弁会(野間清治)、鈴木三重吉岩波茂雄、『暮らしの手帖』の花森安治などが唱えた教養小説志向の影響かもしれない。

しかしそれ以上に興味を持つきっかけとなったのは、大学時代のゼミの影響かもしれない。当時私は、「童謡・唱歌学」という内容のゼミを取っていた。文字通り日本童謡集や、日本唱歌集などを教科書に、古き良き昭和の世相と今の社会とを比較するという社会学的なアプローチを試みた授業内容であった。

澁澤龍彦の狐のだんぶくろ―わたしの少年時代を引き合いに出し、私も少年時代を回顧したものである。
何度かの授業の中で、上記澁澤の著作の中で語られていた北原白秋の『チューリップ兵隊』という唄を調べることにした。近所の図書館でアルス版全集を借りてきて、北原白秋の歌詞と中山晋平の旋律についてを調べた。それに並行して『コドモノクニ』版に挿絵を寄せた武井武雄、『狐のだんぶくろ』のカバー絵にも作品があしらわれた岡本帰一、影絵に郷愁を感じざるを得ない藤城清治、また生涯にわたりアンデルセンを愛したいわさきちひろ、白秋を学ぶ上で外せない、作風の対照的な叙情性の高い作風であった西条八十、その門下生であったサトウハチロー(cf.当時参考とした文献に、『サトウハチローものがたり』、『ぼくは浅草の不良少年―実録サトウ・ハチロー伝』、『うたうヒポポタマス―サトウハチローの詩と人生』などがある)、果ては中学・高校時代に読み耽ったハイネやヴェルレーヌの詩集、ネルヴァルの『シルヴィ』などに挿絵を寄せていた、ラクリエール版画工房が輩出した画家――すなわち、ジャン・フレローやピエール・ラプラードの作品群などについても調べたものだが、これらの探究行為の中にアンデルセン童話に興味を持つきっかけとなった遠因も含まれるだろう。

 それから、その後になって感銘を受けることとなる「象徴主義(サンボリスム)」――、

《サンボリスト》たちは、彼らの主要な合言葉のなかに次のようなステファヌ・マラルメの提言を数えている、

――「この世のいっさいは書物となるために存在する」。

/『象徴主義―マラルメからシュールレアリスムまで』(窪田般彌)

――故窪田般彌訳の『死都ブリュージュ(ローデンバック)』や『生きている過去(アンリ・ド・レニエ)』等の作品の中に垣間見るヨーロッパの薄暗い曇った空に映える中世の建物の醸し出すアウラなどについて触れながら、自分なりの児童作品に対する郷愁を書いたことがあった。

cf.
文化の日、「フィレンツェ ――芸術都市の誕生展」観覧 ~「アベラシオン」方法序説~
【オススメ雑誌評】 『coyote(コヨーテ)』
※上記の中でもアンデルセンに触れた。

余談ではあるが、後日大学の卒業旅行でイタリア4都市(ローマ、フィレンツェ、ミラノ、ヴェネツィア)を訪れた際に、そうした郷愁をヘンリー・ジェイムズの『鳩の翼』をテーマに、ヴェネツィアの夜の美を詩にしたことがあったものだが、薄暗い雲に覆われた空、あるいは日本でも、日の長い季節の夕方が醸し出す雰囲気には強い郷愁の念を抱かずにはいられない。

先の北原白秋について書いた論文の中で、私は以下のようにその憂愁の時間帯を表現した――。

 アルス版全集に掲載された『チューリップ兵隊』の歌詞の中で私は特に第五連が好きだ。すなわちそれは「そして夢見るゆふがたは、もやにとんろり、やさしいな」であるが、これこそまさに白秋の心象風景であり、私がもっとも郷愁の念によって心傷める部分なのである。そして「チューリップ」の咲く季節、つまりは日の長くなり始める、あの春の明るい夕方のゆっくりとした時間の流れが醸し出す、深く立ち込めた郷愁の靄に囚われるのである。春ないしは夏の夕方のもつロマネスクな詩情(cf.『夏の雨(マルグリット・デュラス)』)は、私も幼少時代強く感じたことがあった。幼い子供が夕方のフィルターを通して見る光景は、昼間のそれとはうって変わり、いかにも楽しかった一日の終わりを予期させる憂いを含みながら、それでいて明日への希望も抱かせる「やさしい」灯のともる家庭への帰還までをも連想させる。  似たような時間帯による固定観念というか思い入れは誰にでもあるものだと思う。江戸川乱歩や海野十三が深夜徘徊を好み、深夜の散歩中における東京が、昼間の東京とは一線を画した異端の都市として錯覚するのもそうである。また、そういった感性が『屋根裏の散歩者』や『深夜の市長』を生んだのも事実である。

 ――随分と本展とは関係のない、個人的な回想話を長く書いてしまったが、私の童話に対する思いには上記のようなことが複雑に絡み合った結果、好きになるに至ったという背景があって、どうしてもこれだけは書いておきたかった。ある種のナルシシズムなのかもしれないが、人はこうした過去の思い出に支えられて生きているというケースも少なくない筈である。

展示の後半には、現代になって繰り返し翻訳されてきたアンデルセンの童話絵本が手にとって見れるようになっている。私が訪れた時間には人がほとんどいなかったが、一人の少女が食い入るように絵本をめくっていたのが印象的だった。時代を経ても子供に愛される絵本。残酷なイメージのあるグリムシャルル・ペローの童話も情操教育上必要なものなのかもしれないが、個人的には研究者向けなら別として、子供向けの童話に奇を衒う必要はないと思う。コクトーも称賛したボーモン夫人の美女と野獣、ワーグナーのオペラ『ローエングリン』、結論がハッピーエンドだろうとそうでなかろうと、ストーリーには心の美しさを啓蒙し、高次の次元へと昇華してゆくようなメタモルフォシスを含んだ教養小説的構成があるのが望ましい。

最後になるが、本展はあくまでも「印刷博物館」で催された展示であることもあり、ヨーロッパでまたたく間に広まっていったアンデルセン童話に用いられた装丁や挿絵の印刷技術の変遷史についても言及する部分があり、印刷・出版文化に興味のある方にとっても楽しめる企画・構成となっていたことを付記しておくことにする。

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2005年10月11日

「300%スパニッシュ・デザイン展」「ファッションとスペインの文化」(愛知万博関連企画)

今日10/10は、埼玉県立近代美術館にて開催されていた「300%スパニッシュ・デザイン展」「ファッションとスペインの文化」(2展同時開催。=愛知万博スペイン・パビリオン関連企画)の最終日であった(チケットの半券をアップ)。

私は格別ファッションに興味があるわけではないが、"文化史や、デザイン・服飾史の中のファッション"という見方をすれば若干の興味があって、LOUIS VUITTONや、ココ・シャネルなどの人となりなどにも興味がある。

先日、一時はモードからの現役引退を宣言していたKENZOこと、高田賢三さんが復帰されたというニュースが発表されたが、日本が世界に誇る服飾デザイナー――、三宅一生、山本耀司、川久保玲などが台頭する数十年前、1920年代以降のパリ(やモンマルトル、モンパルナス)では19世紀末の万国博覧会の開催ラッシュにより世界が近づき(ベンヤミンの言葉を借りて言えば、「礼拝的価値」から「展示的価値」へ移行し、さらには流通革命を起こし)、現代のファッションやインテリアとのコラボレーションにも通ずるデペイズマン的な邂逅が多く見られるようになった(cf.「フィリップ・スタルクとバカラのコラボレーション」)。

――そういえば、大学の卒業旅行のときに中学時代からの親友二人でアメリカ4都市を周遊したが、ビバリーヒルズのロデオドライブ周辺を散策しているときに、連れの友人が来ていた黒いコートを見て現地の人が「ヨージ・ヤマモト?」と聞いてきて、安物のコートだった友人はその後ずっと浮かれていたものだった(笑)。

ジョルジュ・バルビエ、ルパープ、マルティ、マルタンら、また、エルテを代表格とするアール・ヌーヴォーやアール・デコの時代が去り、バウハウスや未来派などの前衛芸術が花開き始めた時代――、戦争による徴兵・召集によって女性が台頭した時代、ロシアからはディアギレフのバレエ・リュスが、イタリアからはエルザ・スキャパレリがダリやコクトーを介してアンドレ・ブルトンらによるシュルレアリスム運動の吸引力に引っ張られ、ピカソやミロらを生んだスペインからはクリストバル・バレンシアガが、既にファッション王ポール・ポワレや「ニュールック」で一世風靡したディオールらとのモード対決に打ち勝った女王シャネルに対抗するために続々と集結してきたような、ファッション史上の中でも怒涛の時代であったと言える(cf.「晴天の中、「ミロ展 ~世田谷美術館~」へ」)。

さらに、写真技術や印刷・出版の技術も発展し、それまではイラストによる広告(cf.かの悪名高き十九世紀パリ怪人伝)等しか行えなかったファッション広告の表現も多用になってきたことで、モードの普及が加速した。

このように単に「服」一つとってみても、それを取り巻く文化史上の出来事や登場人物が膨大で、美術や文学をはじめとした各種芸術運動、バレエや演劇などの舞台芸術、実験映画や音楽、宮廷文化から受け継ぐ陶器やガラス製品、あるいは照明等の工芸・インテリア、写真史、出版・印刷の歴史、ポスターや広告史、建築史、(民族史的観点からの)衣装etc……と、ほぼ同時多発的に様々な事象が入り乱れた結果、人々のライフスタイルが進歩した経緯を振り返ってみると、いろいろと面白い相関関係があって楽しめる。

余談が多くなってしまったが、本展では先に述べたスペインが生んだ偉才――、ピカソやダリ、ミロ、古くはベラスケスに至るまで、現代のファッション・モードの基盤となった芸術作品に影響を受けた作家による照明やポスター、イス、ドレスなどが多く展示され、企画展を企画した方の熱い意図が伝わるかのような、スペイン文化にどっぷりと親しめる展示内容であった。愛知万博(スペイン・パビリオン)の関連企画ということで、当の万博では時間がなくあまりゆっくり見ることができなかったので、今回改めてじっくり見ることが出来て良かったと思う。

■参考サイト
・「ファッションの歴史 - モードの世紀

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2005年02月06日

「エミール・ガレ展」(江戸東京博物館) ~文化と商業の複合芸術~

 本日は日曜日だったが有楽町で1件仕事があり、その合間に両国まで出向いて江戸東京博物館で開催中の「エミール・ガレ展」を観に行った。
 2004年9月23日のエミール・ガレ没後100年の節目として、以前にもサントリー美術館などで記念した展覧会が行われたが、その一環の展覧会であろうと思う。

 私が少し以前よりガレに興味を持つ理由は、もちろん、アール・ヌーヴォー期のパリにおいて万博で栄誉を授かり、あの一度見たらその作風を忘れない程に斬新で華麗なデザインのガラス工芸品を多く創ったからという理由もあるが、同時にそうしたラスキンやモリスの流れ(cf.「アート・アンド・クラフト運動」)を組む、固有価値と産業の進歩を生んだ「生活の芸術化による社会の進化」の動き(cf.『生活の芸術化―ラスキン、モリスと現代ー』)の歴史上にある手工業などをはじめとした職人の手による伝統的な文化――、すなわちモリスで言えばモリス商会で扱われたテキスタイル、ガレで言えばガレ商会におけるガラス・家具作品等の量産化による文化と商業の複合等が果たした社会的役割を知りたいと思ったこともあったろう。

 ガレ幼少時代より興味を持ち始めた博物学・植物学の知識は、やがて後年になって一つの造詣となって花開くことになる。熱を加えることで変幻自在に形を変えるガラス工芸の工程の中に創作芸術としての造形の可能性を見出したガレは、「アップリケ」、「グラヴュール」などの技法(cf.「北澤美術館 工芸技法」)を駆使して独自の世界を開拓してゆく。
 特に1846年、ナンシー生まれのガレが出会ったジュール・ヴェルヌが1869年に発表した大作、海底二万里の影響は多大であろう。小説の中で描かれるネモ船長率いる潜水艦ノーチラス号が出くわす未知なる深海の光景!芸術家のガレ青年を襲った感動は計り知れない。そこで見た深海の生物群の神秘的な姿形は、ガレの作風にも現れ始める。

 また、一時、高島北海などジャポニスムにも傾倒していたガレだが、そうした中、時代は幾度かの万博などで世界中が祭りに浮かれていた頃、当時ガレの祖国フランスの友好国であったロシアと、日本との間で日露戦争が勃発(1904年)。ガレ自身も死と隣り合わせかと思える程の病の淵にいた。

 江戸東京博物館1階にあるシアタールームでは、『美の巨人たち』でのガレ特集を放映していた。
 ここでピックアップされた作品が、ガレ晩年の名作、『手』(1904年)である。オルセー美術館他、世界に3点同じモチーフの作品が残っているという。最も出来の良いものがオルセー美術館所有のものということで、本展にも日本初公開として来ていた。

 今までもグロテスクな雰囲気の作品は多かったが、この「手」はグロテスクを通り越して、不気味ささえ覚える。海の波を彷彿とさせる青い台座から人間の手首だけが伸びている。その手に絡み付いている海草や貝殻から、この「手」が海の中から伸びているものと想像できる。

 死の間際、しかもガレの愛した日本とロシアとの間の大戦を目の当たりにし、「人間の死」を観念的に捉えようとした後年のガレが作り出したのは、悲痛に助けを求める、あるいは別れを告げようとした自身の「手」であったのか?深い悲しみに満ちた作品「手」を是非実際に見られることをお勧めする。

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2005年01月31日

「ミュシャ財団秘蔵 ミュシャ展」 ~売れるミュージアムグッズ~

 前人気の高かった本展に出向いた。予想以上に混雑していて、人気画家ぶりが知れた。
前にミュシャの作品に触れたのはいつだったろう。もう1年も前のことになる。去年の春先、東京都庭園美術館で開催された「パリ1900 ベル・エポックの輝き」展で、ジスモンダのポスターなどを見たのが最後だった。その前は東京都美術館での「アール・ヌーヴォー展(2001年)」、その前だと世田谷美術館での「煌くプラハ展(1999年)」となる。いずれにしても、ミュシャに限定した展覧会を見るのは初めてだったかもしれない。

 当時から、日記にも書いていたように万博絡みであったり、ロートレックやスタンラン、J・シェレの体系からか、アール・ヌーヴォー期の、殊にポスター芸術のようなものに興味があった。私の好きな作家である海野弘氏の著作、『アール・ヌーボーの世界』の表紙には、ミュシャの「黄道十二宮(Zodiac)」という作品が装丁として使われている。私はこの作品のB5大のポスターを購入し、また、販売されていた画集も買い求めたが、中を見るとやはりこの作品が収められていた。

 このように、私たちは実際にわざわざ展覧会まで絵を観に行かなくても、ミュシャの作品を見ることはできる。このことについて、先の「アール・ヌーボーの世界」の中で「写真の発明は芸術にミメーシス(模倣)の概念の変革を迫った」と著者は言い、ベンヤミンの複製技術の話に触れている。

 私も以前、「『写真論』 ~追悼、スーザン・ソンタグ女史~」の中で書いたかもしれないが、この時期くらいを境としてポスター芸術などが花開き、つまり芸術の大衆化が始まったとされている。先の「ジスモンダ」が描かれた翌年、1895年には既にリュミエール兄弟らによりシネマトグラフが発明されている程である。またミュシャ自身も多く写真を撮影していたように、時代は芸術を庶民の域まで着実に届けられるようになっていたのである。つまり、「黄道十二宮(Zodiac)」はその絵柄がカレンダーに採用されて庶民の生活の一部に組み込まれたり、他の作品群も煙草のパッケージデザイン、石鹸箱やビスケットの箱などへデザインが採用されるなどである。

 冒頭で「パリ1900 ベル・エポックの輝き」展でのミュシャ作品のことについて触れたが、1900年のパリと言えば既に5度目の万国博覧会が開催された年で、ミュシャ自身もこの万博でパビリオンの構想などに加わったというが、他にもルネ・ラリックや後述するエミール・ガレ、ウイリアム・モリス、ティファニーなどアール・ヌーヴォー期を代表する芸術家の作品がフィーチャーされたことから、アール・ヌーヴォー様式を「1900年様式」と呼ぶこともあるそうなので、そうした狙いもあった展覧会名なのだろうと思った。
 また、『世界史リブレット 世紀末とベル・エポックの文化』によれば、この「アール・ヌーヴォー(新芸術)」の名の発祥を、ベルギーの建築家アンリ・ヴァン・デ・ヴェルデが、1894年のブリュッセルでの工芸博で自ら作った家具に対して名付けたものとしている。

 いずれにしても、第一次大戦前までの芸術・文化が花開いた時代、後年になって人々が「ベル・エポック(古き良き時代)」と懐かしんで呼ぶようになった時代に創出された芸術様式である。いつの時代になっても、人の心を癒し、穏やかにしてくれるような雰囲気を残し続けるアール・ヌーヴォー期の芸術作品――、今回で言えばミュシャの作品だが――私は画集とポスター、数枚のポストカードしか購入しなかったが、横で見ている限りでは多くの限定ミュージアムグッズが売れたものと思う。

 これはあくまでも私見だが、他の展覧会に比べ、ミュージアムグッズの売れ行きが良いように思う。ミュシャの作風のポピュラーさや、キャッチーさというのもあるだろうが、何より先ほど述べた「人の心を癒し、穏やかにしてくれるような雰囲気」が、今の殺伐とした世相にうけているのかもしれない。そんな思いを本展でさらに強めた。

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2004年11月20日

「ヴィクトル・ユゴーとロマン派展」 ~ユゴー生誕200周年記念~

※旧「楽天広場」時代のブログより転載。

ヴィクトル・ユゴーとは、自分がヴィクトル・ユゴーだと思い込んでいる狂人だ。

/ジャン・コクトー

 今日は前から楽しみにしていたヴィクトル・ユゴーとロマン派展を見に行って来た(チケットをアップ)。場所が八王子にある東京富士美術館で家からも割と遠いので行く機会を失っていた。前回訪れたのは高校生のとき、大ナポレオン展を見に行ったときであったが、ユゴーとナポレオンとはゆかりも深い。

 ヴィクトル・ユゴーは、代表作レ・ミゼラブルや、ディズニー映画の『ノートルダムの鐘』の原作であるノートル=ダム・ド・パリ(ノートルダムのせむし男)など、近代フランス文学史上における金字塔的作品を多く残した19世紀の大文豪として知られる。確かに文学のみならず、詩、演劇、絵画、そして政治の世界でも、その人となりをあらわすフランスロマン主義・人道主義(ユマニテ)が大衆を虜にした偉業は本国フランス以上とはいかなくとも、多くの日本人を魅了したことだろう。

 確かに、「あなたが知っている代表的なフランス文学者は?」と聞かれたら、まず初めに「ヴィクトル・ユゴー?」と思わず答えてしまうだろうなと思い、自分のオススメ本を紹介していこうとしているサイトの別館にて、「フランス文学」作品として第一に採り上げてみた。

 2002年に生誕200周年を迎えたユゴーの業績を讃えた本展では、ユゴーや革命に対するオマージュのような箴言で埋め尽くされていた感がなくもなかったが、フランス国宝を含む稀少な展示も多く、それなりに満足した展覧会であった。

 ユゴー作品に関しては、幼少時代に読んだ「レ・ミゼラブル(もしくは「ああ、無情」)」の児童文学と、以前読んで強く感銘を受けたあまり推薦詩を書いたことがあったくらい熱狂した死刑囚最後の日くらいしかない。ミュージカルなどでは何度も公演されているし、フランス史や革命や悲哀をテーマにした作品なので日本人女性の多くは、私などよりもはるかにユゴー好きの人が多いと思われる。

 まず、ユゴーの人となりを知るのに重要だと思われる『レ・ミゼラブル』についての話を書きたいと思う。社会人になるとなかなか長編作品を読む機会がなくなるものだと思われるが、実際、私もかつて読んだのは児童文学版しかない。以前タラナイさんも日記の中で「心温まるただの人情物語ではなくて、革命を背景にした、大叙事詩でもあるのだ。」とおっしゃっていたが、おっしゃる通りだと思った。ユゴーの生きた時代はまさに革命期、日本で言えば板垣退助などがユゴーと外交に当たっていた時代と言われる。

 松岡正剛氏が「千夜千冊」の中でも書いているが、私も以前に鹿島茂氏の「レ・ミゼラブル」百六景 木版挿絵で読む名作の背景という著作を読んでいたことがあり、にわかにその感動がよみがえった。この本はフランスの「ユーグ版」と呼ばれる360以上もの挿絵の入った版を読んだ作者が、代表的なシーン毎に挿絵を紹介しつつ物語の背景にある当時のフランス社会について説明をしながら、原作を読んでいようといまいと、読者が物語としての醍醐味を味わえるという構成になっている。

 表紙はミュージカルの公演告知ポスターなどにもよく使われている、貧しい身なりをしたコゼットが体の割に異常に大きな箒を持たされている場面。他にも展覧会で彫像となっていた、有名なコゼットの水汲みシーンの版画もあった。

 一切れのパンを盗んだがために19年間を牢獄を過ごした主人公ジャン・ヴァルジャンをはじめ、ファンチーヌとコゼット、主人公とともにユゴー自身の思想を投影させたかのようなマリユスの人となりについて書かれていて、その他ミリエル司教、ジャヴェール警部、テナルディエ夫妻、アンジョルラス、「ABCの友」etc……、『レ・ミゼラブル』の登場人物は本当に一人一人が、役割を持って今すぐにでも動き出しそうな程のリアリティで表現されている。

 少年犯罪が増えていると言われる日本。最近では幼少期にこうした本を読まない風潮があるのが原因だとも聞かれる。本を読んだからといって犯罪を起こさないわけではないと思うが、弱者の救済に関するテーマの本には、その背景に深い意味や歴史があることが多いものである。

 パン一つを盗んでなぜこんな厳刑に処されるのか?
ジャン・ヴァルジャンに対するミリエル司教の救済、法の番犬ジャヴェール警部に対する盗人ジャン・ヴァルジャンの救済、それは20世紀フランスにも生き続け、ジャン・ジュネに対する大統領の特赦(参考:「松岡正剛の千夜千冊」)、そうした経緯をおいて、1981年、ギロチンの生みの国フランスでフランス革命以来使用されていたギロチンとともに死刑制度は廃止された(cf.そして、死刑は廃止された)。

 死刑制度についてユゴーは反対者であったが、日本では未だに死刑に処される人がいる。これ自体の良し悪しは私には思想はないが、死刑に値するだけの犯罪が絶えない事実を証明されていることにはなると思う。

 ユゴーの実践した人道主義が単なる理想主義とさえ成り果ててしまうような社会、もしくは政治下においては救済も何もないが、いつの時代も没個性化はマスコミやセクト、カルト集団を介して全体主義を生みだす風潮であった。もしかするとマスコミに変わらんとする、それ以上にゴシップの流れやすい今日のネット社会にもそうした没個性化を生み出す元凶があるかもしれない。

 いろんな思いが錯綜し止まないが、本題とはズレるのでこの辺で……。ユゴーの作品には、『レ・ミゼラブル』以外にも多くあるので、今度ゆっくり読みたいなと思った。

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2004年11月07日

国立科学博物館 ~11月2日グランドオープンの新館に行って来ました!~

※旧「楽天広場」時代のブログより転載。

いつかもしかしたらそう遠くない時期に、私が著者としてこれらの鈍感なメカニズムの力を、私の望む方向に導いたように、誰かが馬鹿な人間大衆を世界や神に反対するように導くのではないかという恐れにとらえられた。(中略)ねえ、このようになると信じられるかい?

/『ロボット(R.U.R.)』/カレル・チャペック

 昨晩は、というより今朝の話だが1度帰宅した後昼頃まで寝てしまった。

 上野にある国立科学博物館(通称「科博」)の新館が2日にグランドオープンしているという話を先日も日記に書いたばかりだが、来週まで待ちきれず今日は取引先の担当者を誘って一緒に見に行くことにしてあったので、昼過ぎから上野で落ち合った。

 以前購入した、私の愛読誌の一つである『東京人(2001年2月増刊)「上野の森を楽しむ本」』の中では、「上野の森」とはゆかりの深い、安藤忠雄氏や日比野克彦氏、それから好きな作家にも挙げている池内紀氏や出口裕弘氏が寄せた随筆や推薦文が掲載されていたが、出口裕弘氏の文章の中にあった「少年のころ京成電車の沿線に住んだことがあり、終点ではなくその前の、今はなき「博物館動物園」という地下駅で降りて、むろん動物園にも行ったが、科学博物館へよく通った」という一節があり、自分もいつかは行ってみたいと思っていたところだった。

 グランドオープンの告知が割と浸透していたのか、それともオープンしてすぐの日曜日だからか分からないが、とにかくすごい混み様であった!特に子供連れの方が多かった。確かに展示の仕方にはとても工夫がされていて(松岡正剛氏風に言えば「編集」が行き届いているということになるかもしれない)、例えば渋谷の「電力館」のように、見学者が体験できるコーナーがあったり、無料で提供されるICカードを持ち歩きながら館内を巡れば、展示内容のデータベースを後ほど「科博」のサイト内でID認証して履歴を参照することができるなど、リアル&ヴァーチャルを駆使した今風の企画も練りこまれていて感心した。

 まだ行かれていない方のために展示内容を幾つか列挙したかったのだが、いつもさらっとしか見ない私でも、2時間で見切れなかった程の展示量(地上3階、地下3階)である。先に紹介した公式サイトを見るか、実際に見に行った方がはるかに理解できると思うので、ここでは簡単な紹介のみにして割愛しようと思う。

 宇宙や地球の誕生に始まり、恐竜の絶滅についてや、生まれて初めてみるような陸海の動植物や細菌・寄生虫の化石や標本、人類の誕生・進化、民族の移動や文化の発達について、近代における産業や工業の発展史をパノラマ展示、化学や物理の解明を体験しつつ、大地震や火山噴火のメカニズムを巨大なスクリーンで見たりと、とにかくとても一日では頭に入りきらない情報量である。

 宇宙や地球の神秘については、特に男性の方は無条件に好みそうなテーマだと思うのだが、個人的には『プロジェクトX』風な内容だった展示ブース(2階、「科学と技術の歩み -私たちは考え、手を使い、創ってきた-」)が特に楽しめた。機体の大きな零式戦闘機(零戦)や、旧国鉄のリアルタイム座席予約システム「マルス」の展示などは、かなり広いスペースがないと出来ない展示だろうと思うので必見である。

 特にそれが、この上野公園内にある国立科学博物館で展示されているということに、自分の中の想像力を掻き立てられてならない。
 以前も紹介した、初田亨氏の書かれた『百貨店の誕生』という本の中でも触れられているが、明治10年に開かれた内国勧業博覧会(この年の第一回から第三回目まで)の会場が、この上野公園だったのである。先述の『東京人』の1996年10月号の特集「明治がいっぱい風俗画報」の中でも、開催当時の会場全景の様子がイラストで紹介されていた。

 内国というのは、万国博覧会の「万国(全世界)」に対して、日本国内での博覧会というのを意味しているのだと思うが、博覧会と言うくらいなので、当時最先端の科学技術や芸術、そして流行を多数紹介していたのだと想像する。
 私はそうした日本の産業の一大発展史を、日本の産業の生誕の地とも言える上野公園内にある国立科学博物館の館内で、ある種箱庭的に整理整頓された空間を前に、簡単に一望出来るという嬉しさを感じることが出来た。

 科博のパンフレットには、「自然との共存をめざして」というスローガンが掲げられ、「生き物たちが暮らす地球の環境を守り、自然と人類が共存可能な未来を築くために、私たちはどうすればよいか」と問いている。そしてその問いに対して、「みなさまと一緒に考えていきたいと思っています」と結んでいる。実際に見に行かれた方は、どのように感じたものでしょうか?

 地球上の生物の数は、現在の科学で認められているものだけでも160万種と言われているそうである。人間はその中の1種にしか過ぎないのに、1種の内でも共存共栄の可能性に懐疑を持ってしまうような昨今の世相である。

 私も数年前に突然思い立って、自然科学について書いた文章があるのだが、下段にエピグラム代わりに引用したギリスピーの思想に倣い、自然科学と人文科学のバランスをとるところから始めるためにも、この科博――、国立科学博物館は大いに活用できそうだなと感じた。

科学の学生は人間の研究から手をひいてよいでしょうか。高潔な心情をすて去ってよいでしょうか。

/C.C.ギリスピー『科学思想の歴史 ガリレオからアインシュタインまで

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2004年11月03日

文化の日、「フィレンツェ ――芸術都市の誕生展」観覧 ~「アベラシオン」方法序説~

※旧「楽天広場」時代のブログより転載。

私の思うには一つの絵を鑑賞する最も確かな方法は、はじめはそこに何が描いてあるかはいっさい決めないこと、そうしてそれの仕切られた一劃に点々と同時にある色の列びから迫ってくる感応の糸を糸一歩と手繰りつつ、心像(イメージ)から心像、想像から想像へと昇りゆき、ついに主題の理念に、時には、ついぞそれまでには味わったこともなかったただもう喜びのおもいにひたるにある。

レオナルド・ダヴィンチの方法』/ポール・ヴァレリー

 昨日の日記からの続きである(笑)。――ということで、漫画喫茶の個室の中、リクライニングチェアの上で気持ち良く私が目覚めたのは午後3時過ぎ。

 見事に寝過ぎである。寝過ぎないようにあえてイスで寝ようと思ったのだが、昨今の社泊増のせいか、最近イスで寝るのに変に慣れたのか、むしろベッドで寝るよりも落ち着いて熟睡できるようになってしまったのかもしれない……(笑)。

 今日11月3日は文化の日。戦前で言うところの「明治節」。つまり新暦で言うところの明治天皇の御誕生祝賀日である。ネット上で「祝日法」について調べてみると、大体どこにも「自由と平和を愛し、文化をすすめる」などと書いてあり、今では明治天皇を敬うとか輝かしい明治時代を思うというよりも、圧倒的に文化的研鑽に勤しもうという考えが多いのだと想像される。

 ちなみに明治天皇は17歳くらいまでの多感期を京都で過ごされたと聞く。京都は実は小学校3年生のときに学校を休んで親と旅行に行った以来、2度目はまだ行っていない。いつかゆっくり時間がとれたら巡ってみたいと思っている。
 京都と聞くと有名大学があるとか、学術的な古書を扱う書店が多そうとか、そういった先入観もあって文化的な印象が強い。今日の日記のタイトルにもあるイタリアの都市フィレンツェとは、1963年以来姉妹都市の関係にある。

 今日は久し振りに上野に行った。もちろん東京都美術館で開催中のフィレンツェ ――芸術都市の誕生展を見に行くためである(チケットはコチラにアップ)。
 国立科学博物館の新館がグランドオープンしたというニュースを聞いて、ついでに立ち寄ってこようかと思ったが、これは朝から来てゆっくり見ようと考え直し、外から眺めるだけにとどめておいた。

 東京都美術館の館内では、ジョット、ミケランジェロ、ボッティチェッリ、ヴァザーリといった14世紀から16世紀にかけてのルネサンス期イタリアを代表する芸術家の作品が、絵画にとどまらず彫刻や金細工、織物など幅広く展示されていた。

 ルネサンスの開花した中世イタリア――、当時の人々にとって関心の強かったものとして、バルザックやデュマなどが書いたカトリーヌ・ド・メディシスや王妃マルゴなどを中心として起こった政治や宗教や戦争などもそうだが、土木・建築、服飾・装飾、音楽・美術・文学、また医学をはじめとした自然科学etc…、まさに文芸復興と呼ばれるだけあって、様々な発見が人々の間に流布していった時代だと想像できた。

 私が大学の卒業旅行でイタリア・フィレンツェを訪れたのはもう7年近くも前になるから、今では大分変わったのかもしれないが、記憶にあるのはやはりメディチ家コレクションを集めたウフィッツィ美術館や、イタリア・ルネサンス建築の初めと言われる「花の大聖堂」(サンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂)などの歴史的建築物のディテールを飾る建築装飾であろうか。ミケランジェロ広場から全景を見渡す限り、もう街全体が美術館みたいなノリだった印象がある。

 当時は時間があまり取れなかったので急ぎ足で有名美術館を回らざるを得なかったのだが、今度行けるときがあったらゆっくり見てみたい。そのときは是非、当時読めなかったゲーテやスタンダール、アンデルセンなどの旅行記、それから好きな澁澤龍彦を気取って『アベラシオン』をはじめとしたバルトルシャイティスの4部作(バルトルシャイティスの著作に対する松岡正剛氏の書評はコチラ)などを読んでから行くことにしよう……。
 先にも書いたが、フィレンツェはまさに街全体が美術館のようなつくりをしている。目に留まったもののイコン(図像)と歴史を探り、そこから関連する意味と人物を連想し、文化を理解できるような旅行がしたいものである。

 以前にも日記の中で書いたことがあったが、自分流の美術館の楽しみ方(cf.「各作品の解説の中に見られる画家たちの意図が形を変えて、現在という時空間への流出を図ろうとするとき、僕らは得も言われぬ歓喜、あるいは恍惚の念にしばしば駆られることもある」)ができるのが楽しかったりするのである。

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2004年09月24日

「エルミタージュ美術館展」(江戸東京博物館) ~"隠れ家"のコレクション~

 実は昨日23日は、昨日付けと一昨日付けの日記に書いた「ピカソ展 躯〔からだ〕とエロス」「花と緑の物語展」を見終えた後、もう一展観に行ったところがあった(合計3展もハシゴすると、結構頭の中が整理つかなくなってきたりしますw)。

 それがタイトルにあるエルミタージュ美術館展江戸東京博物館)である。

 江戸東京博物館は、清澄白河駅から大江戸線で2つ目の両国で降りるとすぐのところにあった。昨年の江戸開府400周年に向けてか、随分と前から既に建設してあった建物だったのだと思うが、まずはそのスケールに驚き、続いてゆっくりとその異形なファサードをはじめとした建物全体のユニークな形に驚かれることとなった。
 何しろこの江戸東京博物館は、以前にも何度か自分の日記で触れたことのある、菊竹清訓氏の手によるものだったのである。
普段両国などあまり来る機会がないので、久し振りに下車して、初めてこのような近代的な複合施設を両国駅で見ることになることに新鮮な気持ちを覚えた。

 両国や浅草、東京丸の内を主に訪れたことがあったのは学生時代だった。永井荷風や芥川龍之介、中原中也etc……そうした文豪の軌跡を追いかけ、小説や詩の中で描かれた原風景と、今まさに私が見ることのできる現在の風景とを比較して、明治~平成にかけての「東京」を形成していた、あるいは変遷してきた不易流行の要素をピックアップし、ゼミで発表するというフィールドワークを行っていたことがあった。

 そんな当時、両国とゆかりの深い芥川龍之介を採り上げ、作品中の「ルサンチマン」的要素をピックアップしていったことがあった。その一つに安岡章太郎氏なども引用していた芥川龍之介の『本所両国』(東京日日新聞連載)という名の随想の中に、下記のようなくだりがある――。

 「僕は生まれてから二十歳頃までずっと本所に住んでゐた者である。明治二三十年代の本所は今日のやうな工業地ではない。江戸百年の文明に疲れた生活上の落伍者が比較的多勢住んでゐた町である。」

 ――確かにこの随想は芥川が青年期を振り返って書いたものである。当時はまだ江戸から明治への変遷の過程で、廃藩置県の名目で職を失った人が多く、貧しい雰囲気が漂っていたのかもしれない。晩年の芥川がそうした人たちを思い出し、変わり果てた生まれ育った本所の街並みを憂うかのような、言い換えればあの文明開化の時代に複雑に揺れ動いた幼心を懐古するかのような「ルサンチマン」的回想であると、私は感想を述べたことがあった。

 そんな「工業地両国」も、今私が降り立った感じではそんな印象は受けない。むしろ近代的な街並みに思えるのだが、それには江戸東京博物館もその効果に一役買っているのかもしれないと思った。

 閑話休題。
この「エルミタージュ美術館展」は、正式には「サンクトペテルブルク古都物語 エルミタージュ美術館展 ~エカテリーナ2世の華麗なる遺産~」として宣伝されており、今電車内の中吊り広告などでも派手な衣装を着たエカテリーナ2世の絵と、同じく派手な馬車などの描かれたポスターを見かけることがあると思う。「華麗なる遺産」と謳うだけあって総数300万点にも及ぶという、まさに「北のルーブル」と異名をとる程の質量のコレクションや、サンクトペテルブルクというまだ見ぬ都市の歴史について興味を持ったので観に行こうと思ったのだった。

 また「エルミタージュ」という言葉には、フランス語で「隠れ家」の意味があるらしく、思わずそこに以前の日記でも触れた、「ロクス・ソルス荘」や、デ・ゼッサントが隠居した郊外の邸宅などを連想した。
 もちろんエルミタージュ美術館は、18世紀後半の君主であったエカテリーナ2世のコレクションが元になっている点で、趣きを異とするものではある。

 昨年2003年に建都300年を迎えたというロシア第二の都市サンクトペテルブルクを記念して開かれたという本展。ピョートル一世(大帝)によって、サンクトペテルブルクが建都したのが1703年、ちょうど江戸開府100年の節目の年であった。1712年にモスクワから帝政ロシアの首都を遷都してからは、ロシア革命までの実に2世紀近くも首都として栄えたことになる。サンクトペテルブルクは、私も一時期読みふけったドストエフスキーや、プーシキンなどが住んだことで文学を愛好する人にとっては一度は行ってみたい都市だと思う。

 当時のサンクトペテルブルクをはじめとした帝政ロシアを治めたエカテリーナ2世が集めたコレクションの数は、かのベルサイユをもしのぐと言われますが、ベルサイユと比較して語られるようになったのは、フランスびいきであったエカテリーナ2世の治世があったからである。

 「エカテリーナ美術館」とも呼べる彼女のコレクションは、多くのフランス絵画にはじまり、金銀で作られた食器、宝石のちりばめられた飾り物や置物など、ロシア帝国の「黄金時代」と呼ばれる由縁がそこにあるのかもしれない。

 文化・芸術に花開いたエカテリーナ2世による治世。
それはある種の享楽的な時代を作り上げたのかもしれないが、幾度かの戦争や叛乱などがあったにしても、ヨーロッパ全土に広まる程の文化や芸術を一から作り上げ、国民の目を争いから反らせ文化的発展によって世界に対抗しようとしていった史実には、現代日本の為政者にも学ぶところが多いのではないかと思った。

 エカテリーナ2世はもともとドイツの小国出身である。まるでコルシカ島出身のナポレオンがフランス皇帝となったように、他国から来た人によって国力を上げることとなるのである。エカテリーナ2世が当時のロシアにおいて女帝となったことで、辺境の地ロシアに住む人々に自信と希望とを与えることになるのである。

 ところで、プーチン大統領も、このサンクトペテルブルクの出身だそうである。
 先日のベスランの学校占拠・人質事件など、今後も対策を迫られることになるプーチン大統領にとっても、エルミタージュ美術館への思いはきっと強い筈である。

 文化・芸術だけが人々を平穏に導く手段ではないのかもしれないが、こうした芸術面における活動を続けることによって少しでも平和に近づけるのであればいいなと、冒頭に書いた「ルサンチマン」的気分で思うのであった。

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2004年09月23日

「花と緑の物語展」 ~東京都現代美術館(後編)~

※――というわけで、今日23日は昨日付けの日記の中で書いたピカソ展を見終えた後、同じ東京都現代美術館で開催中だった「花と緑の物語展」チケットはコチラ)を一緒に見て来た。

 本展は「花と緑」をテーマに、私が古くから好きなコローやユトリロをはじめ、クールベ、ミレー、モネ、ルノワール、ピサロ、シスレー、セザンヌ、キスリング、ゴッホ、モンティセリ等の作品の中から、鑑賞する都会生活者の心を癒すかのような花や緑をモチーフとした作品を展示した展覧会となっていた。

 ブースを進むごとにテーマ別に分かれた展示がされていたのだが、最後の「エピローグ:楽園の花と緑」部の最後の最後に展示されていた、アンリ・ルソーの『熱帯風景、オレンジの森の猿たち』を見て、その異質感にそれまでの展示作品のコンセプトを全て覆すかのような感覚を覚えた。

 アンリ・ルソーは、俗に「素朴派」と呼ばれる作風が特徴で、独特なリアリズムと、南方楽園的な亜熱帯地域を描いた幻想的な作風の絵画で知られている。この画家が画壇に姿を現すのは、1886年に行われた「アンデパンダン展(独立展)」のときと言われる。
 印象派でさえなかなか認められることの少なかった当時のアカデミックな画壇にあって、この無資格で参加できた展覧会の主催は非常にセンセーショナルなものとなった。
 ところがここへ出展したアンリ・ルソーの作品は、画家としての技術の欠落を認められ、周囲からの嘲笑を買うことになるのだった。そんなアンリ・ルソーの作品を当時認めていた数少ない芸術家が、あのピカソであった。

 高橋和巳氏の作品の中に逸脱の論理という評論集があって、巻頭に収められた「埴谷雄高論」の冒頭に、「表現者の最大の不幸は、みずから構築した諸観念のもっともよき理解者が、他ならぬ当の本人自身でしかないという閉塞的回帰状態におちいることである」と著者の師を述べるくだりがある。

 これは何も文学者に限ったことではなく、「表現者」という点で画家に関しても言えることではないかと思う。そういった意味で、デュシャンなども述べている、芸術家が芸術家たるために少なからず誰かの同意ないしは賛同を得なければならないのが現実社会でもある。

 先ほどアンリ・ルソーの作風を「独特なリアリズム」と呼んだが、これは何も描かれた植物や動物などが、博物学的に正確に描写されているということを述べたわけではない。アンリ・ルソーの描く生い茂ったジャングルや襲いくる猛獣たちが、画家自身をして、今にも襲ってきそうな雰囲気があって「不安と胸苦しさにおそわれて、新鮮な空気を吸うために窓をすっかりあけ放さねばならなかった」程の想像力としてののめり込み方の逸話を読んでそう感じるのである。

 こう紹介する人は、私の好きな作家にも挙げさせてもらっている岡谷公二氏である。アンリ・ルソーの「素朴」さは、「無垢」という言葉にも置き換えられるだろう。岡谷氏の引用するボードレールの「天才とは、意のままに取り戻される幼年期だ」という言葉や、目先の名声や勲章へのこだわり方などのエピソードを読んで、他の芸術家の中にも多く見られたある傾向を彷彿とさせる。

 それこそが「アンファンティリスム(幼児性)」である。
しかもその空想癖や収集癖、想像力、老いても変わらない執拗な思い込み、自己顕示欲etc……、これらは非常に強烈な個性だと思う。

 岡谷氏は、私がオススメ本の紹介をしているサイトでも紹介している別著や訳本のいくつかでも、この種のことについて多くを論じている。また特に、同時代人であったレーモン・ルーセルや、かの郵便配達夫シュヴァルなどと並んで論じられることが多い。

 私が所有する岡谷氏に関する本だけでも、アンリ・ルソー 楽園の謎(新潮社)』、『ロクス・ソルス/レーモン・ルーセル著(ペヨトル工房)』、『アフリカの印象/レーモン・ルーセル著(白水社)』『レーモン・ルーセルの謎 彼はいかにして或る種の本を書いたか(図書刊行会)』、『エグゾティスムという病 ピエル・ロティの館(作品社)』、『郵便配達夫シュヴァルの理想宮(河出書房新社)』、『幻のアフリカ/ミシェル・レリス著(イザラ書房)』それから、『夜想 27 特集:レーモン・ルーセル(ペヨトル工房)』、『ユリイカ 1977年8月号 特集:シュルレアリスムの彼方へ デュシャンとルッセル 「アフリカの印象」(青土社)』、『is 36 特集:南方楽園(ポーラ文化研究所)』などの雑誌への寄稿などがあり、そうした作品や解説の中でもアンリ・ルソーや、メインテーマでもある南方楽園幻想に関係する評論を読むことが出来る。派生してゆくと、先のレーモン・ルーセルが敬愛してやまなかったジュール・ヴェルヌの冒険譚の中にも、直接的でなくともそうした影響を垣間見ることもできるかもしれない。これら全てをフリーメーソン的影響と断定することは出来ないのかもしれないが、彼ら幻視者の生き様を読んでいると、いずれもある種の崇高な「旅」の中に自己を置いて作品を生み続けていたかのように感じないこともない。
 今日の「花と緑の物語展」の最後にアンリ・ルソーの作品が置かれたことで、作品を見るために立ち止まった私はふいに先ほど触れたことがらを思い出し、思わず息苦しさを覚えるほどに別世界にのめり込んでしまうという事態に陥った。

 「緑」色は、一般的に疲れた心を癒す色として有名である。この展覧会はきっと、日々の都市生活の中で疲れた現代人の心を癒す意味も含めて開かれたのだろうと勝手に解釈している。9月26日(日)までの展示であるし、昨日触れたピカソ展も面白かったので、まだ行かれていない人で興味を持たれた方は是非訪れてみてはと思う。疲れがとれます(笑)。

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2004年09月22日

「ピカソ展 躯〔からだ〕とエロス」 ~東京都現代美術館(前編)~

※実は23日に行ってきた展覧会なのですが、企画展も一緒に見たことで長くなりそうだったので、この日の日記に書くことにします。

 昼過ぎから新木場にある東京都現代美術館で開催中のピカソ展 躯〔からだ〕とエロスを見に行った。

 現地に着くまでに少し驚いたことがあって、大江戸線・清澄白河駅から向かう途中の深川資料館通り商店街が「ピカソ通り」と銘打っていました。有名画家の展覧会が行われるからなのかもしれないが、行く前からワクワクしてしまう。

 受付でチケットを購入すると、2002年以前くらいまでは通常のバーコードだった販売記録の模様が、それ以降にはQRコードのようなタイプの2次元バーコードが使用されていて、そんなところからも「現代美術館」の名に思わず納得させられてしまうが、前回私が訪れた「球体関節人形展」での異様な雰囲気や、その前の「ガウディ かたちの探求展」でのいくつものビデオモニターを駆使した展示など、コストを掛けた仕掛けにしばしば驚かされることのある美術館である。
 2年程前に訪れた「フェラーリ&マセラッティ展」のときなどは、あの広い駐車場に観覧しに来た方のフェラーリやマセラティをはじめ、国内外の高級車がズラリと並んでいて、美術館に着いた瞬間これが既に展示なのでは!?と間違えそうになったこともあった(笑)。とにかく、いろんな意味でネタに事欠かない美術館だと思う。

 話を元に戻して今回の展覧会についてだが、これまでにもピカソに関する展覧会は多くあったろうし、私自身もいくつか見に行った記憶がある(管理人のHPに情報を載せてある)。

 しかし、美術展の面白いのは、基本的には学芸員などの主催者側が毎回テーマを変えて展示内容を変えているところで、今回のピカソ作品は、「変貌の時代」と本展監修が呼ぶところの1925年から1937年の間の作品を集めている。

 有名な「青の時代」にはじまり、「バラ色の時代」「キュビスム時代」「古典主義時代」「シュルレアリスムの時代」と、年代の変遷とともに社会的背景やピカソ個人を取り巻く環境の変化が起こり、それにに応じるかのように驚くくらい作風を変えていったピカソの画家人生の中で、最も画家個人の本質に迫ったのではないか?と思われる時代にスポットライトを当てた展示内容となっている。

 様々な愛人との交際の中で激しく推移する画家の心情が表れた作品群は、他のどの時代の作品よりも象徴的な作風の作品が多く、いわゆるパーツがめちゃくちゃになっている女性を描いた作品(cf.「キュビスム時代」)だったり、ピカソが興じた闘牛をテーマに野蛮性や暴力的なものを表現した作品(cf.「フォーヴィスム」)だったり、はたまた彫刻に挑戦したりと、人間の深層心理に近いある意味で狂気じみた感情から生まれた作品には理解に苦しむものもある。

 ブルトンやデュシャンをはじめとしたダダ・シュルレアリスムの中心人物との優雅な交友を続けたり、パリへ訪れたロシアバレエ団(ディアギレフのバレエ・リュス)との出会いから生まれた前衛的な芸術運動への参加などをする一方で、こうした一人、あるいは数人の女性を巡っての狂おしいばかりの愛(エロス)や、自身の老いへの恐怖や死(タナトス)について、荒々しくと同時に繊細に揺れ動く心情を描いたピカソ――。

 「絵は日記の一ページにしかすぎない」というピカソの言葉を先述の作品の変化に重ねて考えてみても、ある種のミスティフィカシオン(神秘化)が行われているようで、この変幻自在さがピカソをよりミステリアスな画家に仕立て上げている要因となっているような気がした。

 天才画家と評されるピカソの暗黒の時代と言うべきか、疲弊した精神を告白した「日記」としての作品群に興味を持たれた方は是非行ってみては?と思った。

 今度時間ができたら、損保ジャパン東郷青児美術館で開催中の、もう一つの展覧会にも行ってみようと思っている。

 ――ということで、後編は次の日の日記へ。

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2004年09月12日

「マティス展」(国立西洋美術館) ~絵とはどのように生まれてくるものなのか?~

 今日は日曜日だったが、平日よりも早い時間に仕事があり、15時過ぎまで出向先に出向いていた。その帰り、上野の国立西洋美術館で開催中の「マティス展」に立ち寄ってきた。

 なんでも今回のマティス展は没後50周年を記念して行われたもので、日本でこのような大規模な展示を行うのは23年ぶりとのことであった。23年前の展覧会はどのようなものだったのだろう?池田満寿夫氏のエッセイに『私のピカソ 私のゴッホ』というものがあり、文中に以下のようなくだりがある――。

東京にピカソ展があった。あれは高校三年の時だったような気がする。(中略)ピカソ展の少し前に開催されたマチス展は、それをわざわざ東京まで観に行っていながら、熱狂はやって来なかったのだから。マチスに対する不理解はこの時から続いているとも言える。

 すなわち、1951年に上野で開催されたピカソ・マティス両展についての感想を述べている。これは「23年前」の展示のことを言っているわけではないが、この年に20世紀を代表する二人の画家の作品が日本に初めて同時上陸したようで、当時の日本の美術旋風が想像出来る。
 マティスと言うと、ピカソと並ぶ20世紀美術の大家といったイメージがあるが、ひょっとしたらこの1951年時の日本への紹介のされ方が、半世紀という一つのサイクルを経て影響するアンソロジー的要素もあるのかもしれない。

 また先の著作の中で池田氏は、「ピカソの伝記を読んでなによりもうらやましいと思ったのは、彼をとりまく交友関係であった。」「青春ピカソの存在がひときわうらやましく見えたのは、これらの詩人たちや、画家たちとの交友関係がなによりも輝かしく見えたからである。」とも書いている。

 ピカソを取り巻いた交友関係については、私も以前に同じようにピカソの交友関係筋をたどることによって、他の同時代を生きた偉大な作品の生みの親に出会うことが出来たので、そういった意味でピカソの作品に興味を覚えたものだった。一方でマティスについてはどうだろう?

 事実個展ともなるとピカソに関する展覧会へは何度か行ったことがあるものの、マティスに関する展覧会というのは誰かのコレクションや企画展でしか見たことがない。同じ二大画家と言われていても、正式に「マティス展」として私が見ることになるのは確かに今回が初めてであったし、ピカソ作品に比べるとやはり熱狂して観入るようなことはなかった。
 しかしそれだけに新しい発見もあった。展示内容のキラーコンセプトとも言える「絵とはどのように生まれてくるものなのか?」という命題。これは後世の人たちがマティスを語る上で用意した言葉かもしれない。この美術の根幹思想とも言える深い哲学のもと、「ヴァリエーション」「プロセス」という手法を用いてマティスは絵を描いたと言われているそうである。

 描くときの感情や感覚を大切にし、同じ主題を何度も描くところ(ヴァリエーション)はモネの連作を代表として印象派のそれと似ているが、そもそもこうした試みは美術界独自の要素であるわけでもない。音楽でも文学でも「ヴァリエーション」はあるし、展示の中で解説のあった「グラッタージュ(引っかき線)」、「ネガティブライン(色面と色面の境界によって作られた線)」、「塗り直しの痕跡」、「重ね塗り」、「輪郭線と色彩面の不一致」などの技法なども、そうした「プロセス」に重きを置いた主題の作品は他にもあると思う。

 それでは改めて今回のマティス展の見どころは何だろう?
おそらくは「野獣派(フォーヴィスム)」を代表する荒々しい筆致から生まれる野性的な色彩感覚かとも思う。また、先のプロセス主義な面に注目しても、何度も何度も描き直すという行為(プロセス)が生み出す永遠性も魅力の一つかもしれない。ちょうど先のモネが円形の画廊を、連作「睡蓮」で埋め尽くすことで永遠に続く安堵感を求めたように、被写体の永続的可能性が込められたのかもしれないと思った。

 様々な女性の表情をデッサンした「ヴァリエーション」は、自身の習作としても新たな作品を生み出す原動力となったろうが、その後様々な分野に派生したものもあるだろう。
 私が絵画を見るときに感じる醍醐味というのは、いつも思う持論だが、一般的な絵画論や美術史も楽しいのだが、自由連想的な発想が許されるということだと思っている。つまり、ある絵画を見たことによって、全く別の何かを生み出す発想の原動力になり得るということである。それは関連の深い文学かもしれないし、あるいは全く別次元にある生き方そのものだったり、仕事や趣味の分野かもしれない。

 「絵とはどのように生まれてくるものなのか?」
これは画家の言った言葉である。それでは我々が「○○とはどのように生まれてくるものなのか?」と、自分に置き換えて考えることがあってもおかしくない筈である。そこから様々なオートマティスム、インプロ(ビゼーション)的発想が生まれ、同一の主題に対する試行錯誤や挑戦を続けることによって、より本質(に近いもの)に対峙することができるようになれるのではないか?と考えた。

 ただ、この考え方が仮に正しいとして、私自身にこうしたあまりに壮大な探求によって閉塞的な自己完結を結ぶような行為があるとすれば、それは私の理想とすることではない感じがした。
 全く飛躍して間違った解釈であるとは思うが、「帰納的」「演繹的」ということで言えば、とかく人は年を経るにつれて、前者の考え方のようにある一つの思想を見出してそこに帰結することが多いように思うが、どちらかというと私はそうしたストイックな考え方よりも、もう少し場当たり的な快楽主義に近い考え方に興味を覚えているような気がする。

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2004年09月05日

「人体の不思議展」(東京国際フォーラム)を見て。

胎児よ

胎児よ

何故躍る

母親の心がわかって

おそろしいのか

 これは、私が高校時代に読んで影響を受けた、または特に印象に強く残っている書物のうちの一冊、『ドグラ・マグラ』の冒頭に出ていた「巻頭歌」である。

 この『ドグラ・マグラ』は、中井英夫の『虚無への供物』、小栗虫太郎の『黒死館殺人事件』と並び、日本の戦後3大ミステリ作品と呼称される。著者である夢野久作をして「これを書くために生きてきた」と言わしめ、10余年の歳月をかけて書かれた作品だそうである。狂人の書いた推理小説という状況設定の中、若林・正木両博士の論文なども紹介されるなどの作中作のレトリックが作用してか、フィクションだとは分かっていても読者が思わず作品の中に引きずりこまれるかのような錯覚を覚える一大奇書であった。

 文中に「胎児の夢」という有名な段落がある。
「人間の胎児は、母の胎内にいる十か月の間に一つの夢を見ている」という仮説の元、胎児はその間に地球上の生物の進化の歴史をたどっているという進化論のようなものを説き、さらに胎児の時期に見る夢が事件の鍵を握っていると博士は推測を立てる。そんな言わばマッド・サイエンティストのような登場人物が、あることないこと書きまくっているという内容の小説なのである。

 本日、東京・有楽町の東京国際フォーラムまで足を運んだ人体の不思議展は、半年くらい前に東京で行われた同展の続きであると思う。
 私はあいにく前回の東京展のときには機会を失って見に行くことが出来なくて非常に残念に思っていた。直後の北海道展が行われた今春、本気で北海道まで見に行こうと思っていたくらい見に行かなかったことを後悔したものだった。

 なぜ「続き」かと言うと、私も何故この時期また東京で展覧会を行っているのか興味を持って主催側に問い合わせたところ、ある意味あまりの大反響によるリクエストということも含め、前回の展示内容の70%は違う内容の展示であるという旨を聞いたからであった。冒頭に書いた本などの影響もあるのかもしれないが、この展覧会には一度は行きたいとかねがね思っていた。

 本展はいわゆる人体の標本のようなものが幾つも展示されていて、臓器の位置だとか、筋肉や神経はこうなっているだとか、そういったものを解説しているのであるが、単なる標本であれば他にいくらでもある(参考サイト:)。また、『ヨーロッパのおもしろい博物館』の中でも紹介されている、イタリアはフィレンツェにある「ラ・スペコラ博物館」での有名な蝋人形の標本(写真集にもなっている)などもあるし、ボローニャにある「ボローニャ人体解剖博物館」なども有名みたいである。

 しかし先の「人体の不思議展」の展示内容の何がすごいかと言うと、展示されている標本の全てが、実際の人体そのままであるということなのである!ボローニャ人体解剖博物館では骨格の標本などで人骨が使われているとあるが、骨だけにとどまらず、臓器、筋肉、神経等々、全て本物なのである。そこに胎児の標本などもあった。これももちろん本物だそうである。他には胃癌や肝硬変、肺気腫といった病変した臓器の標本などもあり、一般人だけでなく医療従事者の方などにとってもある意味で楽しめる内容であったのではないか。

 もちろんこれは悪趣味の人向けに開催された展覧会ではなく、先の公式サイトの趣旨などを見れば分かる通り、「ひとりひとりが豊かな人間性と教養を得るために、からだについてさらなる考えを進め」ることを推進している展覧会なのである。改めて人体というものが、繊細で精巧で、矛盾するようだが頑強で、そしてある意味神がかった機能を有したものであるかを知らされた展示内容であった。

 私自身はどうした理由で見に行ったかと言うと、実は今、インターネット系の仕事をしているのだが、もっと細かく言うと、どちらかというと医療系の仕事が混じっている。その関係で、「インフォームド・コンセント」などに対する知識を改めて深めたいという気持ちもあり、公式サイトの趣旨で書かれていた「「自分自身が自分の<からだ>を知らなければ、医師とのコミュニケーションは図れない」という考え方」に対して、頭の中だけでなく、五感で理解を示したいと思ったからなのであった。

 本物の人体を使った標本ということで、現代解剖学の最先端であることが謳われていたが、監修に加わった方々の肩書きもさることながら、本展の後援に名を連ねる名前――、日本赤十字社、日本医学会、日本医師会、日本歯科医学会、日本歯科医師会、日本看護協会などからは信憑性の高い学術的な側面も伺え、子供から大人まで幅広く興味の持てる展覧会ではないだろうか?

 脳の重さを体感したり、実物の標本に触ったりできるコーナーもあり、今日は雨にも関わらず大勢の人が見に来ていました。でも、私は実はこの手の展示内容というのは結構苦手なのである(笑)。意外にも女性の姿が多く、「すごぉ~い!」とか言いながら標本を凝視する光景が見られたが、目黒の寄生虫博物館とかにしてもそうだと思うのだが、女性とはこの手の内容に強いなぁと思ってしまった。私は「夢に出てきそうだな……」とか思い、ぶるっと震えながらも頑張って、(触ってよい)標本に触ってみたが、その後数時間は食事をとる気になれなかった(笑)。

 幼少の頃に親しんだ学研の「ひみつシリーズ」の中の「からだのひみつ」を、ふと思い出した。人間のからだというのは、ちょっとしたことくらいでは大事に至らないかもしれないが、ある一線を越えたら最悪死に至ることもある――、そんな簡単なようで難しい「境界」を知らない人が今でも多くいる。昨今でもニュースになった「長崎小6女児殺害事件」もその例だと思うし、いい大人が相手を殺傷して平気な人だっていっぱいいるのである。

 当たり前のことだが、人間のからだはアニメやゲームのキャラクターのからだとは全く違う。そんなことさえも正しく理解できないまま成長してゆく人は、今でもいっぱいいるのではないか?
 また、医者自身のあり方についてもそうである。患者に対するセクハラ・ドクハラなどは言語道断だとしても、自身または自分の医院の利益のため、もしくは「対病気」という医療的視点に立ち過ぎるがために、その前にある「対人間」に対する治療だということを忘れてしまっている医者がいると新聞で見かけることもある。

 今回の「人体の不思議展」は、医療を提供する側、そして医療を提供される側も等しく、主催者の趣旨に共感するに値する展覧会なのではないかと思った。

カテゴリー: 美術展

投稿者 cyberpoet : 22:55 | コメント (0) | トラックバック (0)

2004年06月13日

印刷博物館「現代ブックデザイン考」で、デジタルコンテンツの未来を想う。

※旧「楽天広場」時代のブログより転載。

 昨日土曜日は、急遽お休みをいただき家でのんびりできた。その代わりというか、今日は朝から午後14時過ぎまで仕事。その足で、文京区小石川にある「印刷博物館」(凸版印刷株式会社)に行ってきた。

 私は最近では、ものすごく気の向いたときに少し本を読む程度になってしまったが、中学から大学時代にかけては読書が一番の趣味であった。今は仕事……(笑)?

 中学3年生のときに生まれて初めて神田・神保町で毎秋開催されている古本まつりに赴いたときは文字通り大きなカルチャーショックを受けたものであった。それ以来というもの、出不精な私を毎年足を向かわせる程の影響力を持っている。その「古本」だが、好きな人は好き、嫌いな人は嫌いだと思う。古本の魅力は、チェーン展開する大型古書店(リサイクルショップ?)が台頭したり、オークション人気に火がついた今となってはある程度薄らいでしまったのかもしれないが、非常に味のある本に出会えることだと思う。何がその味を醸し出しているかというと、まるで過去の宝物を包むかのようなパラフィン紙なのか、本を開いたときの独特の日向臭い匂いなのか人それぞれ感じる部分は違うと思うが、要素の一つに「装丁(幀)美」というものもあるかもしれない。book designルリュール(仏)、視点によって呼び方を変える人もいるかもしれない。いずれにしても、装丁は製本・印刷技術の極みと言えるかと思う。また、『別冊宝島』の表紙のオブジェを創ってきた人形作家野崎一人氏のように、「とにかく参加した本をできるだけ売りたい」という視点に立ったこだわりを装丁に表現するような方もいらっしゃるのである。

 私も先の古本好きや、好きな澁澤龍彦関連の影響もあって、堀内誠一、野中ユリ、まりのるうにいetc……といったような装丁作家が好きだったことがある。広義でアートディレクターとくくれば、『暮しの手帖』の花森安治氏や、マガジンハウスの発行物を多く手掛ける新谷雅弘氏、最近では戸田ツトム氏等も含む。

 本日立ち寄った現代ブックデザイン考では、そういった装丁デザインのいろいろを展示してあった。
 装丁の状態を擬態語でカテゴライズして、「スケスケ」「ふわふわ」「軽い」「でこぼこ」「穴あき」「きらきら、ピカピカ」などと本が分けられてあり、子供も楽しめるような仕掛けがあった。渦中の『バトル・ロワイヤル』の単行本もあった。

 私が目を留めたのは、自分のオススメ本として『タルホ事典』といったような著書も紹介してある稲垣足穂の本であった。
 それは、工作舎から刊行されていた『人間人形時代』という著書である。表紙に穴をあけた本はときどき見かけるが、この本はなんと、裏まで穴(直径7ミリ、杉浦康平氏作)が貫通してあるという凝り様で、今の時代にそうした本を出版するような出版社はもうないかもしれない。なぜかと言うに、最近では「良いものは良い、悪いものは悪い」と開きなおったかのように他社の良い企画に飛び乗り、食玩ブームも頭に入れてか、オリジナルグッズであるのかもしれないが、ポーチだ、傘だ、といかにお得感を出すためか知らないが、オマケが過剰過ぎる出版物も目立ち始め、もはや誌面を読ませたいのか、オマケを買わせたいのか区別のつかない雑誌も多く見かけるようになった。まるでちょうど一昔前、私の小学校時代に流行った「ビックリマンチョコレート」のシールだけを抜き取って、中身のお菓子を捨てるブルジョア少年のように、可愛らしいオマケのついた雑誌を複数冊買っては、書店の前のゴミ箱に雑誌を捨てて帰る読者までいると聞く。ハタから見れば本末転倒に見えるが、売る側にとってみれば、結果として良いこととされているのかもしれないが、過去に長い文化を持つ出版文化を考えると私にはどうも好きになれない。

 奇抜で目立つ、というのも確かに書物として重要なこ