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2006年02月19日

『BRUTUS 天才たちに学べ!』を読みました。 ~天才時計師フランク・ミュラー~

今号のBRUTUSは、再び「フランク・ミュラー」特集であった。"再び"と言うのは、今号のトビラにもこの件に関する事件の発端をBRUTUS誌が書いたときの記事が小さく掲載されているが、私もその号を過去に一度採り上げている。

cf.「『BRUTUS さあ、ブックハンティングの季節です!』を読みました。 <後編> ~スイス時計業界の新星フランク・ミュラー~」

BVLGARIの時計の広告の対向面にあることを意識させるかのように、漆黒の表紙に合わせ、綴じ込み付録の体裁でその特集記事は組まれていた。主な内容は、フランク・ミュラーが、共同創業者兼共同経営者であったヴァルタン・シルマケス氏との確執の末、自身の起こした会社を離れるというものだった。

今号では、やはりフランク・ミュラー自身へのインタビューとして、和解に応じた後の経緯などが書かれてある。「FMVS(Flanck Muller,Vartan Sirmakes)の頭文字より」という新しいコンセプトのラインナップのことや、「メンズモデルとレディースモデルがあり、スチール製が888本、ゴールド製が88本の限定」で、それ自体が会員証となる時計の1号モデルがリリースされるという、「フランク・ミュラー クラブ・メンバー」の話などが書かれているが、後半、クロノグラフを作る方がトゥールビヨンウォッチを作るよりはるかに難しいと述べ、その後に興味深い発言があった。

 ――これは時計に限らず、ひとつの真理だから覚えておいたほうがいい。複雑なものを、たくさんの部品を使って複雑に作るのは、実は簡単なのだ!複雑なものを、少ない部品で簡単な仕組みで作るほうがはるかに難しい。部品数が増えれば増えるほど、故障も増えるのだ。  何ごとであれ、シンプルであることが一番大切だ!私は常にその一点に挑戦している。私のこの時計のように、本来、3つのムーブメントを使わなければ絶対に動かないはずの機構を、たったひとつのムーブメントで動かせたら最高だ!  これこそが成功というものだ!挑戦とはそういうことなのだ!
 ――なるほど、天才が考えることは一瞬常軌を逸した考えのようにも思う。がしかし、よくよく考えてみると、こうした考え方は我々ビジネスマンの中でも普段の仕事の中で、「どうしたら、これ以上複雑にならずに、組織を効率的に動かすことができるのだろうか?」と組織の形成、仕組み化(見える化)で悩む人は多いことだろう。  どんなに崇高な理想、多くの目標を掲げても、また、そのためにどんなに他人に自慢できるような複雑な数式を盛り込んだデータファイルを用いようとも、それがその組織で機能していなければ全く無意味である。スイスの天才時計技師フランク・ミュラーの言葉の中にさえ、思わず活路を見出したくなるような名言であると思った。

 他にも誌面では、フランク・ミュラーの私邸や所有するコレクション、工房などの紹介があり、「私は自分が好きなことしかやらない」という、フランク・ミュラー自身の言葉かと思われるコピーで特集を終えていた。

 ところで、BRUTUSがときにとても面白く感じることがあるのは、これだけ興味深い特集を組んでおきながら、記事がこの域で終わらないことだ。
 その後も「天才」をコンセプトに、世界中の天才たちの紹介を飽きることなく列挙し、ある種ストイックな博物誌的様相さえ帯びてきている。

 昨年10月に開かれた「第15回ショパン国際コンクールに最年少の17歳で出場、見事ポーランド批評家賞を受賞した」という生まれつき目の見えないハンデに往年の天才音楽家たちを彷彿とさせる神童ピアニスト、「全米最年少記録の12歳でシカゴ大学大学院医学博士・生物学博士課程合同プログラムに入学」したという現在15歳の少年、各面4列の複雑なルービックキューブを54.13秒でクリアしたという「ルービックキューブの世界王者」という19歳の少年、トリノ五輪では残念な結果(「着地失敗の今井メロ、腰椎ねんざと診断(2006年2月14日,YOMIURI ONLINE)」)であったが、渋谷駅前の巨大モニターに映し出されたハーフパイプのパフォーマンスには驚愕した今井メロ(18歳)さんについてのプロフィール・実績紹介、さらには歴代人気マンガに登場する天才キャラの紹介(笑)、締めには「もしかして、オレって天才?」などという、読者自身が診断できる天才診断チャートまで用意されている周到さ。もちろん私の結果は「凡人」である。人間、何事も中庸が大切なのである(笑)。

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2006年02月12日

【街角考現学・第9部】表参道ヒルズ(旧同潤会青山アパート)オープン! ~原宿・表参道の新たなまちづくり施策とランドスケープデザインの変遷~

 昨晩放映されていた出没!アド街ック天国は、「表参道」特集であった。11日にオープンしたばかりの"表参道ヒルズ"にスポットをあて、生中継を含む特集であった。表参道の並木道に斜度を併せたという表参道ヒルズ内のスロープ、そして並木の高さと併せたという建物の高さは"スカイラインの美"と呼べるか、建築家の思いが込められているようである。

cf.「Yahoo!ニュース - 表参道ヒルズ開業

 昨年12月には表参道駅の地下に巨大なモールが出現したばかり。その名を「エチカ表参道」といい、パリの市場をイメージしてつくられたものだという。

 毎年「東京デザイナーズウィーク(デザインアソシエーション)」の時期になって表参道周辺を散策するに、ブランド物には関心の薄い私でさえその名をよく耳にするような、世界を代表するブランドの旗艦店と思しき店構えの豪奢な店舗が一つ、また一つと増えてゆくような光景に出くわすようになってきた。世界に誇るブランドストリートとして、東京の新たな顔としても十二分な役割を果たすこととなった。

cf.「フィリップ・スタルクとバカラのコラボレーション

 地上6階・地下6階建て、総事業費189億円という「表参道ヒルズ」の大掛かりな事業を手掛けたのは森ビル、設計はかの安藤忠雄氏である。少し前から新聞や雑誌などで採り上げられることが多くなってきた表参道ヒルズ。その全貌が11日、ついに私たちの目の前に公開されることとなった。

 新聞の記事に寄せた森稔氏は――、

「これは単なるアパートの再開発ではなく、地域そのもののさらなる発展に寄与する都市のルネサンスです。コンセプトは"メディアシップ"。表参道ヒルズは、商業施設としてではなく、人と人、人と空間、人と街、街と世界をつなぐ、新しい形のメディアとして、新たな価値、表現を生み出していきます(読売新聞,2006年2月9日)」
と述べている。

 つまり安易な「スクラップ・アンド・ビルド」型建築ではなく、六本木ヒルズ竣工当時のコンセプトである「文化都心」的、またその街が内在する人や事業などに併せてつくられてゆくようなまちづくりの一環であるとされる。六本木ヒルズレジデンスとの共生、お台場にあるヴィーナスフォート等に見られるような高次の文化集積都市、職住近接の「コンパクトシティ」という点では、同じ方針の元につくられたものと言える。同時に今後の上向き経済の時流に乗り、"消費牽引文化"の新たな発信地としても栄えてゆくだろうと思う。

 表参道ヒルズは、同潤会青山アパートの跡地に建てられた。
同潤会青山アパートと言えば、戦前昭和のモダニズム建築として、また集合住宅の代表格として、今まで様々な雑誌――、とりわけ東京人などで多く採り上げられてきた。少し前まではまさに表参道の顔として、初夏ともなれば緑萌える並木の合間からこぼれる木漏れ日を浴びながら眺めやる道の両側のオープンテラスカフェにはかつて訪れたヨーロッパの街並みを見出し、それでいて現実と非現実の間を繋ぐタイムトンネルを抜けてさまよい歩くような抗い難い時の流れの中に身を置くような不思議な感傷に浸れる格好の癒しスポットであった。

 それが今ではもう面影と言えば、表参道ヒルズの建物の高さと、"同潤館"と呼ばれる住居用建物だけに留まっているくらいである。ベンヤミンの言葉を借りて表現すれば、アウラは喪失した。建物の解体前には随分と反対運動もあったらしい。旧丸ビルの取り壊しの際にも同じことがあった。伝統と郷愁の残る建築物を、簡単に破壊せしめることをすんなりと快く思う人は少ないだろう。

 まして、同潤会青山アパートと言えば、東京・横浜合わせて計16ヶ所に建てられたという同潤会による集合住宅の中でも最も人気のあった建物である。11日の開業と同じ日には同潤会記憶アパートメント展 Vol.5という展覧会が開かれている。時間があれば見に行きたいと思う。

 同潤会アパートの歴史は、先に紹介した雑誌『東京人』で今まで幾度となく特集されてきたので今さら詳しく説明する由もないと思うが、旧内務省の外郭団体として設立(1924年)された財団法人同潤会が中心となって、関東大震災(1923年)の罹災者のために設計・建築をおこなった集合住宅の総称で、青山アパートは1927年(昭和2年)に竣工している。当時の高級マンションである。

 在りし日の青山アパートが私たちに対し、70余年の歳月に渡る栄光の歴史を見せていた頃、渋谷駅から一駅、ファッショナブルな若者が多く集まり活気を生む、山の手のお洒落な街。そしてそんなセレブレティ&ハイソサエティな雰囲気に不思議と融和する昭和のモダン建築――、青山アパートの印象をそんな風に表現することができたかもしれない。

 こんなことを思ううち、近年似たような事象がなかったか?とふと思い出してみる。
2000年に竣工した「代官山アドレス」がそれである。

 この地は、かつて、1927年に青山アパートと同時期に建てられた同潤会代官山アパートのあった跡地である(1996年解体)。
 この代官山アパートの取り壊しが決まった際にも、先に挙げた建築物の取り壊し同様、反対運動や保存運動が多く起こった。同潤会代官山アパートの歴史も含め、この辺の経緯については、代官山再開発物語―まちづくりの技と心に詳しい。

 代官山駅前、周囲に開ける遊歩道、公園、そして空を貫くように高くそびえる代官山アドレス ザ・タワー。このマンションは、竣工当時一戸あたりの平均価格は1億1千万円と言われ、いわゆる億ションと呼んだ方がいいだろう。代官山アドレス ザ・タワーの登場は、あの隠れ家的雰囲気を持った代官山の街を、良くも悪くも変貌させた契機となったと思う。ペットの飼育も可能というコンセプトの都心部のマンションということで、セレブな女性が火付け役となり新しいペットブームも呼んだことと思う。

 この代官山アパートや青山アパートだけではなく、1999年には鶯谷アパートが、2002年には清砂通アパートが、2004年には江戸川アパートや大塚女子アパートが次々と解体され、今年2006年には三ノ輪アパートが解体予定だと言われる。代官山アパートの解体を折り返し地点として、東京から同潤会の手掛けた集合住宅建築がどんどんと失われていっている(参考『東京人』より)。

 表参道は普段私用で出かけることは少ないが、職場が渋谷ということもあり、仕事ではよく降りることがある。いつも渋谷とは全く違う雰囲気だなという印象を受ける。さらに南青山の方へ抜けてゆくとまた違った光景に移り替わってゆく。根津美術館もそうだが、周辺には岡本太郎記念館スパイラルホールなどの文化施設、あるいは小さなギャラリーなどが多くあり、インスピレーションを受ける街として文化人が多く住むのも頷ける。

cf.「このアパート以外に同潤会アパートがあることなんて知らない。そういう人が圧倒的に多い。つまり、青山アパートは、同潤会アパートの代名詞だったのである」
/『消えゆく同潤会アパート 同潤会が描いた都市の住まい』より。

 同潤会青山アパートの残した70余年の歴史の節目に生きる私たちが、表参道ヒルズをはじめとした森ビルの進める東京都心部再開発事業の投げかける問いの中に垣間見る未来の生活は、果たして精神的充足を約束し、なおかつ天災や犯罪などから守られる安全で住みやすい地域となり、人々が多く集まる活気のある持続可能なコミュニティとして、今後さらにどのような発展を遂げてゆくのか――、『東京人』(2006年2月号)の中で書かれていた都市計画の最先端「ロンドンプラン」について、「環境か都市か、福祉か公共事業かという二者択一の時代は終わり」、リビングストン現大ロンドン市長の市長選に出たときの公約、「経済成長」、「ソーシャル・インクルージョン(社会的包容力)」、「環境」等のアメニティの追求がどこまで行われるか、同潤会青山アパートの遺した郷愁に代わる未来への期待として十分な存在意義を持つこととなるのか楽しみである。

カテゴリー:[ 都市を遊歩する ]

投稿者 cyberpoet : 23:54 | コメント (0) | トラックバック (0)