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2005年02月06日

「エミール・ガレ展」(江戸東京博物館) ~文化と商業の複合芸術~

 本日は日曜日だったが有楽町で1件仕事があり、その合間に両国まで出向いて江戸東京博物館で開催中の「エミール・ガレ展」を観に行った。
 2004年9月23日のエミール・ガレ没後100年の節目として、以前にもサントリー美術館などで記念した展覧会が行われたが、その一環の展覧会であろうと思う。

 私が少し以前よりガレに興味を持つ理由は、もちろん、アール・ヌーヴォー期のパリにおいて万博で栄誉を授かり、あの一度見たらその作風を忘れない程に斬新で華麗なデザインのガラス工芸品を多く創ったからという理由もあるが、同時にそうしたラスキンやモリスの流れ(cf.「アート・アンド・クラフト運動」)を組む、固有価値と産業の進歩を生んだ「生活の芸術化による社会の進化」の動き(cf.『生活の芸術化―ラスキン、モリスと現代ー』)の歴史上にある手工業などをはじめとした職人の手による伝統的な文化――、すなわちモリスで言えばモリス商会で扱われたテキスタイル、ガレで言えばガレ商会におけるガラス・家具作品等の量産化による文化と商業の複合等が果たした社会的役割を知りたいと思ったこともあったろう。

 ガレ幼少時代より興味を持ち始めた博物学・植物学の知識は、やがて後年になって一つの造詣となって花開くことになる。熱を加えることで変幻自在に形を変えるガラス工芸の工程の中に創作芸術としての造形の可能性を見出したガレは、「アップリケ」、「グラヴュール」などの技法(cf.「北澤美術館 工芸技法」)を駆使して独自の世界を開拓してゆく。
 特に1846年、ナンシー生まれのガレが出会ったジュール・ヴェルヌが1869年に発表した大作、海底二万里の影響は多大であろう。小説の中で描かれるネモ船長率いる潜水艦ノーチラス号が出くわす未知なる深海の光景!芸術家のガレ青年を襲った感動は計り知れない。そこで見た深海の生物群の神秘的な姿形は、ガレの作風にも現れ始める。

 また、一時、高島北海などジャポニスムにも傾倒していたガレだが、そうした中、時代は幾度かの万博などで世界中が祭りに浮かれていた頃、当時ガレの祖国フランスの友好国であったロシアと、日本との間で日露戦争が勃発(1904年)。ガレ自身も死と隣り合わせかと思える程の病の淵にいた。

 江戸東京博物館1階にあるシアタールームでは、『美の巨人たち』でのガレ特集を放映していた。
 ここでピックアップされた作品が、ガレ晩年の名作、『手』(1904年)である。オルセー美術館他、世界に3点同じモチーフの作品が残っているという。最も出来の良いものがオルセー美術館所有のものということで、本展にも日本初公開として来ていた。

 今までもグロテスクな雰囲気の作品は多かったが、この「手」はグロテスクを通り越して、不気味ささえ覚える。海の波を彷彿とさせる青い台座から人間の手首だけが伸びている。その手に絡み付いている海草や貝殻から、この「手」が海の中から伸びているものと想像できる。

 死の間際、しかもガレの愛した日本とロシアとの間の大戦を目の当たりにし、「人間の死」を観念的に捉えようとした後年のガレが作り出したのは、悲痛に助けを求める、あるいは別れを告げようとした自身の「手」であったのか?深い悲しみに満ちた作品「手」を是非実際に見られることをお勧めする。

カテゴリー:[ 美術展 ]

投稿者 cyberpoet : 23:03 | コメント (0) | トラックバック (0)

2005年02月01日

みなとみらい線開通一周年

 今日で、みなとみらい線が開通一周年だそうである。個人的には、「もう一年経つのか?」と時の流れの速さに驚いている。仕事で横浜周辺に行くとき、横浜駅でJRから東横線に乗り換えるのに、今まで通り階段を上がってしまうということを何度もしてしまっていた。それほどみなとみらい線が開通してからの横浜駅は変わった。

 当初は、桜木町の駅前の雰囲気が好きで、あのランドマークタワーが建設された当時、私は高校生であったが、オープン2日目にはクラスの友人を誘って見に行ったものだった。当時はタピオカなんかを珍しく思い、お土産に買っていったものだった。そんな桜木町駅に東横線は通らなくなった。もちろん、従来通り、京浜東北線や横浜市営地下鉄線は走っているが、それはそれで一抹の淋しさも覚えたものだ。

 しかし、みなとみらい線が通り、横浜駅からみなとみらい21地区の中心地に新設されたみなとみらい駅を経由し、馬車道駅、終点の元町・中華街駅まで線路が伸びたことは、大変画期的なことだとも思った。

 私が以前読んだ本に、『イベント創造の時代 自治体と市民によるアートマネージメント』というものがあった。著者は横浜市の職員で、今まで関わってきた横浜市のプロジェクトについてを本書の中で多く紹介している。本書が発売されたのが2001年なので、それ以前のことまでしか書かれていないが、まるで今の横浜市が、みなとみらい線の開通までをも視野に入れていたかのような、文化と商業の複合を目指し突き進んできたような歴史があることを想像させる。

 外国からの玄関としての港につくられたみなとみらい21地区。そこにはパシフィコ横浜もあれば、横浜ワールドポーターズもある。もちろん、ランドマークタワーや横浜美術館もあるが、みなとみらい駅ができてからは地下出口を出れば目の前だ。また、ロフトスペースを活用した赤れんが倉庫も見事に今風の複合施設として復活を遂げている。少し歩けば馬車道駅や日本大通り駅で、横浜の古い歴史や史跡に巡りあい、元町・中華街で食事もできる。何もない土地に一から鍬入れをして区画整備をし、確固とした都市や産業を築き上げた後、交通網の整備をし、そこへ人の流れを作ってゆく。

 「日本を含め世界十数カ国約百画廊から約3000点の現代美術作品が展示される日本初の国際アートフェア」NICAF、すなわち国際コンテンポラリーアートフェスティバル(International Contemporary Art Festival, Japan)の記念すべき第1回開催は横浜であった。
 そして今年、2005年は4年に一度の現代美術のイベント、「横浜トリエンナーレ2005」の開催が迫っている。

 89年の市政100周年を記念して行われたという「YES'89 横浜博覧会」以降、美術に限らず、古くは本牧ジャズ祭や横濱ジャズプロムナードをはじめとする音楽(JAZZ)、映画、演劇、ダンスと文化的な催しが多い。これも多くの群集を誘致するという目的では的を得たものと言えるかもしれないが、とにかく規模が大きいし、定期的に行い、しかも成功させてゆくには並大抵の企画力では無理である。イベントに携わった方々の思いに胸を打たれる。

 みなとみらい線開通一周年を機に、YOKOHAMAのさらなる飛躍に期待したい。

カテゴリー:[ 都市を遊歩する ]

投稿者 cyberpoet : 02:08 | コメント (0) | トラックバック (0)