2006年03月11日

PSE法(電気用品安全法)が奪う!? 中古楽器店の思い出

廃業する中古店も 広がるPSE法の波紋、集会で訴え(ITmedia News)
『電気用品安全法』で中古ゲーム機もアンプも買えなくなる!?(Ameba キャリア)

上記の記事に目を通した。対象となる電気用品の種類は、上記の記事の一つに目を通すと、平易に言えば以下のようになる。

4月1日より本格施行となる、『電気用品安全法』。法で定めた安全基準を満たした電化製品に『PSEマーク』を付けて製造・販売するよう義務づけるという法律だ。これにより、2001年以前に製造された冷蔵庫、洗濯機、オーディオ機器やゲーム機などの電化製品は、PSEマークがついていないものすべてについて販売できなくなってしまう。(中略)アンプやシンセサイザー、電源内蔵型ゲーム機など259品目は、今年3月31日に猶予期間が終了する。

しかし、ここでは主に記事のテーマとして採りあげられた中古楽器に絞って書いてみることにする。

資格や免許等の規制同様、国の定める○○マークというものは得てして、「(資格を持ったなら)責任は(国ではなく資格保持者が)取れ、手柄は俺のモノ」的(cf.映画『プロジェクトA』、「手柄はくれてやる、責任は俺が取る!」)な押し付けを大衆に強いているように見える。

同法の適用により、4月1日以降は対象商品をPSEマークなしで販売すれば販売者は罰せられるのだから、せめてPSEマークを付けていて事故が起こった際には国側は単なる免責などではなく、被害者への補償を約束して欲しいものである。

ところで、"中古楽器"と言って思い出すのは、私は中学から大学時代にかけて周囲の流行に便乗してバンドなぞを組んでいた時代のことである。印象強い中古楽器店と言えばやはり石橋楽器店をおいて他にはなく、新宿店に限って言えば、「ヤマハ・ポピュラー・ミュージック・スクール」が開講していた頃に足繁く通ったものだし、お茶の水店はまさに「神田カルチェラタン」ではないが、先の石橋楽器店やシモクラセカンドハンズで、学ラン姿で「いつか買うぞ!」と固く思っていたソルダーノの真空管アンプや、アレシスの「Alesis QuadraVerb2」を前に硬直しつつ、音楽講師よろしく売場担当のお兄さんがかき鳴らすメタラーなフィルインに見とれていた若かりし頃を思い出す。大学に進学したことで趣味のレパートリーが広がったり、就職活動を迎えるにあたり時間や経済的余裕が思うように取れなくなって急速に終息していった僕の中の音楽熱は、ずっと憧れていたスティーヴ・ルカサーモデルのヴァレイアーツのギターを購入したのち、まるでバブルがはじけたかのように燃え尽きることになるのだった――。結局それら憧れの中古楽器(音響機器)たちは、二度と私は手に入れる機会を得ぬまま今に至るのであった。

確かに法律は大切なものである。しかし大切なモノは他にもある。願わくばこの法律は、私たちを守るためのものであって、決して縛り付けるものにならないことを祈りたい。

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2005年01月27日

「サムライ魂でデパートを創れ!~近代百貨店誕生物語~」

 NHKで放映されていた「その時歴史が動いた」を見た。歴史が動くときには得てして誰それかの「決断」がある。どういった思いで事業に当たったのか――?時の経営者に少しでも学びたい気持ちで見入った。
 百貨店の歴史をさかのぼると、古くはロンドンやパリで行われた万国博覧会へとたどりつく。元来私はそうしたイベント・行事に興味があったため、純粋に面白そうな特集だとも思っていた。この日の特集は昨年の11月放映分の再放送であった。

 昨年の百貨店業界はと言えば、数年前からの不況で百貨店業界全体の売上が低迷し、多くの再編やリストラなどが行われる中、電車の中吊り広告で派手に宣伝されていた、「"デパートメントストア宣言"から100年」という三越百貨店のコピーが妙に感慨深い、そんな催事の広告を何気なく見入ったものだった。

 今日の主人公は、その三越の創始者・元会長、日比翁助(1860-1931)である。日比翁助はもともと三井銀行で働いていたが、ある日のこと、三越の前身である三井呉服店へと引き抜かれた。その目的こそが、当時経営が逼迫していた三井呉服店の再建だった。ところが近代化の進む明治中期以降の日本は、日清・日露戦争など緊迫した世界情勢の中に置かれており、時代は非情にもこうしたサービス業優勢ではなく、重工業に重きが置かれる風潮が自然と高まっていっていた。

 そうした時流の中で日比翁助率いる三井呉服店は、とうとう三井の傘下を離れることを余儀なくされるのであった。時は1904年、この番組の放映された100年前――、つまり先の「デパートメント宣言」がなされた年へ向かってゆく。

 慶應義塾在学時代に影響を受けた福沢諭吉の「"利"よりも"義"を重んじる」思想――、「士魂商才」の念(解説の方の言葉を借りて言えば、「公共」「社会」「人倫」「規範」「節度」といったような「武士道」というよりは「士道」と呼ぶに相応しいもの)を胸に、伝統あるイギリスの百貨店ハロッズを視察するために渡英した日比翁助は、そこから多くのことを学ぶこととなった。

 それは、解説の方が言っておられましたが、「公共空間の創造」「商品を選択できる主導権を消費者に」の実現であり、それは従来までの旧態依然とした日本の商習慣を画期的に覆すやり方だった。社会に貢献するデパートとして、戦後は未来を切り開いてゆく子供たちのために、児童博覧会の企画なども行ったそうである。

 また、社員教育に関しても全く新しい手法を導入したとあった。「持ち株会」の設置や、業績の3割を賞与還元するという「能力給」の導入である。こうした(百貨店に関する)有徳者による経営論、伝記・回想記は、以前私も読んだことがあった。

 ノードストローム・ウェイ 絶対にノーとは言わない百貨店』、『百貨店の誕生―都市文化の近代――。

 いずれにしても言えることだが、「お客様」にいかに良い気持ちでご利用いただくか。何も「お客様は神様」なんかではない。サービスを提供する側がいかに気持ち良くなるために、そこを利用するお客様を気持ち良くさせるか、なのである。パーティーや祝宴の席で主役を驚かせるようにして喜ばせる「サプライズ」の提供が、サービス精神の表れであるとするならば、お客様に喜んでもらう、しかも予想以上に、または驚く程喜んでもらう。それこそが「サービス」の本質であると思う。

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2005年01月09日

「個人情報保護法」施行直前!

 ついに今年4月から「個人情報保護法」が施行されることとなった。
既に同僚がセミナーに赴き、専属担当者の募集も行っているが、我々俗にIT関連企業に分類される、特に中小企業にとって元来これは大きな課題であった。

 もちろんIT系企業に限らず、業種問わずこの法律は適用され、罰則まで設けられている。もちろんそれ以前にモラル面における対個人への対策や、それ以前の会社として、運営サイトとしての姿勢や信頼にまで一般消費者の目が厳しくなることも想定される。

 ネット上にも既に多くの関連サイトが設けられ、IT関連のサイトで言えば、「個人情報ドットコム:個人情報保護法解説:WEB版法案解説」や、「経営広場 -IT実践塾 セキュリティ編」など他にも多くある。

 今までにも誰もが名を知る大企業でさえ、メールマガジン配信時における誤配信や、退職社員や派遣スタッフが会員情報を漏洩だとか、さらにそうした個人情報を悪用する人がいるだとか、頼れるものは自分のみ的な自己防衛礼賛のような風潮が高まる時世である。

 一般消費者から見れば遅きに過ぎる対応なのかもしれないが、企業にとってみればそれに割く人的リソースやノウハウ・実績の蓄積、かけるコスト等、中小企業にとっては特に今から一から準備するとなると大変なことである。

 総じて私の短絡な思考ではあるのだが、こうした法が施行される理由として思うのは、一つにオスカー・ワイルドが言うところの、犯罪と文明の追いかけっこのようなものがあると思う。

 私の小学校の頃の担任が言った言葉に思い出深いものがある。
学校の中の誰かが、放課後理科室へもぐりこみ、学校が大切にしてある標本にいたずらをしたことがあった。学校創立20年以上が経つその学校で、理科室や音楽室など、初めて鍵がかけられることになった。これは児童の安全に対する配慮もあったかもしれないのだが、担任は言う――。


「悪いコトをする人が増えてくればくるほど、その社会は正しく生活する人にとっても、住みにくく管理された社会になっていってしまう。これは非常に悲しく、嘆かわしいことである」


 ――今の犯罪のほとんどが、私の中では上記「理科室にもぐりこんでいたずらをする」という行為の発展型ではないか?と思っている。万引き、窃盗、詐欺、強盗、誘拐、放火、殺人etc……。これらの犯罪は決して複雑なものではない。ある種動物的な感情の推移であって、心に抱いた一抹の奸計が単にエスカレートしてきたものであるように思う。醜い私欲や妬みなどとごった混ぜになり増幅する悪の濫觴。これは文明と共に肥大化されてきたものである。文明向上への欲は、裏を返せば私欲を満たすための行動にもなる。

 私欲を生むのは差異である。差異を生むものは余剰である。論理の飛躍かもしれないが、余剰を埋めるものは犯罪か努力しかないのである。努力が惜しまれるような社会、それは報われにくい世の中で、努力がバカバカしく感じられるような嘲笑に値する世の中である。それは悪貨が良貨を駆逐するように、大多数の方向へ流れてゆく恐れを秘めている。

 そうした傾向を食い止めるものは、強力な規制か、自発的な努力しかない。私たちが望むものは決して前者ではないことを願っている。概ね社会は、我々が深層心理で願う方向へ進んできたという経緯を持っているのだ。

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2005年01月08日

地域住民による地域住民のための、安全なまちづくり施策

 今日深夜、NHK教育で放映されていた番組の中で、今までにも度々ニュース番組の中などで特集されてもきた、東京都杉並区や横浜市などにおける地域住民によるパトロールによって地域内犯罪が減ったケースを紹介していた。

 これをカラスの慎重な行動になぞらえて「カラス効果」と呼んでいるらしい。私は、こうした住民参加による意識の変化が犯罪を減らしてゆくという考え方に賛成である。これから犯罪を犯そうと思っている人間にとって恐いのは、警察でも裁判官でもない。犯罪現場を見て取り押さえられたり、大声をあげられたり、通報したりする一般多数の人なのである。

 最近でも奈良県少女誘拐殺人事件や、ドン・キホーテ放火事件などのような残虐な犯罪が絶えないが、その間にも空き巣やひったくり、振り込め詐欺なども横行したり、またある場所の統計では、1分間に1件の割合で車上荒らしが起こっているなど、現在の日本が犯罪大国であることを示すデータを放送していた。

 こうした事件が多発する中、今日の新聞の夕刊などにも、警察側で性犯罪前歴者の居住地などを把握できる制度を作ろうとしている動きなどが書かれていて、時世をよく表す記事だと感じた。

 ここまでの凶悪犯罪が急増するのは非常に危機的な状況だと思うが、先に挙げたような住民参加型の犯罪抑止のための動きは少なからず影響を与えてゆくだろうと思う。有名な「割窓理論(ブロークン・ウィンドウズ・セオリー)」というものもある(cf.『割れ窓理論による犯罪防止―コミュニティの安全をどう確保するか』)。

 「むしゃくしゃしていた」「他者に相手してもらえなかった」など、理解に苦しむ理由で人を簡単に殺せてしまう――まるで、アルベール・カミュの『異邦人』の主人公ムルソーのように「太陽がまぶしいから」と言ってアラビア人を射殺してしまう「不条理」とも似た、常人には決して理解の出来ない、そして許しがたい発作的な犯罪が多過ぎる世の中になったものだと思う。

 こうした犯罪者のほとんどが、そうした自己不満に陥るまでの自分の非を認めていない。そこまで鈍感な者たちであるから、法的に罰せられる段階に至ってもなかなか他者を受け入れることができず、何故か自身の行動が正当化されてゆくわけで、全ての犯罪者がというわけではないのだろうが、更正する前に刑期が終わり、出所後も同種の犯罪を繰り返すという図式が出来上がるのではないかと思う。精神鑑定と言うが、そもそも精神の健全な者が先のような犯罪を犯すとは到底思えない。

 他者と交わらない自己は、自分の幼少時代より引きずる妄想の念との対話のみに留まり、善悪の基準も分からないまま周囲にも押し付けるようになってゆくのではないか?

 犯罪者に対する人権問題も良いですが、それ以前に「安心して街を歩く」という、最低限の人権の保障だけはされてもよいのにと思う。

 まもなく「成人の日」である。例年「またバカが」と思わせる酒を飲んで暴れる者たちがいるが、今年こそは何か痛快なことを行動する若者たちが出ないかと密かに期待している。それは何かと言うと、いわゆる「村八分」である。成人を祝う気の毛頭ない少数派の連中を、式場から力ずくでも追い出す程の多数の若者たち――、そうした気概がいつの日か犯罪を減らす方向へ向かわせるきっかけとなるかもしれない。そう信じて動く人の数が多ければ多いほど、社会は良くなる。負の徒党があれば、正の徒党があっても良いのではないか。あまり正義感ぶるのは双方において危険な思想かもしれないが、この国には本来「和」と呼ばれるものがある。これは「輪」でもよいのだろうが、そうしたものを乱すことが良くないという意識が芽生えてくるだけでも、今までとは大分変わってくるだろうと思っている。

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2005年01月07日

岡本太郎命日に想う。

 1996年1月7日、芸術家、岡本太郎が84歳でこの世を去ってから、もう10年近くが経つ。
昨今若い人の間で氏の著作を読んだり、表参道の記念館や川崎の美術館を訪れる方が増えているようなことを聞くようになった。「太陽の塔」が大阪の万博に登場したのが1970年、今年愛知で開かれる万博は実に35年ぶりの万国博覧会となる。そうした社会的背景もあるのだろうか。

 私も以前、川崎の美術館に足を運んだことはあったが、「芸術は爆発だ」という語録が先走りしている氏の具体的な活動についてはあまり知ることがなかった。ただ、学生時代、卒業論文で澁澤龍彦を論じた際、埴谷雄高から「夜の会」へ、アバンギャルド芸術から花田清輝と、参考になるような本を渡り歩いていった結果、「今日の芸術はうまくあってはいけない。きれいであってはならない。ここちよくあってはならない」という、いわゆる「対極主義」の思想を知り、その思想に至るまでの氏の軌跡の中に、澁澤を論じる以上不可欠な要素、――すなわちシュルレアリスムを垣間見るのであった。ブルトンやエルンスト、バタイユらとの親交は、どうしても興味を惹くものであった。

 とは言え、芸術家岡本太郎の本質を知るには、まだまだ多くのことを知らな過ぎた。ご存知のように、常に革新的な芸術を追い求めた氏の軌跡は、冒頭に挙げた大阪万博のために制作したモニュメントもあれば、先の対極主義、抽象芸術・シュルレアリスム傾倒、東北や沖縄に関する民族学や縄文土器論、マルセル・モースに師事した人類学、そしてマスメディアへの進出等、活動が多岐に渡り過ぎていて、その一旦だけを知っても氏の言いたいことはなかなか伝わって来ない。つまり難解なのである。

 何となく分かっていることと言えば、東郷青児が会長を務めた二科会の脱会劇以降、常に何か漠としたものへの挑戦、何かとの闘いを続けてきた芸術家というイメージがあるくらいである。

 今私の手元にある資料といえば、1970年の万博を記念して発行された、『岡本太郎 EXPO'70 太陽の塔からのメッセージ』という図録くらいである。そこには、「人類の進歩と調和」という万博のテーマにおいて、プロデューサーとして抜擢された氏の思いが書かれてあったり、「太陽の塔」をはじめとした様々なモニュメントが掲載されている。

 「太陽の塔」建設当時、多くの知識人から疑問の声も多かったと聞く。それはまさしく氏の言うところの「ベラボーなもの」であったが、期間中に万博を訪れた6400万人の市民たちからは概ね快く迎えられたという。パリのエッフェル塔が初めて民衆の前に姿を現した1889年のパリ万国博覧会、フランス革命100周年を記念したモニュメントとして建てられたが、当時のパリでもその無機質な鉄塔に賛否を呼んだそうである。1964年に開催された東京オリンピックに続き、大阪万博開催の前年1969年には、アポロ11号による人類初の月面着陸に世界中が沸き、世界77ヶ国が参加したと言われる大阪万博を契機に、日本は世界の中の日本として諸外国からの文化を貪欲に吸収し始める時期を迎えることになる。

 芸術のエネルギーが、都市や交通をはじめとした産業を突き動かし、ハードが整ってきた後はソフトとしての人々の文化的志向が強まり、やがて芸術へと再び回帰してゆくような、そんな音もなく、時代が何か小さいけれども強い魂のような一点の概念によってゆっくり進んでゆくような動力の源は、まるで氏の言う「爆発」のようにも受け取れる。

 岡本太郎亡き今、「爆発」を誘引する火種はどこにくすぶっているだろうか?氏の命日に、改めてそんな思いに駆られるのであった。

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2004年11月14日

「人とロボットが共存」する2020年。ロボットはパソコンを超えて普及する!?

「ところが両派とも危険が迫っていることを見ようともしなかった。たとえ、<太平洋の宝石>がこなみじんになっても、けっしてゆずろうとはしなかったろう。」

/『動く人工島』(原題:「スクリュー島」)/ジュール・ヴェルヌ
~「右舷と左舷との争い」の章より抜粋。


 先日、上野の国立科学博物館に行ったときの感想を日記にも書いたが、そこでエピグラムとして引用した、カレル・チャペックの『ロボット(R.U.R.)』(ロッサム万有ロボット)について関連した内容になるのかもしれないが、今日は10日に発刊したフジサンケイビジネスアイの特集、『愛・地球博まであと5ヶ月 「プロトタイプロボット」が姿を現す!!』に目を通していた。

 「プロトタイプ」とは通常「試作品」を意味するが、新聞には愛知万博で紹介される予定のプロトタイプロボットの一覧が表組みで紹介されていた。人間の生活に密着した愛玩、あるいはコミュニケーション用ロボットから、医療・福祉に役立つと思われるロボット、また昨今のテロや地震などの時勢の関係か、汚染物質を発見・採取するテロ対策用ロボットや、倒壊家屋から人を助け出すレスキューロボットなどの紹介文が出ており、それらを目の当たりにできる愛知万博に対し、今から大変興味深い展示を期待してしまう。

 この「愛・地球博(愛知万博)」には以前より興味を持っているが、「万博」と聞いて思い出すのは、私の世代だと多分、85年の「つくば万博」だという人が多いのではないだろうか?

 人とロボットの共存を図ることによって、今よりも豊かで平和な日常が訪れるのかと思うと、今からワクワクしてしまう。後述するアイザック・アシモフが、かの「ロボット三原則」を唱えた1940年代初頭以降、日本でもそうした近未来の生活に思いを馳せたアニメが人気だったようである。

 手塚治虫の人気アニメ『鉄腕アトム』が生まれることになっていた2003年のときには、もちろんあそこまでの科学は発達していなかった。19世紀末にSF・冒険小説を書いていた作家が予言した20世紀末の人々のライフスタイルも同様にそこまでは発達しないものの、ある程度の予言は的中していたかもしれない。

■参考日記
まもなくあの「鉄腕アトム」が生まれます。

 鉄腕アトムは、主題歌の中で「こころ正し ラララ 科学の子」と歌われたように、人間の味方である。これはちょうど、先述のSF作家アイザック・アシモフが掲げた「ロボット工学における三大原則」、すなわち氏の代表作品には冒頭に書かれているが――、

一、ロボットは、人間に危害を加えてはいけない。
一、ロボットは、人間から与えられた命令に従服しなければならない。
一、ロボットは、前掲第一条および第二条に反する恐れのない限り、自己を守らなければならない。

――に適う人型ロボットだった。

 しかし、こうした定義はいつの時代もアンチテーゼを生み出し、野心を抱いた人間の奸計によって崩れ去るのが皮肉なことでもあった。これはアニメやゲーム、映画の世界ではおなじみの展開だが、現実の世界でも同じことなのかもしれない。

■参考日記
押井守監修『イノセンス』公開記念 「球体関節人形展」を見てきました!

■参考サイト
アイ,ロボット

 ところで、HONDAの「ASIMO」、私はてっきり先のアイザック・アシモフの名からネーミングしたものだと思っていたのだが、どうやら違うみたいである(参考サイト)。

 前にも書いたことがあったかもしれないが、今度の愛知万博のテーマには今の時代を反映して「IT」が主眼に置かれているそうで、今からとても楽しみで仕方がない。いつの日か、ロボットがパソコンを超え、もしかするとあらゆる面で人間を超える日が来るのかもしれない。そのときがきたら是非――、表現能力が足りずパラドクサルな意見となってしまうかもしれないが、限りある資源の搾取ではなくて、まさに冒頭で述べた「宝石」の如き豊かな自然を守ってゆくような科学へ利用されてゆくことを願いたい。

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2004年09月06日

追悼、ドイツ文学者・翻訳家、種村季弘氏

※1日出張に出ていたため7日の深夜に書いています。

 8月末~9月頭のあまりの忙しさのため、気が付かなかった――。

 先月29日、私の好きな作家に挙げさせていただいている種村季弘氏公認ページはコチラ)が胃がんのために亡くなられたとのニュースを見た。

 種村季弘氏の作品について、私はそれほどの愛書家ではないのだが、大学の卒業論文で澁澤龍彦の遺作小説を論じた際に、氏の言及については多くを引用したものだし、山師カリオストロの大冒険』や『化学の結婚(付・薔薇十字基本文書)などの著作に関しては、自分のオススメ本を紹介するブックレビューサイトでも紹介していたところだった。

 先の澁澤龍彦に関して言えば、種村季弘氏はまさに盟友とでも言えようか、澁澤龍彦の葬儀の際に出棺の辞を務め、最新の澁澤龍彦の全集(河出書房新社刊)では編集委員の一人も務めた方でもあった。澁澤龍彦と種村季弘氏の交友譚については、別著澁澤さん家で午後五時にお茶をに詳しい。

 ヨーロッパ、特にドイツ怪奇幻想系の異端派小説や黒魔術系の秘密結社、あるいは詐欺師に関する評論等、文学や美術、建築などに造詣の深い氏の作品はもう読めないのか……と哀しく思った。

 ここに慎んで哀悼の意を表します。

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2004年09月04日

「LOUIS VUITTON 150周年」 (雑誌『BRUTUS』より)

 最新号の「BRUTUS」の綴じ込み特集の中に、日本人に特に人気のあるブランド「ルイ・ヴィトン」の名を見かけた。なんと今年で創業150周年だそうである。

 本場フランスでの盛り上がりは分からないが、日本では昨日3日にリニューアルオープンした銀座並木通り店で150周年が祝われたそうである(「LOUIS VUITTON」公式サイト)。
 リニューアルにあたって店舗建築を手掛けたのは、あのルイ・ヴィトン表参道店>や、六本木ヒルズ店、それからニューヨーク5番街のショップの設計も手掛けたという青木淳氏だそうである。また公式サイトの中でも150周年を祝う専用ページが開設されていたし、先の「BRUTUS」の中では、日本の音楽界を代表する巨匠、坂本龍一氏が150周年を祝う曲を提供していることなどが書かれており、150周年という企業史の重みを感じた。
 
 それから、別のコミュニティサイト上のレビューで読んだ『私的ブランド論―ルイ・ヴィトンと出会って』という本を連想した。

 私自身もルイ・ヴィトン製品は、モノグラムのシリーズだが財布や名刺入れ、キーホルダーなど学生時代から何度か買い換えたりしたものもあったし、以前読んだ『ブランド帝国の素顔 LVMHモエ ヘネシー・ルイ ヴィトン』という本についてかつてレビューを書いたこともあった程、生産される商品に関しては自身の生活とは無縁ながらも、一私企業として見れば興味のある企業ではあった。

 伝統的な職人ブランドでありながら、昨今では以前にも増してメディアを中心に露出が増えてきているような気もする。この150年の歴史の中で殊携わったデザイナーだけ見ても、カール・ラガーフェルドをはじめ、ジル・サンダー、マーク・ジェイコブズetc……とそうそうたるメンバーである。デザイン、機能、丈夫さ、信頼性と何をとってもここまで支持の高いブランドは他に類を見ない。

 「BRUTUS」は2年程前にも一度、「ルイ・ヴィトンの謎?(2002年8月15日号)」という特集を組んでおり、このときは先に書いた表参道店がオープンする前の時期で、誌面のほぼ全編に渡ってルイ・ヴィトンについてが書かれていたもので、他に手元にある雑誌では、装丁が珍しかった2000年度刊行の「エスクァイア日本版 1月号増刊 All About LOUIS VUITTON ルイ・ヴィトンは好きですか。」がある。誌面ではルイ・ヴィトン製品の各ラインがビジネスやトラベルやタウンといった具合にシーン別にオススメのスタンダード商品が紹介されていて楽しめた。それから所有はしないが、あの高級雑誌VISIONAIREの第18号「FASHION SPECIAL」でも表紙を飾っている。

 150年を経てもマンネリ化するどころか、新たな価値観を付加しながら常に成長し続けるブランド。私自身はもう、こうしたブランド物を購入できるような力はないが(笑)、陰ながらルイ・ヴィトン150周年を祝うことにしようと思った。

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2004年08月05日

【訃報】 仏の写真家アンリ・カルティエ・ブレッソン氏死去。 ~「決定的瞬間」に対する思い~

 今日のヤフーニュースで知った。
ブレッソンは、日本でも人気の写真家ロバート・キャパとともに高名な写真家集団マグナム・フォトを結成したフランスの報道写真家。「決定的瞬間」という言葉の生みの親とも言われている。

 私自身は写真を仕事にしているわけでもないし、デジカメを初めて使い始めたのも、楽天広場の方で日記を書き始めてからのことだが、実は日記で写真家のことについて書くのは2回目となる。

 1回目は、今年1月26日に交通事故で亡くなられたヘルムート・ニュートン氏について書いたときである(「ヘルムート・ニュートン氏の事故死に黙祷を。」)。
 ヘルムート・ニュートン氏が『VOGUE』誌をはじめとしたファッション・広告業界の写真について撮っていたのに対し、ブレッソンは第2次世界大戦下のパリや、ベルリンの壁崩壊など、いわゆる歴史的事実を撮っている。

 なぜ私がこうした亡くなったカメラマンのことについて書くのか?自分でもよく分からないのだが、おそらくは普通に、画集やポストカードを見ていることが好きだったことが起因しているのかもしれないし、シュルレアリストたちが多く活躍した20世紀初頭のパリを中心に華やいだ独特な芸術運動にほんのうわべだけであるのかもしれないが、常々興味を抱いていてこうした著名なアーティストを好む傾向があるところから、単なるミーハー、もしくはスノビストだと自覚している部分もある。

 あるいは全く別の経験から来ているものもあるのかもしれない。小学6年生の頃、1年間だけ夏休みや冬休みまで全て返上して進学塾に通っていたことがあった。国語の授業の際、どこかの中学校の入試問題がいつものように「演習」として配布されたものだったが、その中に画家だか写真家の精神状態を綴った文章があり、そこに「決定的瞬間」という言葉が含まれていて、それが文脈から何を指すか?といったような記述問題があり、出典の書名は忘れてしまったのだが(ブレッソンの話ではないかもしれないが)、どうにも「決定的瞬間」という、言わば「切り取られた歴史の断面」のような表現を好むようになってしまい、それ以降書くことになる作文などで頻繁に流用していた思い出がある。

 それから、この時代のアーティストたちの交流は素人目に見れば、まるでロートレアモン(イジドール・デュカス)の言葉で言うところの「ミシンと洋傘との手術台のうえの、不意の出逢い(『マルドロールの歌』)」のような蠢惑的な邂逅であって、後述のマン・レイとキキ、マン・レイとブランクーシ、フジタとケルテス、ケルテスとブラッサイ、ブラッサイとピカソ、ピカソとドラ・マール、ミュシャとサラ・ベルナール、コクトーとシャネル、アポリネールとローランサン、バルテュスと節子夫人、サルトルとボーヴォワール、ブレッソンとサルトル――、といったようなどんな因果か知らないが、たとえば「アフリカ芸術」を先の「手術台」に見立て、画家や写真家、作家や思想家など偉大なアーティストたちの職種を越えた不意の出逢いを想像していると、何だか楽しくてワクワク・ゾクゾクしてくる感じがするのである。

 この「アフリカ芸術」。私は詳しくは知らないのだが、ピカソがその影響を受けていたことがあったのは有名である。そのことを論じたマルセル・デュシャンロクス・ソルス』や『アフリカの印象で熱帯夜に伴う幻覚症状のような奇想天外な夢物語を表現したレーモン・ルーセル、そんな神秘的なアフリカを『幻のアフリカ』で語ったミシェル・レリス、モデルのか細さに根源を見るモディリアーニの絵画、先日六本木ヒルズの森美術館に見に行った「MoMA ニューヨーク近代美術館展」の中でひときわ異彩を放っていたアルベルト・ジャコメッティやコンスタンティン・ブランクーシなどの抽象的な作品群、ジャコメッティを詩ったモーリス・ブランショ、ブランクーシに師事したイサム・ノグチetc……、何かあの太古の時代より変わらぬように見える「アフリカ芸術」こそがアバンギャルドであると言わんばかりに、実は20世紀芸術の根底に横たわっているのではないか?といったような錯覚に陥らされるような感じがするのである。
 それから個人的に、別の繋がりから言えば、ブレッソンの亡くなられた本日8月5日は、私の好きな澁澤龍彦の命日でもあった。

 今、改めて本棚に入った様々な写真家の写真集を手に取って、何某かの思いに浸って見返したい気持ちである。昔、東京都写真美術館で買い求めたオムニバスの写真集や、ブレッソンの作品の掲載されている写真集、マン・レイやウジェーヌ・アジェやブラッサイ、ロベール・ドアノー、土門拳、細江英公、森山大道、果てはクリフォード・コフィンまで、普段は眠ったままになりがちな写真集ばかりなのだが、今日に限っては珍しくそのありとある歴史の群像をさらけ出した「決定的瞬間」が刻まれた作品群は、一歴史の傍観者たる私の目を奪って止まないのだった――、合掌。

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2004年01月26日

ヘルムート・ニュートン氏の事故死に黙祷を。

 ファッション広告界に君臨した女性のヌード写真家の巨匠、ヘルムート・ニュートン氏が交通事故で亡くなられたという訃報をニュースで見た。

 私は格別写真やファッションに興味があるわけではないが、結構ミーハーだった時代もあり、機会があればその手の展覧会などへ出かけたことがあったので、このニュースの記事にしばし見入った。
 2000年以降だけでも東京や大阪で氏の展覧会が催されたことがあったが、あいにく私はその展覧会へは行かずじまいだった。ヘルムート・ニュートンと言えば、なぜだかファッションに疎い私のような者でもその名に聞き覚えがあるものだ。

 ネット上で有名なファッション情報サイト、「週刊ファッション情報」や、「ファショコン通信」などで調べてもその名を見つけることができる。

 写真家である氏の携わった仕事の中には、あの「ヴォーグ」誌もあった。「ヴォーグ」誌は、誰もが知るファッション誌である。
 私も学生時代に、かの『ミラベラ誌』を発刊した現代アメリカのキャリア・ウーマン、グレース・ミラベラさんの書いた『ヴォーグで見たヴォーグ』を読んだことがあった。このミラベラ女史も、著作の冒頭にある謝辞の部分で、"ヘルムート・ニュートン"の名を挙げ敬意を表している。

 この辺の、いわゆるファッション、モード、ヌード、肖像写真、それからちょっとエロティックな作風の写真家とくれば、日本で言えばアラーキー(荒木経惟)が有名だが、外国人で挙げるとするならば、私が今挙げられる限りでは、古くはマン・レイや、ロバート・メイプルソープ、セシル・ビートン、クリフォード・コフィン、最近の新進気鋭の写真家ということであれば、ヴォーグ誌繋がりで、雑誌『STUDIO VOICE』においてかつて特集も組まれたことのあるイギリスのショーン・エリスなどがいるし、変わった路線で言えば、フェンディ、シャネルと渡り歩いたファッションデザイナー、カール・ラガーフェルドなどがそうだろう。カール・ラガーフェルドは、自らがデザインを手がけるブランドで広告写真を撮っていたと言われる。

 このうちマン・レイに関しては、1996年に東京駅にある東京ステーションギャラリーで開催された「マン・レイ写真展 1917~75」、2002年には渋谷東急文化村で開催された「マン・レイ写真展」を、クリフォード・コフィンについては、2000年に新宿伊勢丹美術館で開催された「クリフォード・コフィン写真展」を、その他ファッション系の展覧会と広義でいけば、1999年渋谷文化村の「パリ・モードの舞台裏」展、1998年新宿伊勢丹美術館の「アニエスベー エトセトラ」展、同年新宿三越美術館での「ポール・スミス トゥルー・ブリット」展、変り種でいけば、初期「アンアン(雑誌)」のアート・ディレクターを務めた堀内誠一氏の「雑誌と絵本の世界展」(平塚市美術館,1999年)などへ足を運んだが、いずれも興味深く観覧することが出来た展覧会だったと思う。

 これら近代写真史の中においても、輝かしく、かつセンセーショナルな業績を残したと言われるヘルムート・ニュートン氏のファンは日本人にも多いと言われている。今回の訃報に、その死を惜しむ声なども多かったのではないだろうか。

 ファッションの中心地・発祥の地とも言うべきフランスの風俗史を分かりやすく伝える鹿島茂氏の著作の中に、ベンヤミンやフロイト、マルクスの思想に触れた"モードと肉体"という項を書いたものがあった。

 解釈は違うが、そこで語られている上部構造と下部構造を、ファッション(モード)とヌード(肉体)に仮に分けて考えてみる。日々生きて、活動を続ける生身の身体に常に密着して、ファッションは肉体のそうした夢(生)の続きを演じ続けるという役割を担わなければならないのだと思うし、逆に考えれば、かつて読んだ上野千鶴子女史の『スカートの下の劇場』というトンデモ本で語られる女性の下着のように、「今まで隠されていた部分」に凝ったり、転じて露出することで新たな「美」の感覚を世に送り出し、やがてファッションの最先端で迎合されたという意味でも、ヘルムート・ニュートン氏の業績は大きいと言えるだろう。

 その名はもはや「ブランド」の冠を抱いたまま、少なからずファッション、広告写真史に永遠に残り続けることだろう。冒頭で書いた「ヘルムート・ニュートン展」(追悼展)が再度開かれることになれば、今度こそ私はその会場に足を運びたいと思っている。

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2004年01月24日

街角考現学・第7部 「信じる者は救われる?それとも騙される?」

 今日のヤフーニュースに、あの「オレオレ詐欺」についてのトピックがあった。
 騙される方はご高齢の方が多いので、安易に「何でこんなことで騙されるの?」と思ってしまうのも良くないと思うのだが、それにしても高齢者の方を騙すなんてひどい事件である。

 私は今までにそんな大きく騙されたという記憶はない。もしかしたら、結果として騙されていたこともあったかもしれない。本人が気がつかないだけで。変な言い方だが、「成功した騙し」というのはこういうことなのかもしれない。

 いろいろと浮き沈みの激しいサラリーマンゆえ、雑誌やWEBでもときどきカンフル剤のように見る『プレジデント』に、「職場の心理学」というコーナーがある。その中に「詐欺商法」について書かれたものがあったので読んでみた。

 言われてみれば、最近はつとに詐欺系の事件が多い気もする。私が度々引用する、好きな作家オスカー・ワイルドの言葉に、「犯罪と文明との間には、本質的な不つり合いはない」というものがある。ネットオークション詐欺や、キーロガー系のソフトでクレジットカード番号や個人情報を盗み取ったりなどのサイバーテロが横行するような現世にあって、その間を縫うように原始的な犯罪(痴漢やスリ等)が再び増え始めたような感もある。

 「詐欺」と聞くと、私の場合、自分の好きな作家でもある種村季弘氏の著作を連想してしまう。学生時代、詐欺をテーマとした氏の数ある著作の中で『山師カリオストロの大冒険』というものを読んだことがあったが、その中の挿話の一つに、史実を元にしたあの「王妃の頸飾り事件」について書かれた項があり、随分と興味深く読んだものだった。
 宝石商のベーマーという人が、まるで後年になってギロチンで首を刎ねられることとなるマリー・アントワネットを予想していたかのように、曰く付きの多数のダイヤモンドをあしらった問題の首飾りを、一刻も早く彼女の首に飾ろうと売り込みを焦ったと言われる世界最大・最高級の首飾りを巡る史実。一昨年には『マリー・アントワネットの首飾り』と題して日本でも映画上映されたようで、私は見ていないのだが、かのゲーテをして「革命の幕開けであった」と言わしめ、現代でも世界の犯罪史上の中で大いに謎を残す一大事件として研究されているらしい。

 もちろん、今回挙げた「オレオレ詐欺」のような類は、スケールから犯罪者自身まで、一個人的なものではあるのかもしれないが、各地で一斉に発生しているようなニュースが伝わってくるに、日本の経済不安もいくところまでいってしまったのではないか?と思えてきてならない。

 作家や知識人の中では、人によって「騙される方が悪い」という方もいるようだ。いくら巧妙な手口とは言っても、大抵は「欲」が絡んでいる場合が多いと考えるからだそうだ。全部が全部そうではないと思うし、私としては「良心を逆手にとった詐欺」については通常の詐欺事件とは差別化して罪状を重くするべきだと考える。

 ところで「欲」というところでは、極個人的には「宗教」も連想する。「宗教」を巡るトラブルは今も昔も絶えることがない。これは個人間でも国家間においてもやである。むしろ、「マスコミ VS 宗教」戦争のようなものまで繰り広げられるような昨今。その手の関連本も多く発刊されている。

 これには異論・反論あると思うが、私が想像している「宗教」というものには、大体にして「欲」が絡んでいるように思えてならない。もちろん専門的なことは分からないが、「幸せになりたい」「幸せにしてあげたい」「意中の人と結ばれたい」「健康になりたい」「血をきれいにしてあげたい」「痩せたい」「金持ちになりたい」「頭が良くなりたい」「良い人になりたい」「運気を強くしたい」「平和な世の中にしたい」「人の上に立ちたい」etc……。全部「~したい」。しかも「出来るだけ最小限の努力」で。これは「欲」とは違うのか――。こうしてみると、これらの欲の解消のために宗教の扉を叩いてしまう人は、一般の生活者よりもむしろ短絡的、かつ欲深い人種のようにも思えてきてならない。

 確かに、ほとんどの人がみんなお金は欲しいですよね?
現に、金銭的な犯罪の代表格である「脱税・所得隠し」に関しては、政治家や芸能人、芸能事務所、医者、風俗etc……と、およそ"金の集まるところに脱税有り!"というくらいに、現代における暗黙の了解の如く、今もなお繰り返し行われている「犯罪」である。この「脱税・所得隠し」で言えば、先のワースト職種に負けじとも劣らない摘発数の多い職種が実は「宗教法人」であったりするという統計もあるそうで。こういうことは「見て見ぬふりがベスト」と皆知っているだけに囁かれる現代の代表的タブーだとは思うのだが、いずれにしてもそういった行為を取り締まる"法律"がある以上、事実として「違法」であることに変わりはないだろう。

 以上のことから、結局、「信じる者は救われる?それとも騙される?」という、内から沸き起こる密かな疑問について、賢明かつ妥当な意見があるとすれば、「疑うばかりは良くないけど、信じるばかりも良くないです」といったような半端な世相という感じだろうか?

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2004年01月07日

フィリップ・スタルクとバカラのコラボレーション

 ときどき購読していた雑誌に「ELLE DECO」というものがある。一昨年の東京デザイナーズウィークの際に、多くのブティックやインテリアショップの建ち並ぶブランドストリート、青山-表参道を一人散歩したものだったが、その際に「ELLE DECO」も特設ブースを設けてあったので、雑誌を手にとってはじろじろと読んだものだった。
 その関係でか、やはりときどき、エル・オンラインというサイトを見ることがあるのだが、その中の佐藤絵子さんのエッセイの中に、パリにあるバカラの旗艦店の場所が移ったというニュースを知った。

 バカラというと、結婚式の引き出物とかで芸能人の人が配ることがあるという話を聞き、実際どんなものなんだろう?とか思っていたときに、先日お客様のところで、結構大きなクリスタルグラスを発見し、「これがバカラかぁ~!」とその輝きに驚嘆したので、興味を持って読んだ。

 旗艦店は元々詩人のノアイユ夫人という方が住まわれていた館をリニューアルしたもののようで、リニューアルは、あのフィリップ・スタルクが担当したとのことだった。

 高級インテリアに関しては私とは無縁の代物だが、スタルクの名は愛読誌「BRUTUS」を通して、名だけは聞いていた。浅草のアサヒビール本社の有名な金の炎のモニュメント「フラムドール」をデザインした人で、BRUTUSでは、既にミッドセンチュリーを代表する(チャールズ&)レイ・イームズや、昨今人気の北欧のデザイナー、アルネ・ヤコブセンやアルヴァ・アールト、日本でも展覧会の開催等で再び脚光を浴び始めている柳宗理やイサム・ノグチなどと並んで何度か特集が組まれている。

 今回の件で知ったことだが、スタルクは元々、ピエール・カルダンで仕事をしていたことがあるそうで、ピエール・カルダンで連想するのは、LVMH(の合併前の前身企業)が起こった最大のきっかけとなった、フランスを代表するデザイナー、クリスチャン・ディオールの愛弟子ということ。フランスの伝統デザインについてはよく知らないので無責任な発言になるかと思うが、後で述べるバカラ社とスタルクとのコラボレーションは、フランスデザイン界における本流とも感じる。

 調べてゆくと面白い関連事項もあり、今年2004年度はバカラ社創設240周年の年でもある。バカラ社が起こってまもなくの頃、当時最大のライバルであったボヘミアのガラス技術に唯一対抗し得るブランドとして、銀食器・カトラリー界を代表するクリストフル社と肩を並べる企業となった。

 この2社に関しては、『絶景、パリ万国博覧会 サン・シモンの鉄の夢』(鹿島茂著)に詳しく書いてあり、当時意外にも熱心に読んでしまったこともあって、両者の輝かしい歴史の一端は頭の中にイメージとして残っている。

 このバカラ社のクリスタル・ガラス製品が、なぜに日本で人気があるのかその経緯は知らないが、先の本の中では、1855年のフランス初の万国博覧会、そして日本が初めて参加した1867年の第2回パリ万国博覧会、1878年の第3回パリ万国博覧会において、毎回金賞やら大賞を受賞した企業だと紹介されていて、当時のバカラ社のブースをレポートした人が言った言葉が書かれてあったので引用してみると――、「最初、バカラの展示コーナーを見たとき、それはひとつの眩い輝きのように見える。無数の輝きの渦がそこからほとばしり、トパーズ、ルビー、エメラルド、サファイヤなどの鮮やかなあらゆる色彩がきらめく花火としか映らない」――というもので、絶賛している。その光景を想像してみるだけでも、さぞかし壮観な眺めであったのだろうと思われる。もしかしたら、今の日本で暗黙の支持があるのは、そうした歴史的・伝統的な背景があるのかもしれない。

 そのような万国(世界中)のありとある素晴らしい技術を持った工房や企業が出展し、世界中の多くの人に産業革命の最先端を披露することで、既に美術においては世界を一歩リードしていたパリ(ヴェルサイユ)に大きなきっかけを与えることになったのは、1851年にロンドンで開かれた世界初の万国博覧会であった。

 ロンドン万博の話になると話が変わっていってしまうので元に戻すが、あの世界を相手にした万博の会場で、訪問者の目を一気に集めたガラス工芸品としての極地であったバカラ社のクリスタルガラス製品。そんなフランスの産業を代表する伝統企業と組んだ、21世紀を代表する最先端デザイナー、スタルクの、今後も積極的に行われるだろうコラボレーション作品には目が離せないという人が増えるだろうと思われる。

 これを機に、バカラ社の新しいムーブメントが起こる可能性もある。世界のデザイナーの多くは、日本の伝統文化の中には素晴らしい要素がたくさんあるのにとてももったいないような扱いを受けている、と指摘するが、私たちの想像する典型的な日本的文化はむしろ勢いがないようにも感じられる。
 このことは日本にも近くこうした勢いのなくなった伝統文化を、再び世界を震撼させるような近代的なデザインへと昇華させるような――、例えば村上隆氏などのようなデザイナーが多く現れる兆候なのかもしれない。

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2003年09月14日

レニ・リーフェンシュタール女史死去

 9月8日午後10:50、20世紀に活躍したレニ・リーフェンシュタール女史(独)が永眠した。享年101歳。あの激動の20世紀を、ほぼ丸々生き抜いた計算になる。

 レニ・リーフェンシュタールと言えば、映画女優、映画監督、写真家、ダンサー、ダイバー、スキーヤー、クライマーとして、多芸多才振りを見せた一方で、「ナチス協力者」、「ヒトラーの愛人」とまで言われ、裕福な家の出とは言え、その時代にあっては決して恵まれた環境にいたというわけでもなかった。

 私が初めて女史を知ることになるのは、高校1年の頃。当時私はジャン・コクトーに興味があって、著書をあさったり、関連する展覧会へ足を運んだりしていたものだった。ちょうどその頃は、何故か渋谷でビル清掃のアルバイトを1年半程やっていたもので、放課後は毎日渋谷で下車していた。アルバイトが始まるまでの暇つぶしに最適な古本屋を見つけその後足しげく通うことになるのだが、その古本屋で何となしに目をひいた、レニ・リーフェンシュタールの回想』(椛島則子訳/文藝春秋)という自伝を手に取ったのが女史を知ったきっかけだった。

※実は女史は、91年の『回想』出版時に来日されていたとのことで、渋谷の東急文化村では「レニ展」が開催されたようです。今になって、行っておかなかったことが悔やまれる。

 当時の私にとっては、『回想(上・下)』がハードカバー上下巻合わせて4600円という金額がどうしても高く感じられ、少しだけ安く売られていたので、その古本屋で買うことにした。そのとき、正直に言えば女史のことは全く知らなかったに等しかったのだが、自叙伝で語られる舞台や時代背景、そしてその多芸多才振りや、幅広い交友関係の中に、ジャン・コクトーのそれらを垣間見たような気がして購入する衝動を抑えられなかったものだった。

 先日の新聞にも、訳者である椛島則子さんの追悼文が掲載されていた。私は女史の有名な映画は未だ見たことがないが、奇しくも8月23日からは、渋谷シネセゾンで女史のアンダー・ワンダー・ウォーター 原色の海』と『アフリカへの想いが上映されていたと聞き、少なからず興味を抱かざるを得ないのであった。

 改めて『回想』に目を通そうかと思う夜である。追悼……。

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2003年07月21日

『ハーメルンの笛吹き男』に見る誘拐犯の心理と社会の病理

※旧「楽天広場」時代のブログより転載。

 先日の「小6女児監禁事件」はひどい事件であった。
同じくらいの年の子を持つ親の方は、もう心配で子供だけで繁華街に遊びに行かせたくないと思った人も少なくない筈である。

 容疑者は普通の仕事で生計を立てていた人ではないようだが、それにしても生計が成り立つということは、それを支えている"消費者(賛同者)"が存在するということで、悲しいことに、ともすると容疑者以上に異常心理に興味を持つ"予備軍"が他にもまだいっぱいいるということを示しているような気がしてならない。その辺の"現実"を、社会はもっと自覚し、次の備えを急ぐべきである。

 あまりニュースを見てないので、詳細は分からないのだが、一体どんな風に連れ去られたのだろうか?
私の時代でさえ小さい時から学校などで、「お菓子をくれるとか言われても、知らない人には絶対に付いていかないように!」と言われ続けていたものである。

 この事件とはあまり関係がないと思うが、ふと思い出した話があったので書くことにする。昔何かで読んだ、『ハーメルンの笛吹き男』という童話をご存知だろうか?

 グリム兄弟が収集した民話の中にある童話である。今手元に、昔読んだハーメルンの笛吹き男 伝説とその世界』/阿部謹也(筑摩書房)と、ドイツ文学者の高橋健二氏監修の図録メルヒェン街道物語があったので、それらを見返しながらいろいろ思った。

 余談となるが、今では私は絵本や童話はもちろんのこと、本すらもろくに読まなくなったが、幼少時代に読んだ、ごんぎつね手ぶくろを買いになどの影響があったのか、一時期童話系の物語に興味を持った時期があった。

 中学に上がってからは、愛読書に新潮社刊のシェイクスピアやドストエフスキーなどが入ってくるのだが、同時期にオスカー・ワイルドの作品を好きになった。そこから道を踏み外したのか(笑)、ユイスマンス、ヴェルヌ、ウェルズ等、19世紀末から20世紀初頭にかけての英米・ヨーロッパ文学、とりわけ幻想文学やSF小説に興味を持ってゆくようになる。

 また高校生になって澁澤龍彦を知り、先の高橋健二氏の訳で楽しんだゲーテ(ファースト博士について等)や、その他ユイスマンス、ヴェルヌ、ネルヴァル、それから吸血鬼・魔女伝説や錬金術、ゴーレムや人造人間、サイボーグ、ロボット、ヒューマノイド、自動機械人形(オートマタ)、ホムンクルス、その他ボルヘスなどが集めた幻獣系と読みすすめるうち、どうしても彼らのことと並行して、俗に「秘密結社」と呼ばれる集団との関係を調べなくてはならなくなり、またそれらの神秘思想などが、コリン・ウィルソンエリファス・レヴィ、イエーツのような隠秘学者(オカルティスト)・実践魔術系の人が言ったことにしろ、エリアーデのような宗教学者が言及したものにしろ、シュタイナーのような人智学者が唱える思想にしろ、フロイト、ユング、ショーペンハウアーといった心理学者・哲学者の説にしろ、アタナシウス・キルヒャーパラケルススといったような医学者・錬金術師のエピソードにしろ、シュレンク・ノッチングブルーノ・グレーニングのような謎に包まれた人物がもたらす奇蹟にしろ、ラブクラフトの神話中に語られる恐怖体験、ジェームズ・チャーチワードブラヴァツキー夫人が描いたムー大陸やレムリア大陸の様相であるとか、ガリレオレオナルド・ダ・ヴィンチのような天文学者・発明家の功績にしろ、スウェーデンボルグのような科学者が書いたものにしろ、カサノヴァカリオストロ伯爵サンジェルマン伯爵といったペテン師ともとれるような秘密結社の中心人物が遺した伝説の数々などが、昨今の多くの新興宗教団体やセクト(またはカルト集団)の集団催眠等の手口や根幹思想にもなり得るようなことをニュースなどで垣間見ることになった時期とも重なったものであった。

 高校生当時、私が人生の中で唯一、某出版社主催の公募に佳作当選した懸賞作文があった。倉橋由美子女史の作品に興味を持ち、シルヴァスタインの、ぼくを探しにという有名な絵本があるが、その話を意図的に引用し、「○○のカケラ」を探すために、現実社会の様々な現場に取材をし、社会の必要悪を発見してしまって動揺する子供を主人公とした風刺童話を書いたものだった。

 また大学にあがってからは、先のグリム童話が、他の有名なアンデルセンの創作童話などと違って、グリム兄弟によって集められた民話集的な成り立ちを背景にしている点で、フランス文学風に言えば"コント(小咄)"についてを調べたり、果ては月刊MOEを読んだり、宮沢賢治、柳田國男系の東北文学や民俗学の系譜について、極一部についてだとしても少しはかじらねば卒論を書くことが不可能であった。その影響で童謡や挿絵画家などについても読むことになるのだが、その過程の中に、先の『ハーメルンの笛吹き男』があった。

 この有名な話は、まだら模様の服を着た男がドイツのハーメルンという都市を訪れた際、当時その街で困っていた鼠の大量発生をどうにしかして欲しいと頼まれ、男がそれを果たしたのにも関わらず見合った報酬が支払われなかったため、今度は鼠退治に用いた笛を吹きながら子供たち約130名を連れ去り失踪したというものである。この時点で何となく象徴的な話のようにも思われてくるが、この童話がある意味で全世界的に有名となったことの理由に、実際の史実を元に作られた童話であるということがよく言われる。今でもハーメルンでは5月から9月までの毎日曜日に、街をあげてこの童話をモチーフにした無料野外劇が行われていると聞く。

 1284年6月26日、ハーメルンの街から子供たち約130名が忽然と消えた――。

 この話には諸説があるようだが、どうやら事実ではあるようである。また、それらの諸説を無視した童話の読み方によっては、自身を裏切った社会への復讐劇だとも見てとれまいか。

 この話をむやみに昨今の幼児誘拐や殺人事件にあてはめるのも、犯罪心理学の正当性を守るためにもどうかと思うが、ハーメルンの笛吹き男に連れ去られながらも、無事に家に戻った子供のうちの二人は盲目と唖の子供であったという。笛吹き男の巧みな仕草や、魅力的な笛の音を受け入れることのなかった子供たちが助かることになっているのである。

 結局私が問題ではないのか?と思ったことは、よく巷で「情報操作」と言われる部分かもしれない。これは何も超特ダネ的な話というわけでなくても、テレビなどで発言する芸能人や専門家などコメンテーターの方や、新聞や週刊誌の記者の方にも言えることなのかもしれない。
 ときどき「テレビに出ている学者は芸能人だ」と揶揄される方がいる。誰もがそうというわけではないと思うのだが、フリーで活躍している専門家、もしくは公的な立場にいる専門家でも自身の名前を広めたいと思っている専門家や学者は、基本的には自分の専門下のことで確証のある事実しか述べないとされるが、インタビュアーの質問内容や、媒体側の見えない圧力(今後の仕事の振り方等)などによっては、事実と異なるとまではいかなくとも、例えば「その辺については私は存じ上げません」ばかり言っていたのでは仕事にならないので、「私は~思います」的な婉曲表現で、憶測について話す専門家の方もいるかと思う。それを媒体側は、「専門家の○○さんもそう言っているくらいですからね~」と誇大表現するものだから、誤った見解による伝言ゲームは誤った認識下で視聴する視聴者や読者を似非学者たらしめてしまうことにも繋がったりしないか?ということである。

 たとえそこに、意図的な「情報操作」の意思がなくても、視聴者や読者は他の様々なメディア(インターネットなど)を用いて、あらゆる新しいメディアに焼き直しを図る。それが単なる焼き直しで留まればよいのだが、直感的な私情や根も葉もない憶測、果ては捏造や煽動などとあいまって、「架空の犯罪者(事実とは異なる犯人像)」を作り上げてしまうことも問題を大きくしかねない。

 昨今話題となった少年犯罪においても、インターネット上の老舗巨大掲示板が発端となった。人権問題について最も厳しく追及している投稿者自身が、実は最も人権侵害をしている張本人となってしまっていることもある。それもちゃんと保護者である親のいる環境下で行われてしまっているという事実がある。「うちの子に限って……」とワイドショーを見たり、週刊誌のページをめくっている間に、自身の子供がインターネットを使って犯罪(インターネット上での規制が設けられれば)に手をそめているということもあり得るかもしれない。

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2003年07月07日

「追悼もまた文学なり」/嵐山 光三郎 ――「ことば」を残す作家たち

 先日、某全国紙の記事の中で、ふと目をひいたものがあったので書くことにする。
今年5月に亡くなられた、作家の堤幸子さんに関する記事だった。「堤幸子」と聞くと聞きなれない名前だったが、その記事のそばに大きな活字で「桐生操」とあったので思い出した。

世界悪女大全』や『本当は恐ろしいグリム童話』などのベストセラーを生み出した、作家の共同ペンネームである。先の記事とは堤さんの共同執筆者である、上田加代子さんのインタビューを交えた記事である。

 実際、私はまだ著作を読んだことはない。大学の卒業論文で澁澤龍彦氏のことを書いたことがあったが、当時は河出書房新社から氏の全集(再編集版)が出るとかで、随分と河出書房新社の出版物をさらったものであった。そこで「桐生操」の名前を見つけ、参考文献にしようとも考えたものだったが、結局読まず終いであった。

 最近では、この手のジャンルは根強いファンが多いのかと思うが、古くは池田理代子さんから、藤本ひとみさんまで、中世のヨーロッパや歴史、異端性を題材とした内容というのは――、先の澁澤龍彦リング?と勝手に言うと語弊もあろうが、女性を中心に特にファンが多いような気がする。

 実はこの日記で、過去にも文学者が亡くなられたことを書いている。矢川澄子さんや、山本夏彦氏、窪田般彌氏と、私自身も著作を数冊所持し、かねてより興味を抱いていた作家が亡くなられた。実は、堤幸子さんの後には岸田理生さんも亡くなられている。岸田理生さんと言えば、元寺山修司の演劇実験室「天井桟敷」のメンバーで、後年劇作家になられた方だった。私は演劇は知らないが、2003年はその寺山修司の没後20年、堤幸子さんや澁澤龍彦年表?で言えば、シャルル・ペロー没後300年の年にあたる。

 さらに、数年前に興味を持って読んだ安原顕さんの評伝があったが、元「マリ・クレール」や「GQ」、「リテレール」などの編集長、副編集長を務めた安原顕さんも、まだ60代の若さでお亡くなりになっている。

 ここ1、2年は、先の日記のリンク先で書いた方以外にも、私の知るところでは、三枝和子さん、黒岩重吾さん、生島治郎さん、宮脇俊三さんなどがお亡くなりになられている。

 これらの訃報については、文壇や出版界でどのくらいの波紋を呼んでいるのかは私の知る由もないのだが、少なくとも現世から二度と、先の偉大な方々が生み出すような言葉は生まれないことだろう。
 確かに各文学賞の選考委員の方も、年々世代交代をされているので、流行的には変遷もあることだろう。また既出のものより、より良く出来た文学も生まれるかもしれない。

 そこで、ふと思い出した言葉がある――。
先にも話題に挙げた澁澤龍彦氏の言葉である。私は氏の最後の小説『高丘親王航海記』を卒論で採り上げたが、これは読まれた方なら分かるかと思うが、"裏のストーリー"が本当に哀しい内容なのである。小説の内容が、というより作家の病床時に書かれた小説で、まるで死を予期したかのような予言めいた言葉を、読者は小説のあちらこちらに垣間見ることになるのである。

 偉大な作家が後年抱いた死生観のようなものが文章に表れている。なかでも途中、人の言葉を話すジュゴンが登場するが、そのジュゴンのセリフ、「――おれはことばといっしょに死ぬよ。たとえいのち尽きるとも、儒艮の魂気がこのまま絶えるということはない。いずれ近き将来、南の海でふたたびお目にかかろう」には、氏の代弁とも取れる節が見受けられる。

 私の読後感としては、世間一般的に正しく論じられている内容とは異なるのかもしれないが――、氏が生前におこなったロールシャッハテストにおいて、「観念ばかりが活動して、情動との連結が隠されてしまう」と診断されるのだが、氏が自分の死期を悟って(作中に、空海上人<弘法大師>が死期を悟って入定するという件がある)、病床に伏せながらも果てぬ想像の旅(高丘親王の天竺までの旅と重ねながら)を続け、最後の最後で「ことばを残す」という作家的行為を高らかに謳いあげ、プラグマティズムの精神で自身の「観念」に打ち勝った時の作品なのだと思い込んでいた。もう、それだけに涙なくしては読めない作品で……。

 ――そうした自分の気持ちの前段階があり、昔書店で買い求めた、「NHK人間講座」のテキスト、「追悼もまた文学なり」(嵐山 光三郎)をタイトルに引用する。

 そこには歴代の文豪、三島由紀夫、太宰治、芥川龍之介、川端康成、永井荷風、谷崎潤一郎等の作家たちが寄せた、または彼らの死に寄せられた「追悼」について言及した評が並ぶ。元、雑誌『太陽(平凡社)』編集長を務めた作家が描く「追悼文学の世界」である。

 嵐山光三郎さんは、その序文でこう言う。

「追悼には本心が出ます。書くほうは、追悼文が後世まで文献として残るとは思っていませんので油断します。」

 要するに、それだけ本音が語られる部分であると言うのである。当時の作家は、必ずしも人生をまっとうして亡くなっていった方ばかりではないと思う。それを悪く言うにも、良く言うにも、追悼する側の生き方が問われてくるのだそうだ。自分のファンだった方が亡くなったとき、皆さんはどのような「言葉」をもって自分の感情を表すのだろうか?

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2003年03月08日

まもなくあの「鉄腕アトム」が生まれます。

※旧「楽天広場」時代のブログより転載。

 来月、2003年4月7日は、あの「鉄腕アトム」の誕生日だそうだ。
 もちろんこれはアニメの中の話で設定された誕生日である。原作では、科学省長官・天馬博士の手によって、交通事故で死んだひとり息子である飛雄そっくりのロボットを創り上げた日が、2003年4月7日という設定となっている。実際に前身の「アトム大使」としてマンガに初登場したのは1951年のことだそうである。

 一時期アメリカなどでも人気を博した本アニメは、4月6日のフジテレビ9:30~を皮切りに、アストロボーイ・鉄腕アトムとして全国でTV放映されることが決まっている。今の時期、それに合わせるかのように様々なサイトで前宣伝が盛んである。

cf.
飛べ! 鉄腕アトム(asahi.com)
手塚治虫 @ World
astroboy.jp(公式サイト)

 「鉄腕アトム」はもとより、私は元来アニメや漫画に疎い方なので、手塚治虫についてはほとんど知らないと言った方が正しいだろう。姉が持っていたブラックジャック火の鳥を少し読んだくらいである。ただ手塚治虫が、私の好きな作家の澁澤龍彦と同じ生まれ年(昭和3年)ということだけ知っていた。 

 「こころ正し ラララ 科学の子」という谷川俊太郎氏の作詞による主題歌でおなじみの鉄腕アトム。
 「科学の子」――、もちろん鉄腕アトムは人間が作り出したロボットである。日本科学未来館運営の「ロボット・ミーム・データベース」によれば、確かにドラえもんなどのロボットより人気があるわけではない。では何故、鉄腕アトムはここまで日本人にウケがいいのか?

 もともと今俗に言われている「ロボット」という名称自体が生まれたのは、1920年に発表されたカレル・チャペックの戯曲、『ロッサム万能ロボット製造会社RUR』の中であった。今ではロボットというタイトルで岩波書店から刊行されている。

 一時ソニーやホンダから出た人型・動物型ロボットが人気を博した際、書店などでもこの類の本を多く見かけるようになった。最近でも鉄腕アトムは電気羊の夢を見るか?』なんて、人気SF作品のタイトルにかけたタイトルの本も刊行されているようである。

 チェコ語で"労働"や"苦役"を意味する「ROBOTA」がロボットの語源とされている。もともと産業の手助けのためのロボットであったが、カレル・チャペックをはじめ、多くのSF作家が描いたロボットは、人間の愚かさを風刺に託したメタモルフォシスとしての意味合いをもって登場することが多かった。また「ロボット」という呼称も、その特徴に応じて「人造人間」「サイボーグ」「アンドロイド」「ヒューマノイド」などと次々に命名され、いつの時代も不思議な魅力にとりつかれることはしばしばあったかと思われる。

 つまり、「人の心が分かるロボット」というものは、かなり昔から技術者や文学者にとっての憧れの存在だったのである。アトムにも有名な「7つの力」の中に人の善悪を見極める力がある。空想科学読本の中では、現在の科学技術において「鉄腕アトム」の製造は不可能と解くが、遠い未来、いつかこのアトム級の「ロボット」が開発されたとき、ロボットを使いこなす社会になっているのか、ロボットと共存共栄する社会になっているのか、はたまたロボットに支配される社会になっているのか――、手塚治虫などの"予言者"を見本とすれば、そういうことは全て今の科学技術の使われ方(人間の意志)にかかってきているようにも思い、また今がその分岐に差し掛かってきている頃なのではないかと思うのであった。

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2002年09月13日

デビアスLV社、消費大国ニッポン進出? 「永遠の輝き」に隠された闇

 「ダイヤモンドは永遠の輝き」のコピーでも有名な、ダイヤモンド世界最大手のデビアス社。そして昨今またもや大ブレイク中のブランド、ルイ・ヴィトン等を有する高級ブランドグループのLVMHモエヘネシー・ルイヴィトンが設立した新会社デビアスLV社。

 今年末にロンドンに旗艦店をオープンさせる予定とのことで、この度そのCEO(最高経営責任者)が来日したという。CEOが言うところの「日本は全世界の売り上げの三割を占める市場になる」という憶測の元、来夏に日本で記念すべき2号店をオープンさせるためのテナント探しでの訪問と言われる。

 このダイヤモンド、おそらく私にとっては生涯無縁な代物。私の誕生石でありながら、最も高価で最も硬質で、最もきれいで輝いていて――、なんでこれほどまでに自分とは不釣合いなのかと神を嘆きたくなるダイヤモンド――。

 実は昨年の対米同時多発テロ事件後にも話題にのぼったことがあった。それは、「ウサマ・ビンラディン(やアルカイダ)がシエラレオネ産のダイヤを資金源にしているらしい」との風評を受け、アフリカ各地の反政府勢力支配地域で採掘されたダイヤモンドの米国への輸入を禁じる法律が施行されたのであった。

 ここで誰もが思いつくのが、経済大国アメリカでダイヤモンドを輸入出来ないのであれば、他国が買い付けることにはメリットがあるのではないか?ということであろう。そこにただでさえ魅惑的且つきな臭いダイヤモンドの闇市場が作られたとしてもおかしくはない(実際は知らないが)。

 ダイヤモンドは供給量などの安定を図るため、基本的には中央販売機構と呼ばれる機関と、そこが認定した全世界の200社弱の企業がその流通等を担っていると言われる。しかしその実態はデビアス社による支配が相当に及んでいるようだ。

 デビアス社の歴史は調べていけばいくほど奥が深く、私が知っている知識などは極表面上のものでしかない。デビアス社の創始は一ユダヤ人の手によるものと言われ、その後も関係した人物には豪商などが多い。そしてダイヤモンドという世の中で最も価値の高いこの鉱物は、もともと第2次世界大戦後に国の復興を目指すイスラエルの国々で産業が発達した際に貢献したという経緯を持っている。ところが1980年代のバブル真っ只中、イスラエルで膨れ上がるダイヤモンド市場が脅威になると、「もう一方」からの金融的な巨大な圧力(買占め、輸入規制、市場コントロール等)がかかってくる。そこでイスラエルの方では、研磨工などをはじめとした失職者が数千人規模で発生したとも言われる。

 たとえそれがマホメット(ムハンマド)の時代から続くイスラムの国々が相手であっても、ユダヤ系企業というより一巨大企業として、デビアス社はその宿命対決をまぬがれ得なかったのだった。またそれは、マスコミなどが報じるニュースに尾ひれがついて、人々の間にゴシップとして広まってゆくのでもあった。ここに「事実は小説よりも奇なり」という言葉を思い出す。ある意味、どんな企業スパイ物小説よりも面白いテーマが見えてくるように錯覚する。なんの先入観もなく純粋に考えてしまうが、もしかしたらあの狂気の事件は、私が考えていたよりももっとずっと深い位置に発端の根を張り、気が遠くなるほどの悠久の年月を以って、その機会を長い間窺っていたのかもしれない――と考えるようにまでなってしまった。

 ダイヤモンドは僕らから見ればファッションやステータスや見栄の一つにしか過ぎない。でも違う国から見れば、ある意味でもっと崇高な、もっと稀少なものだったのかもしれない。国の存続、繁亡に関わるような重大な産物、資源、生活に直結しているため、ある意味での絶対神とも言えなくはないだろうか――?

 私たちには実はもっと、理解しなくてはならないことがあるのかもしれない……。

※参考ページ
購入者の側に立ったダイヤモンド入門

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投稿者 cyberpoet : 02:38 | コメント (0) | トラックバック (0)

2002年08月06日

街角考現学・第3部 「住基ネット導入問題」

 国民の個人情報をオンラインで共有管理出来るという、渦中の「住基ネット」こと、「住民基本台帳ネットワークシステム」が5日朝、一部不参加の自治体を除き全国で一斉にスタートした。新聞などに写った「住民票コード通知表」と書かれた封書に、サイバーな匂いを感じて思わず固唾を飲んで、しばしその写真を見入る。

 初日から各地でトラブルが起こったというニュースが各メディアを賑わせたようである。仮に「個人情報保護法」が制定されたとしても、もとより「法」とは破られるためにあるもの。こうして各自治体の不参加運動のラッシュを見ていると、国民の不安が法整備だけで収まるとは到底思えない。かと言って、設備投資などに既に血税何百億円も注いでしまっている当システムが、「やっぱりダメだった」というくらいの理由ですぐに廃止になってしまうのも哀しいジレンマである。

 誰もが思う不安点として、悪意のあるハッカーなどの侵入、情報漏えいなどが挙げられると思う。しかし、実際パソコンの世界をよく見ていると、ハッカー自体が起こしている情報漏えいというのは極一部にしか過ぎない。「ハッカー」やら「ウイルス」という興味深い名称のみが、私企業の商売上隠された喧伝によってか一人歩きしたような結果にも感じる。

 しかし私が言いたいのはそういうことではなくて、不可抗力によって情報漏えいをされてしまっているケースが実に多いということである。たとえば、私企業の配信するメールマガジンなどに登録すると、ときに個人情報を登録する場合がある。とすると故意でなくとも、誤ってその一部の情報を公開してしまうこともあり得るわけである。システム化出来ない部分は手動で配信するが、グループ化したメールアドレスをメーラの「BCC」欄ではなく、「CC」欄に入れて配信してしまったケースは何も中小企業だけではなかった筈。大企業と言っても担当者はやはり普通の人間であることには変わりない。全く過失のない人間なんていないのである。もちろん配信など、こちらから動かなければいいか?サーバー上で管理している以上、他人は見る気がなくても見えてしまうケースもある。でも、その場合はあまりにも管理者がずさんな場合だけである。

 本当に恐いのはこういった過失以上に、担当者のモラルの問題だろうと思う。いつの時代でも、人のプライバシーについて知りたくなってしまう人間はいる