昨年のニュースで、哲学者のジャック・デリダが亡くなったことが一部報じられ、その後幾日もしないうちに、今度は12月28日に、掲題のスーザン・ソンタグが癌のため71歳で亡くなったということを知った。正確に言えばそれらのニュースを知ったのは年が明けてからのことである。スマトラ沖地震のニュースがあまりにも衝撃的で、それに隠れてしまっていた。
この二人の人物の共通点は、共にユダヤ系アメリカ人で、哲学者、思想家、批評家であり、2001年9月11日の対米同時多発テロ事件に対する批評の中で、当時のブッシュ政権についてラディカルな批判を続けた知識人というくらいのことしか知らない。
最近になって、そんなスーザン・ソンタグの『写真論』をようやく読み終えた。女史の作品を読むのはこれが初めてだ。以前よりネット上のコミュニケーションサイト内で話題になったり、私の好きな作家である松岡正剛も評を書いていることもあり、名前だけは覚えがあった。それくらいの意識で読んだのがまずかったのか、やはり、というか当然難解なもので「目を通した」と言った方が適切なくらい全体の1割を理解出来たかどうかも怪しい。このような奇を衒ったような読み方は高校・大学時代から続いており、字面を追う作業をときに楽しく感じることもあり、蓮實重彦(『フーコー・ドゥルーズ・デリダ』等)、柄谷行人といった難解な文章を書く作家などの著作を購入したが、これらも難し過ぎて目を通しただけだった。
私は哲学など習ったことはこれまで一度もない。中学3年の頃の「倫理」の授業がそれに似た最後の授業だった。哲学を日常の生活に置き換えたりと、易しく解説した本も多く刊行されているが、どちらにしても難しいことに変わりはない。それは「現象学」だとか「構造主義」だとか「記号学」だとか、あるいは「ポストモダン」、「エクリチュール」、「グラマトロジー」、「アウラ」などと言った専門用語が溢れかえった著作ばかりで、私がこれらの本を読んでこなかった原因として、字面を追うだけでも平易ではないという感想を受けたことに依るものが大きいと思う。
それではなぜ今になって、『写真論』なのか――?
もちろんソンタグ自身が本著の中で、「写真術は新しい型のフリーランスの活動を開いて、ひとりひとりがある独特な、貪欲な感受性を発揮できるようになった」と言っているのに呼応するかのような昨今のデジカメの普及などによって、手軽に掌中に収められるようになった「"世界"という名のコレクション」や、またベンヤミンが『生産者としての作家』の中で言う、「われわれが写真家に要求すべきことは、写真を当世風の変質からひきはがし、写真に革命的な使用価値をあたえる画像の説明〔となる言葉〕を付与する能力である」にあるような、テレビや新聞といったメディアや出版物(キャプションも含む)・広告等を通じて日々私たちの元へ届けられる「世界の断片」、あるいはそれらを自ら沸き起こったジャーナリズム精神をもってホームページやブログなどへ表したりなど、より身近になった「写真」や「カメラ」などに、私の中の好奇心がかき立てられたからに他ならない。
そのための第一歩として書店で『写真論』を手にとったわけではない。まだ読みかじった程度なのかもしれないが、『図説写真小史』、『ベンヤミン「複製技術時代の芸術作品」精読』、『20世紀写真史』などはもともと読了していたし、そのほか、アジェやマン・レイ、ブラッサイ、ドアノー、キャパ、ブレッソンといった写真家の作品集などは好んで購入し、眺めやったこともある。
それから全くの私事であるが、学生時代から聴いている好きな曲がある。それはマーク・ジョーダンが79年に発表した名盤2nd、『Blue Desert』に収められている『I'M A CAMERA(邦題:「私はカメラ」)』という曲である。大好きなジェイ・グレイドンのギターが多くフィーチャーされていることも好きな理由の一つだが、恋に疲れたロマンティストな主人公の男を描いた歌詞の一部に、学生時代の私は感銘を受けたものだった。
僕はカメラ、あなたの写真も写したはずなのに
僕はカメラ
僕はカメラ、あなたの姿をもち歩いていたのに
どこに行くにも――
僕はカメラ
当時の私は自分の置かれた境遇に照らし合わせながら、随分と感傷的になってこの曲を何度もリピートして聴いていたものだった。今になって思えば女々しいことこのうえないのだが、これも若気の至りと許されたい。
ソンタグは本著の中で、「だれもかつて写真を通じて『醜』を発見したものはなく、多くは写真を通じて『美』を発見してきた」と書き、後半で女史が引用している多くの文献の一つより、「目前に現れた美という美の姿を捕えたくて仕方がなかったのですけれど、あこがれはついに満たされました」に見られるように、私たち"素人カメラマン"は、雲の形や夕映えが美しい空や、雪をかぶった山、色の神秘を感じる程に綺麗な配色をした花々などのような美しい景色や植物、家族のふれあいを感じるような子供の無垢な姿など、一般的に美しい被写体を選んではカメラに収めてきた。もちろんイベントや儀式の際の記念写真や報道写真、刑事事件のときなどの証拠写真などもあるにはあるが、私たちが一般的に自ら欲して撮ろうと思うものは、個人差あれど概して「美しいと思われた」被写体がほとんどである。
ところが残念なことには、後になってその写真を見返すに、思い出にはなっても「今、その場にいる」という真実に基づいた感動はもたらされることは多くない。ベンヤミンはこうした概念を「アウラ(いわゆる"オーラ"のこと)の喪失」と呼んだが――、広告界で言えばその失われたアウラを少しでも取り戻そうとしたノウハウが「シズル(感)」ということになるかもしれない。――絵画にしろ景色にしろ、実物を持ち帰ることは出来ない。またもベンヤミンの言葉を借りれば「礼拝的価値」から「展示的価値」へ変遷したオリジナルとコピーとの関係の隔たりは大きく、確かに写真技術などを無視して考えても、実際現地で見た建築物や廃墟を写真に撮影して持ち帰り、ゆっくり感傷に浸ったところで、その場で受けたオーラに勝る感動は得られない。
とはいえ、写真術の登場は人類にとって至極画期的だったに違いない。人類の歴史の中でも、複製技術時代の幕開けとも言えなくもない、ルネサンスの3大発明の一つ「活版印刷」にはじまり、銅版、鋼版、木版、石版といった版画の類を経て、カメラ・オブスキュラ、ルイ・ダゲールによるダゲレオタイプ(銀板写真)の発見、タルボットのカロタイプ、そしてエジソンやリュミエール兄弟らによる映画の発明まで、疾走とも言えるくらいある意味で迅速に進歩し、私たちは世界中に散逸した自然美・創作物を我が物としたいと考えたのであった。
その登場から現在に至るまで多くの批評家が書いたように、カメラや写真は印象派画家へ対する脅威として始まり、置かれた歴史的背景の中でピクチャレスクのようにも、即物主義的にも、またマン・レイやデュシャン、コクトーら、ダダイスト・シュルレアリストを通じて実験的に、あるいは戦争やテロ事件を通じてラディカルなジャーナリズム精神の表現方法としても用いられ、日本へは黒船に乗ってペリーによってもたらされてからというもの、私たちに様々な用途を提案し続けてきた。
何枚も焼き増してイベント参加者全員に行き渡らせることも可能だし、連写技術によって動的な被写体の中にある発見をしたり、建築物の細部を見るために一部分だけ大きく引き伸ばすことだって、ソフトフォーカス的にデジタル加工してより美しく見せることも可能になる。
ソンタグはそんなカメラをその特性上から、真実や真理を映し出す鏡、証拠となる記録性、速攻性を持った複製技術、そしてカメラ自体や写真術を「フィルムを"装填"」「映画を"撮影(シュート)"する」という使い方に見られるように攻撃性を帯びたもの(あるいは「カメラは略奪の武器」)、性的妄想をかき立てるものとしても書いている。
先ほど引用した『私はカメラ』という曲――、こじつけ的な解釈かもしれないが、ソンタグも本著の中で多くの写真家や映画などを引き合いに出し『写真論』を語るように見せながら、実は他の多くの著作の中に見られるように、決して写真家ではない彼女は自らをカメラに置き換え、現代アメリカの疲弊した精神を捉えようとしたラディカルな批評家であったのかもしれない。
『写真論』を読み終えた私は、東京都写真美術館のページで解説されている第一の視覚「裸眼」、第二の視覚「カメラ・オブスキュラ」、第三の視覚「フォトグラフ」に続けて言えば、第四の視覚「映画(あるいは、「シネマトグラフ」)」に継ぐ「第五の視覚」とも言うべき、カメラや写真を媒介とした「批評家精神的視点」をも養っていかなくてはならないような義務感に襲われるのであった。
現代アメリカの誇る、偉大なる批評家に追悼――。