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2005年01月31日

「ミュシャ財団秘蔵 ミュシャ展」 ~売れるミュージアムグッズ~

 前人気の高かった本展に出向いた。予想以上に混雑していて、人気画家ぶりが知れた。
前にミュシャの作品に触れたのはいつだったろう。もう1年も前のことになる。去年の春先、東京都庭園美術館で開催された「パリ1900 ベル・エポックの輝き」展で、ジスモンダのポスターなどを見たのが最後だった。その前は東京都美術館での「アール・ヌーヴォー展(2001年)」、その前だと世田谷美術館での「煌くプラハ展(1999年)」となる。いずれにしても、ミュシャに限定した展覧会を見るのは初めてだったかもしれない。

 当時から、日記にも書いていたように万博絡みであったり、ロートレックやスタンラン、J・シェレの体系からか、アール・ヌーヴォー期の、殊にポスター芸術のようなものに興味があった。私の好きな作家である海野弘氏の著作、『アール・ヌーボーの世界』の表紙には、ミュシャの「黄道十二宮(Zodiac)」という作品が装丁として使われている。私はこの作品のB5大のポスターを購入し、また、販売されていた画集も買い求めたが、中を見るとやはりこの作品が収められていた。

 このように、私たちは実際にわざわざ展覧会まで絵を観に行かなくても、ミュシャの作品を見ることはできる。このことについて、先の「アール・ヌーボーの世界」の中で「写真の発明は芸術にミメーシス(模倣)の概念の変革を迫った」と著者は言い、ベンヤミンの複製技術の話に触れている。

 私も以前、「『写真論』 ~追悼、スーザン・ソンタグ女史~」の中で書いたかもしれないが、この時期くらいを境としてポスター芸術などが花開き、つまり芸術の大衆化が始まったとされている。先の「ジスモンダ」が描かれた翌年、1895年には既にリュミエール兄弟らによりシネマトグラフが発明されている程である。またミュシャ自身も多く写真を撮影していたように、時代は芸術を庶民の域まで着実に届けられるようになっていたのである。つまり、「黄道十二宮(Zodiac)」はその絵柄がカレンダーに採用されて庶民の生活の一部に組み込まれたり、他の作品群も煙草のパッケージデザイン、石鹸箱やビスケットの箱などへデザインが採用されるなどである。

 冒頭で「パリ1900 ベル・エポックの輝き」展でのミュシャ作品のことについて触れたが、1900年のパリと言えば既に5度目の万国博覧会が開催された年で、ミュシャ自身もこの万博でパビリオンの構想などに加わったというが、他にもルネ・ラリックや後述するエミール・ガレ、ウイリアム・モリス、ティファニーなどアール・ヌーヴォー期を代表する芸術家の作品がフィーチャーされたことから、アール・ヌーヴォー様式を「1900年様式」と呼ぶこともあるそうなので、そうした狙いもあった展覧会名なのだろうと思った。
 また、『世界史リブレット 世紀末とベル・エポックの文化』によれば、この「アール・ヌーヴォー(新芸術)」の名の発祥を、ベルギーの建築家アンリ・ヴァン・デ・ヴェルデが、1894年のブリュッセルでの工芸博で自ら作った家具に対して名付けたものとしている。

 いずれにしても、第一次大戦前までの芸術・文化が花開いた時代、後年になって人々が「ベル・エポック(古き良き時代)」と懐かしんで呼ぶようになった時代に創出された芸術様式である。いつの時代になっても、人の心を癒し、穏やかにしてくれるような雰囲気を残し続けるアール・ヌーヴォー期の芸術作品――、今回で言えばミュシャの作品だが――私は画集とポスター、数枚のポストカードしか購入しなかったが、横で見ている限りでは多くの限定ミュージアムグッズが売れたものと思う。

 これはあくまでも私見だが、他の展覧会に比べ、ミュージアムグッズの売れ行きが良いように思う。ミュシャの作風のポピュラーさや、キャッチーさというのもあるだろうが、何より先ほど述べた「人の心を癒し、穏やかにしてくれるような雰囲気」が、今の殺伐とした世相にうけているのかもしれない。そんな思いを本展でさらに強めた。

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2005年01月27日

「サムライ魂でデパートを創れ!~近代百貨店誕生物語~」

 NHKで放映されていた「その時歴史が動いた」を見た。歴史が動くときには得てして誰それかの「決断」がある。どういった思いで事業に当たったのか――?時の経営者に少しでも学びたい気持ちで見入った。
 百貨店の歴史をさかのぼると、古くはロンドンやパリで行われた万国博覧会へとたどりつく。元来私はそうしたイベント・行事に興味があったため、純粋に面白そうな特集だとも思っていた。この日の特集は昨年の11月放映分の再放送であった。

 昨年の百貨店業界はと言えば、数年前からの不況で百貨店業界全体の売上が低迷し、多くの再編やリストラなどが行われる中、電車の中吊り広告で派手に宣伝されていた、「"デパートメントストア宣言"から100年」という三越百貨店のコピーが妙に感慨深い、そんな催事の広告を何気なく見入ったものだった。

 今日の主人公は、その三越の創始者・元会長、日比翁助(1860-1931)である。日比翁助はもともと三井銀行で働いていたが、ある日のこと、三越の前身である三井呉服店へと引き抜かれた。その目的こそが、当時経営が逼迫していた三井呉服店の再建だった。ところが近代化の進む明治中期以降の日本は、日清・日露戦争など緊迫した世界情勢の中に置かれており、時代は非情にもこうしたサービス業優勢ではなく、重工業に重きが置かれる風潮が自然と高まっていっていた。

 そうした時流の中で日比翁助率いる三井呉服店は、とうとう三井の傘下を離れることを余儀なくされるのであった。時は1904年、この番組の放映された100年前――、つまり先の「デパートメント宣言」がなされた年へ向かってゆく。

 慶應義塾在学時代に影響を受けた福沢諭吉の「"利"よりも"義"を重んじる」思想――、「士魂商才」の念(解説の方の言葉を借りて言えば、「公共」「社会」「人倫」「規範」「節度」といったような「武士道」というよりは「士道」と呼ぶに相応しいもの)を胸に、伝統あるイギリスの百貨店ハロッズを視察するために渡英した日比翁助は、そこから多くのことを学ぶこととなった。

 それは、解説の方が言っておられましたが、「公共空間の創造」「商品を選択できる主導権を消費者に」の実現であり、それは従来までの旧態依然とした日本の商習慣を画期的に覆すやり方だった。社会に貢献するデパートとして、戦後は未来を切り開いてゆく子供たちのために、児童博覧会の企画なども行ったそうである。

 また、社員教育に関しても全く新しい手法を導入したとあった。「持ち株会」の設置や、業績の3割を賞与還元するという「能力給」の導入である。こうした(百貨店に関する)有徳者による経営論、伝記・回想記は、以前私も読んだことがあった。

 ノードストローム・ウェイ 絶対にノーとは言わない百貨店』、『百貨店の誕生―都市文化の近代――。

 いずれにしても言えることだが、「お客様」にいかに良い気持ちでご利用いただくか。何も「お客様は神様」なんかではない。サービスを提供する側がいかに気持ち良くなるために、そこを利用するお客様を気持ち良くさせるか、なのである。パーティーや祝宴の席で主役を驚かせるようにして喜ばせる「サプライズ」の提供が、サービス精神の表れであるとするならば、お客様に喜んでもらう、しかも予想以上に、または驚く程喜んでもらう。それこそが「サービス」の本質であると思う。

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2005年01月10日

成人の日 ~三十にして立つ~

 今日は成人の日で、各地で式典が催されたことと思う。思い返せば私も10年前、地元の会場で行われた式典に参加した。あの頃、再会した旧友たちとは、あれ以来10年も会っていない。独立した者や家庭を持った者、ニートを続ける者、おそらくそれぞれの道で活躍してるのだろうと思う。

 そんな私の世代は、今年30歳になる。男の30歳と言うと、ハタ目にはどう映るだろうか?
孔子は論語の中で、「十有五にして学に志す、三十にして立つ、四十にして惑わず、五十にして天命を知る、六十にして耳順う、七十にして心の欲するところに従へども矩をこえず」と言った。

 30歳、三十路を起点として、15歳のときに学業に力を入れなかった者でもいい加減どうにか自立したいと思うだろう。それが独立なのか家庭を持つことなのか家を建てることなのかは分からないが、いずれにしても今年20歳の成人式を迎えた新成人の新鮮な気持ちに負けないように頑張らなくてはいけないと思う。

 もちろん新成人だろうと、30歳だろうと、いつの年齢だって新たなスタートは切れる。ただ、「いつでもスタートは出来る」という心持ちと、「いつまでにスタートする」という心持ちでは、その後を大きく変えてゆくことだろう。

 今年の9月にはスタートさせてみせる!
今はまだ右も左も分からないが、20歳の新成人のほとんどだって、同じ心持ちで社会に出てゆくのである。それから10年も多く生きている私が、たった10年の経験でしかないが、全く同じ不安を抱えているというのもおかしな話ではないか――。とにかく目標達成のために頭と体をフルで動かしていかなくてはならない。

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2005年01月09日

「個人情報保護法」施行直前!

 ついに今年4月から「個人情報保護法」が施行されることとなった。
既に同僚がセミナーに赴き、専属担当者の募集も行っているが、我々俗にIT関連企業に分類される、特に中小企業にとって元来これは大きな課題であった。

 もちろんIT系企業に限らず、業種問わずこの法律は適用され、罰則まで設けられている。もちろんそれ以前にモラル面における対個人への対策や、それ以前の会社として、運営サイトとしての姿勢や信頼にまで一般消費者の目が厳しくなることも想定される。

 ネット上にも既に多くの関連サイトが設けられ、IT関連のサイトで言えば、「個人情報ドットコム:個人情報保護法解説:WEB版法案解説」や、「経営広場 -IT実践塾 セキュリティ編」など他にも多くある。

 今までにも誰もが名を知る大企業でさえ、メールマガジン配信時における誤配信や、退職社員や派遣スタッフが会員情報を漏洩だとか、さらにそうした個人情報を悪用する人がいるだとか、頼れるものは自分のみ的な自己防衛礼賛のような風潮が高まる時世である。

 一般消費者から見れば遅きに過ぎる対応なのかもしれないが、企業にとってみればそれに割く人的リソースやノウハウ・実績の蓄積、かけるコスト等、中小企業にとっては特に今から一から準備するとなると大変なことである。

 総じて私の短絡な思考ではあるのだが、こうした法が施行される理由として思うのは、一つにオスカー・ワイルドが言うところの、犯罪と文明の追いかけっこのようなものがあると思う。

 私の小学校の頃の担任が言った言葉に思い出深いものがある。
学校の中の誰かが、放課後理科室へもぐりこみ、学校が大切にしてある標本にいたずらをしたことがあった。学校創立20年以上が経つその学校で、理科室や音楽室など、初めて鍵がかけられることになった。これは児童の安全に対する配慮もあったかもしれないのだが、担任は言う――。


「悪いコトをする人が増えてくればくるほど、その社会は正しく生活する人にとっても、住みにくく管理された社会になっていってしまう。これは非常に悲しく、嘆かわしいことである」


 ――今の犯罪のほとんどが、私の中では上記「理科室にもぐりこんでいたずらをする」という行為の発展型ではないか?と思っている。万引き、窃盗、詐欺、強盗、誘拐、放火、殺人etc……。これらの犯罪は決して複雑なものではない。ある種動物的な感情の推移であって、心に抱いた一抹の奸計が単にエスカレートしてきたものであるように思う。醜い私欲や妬みなどとごった混ぜになり増幅する悪の濫觴。これは文明と共に肥大化されてきたものである。文明向上への欲は、裏を返せば私欲を満たすための行動にもなる。

 私欲を生むのは差異である。差異を生むものは余剰である。論理の飛躍かもしれないが、余剰を埋めるものは犯罪か努力しかないのである。努力が惜しまれるような社会、それは報われにくい世の中で、努力がバカバカしく感じられるような嘲笑に値する世の中である。それは悪貨が良貨を駆逐するように、大多数の方向へ流れてゆく恐れを秘めている。

 そうした傾向を食い止めるものは、強力な規制か、自発的な努力しかない。私たちが望むものは決して前者ではないことを願っている。概ね社会は、我々が深層心理で願う方向へ進んできたという経緯を持っているのだ。

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2005年01月08日

地域住民による地域住民のための、安全なまちづくり施策

 今日深夜、NHK教育で放映されていた番組の中で、今までにも度々ニュース番組の中などで特集されてもきた、東京都杉並区や横浜市などにおける地域住民によるパトロールによって地域内犯罪が減ったケースを紹介していた。

 これをカラスの慎重な行動になぞらえて「カラス効果」と呼んでいるらしい。私は、こうした住民参加による意識の変化が犯罪を減らしてゆくという考え方に賛成である。これから犯罪を犯そうと思っている人間にとって恐いのは、警察でも裁判官でもない。犯罪現場を見て取り押さえられたり、大声をあげられたり、通報したりする一般多数の人なのである。

 最近でも奈良県少女誘拐殺人事件や、ドン・キホーテ放火事件などのような残虐な犯罪が絶えないが、その間にも空き巣やひったくり、振り込め詐欺なども横行したり、またある場所の統計では、1分間に1件の割合で車上荒らしが起こっているなど、現在の日本が犯罪大国であることを示すデータを放送していた。

 こうした事件が多発する中、今日の新聞の夕刊などにも、警察側で性犯罪前歴者の居住地などを把握できる制度を作ろうとしている動きなどが書かれていて、時世をよく表す記事だと感じた。

 ここまでの凶悪犯罪が急増するのは非常に危機的な状況だと思うが、先に挙げたような住民参加型の犯罪抑止のための動きは少なからず影響を与えてゆくだろうと思う。有名な「割窓理論(ブロークン・ウィンドウズ・セオリー)」というものもある(cf.『割れ窓理論による犯罪防止―コミュニティの安全をどう確保するか』)。

 「むしゃくしゃしていた」「他者に相手してもらえなかった」など、理解に苦しむ理由で人を簡単に殺せてしまう――まるで、アルベール・カミュの『異邦人』の主人公ムルソーのように「太陽がまぶしいから」と言ってアラビア人を射殺してしまう「不条理」とも似た、常人には決して理解の出来ない、そして許しがたい発作的な犯罪が多過ぎる世の中になったものだと思う。

 こうした犯罪者のほとんどが、そうした自己不満に陥るまでの自分の非を認めていない。そこまで鈍感な者たちであるから、法的に罰せられる段階に至ってもなかなか他者を受け入れることができず、何故か自身の行動が正当化されてゆくわけで、全ての犯罪者がというわけではないのだろうが、更正する前に刑期が終わり、出所後も同種の犯罪を繰り返すという図式が出来上がるのではないかと思う。精神鑑定と言うが、そもそも精神の健全な者が先のような犯罪を犯すとは到底思えない。

 他者と交わらない自己は、自分の幼少時代より引きずる妄想の念との対話のみに留まり、善悪の基準も分からないまま周囲にも押し付けるようになってゆくのではないか?

 犯罪者に対する人権問題も良いですが、それ以前に「安心して街を歩く」という、最低限の人権の保障だけはされてもよいのにと思う。

 まもなく「成人の日」である。例年「またバカが」と思わせる酒を飲んで暴れる者たちがいるが、今年こそは何か痛快なことを行動する若者たちが出ないかと密かに期待している。それは何かと言うと、いわゆる「村八分」である。成人を祝う気の毛頭ない少数派の連中を、式場から力ずくでも追い出す程の多数の若者たち――、そうした気概がいつの日か犯罪を減らす方向へ向かわせるきっかけとなるかもしれない。そう信じて動く人の数が多ければ多いほど、社会は良くなる。負の徒党があれば、正の徒党があっても良いのではないか。あまり正義感ぶるのは双方において危険な思想かもしれないが、この国には本来「和」と呼ばれるものがある。これは「輪」でもよいのだろうが、そうしたものを乱すことが良くないという意識が芽生えてくるだけでも、今までとは大分変わってくるだろうと思っている。

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2005年01月07日

岡本太郎命日に想う。

 1996年1月7日、芸術家、岡本太郎が84歳でこの世を去ってから、もう10年近くが経つ。
昨今若い人の間で氏の著作を読んだり、表参道の記念館や川崎の美術館を訪れる方が増えているようなことを聞くようになった。「太陽の塔」が大阪の万博に登場したのが1970年、今年愛知で開かれる万博は実に35年ぶりの万国博覧会となる。そうした社会的背景もあるのだろうか。

 私も以前、川崎の美術館に足を運んだことはあったが、「芸術は爆発だ」という語録が先走りしている氏の具体的な活動についてはあまり知ることがなかった。ただ、学生時代、卒業論文で澁澤龍彦を論じた際、埴谷雄高から「夜の会」へ、アバンギャルド芸術から花田清輝と、参考になるような本を渡り歩いていった結果、「今日の芸術はうまくあってはいけない。きれいであってはならない。ここちよくあってはならない」という、いわゆる「対極主義」の思想を知り、その思想に至るまでの氏の軌跡の中に、澁澤を論じる以上不可欠な要素、――すなわちシュルレアリスムを垣間見るのであった。ブルトンやエルンスト、バタイユらとの親交は、どうしても興味を惹くものであった。

 とは言え、芸術家岡本太郎の本質を知るには、まだまだ多くのことを知らな過ぎた。ご存知のように、常に革新的な芸術を追い求めた氏の軌跡は、冒頭に挙げた大阪万博のために制作したモニュメントもあれば、先の対極主義、抽象芸術・シュルレアリスム傾倒、東北や沖縄に関する民族学や縄文土器論、マルセル・モースに師事した人類学、そしてマスメディアへの進出等、活動が多岐に渡り過ぎていて、その一旦だけを知っても氏の言いたいことはなかなか伝わって来ない。つまり難解なのである。

 何となく分かっていることと言えば、東郷青児が会長を務めた二科会の脱会劇以降、常に何か漠としたものへの挑戦、何かとの闘いを続けてきた芸術家というイメージがあるくらいである。

 今私の手元にある資料といえば、1970年の万博を記念して発行された、『岡本太郎 EXPO'70 太陽の塔からのメッセージ』という図録くらいである。そこには、「人類の進歩と調和」という万博のテーマにおいて、プロデューサーとして抜擢された氏の思いが書かれてあったり、「太陽の塔」をはじめとした様々なモニュメントが掲載されている。

 「太陽の塔」建設当時、多くの知識人から疑問の声も多かったと聞く。それはまさしく氏の言うところの「ベラボーなもの」であったが、期間中に万博を訪れた6400万人の市民たちからは概ね快く迎えられたという。パリのエッフェル塔が初めて民衆の前に姿を現した1889年のパリ万国博覧会、フランス革命100周年を記念したモニュメントとして建てられたが、当時のパリでもその無機質な鉄塔に賛否を呼んだそうである。1964年に開催された東京オリンピックに続き、大阪万博開催の前年1969年には、アポロ11号による人類初の月面着陸に世界中が沸き、世界77ヶ国が参加したと言われる大阪万博を契機に、日本は世界の中の日本として諸外国からの文化を貪欲に吸収し始める時期を迎えることになる。

 芸術のエネルギーが、都市や交通をはじめとした産業を突き動かし、ハードが整ってきた後はソフトとしての人々の文化的志向が強まり、やがて芸術へと再び回帰してゆくような、そんな音もなく、時代が何か小さいけれども強い魂のような一点の概念によってゆっくり進んでゆくような動力の源は、まるで氏の言う「爆発」のようにも受け取れる。

 岡本太郎亡き今、「爆発」を誘引する火種はどこにくすぶっているだろうか?氏の命日に、改めてそんな思いに駆られるのであった。

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2005年01月06日

『写真論』 ~追悼、スーザン・ソンタグ女史~

 昨年のニュースで、哲学者のジャック・デリダが亡くなったことが一部報じられ、その後幾日もしないうちに、今度は12月28日に、掲題のスーザン・ソンタグが癌のため71歳で亡くなったということを知った。正確に言えばそれらのニュースを知ったのは年が明けてからのことである。スマトラ沖地震のニュースがあまりにも衝撃的で、それに隠れてしまっていた。
 この二人の人物の共通点は、共にユダヤ系アメリカ人で、哲学者、思想家、批評家であり、2001年9月11日の対米同時多発テロ事件に対する批評の中で、当時のブッシュ政権についてラディカルな批判を続けた知識人というくらいのことしか知らない。

 最近になって、そんなスーザン・ソンタグの『写真論』をようやく読み終えた。女史の作品を読むのはこれが初めてだ。以前よりネット上のコミュニケーションサイト内で話題になったり、私の好きな作家である松岡正剛を書いていることもあり、名前だけは覚えがあった。それくらいの意識で読んだのがまずかったのか、やはり、というか当然難解なもので「目を通した」と言った方が適切なくらい全体の1割を理解出来たかどうかも怪しい。このような奇を衒ったような読み方は高校・大学時代から続いており、字面を追う作業をときに楽しく感じることもあり、蓮實重彦(『フーコー・ドゥルーズ・デリダ』等)、柄谷行人といった難解な文章を書く作家などの著作を購入したが、これらも難し過ぎて目を通しただけだった。

 私は哲学など習ったことはこれまで一度もない。中学3年の頃の「倫理」の授業がそれに似た最後の授業だった。哲学を日常の生活に置き換えたりと、易しく解説した本も多く刊行されているが、どちらにしても難しいことに変わりはない。それは「現象学」だとか「構造主義」だとか「記号学」だとか、あるいは「ポストモダン」、「エクリチュール」、「グラマトロジー」、「アウラ」などと言った専門用語が溢れかえった著作ばかりで、私がこれらの本を読んでこなかった原因として、字面を追うだけでも平易ではないという感想を受けたことに依るものが大きいと思う。

 それではなぜ今になって、『写真論』なのか――?
もちろんソンタグ自身が本著の中で、「写真術は新しい型のフリーランスの活動を開いて、ひとりひとりがある独特な、貪欲な感受性を発揮できるようになった」と言っているのに呼応するかのような昨今のデジカメの普及などによって、手軽に掌中に収められるようになった「"世界"という名のコレクション」や、またベンヤミンが『生産者としての作家』の中で言う、「われわれが写真家に要求すべきことは、写真を当世風の変質からひきはがし、写真に革命的な使用価値をあたえる画像の説明〔となる言葉〕を付与する能力である」にあるような、テレビや新聞といったメディアや出版物(キャプションも含む)・広告等を通じて日々私たちの元へ届けられる「世界の断片」、あるいはそれらを自ら沸き起こったジャーナリズム精神をもってホームページやブログなどへ表したりなど、より身近になった「写真」や「カメラ」などに、私の中の好奇心がかき立てられたからに他ならない。

 そのための第一歩として書店で『写真論』を手にとったわけではない。まだ読みかじった程度なのかもしれないが、『図説写真小史』、『ベンヤミン「複製技術時代の芸術作品」精読』、『20世紀写真史』などはもともと読了していたし、そのほか、アジェやマン・レイ、ブラッサイ、ドアノー、キャパ、ブレッソンといった写真家の作品集などは好んで購入し、眺めやったこともある。

 それから全くの私事であるが、学生時代から聴いている好きな曲がある。それはマーク・ジョーダンが79年に発表した名盤2nd、『Blue Desert』に収められている『I'M A CAMERA(邦題:「私はカメラ」)』という曲である。大好きなジェイ・グレイドンのギターが多くフィーチャーされていることも好きな理由の一つだが、恋に疲れたロマンティストな主人公の男を描いた歌詞の一部に、学生時代の私は感銘を受けたものだった。

僕はカメラ、あなたの写真も写したはずなのに
僕はカメラ
僕はカメラ、あなたの姿をもち歩いていたのに
どこに行くにも――
僕はカメラ

 当時の私は自分の置かれた境遇に照らし合わせながら、随分と感傷的になってこの曲を何度もリピートして聴いていたものだった。今になって思えば女々しいことこのうえないのだが、これも若気の至りと許されたい。

 ソンタグは本著の中で、「だれもかつて写真を通じて『醜』を発見したものはなく、多くは写真を通じて『美』を発見してきた」と書き、後半で女史が引用している多くの文献の一つより、「目前に現れた美という美の姿を捕えたくて仕方がなかったのですけれど、あこがれはついに満たされました」に見られるように、私たち"素人カメラマン"は、雲の形や夕映えが美しい空や、雪をかぶった山、色の神秘を感じる程に綺麗な配色をした花々などのような美しい景色や植物、家族のふれあいを感じるような子供の無垢な姿など、一般的に美しい被写体を選んではカメラに収めてきた。もちろんイベントや儀式の際の記念写真や報道写真、刑事事件のときなどの証拠写真などもあるにはあるが、私たちが一般的に自ら欲して撮ろうと思うものは、個人差あれど概して「美しいと思われた」被写体がほとんどである。

 ところが残念なことには、後になってその写真を見返すに、思い出にはなっても「今、その場にいる」という真実に基づいた感動はもたらされることは多くない。ベンヤミンはこうした概念を「アウラ(いわゆる"オーラ"のこと)の喪失」と呼んだが――、広告界で言えばその失われたアウラを少しでも取り戻そうとしたノウハウが「シズル(感)」ということになるかもしれない。――絵画にしろ景色にしろ、実物を持ち帰ることは出来ない。またもベンヤミンの言葉を借りれば「礼拝的価値」から「展示的価値」へ変遷したオリジナルとコピーとの関係の隔たりは大きく、確かに写真技術などを無視して考えても、実際現地で見た建築物や廃墟を写真に撮影して持ち帰り、ゆっくり感傷に浸ったところで、その場で受けたオーラに勝る感動は得られない。

 とはいえ、写真術の登場は人類にとって至極画期的だったに違いない。人類の歴史の中でも、複製技術時代の幕開けとも言えなくもない、ルネサンスの3大発明の一つ「活版印刷」にはじまり、銅版、鋼版、木版、石版といった版画の類を経て、カメラ・オブスキュラ、ルイ・ダゲールによるダゲレオタイプ(銀板写真)の発見、タルボットのカロタイプ、そしてエジソンやリュミエール兄弟らによる映画の発明まで、疾走とも言えるくらいある意味で迅速に進歩し、私たちは世界中に散逸した自然美・創作物を我が物としたいと考えたのであった。

 その登場から現在に至るまで多くの批評家が書いたように、カメラや写真は印象派画家へ対する脅威として始まり、置かれた歴史的背景の中でピクチャレスクのようにも、即物主義的にも、またマン・レイやデュシャン、コクトーら、ダダイスト・シュルレアリストを通じて実験的に、あるいは戦争やテロ事件を通じてラディカルなジャーナリズム精神の表現方法としても用いられ、日本へは黒船に乗ってペリーによってもたらされてからというもの、私たちに様々な用途を提案し続けてきた。

 何枚も焼き増してイベント参加者全員に行き渡らせることも可能だし、連写技術によって動的な被写体の中にある発見をしたり、建築物の細部を見るために一部分だけ大きく引き伸ばすことだって、ソフトフォーカス的にデジタル加工してより美しく見せることも可能になる。

 ソンタグはそんなカメラをその特性上から、真実や真理を映し出す鏡、証拠となる記録性、速攻性を持った複製技術、そしてカメラ自体や写真術を「フィルムを"装填"」「映画を"撮影(シュート)"する」という使い方に見られるように攻撃性を帯びたもの(あるいは「カメラは略奪の武器」)、性的妄想をかき立てるものとしても書いている。

 先ほど引用した『私はカメラ』という曲――、こじつけ的な解釈かもしれないが、ソンタグも本著の中で多くの写真家や映画などを引き合いに出し『写真論』を語るように見せながら、実は他の多くの著作の中に見られるように、決して写真家ではない彼女は自らをカメラに置き換え、現代アメリカの疲弊した精神を捉えようとしたラディカルな批評家であったのかもしれない。

 『写真論』を読み終えた私は、東京都写真美術館のページで解説されている第一の視覚「裸眼」、第二の視覚「カメラ・オブスキュラ」、第三の視覚「フォトグラフ」に続けて言えば、第四の視覚「映画(あるいは、「シネマトグラフ」)」に継ぐ「第五の視覚」とも言うべき、カメラや写真を媒介とした「批評家精神的視点」をも養っていかなくてはならないような義務感に襲われるのであった。

 現代アメリカの誇る、偉大なる批評家に追悼――。

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2005年01月05日

今日から仕事始め。複雑な心境だ。

 今日は仕事始めの日だった。決算期が3月にあるので、会社的に言えば第4クォーター突入である。昨年末は繁忙を極め、もともとおとなしい人が多い職場であるのに、各自主張が強過ぎて、もはや「責任感」を通り越して「自分はきちんと仕事をやっている」といった防御線の張り合いで終わったかのようでもあった。こんな小さな組織でさえ、きちんとしたチームワークが組めない。元凶はどこにあるのか――。

 いろいろ原因はあるのだろうが、各部署間での連携を図ることが大前提にあるのに、その割には会議というかミーティングの回数が少なかったように思う。早速、今日は役職者だけでのミーティングが行われた。役員以下数名の小さなミーティングである。
 正月をじっくり休んだ各部署の責任者からは、各自溜め込んでいた不満や打開案のようなものが次々と出てきた。これは決してジャストアイデアなんかではない。普段から抱え込んでいる問題意識と、どうしたらそれを解決できるのか?という自問につぐ自問が、正月休みを挟んで論理的に分析できた結果なのだと思う。

 「考える仕事」と「手足を使う実務」、これらを同時に行うことは結構な能力が要される気がする。制作に携わる者宛に言い換えれば「クリエイティヴな仕事」と「オペレーション的仕事」の違いである。忙しければ忙しい程視野は狭くなり、目先の問題をクリアすることに焦点が置かれるようになってゆく。これは決して間違った判断ではないのだが、会社として良い風潮なのかどうかは疑問だ。ただでさえ、私のいる会社は、ただ考えているだけで給料がもらえるような会社ではなく、まだまだみんなで力を合わせて頑張ろうという小さな組織なので、もちろん経営企画だとか事業推進といった役回りにあたる部署もない。誰が考えて、誰が遂行するのか?それは全員が出来なくてはならないのである。しかし、おおよそのベクトルは同じ方向を向いていても、やはり人によってそのプロセスに違いがある。そこがいつも衝突してしまう由縁である。「平和のために戦う」のか、「平和のために戦わない」のか。少し強引だが、会社を良くするために「利潤追求のために営業重視でゆく」のか、「顧客満足度の向上のためにフォローアップに費やす」のか――。

 昔どこかで読んだことのある記事の中に、どこで読んだものか出典を忘れてしまったのだが、面白い話があった。およそあらすじは以下のようなものだったと記憶している。

 ――昔の中国に強い武将がいた。次々と列強の国を攻め、戦には勝っていったのだが、その横暴なやり方に嫌気を指す配下が増えてきていた。そこへ忠臣であった配下の一人が、戦に勝って自信に溢れかえり、なおも無理に戦を仕掛けようとする武将に対し「馬上にいて天下がとれたとして、馬上にいたまま治世ができますか?」と戒めたところ、その武将は心を入れかえて家来や農民への還元をおこない続けるようになり、その国はさらに富んだ。

 ――といったような話であった。史実に基づいた話なのかどうか、また誰が言ったなどは不明瞭だが、おおよそそんな内容であった。

 今私たちは、社員やクライアントでさえも懸念する拡大路線の戦略に懐疑を持ち始めている。確かに会社が潤わなくてはクライアントも潤わないのは事実である。しかし、会社が潤うための方法は一つではない筈だ。各自がそうした意識を持って職務に取り組めば、誰かしらが必ず問題点に気づき、誰かかしらが打開策を出し、誰かしらが行動をもって打破し、皆がその壁を乗り越えてゆけるようになるだろうと信じている。そして、こうした一連の取り組みに対して、いかに真剣に臨めるか、それから自身の力量を試す機会を増やせるかがキーになってくると思っている。

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2005年01月04日

神田明神へ初詣 ~「困ったときの神頼み」~

 今日は神田明神にまで足を伸ばした。ここ周辺は私にとってはまさに母校がある地域でもあり、神田明神へは学生時代にも一度足を運んだことがある。また、中学受験の頃は近くの湯島天神に赴き、見事成就を果たした縁起の良い土地だとも思っている。それから第一に、ここ周辺を自分の商売のスタート地点としたいと考えていたのだった――。

 神田明神は何と言っても、家庭円満、縁結び、商売繁盛、事業繁栄の神様がおわしますことで有名である。私にとっては今どれも足りないものばかり。ついつい欲張ってしまう優柔不断な私なのだが、ここは一つ「商売繁盛」だけに願掛けをしてお賽銭を入れた。普段信仰などを持たない私ですら、目をつむってお願い事をしている間は真剣そのものである。私を知る人にとってみれば、まだ商売すら始めていないのにと滑稽に思うだろうが、自分の中で「商売」はもう始まったのだと感じている。そのくらいの心構えでいる。定期預金も解約し、僅かながら自由になる金も出来た。

 「商い」を「飽きない」と掛ける人がいる。私は、どうせ商売をするのなら決して「飽きない」ことをしたいと考えている。それはもちろん最低限の意識で、出来ればいつまでも今と同じような新鮮さをもって取り組んでいたいと思っている。

 今日はどこまでも澄んだ晴れ渡る青空が心地よく、参詣者の数も想像以上に多かった。私もその中に混じり、おみくじをひいてみた。

――「吉」。

 こんなに純粋な気持ちでひいたのにと、ちょっと肩すかしであった。自分が考えている程簡単なことじゃないのかな?先にあれほど信仰はないと言っていたのに、実際にこうした結果を引っ張ってくると不安になるものである。「わざわざここまで来て……」と半分投げやりな気持ちで本文に目を通す――。


かきくもり夕だつ浪のあらければ うきたる舟ぞしづ心なき
~夕立の来る前の荒立つ波に木の葉の様にゆれ動く舟。思わざる災を乗切る為には不動の信念が必要。人生航路においても不実心浮気など心の迷いを起さず身を正しく保つ事が肝要。


 ――出典を調べてみるとどうやら紫式部が都から地方に下向する際の不安を歌ったものとある。なるほどちょうど私が、大きな会社ではないが、ある程度安定した生活を約束された権利を放棄して、道のない道を歩み出そうとしている様に似ている。おみくじでさえ、こんな男らしくない逡巡している私の気持ちをお見通しである。決して気楽な道のりではないと戒められた。

 帰りがけ商売繁盛のお札を買い求めた。
その後駅までの道を歩く中、一軒一軒立ち並ぶお店と、街の様子をしっかりと目に焼き付けた。「困ったときの神頼み」かもしれない。しかし今日は、こんな私に対しては随分と真剣なアドバイスをもらったように思う。この場所がいつの日か、自分の活躍する場になっていて欲しいという、まだ瑣末な思いを胸に抱きながら、足取りは再び軽くなった。

カテゴリー:[ 都市を遊歩する ]

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2005年01月03日

『ミュージアムが都市を再生する 経営と評価の実践』 ~日本版ソーシャル・キャピタルを育むための独立宣言~

 私は本書、『ミュージアムが都市を再生する 経営と評価の実践』(上山真一・稲葉郁子著/日本経済新聞社)をバイブルとして、今後の自身の方向性を考えていきたいと思っている。また人生の指針、バイブルにもなる著作とさえ思える。そして今日の日記は、私のこのサイト自体のサイトコンセプトともなるだろうと思っている。

 本書の概要は、従来まで相対する事象として広く認知されてきた「資本主義経済」と「文化芸術振興」という二つの民主的な動きを、それらを相対峠させて考えること自体を批判するものである。
 共に共生させてゆく考え方を、ミュージアム側、ビジネスライクな立場に立ち、国内外の幾つかの事例を挙げつつ、その可能性を模索する。

 誰もが分かっているように、私たちが生きるこの社会は常に変動している。
10年前のインターネット黎明期には、こうしたブログをはじめ、今のようなネット社会が出来ることなど、どれだけの人間が想像できただろうか?

 戦後、日本はモノ作りの時代と呼ばれ、団塊世代を中心として高度成長期を歩んできた。やがてバブルを迎え、崩壊し、長い不景気に突入し、「ニート」などという新たな語を生んだ。一部の政治不信や鬼気迫る国際情勢、度重なる大型天災などで、『日本沈没』の書かれた1973年当時の世界規模での石油ショックやモノ不足の深刻化にあえぐ時代と同じような心境に直面している。しかもそれが、「何が原因で」という特定できる要素もなかなか見当たらず、ただ極自然発生的に迎えたある種の氷河期である。

 おそらくは今後しばらくの間、こうした悪いスパイラルから日本は脱出できないだろうと推測している。
単純に考えて、昨今長らく続く景気の低迷は、失業者や犯罪者、買い控えの消費者の増加を促し、税収が減る。一方で続く少子高齢化はますます進み、やがて都市財政は破綻をきたし、国民への還元どころか搾取の方向へと向かい、産業の衰退へと繋がってゆく。産業の衰退は職人を減らし、芸術が育たない文化を生み出し、国民の不安を解消する、あるいは激しい労働をねぎらい癒すような文化は廃り、無秩序で荒廃した社会を創り出してゆくのだと思う。

 それでは、一体誰が、こうした悪循環に歯止めを利かすのか?これは政府でも行政でも自治体でもない。企業やNPO、そして民衆自らが動き、社会を変革してゆく他ないのである。そのために必要な要素と著者が言うのが、「ミュージアムの再生」であると言う。それこそが、タイトルにも挙げた「ソーシャル・キャピタル」――、日本流に言い換えれば「社会資本」ということになろうが、そうした概念を認知させ、民度を高めてゆく起爆剤となるのではないか?

 ミュージアムと一口に言っても、もちろん美術館や博物館をはじめ、歴史・民俗博物館や科学博物館、文学館、水族館やプラネタリウムまで種々あるのであるが、これらの再生と言うのは、実は数的に言えば、日本全国に数千館以上あるのである。それら全てが経済的にうまく機能していないことが槍玉に挙げられ、時として「資本主義経済」と相対するものとしての認知をされているケースがほとんどである。しかし、昨今の風潮はと言えばどうか?昨年の「ヴェネチア・ビエンナーレ第9回国際建築展」に日本が選んだテーマは「オタク」だった。また、昨今ネット上でしばしば話題となっているのが、SNS(ソーシャル・ネットワーキング・サイト)と呼ばれる新しい形態のコミュニケーションの場があるが、こうした文化を生んだのは、長い不景気を背景に、私たち自らが望んだ、あるいは欲した文化ではなかったか?つまり人とのコミュニケーションを図りたい、人から多くの知識を得て自分の糧にしたい――、そういった気持ちを生んでいったのは、まさにそうした社会の変動によるものが大きいと思う。

 確かにミュージアムへ訪れる人数は年々減っているという。
本書でも挙げられているが、事実一時の企業メセナがブームとなった80年代以降、こうしたミュージアムが相次ぐ閉鎖に追い込まれている。
 近年で言っても「セゾン文化」という言葉を生んだ、セゾン美術館(西武美術館)を皮切りに、東武美術館、三越、小田急、伊勢丹などの都内百貨店の美術館が相次いで閉館した。百貨店誕生100年の歩みの中で、私たちは初めて経済にあえぐ百貨店の姿を見ることとなった。また、目黒雅叙園美術館、出光美術館(大阪)などの企業ミュージアムや、五島プラネタリウム、サンシャインプラネタリウムなどの自然科学系のミュージアムが閉鎖に追い込まれた。今や少子高齢化や景気低迷といった社会的情勢を背景に、パトロンやフィランソロピーの精神を持った有志を失い、こうしたミュージアムを守ろうという意識は低下した。

 ところが他国ではうまく運営しているミュージアムがある。代表的なものが、ニューヨーク・マンハッタン地区にある主要な3つの美術館――すなわちメトロポリタン美術館、ニューヨーク近代美術館(MoMA)、グッゲンハイム美術館である。しかもそれら3つのミュージアムはそれぞれ異なるやり方で成長を続けてきた。本書からの引用となるが、「美術館の運営もゼネラル・モーターズの経営も変わりはない」と言ったトマス・ホーヴィング氏がかつて館長を務めたメトロポリタン美術館では、そうしたビジネスライクな経営方針で地元企業などとうまくタイアップし、年間20億円相当の収入にもなるという会員を増やした。昨年六本木ヒルズで行われた展覧会以降、日本でも一般の人々からの関心を多く集めたニューヨーク近代美術館(MoMA)は、90年代に作られたという「MoMA」の愛称とロゴマークでブランディングを図り、今では大分質量ともに増えたミュージアムグッズをオンラインショッピングで購入できるようにするなど、インターネットをいち早く導入・実践させた展開で美術館自体の単体収支を支える事業を立ち上げた。また、グッゲンハイム美術館も、昨年、渋谷文化村に展示品が来て話題になったが、ここはフランク・ロイド・ライトが建てた美術館ということで、美術館そのものが建築物として話題になっているなど住民を喚起するための要素を秘めている。もちろん美術館の創設者である鉱山王ソロモン・R.グッゲンハイム氏は、他のナショナル・ギャラリーを建てた銀行王アンドリュー・W・メロン氏や、その他石油王ロック・フェラー、金融王モーガン、鉄鋼王カーネギー、石炭王フリックといったアメリカン・ドリームを叶えた資産家、大富豪、財閥・財団など、「現代のメディチ家」と著者が言うところのパトロンとして運営を続けているNYスタイルの代表格である。ここは他国への分館進出など、ともすると行き過ぎた「経営姿勢」が賛否両論を呼ぶこともあるそうだが、3つの美術館とも日本ではあまり見られないような成功をおさめたミュージアムであると思う。

 このようにして、ニューヨークではマンハッタン・ソーホー地区をはじめ、今も世界から芸術家たちが集まってくるなど、芸術文化は金融と並ぶ2大「産業」となっているかのようである。

 今、日本でも似たような社会的変革が起こっている。モノ作り中心であった戦後の風潮は、大手企業の衰退に併せて草の根のように登場してきたベンチャー企業が増え、人作りやコミュニケーションに注目されるようになってきた。著者はこれらを「大木経済」から「雑木林経済」へ推移しているというように呼んでいる。これを文化政策的に置き換えて言えば、国家や行政主導であった地域づくり、まちづくりを、企業や個人レベルでの動きにシフトしてゆかなくてはならないことを示唆しているかのようである。

 今、「創造都市」という言葉がもてはやされている。これはイタリアのボローニャや、日本で言えば京都・金沢といった産業と文化が一体となったある種の独立都市のことを指して言われることが多いようだが、著者はそのために必要な創造性を育むために、イノベーティブな人材作りを挙げている。こうした人材は、従来までの「大木経済」からよりも「雑木林経済」からの方が生まれてきやすいのではないかと思う。かつて赤瀬川原平氏が唱えた「老人力」ならぬ「地域力」を育て、小さなコミュニティ(共同体)から起こった、きちんとした運営指針によってミュージアム運営を行い、著者が言うところの「単体収支」→「地元経済効果」→「創造都市効果」というステップを踏み、真の意味での豊かさをもたらす。これは決してユートピア構想なんかではなく、条件さえ満たされれば実際に可能なことではないか?

 まもなく始まる愛知万博、30年ぶりに日本で開催される万国博覧会に期待が膨らむ。
既に開催会場である長久手町では交通網などをはじめ、インフラ整備が進んでいると聞く。かつてパリやロンドンを、世界のそれにまで押し上げた万博効果、岡本太郎亡き今、私たちは私たち自身でこの一大イベントを盛り上げていかなくてはならない。もちろん開催するにあたってのメリット・デメリットもあるし、開催をすることによって主旨から外れるという矛盾もあろうから賛否があるのは当然だが、少なからずこの長久手町だけでなく、日本全国、ひいては世界にまで波及する可能性を秘めたイベントである。

 会期終了後も、大阪万博公園やパリのオルセー美術館のようにコンバージョン事業として再利用されるケースもある。これらが他方「スクラップ&ビルド」事業的な六本木や丸の内再開発事業、安藤忠雄氏が進める青山同潤会アパートの建て直し事業などとともに、文化経済に寄与することになるだろう。

 今年は、万博会期終了後にも「横浜トリエンナーレ2005」が控えている。こうした社会的変動が、先に述べたソーシャル・キャピタル(民度)を高めてゆくための動きになれば良いなと考えている。

 私はそうした社会的動きに賛同・推進するために、自分が出来ることを自分なりに進めていきたいと考えている。本書はそのための教科書として、常に手元においておきたいと思った。

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2005年01月02日

退職して独立か?週末起業か?様子見か?

 「自分の理想の生き方は?」など哲学したところで、精神的な糧にはなっても生活の糧にまで昇華するには自分の能力は足らなさ過ぎる。幸い今私が置かれている状況は、少し前までの社会で言い古された「食うために働く」という貪欲さは必要とされていない。それが幸か不幸かはまだ自分にも分かっていない。

 私には今定職がある。しかし家庭はない。年齢的にも良い転機ではある。実際、今勤めている会社も言ってみればベンチャー企業で社長も若い。若い人が起業するのに一般的にネックとされるのが、「人脈」「資金」「経験」「知識」「人格」だと言われる。

 そういえば、私が大学を卒業してすぐの頃、渋谷がちょうど「ビットバレー」などと呼ばれて、多くのイベントが催されたり大型の異業種交流会も目立つようになり、私と同世代の方が多く起業されたりしていた。

cf.起業家たちの梁山泊「ビットバレーが燃えた夜」

 記憶に新しい、楽天三木谷氏やデジハリ杉山氏、その他CCCや今はなきデジキューブの社長なども駆けつけた上記のイベントでは、孫正義氏が起業に必要な要素として、「志」「アイデア」「仲間」「資金」を挙げている。

 先に挙げた要素に関して言えば、私にとってはどれも不足している。唯一やりたいこと、やり遂げたいことに関しては、まだ夢物語のように漠然としかしていないのだが、あるにはある。ただこのままでは、子供の考えるような「夢」と大差ないし、道楽だと言われても仕方がない。

 なにせ、この時代にあって自分の考えていることの第一優先の目的が「利潤の追求」ではないのである。ましてや組織を大きくしたいだとか、そうした気持ちもない。それではボランティアなのか?NPOを目指しているのか?

 今、新たに規制緩和のあった「最低資本金制度」を利用して起業する人が増えているという。関連書籍も多く出始めていることもあって、流行を知るのに書店はある意味便利である。

 自分の目標を叶えるためには、どうしても資金(収入)が必要である。それは将来のクライアントに対する最低限の保証であって、余裕を持った失敗や撤退なら構わないが、長期的な運営を約束できないビジネスだったら手を出したくない。

 今起業をしようとしている人、起業したばかりの人、起業してうまくいかなかった人、うまくいっている人――、それぞれどのような気持ちで自分の夢に取り組んでいるのだろうか?生島ヒロシ氏が独立したばかりの頃、それまでの「不満」が「不安」に変わったという。小さな組織では、会社の命運が自分の生活にも直結するという点で、ある意味人生の賭けであるように思う。しかも一旦手を出したら後には引きづらいものもある。

 こんな不安そうにしている私を見て、今の上司はどう思うだろうか?そんな気持ちならやめた方がいいと経験則から言うだろう。しかし、彫刻家のブランクーシが師であるロダンの元を去る際に言ったとされる「大樹の陰には何も育たない」という言葉に触発され、もし今「決断」するとするならば、まずは自分の率直な思いを伝えるしかないと思った。そしてそれは、正確に裏づけされた自分の夢の具体的構想なしにはあり得ないことだとも思った。

 今の仕事、今自分が置かれているポスト、与えられた職務etc……。まだまだ未熟な私だが、最近はまるで卒業試験であるかのように、様々な決断を迫られる場面に出くわすことが多い。上司にも焦りがある。このような未熟者の私が、この年齢にもなって独り立ちできないことへ対する自身のプロデュース力に対してだ。仕事での恩は仕事で返したい。口先だけだった私が証明するために必要な行動――、それは果たして、退職して独立か?週末起業か?様子見か?どれを選ぶことなのだろうか……。愚かな自分へ対する愚問は尽きない。

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2005年01月01日

新年事始め ~「まずは始めてみようと思った」~

 随分大それたことを思いついてしまったものだ――。

この私が何か一つ社会貢献をしたいと思い立ってしまった。何から始めるのが良いか?この自問は既にここ数年おぼろげにだが考えてはきたつもりだった。机上の空論で終わりたくはなかった。まずは母校周辺のまちづくりに協力することから始めよう。今日このブログを立ち上げたのは、そのための第一歩だと思っている。

今まで四半世紀以上も生きてきて、やっと自分のやりたいことが何なのか、うっすらと見えてきた気がする。ただ中途半端な気持ちで始めても、そこに信念がないのなら、おそらく誰からの支援も受けられないだろうと思う。

まだ何も形に示しているわけではないので、これを読んだ方が単なる妄想家の戯言としか見ないことは承知している。ただ自分の中で何か釈然としないものがあって、それを振り切るためのものが公言であって、自分の中でのマニフェストだと思っている。自分に嘘をつきたくないのは誰もが思うところであって、それは私も同様である。

ブロードバンド元年から4年、いまやインターネットも成熟期にさしかかり、SNSサイトを中心として、いわゆるコミュニティビジネスが本来目的とされた信頼を取り戻そうとしている。情報化社会をそのまま自分流に編集し直し、80年代後半を過渡期として沈滞下降し続ける日本の夢見た文化的な社会を、いつの日か自分なりの形で表現したい――、そういった思いで今、特定のジャンルに絞ったサイトを構築中である。

人様にお見せできるようになるまでは何の信頼もない発言だが、将来の賛同者を常に頭の中で具体的に思い浮かべながら、それを励みに頑張りたいと思う。

カテゴリー:[ 雑事断章 ]

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