「よい本屋を計る尺度とは、その店が定番となる本をいくつ持っているかではないだろうか?」(菊池敬一氏)
まず掲題の「ヴィレッジバンガード」についてだが、私が初めて訪れたのは(今は閉店している)六本木ヒルズ店だったので、極最近になってからのことである。あとはお茶の水店くらいか。
最近は、青山ブックセンターの閉店騒ぎもあってか、以前にも書いたかもしれないが、何かこだわりのある書店が注目されている時期である。
ヴィレッジバンガード1号店が開店したのは、1986年のことなので予想外に歴史がある。その頃、文化的側面から言うと、いわゆる「セゾン文化」華やかなりし頃と想像する。セゾン文化については、当時西武美術館で働いていたという永江朗氏がエッセイのようなものを書いている。
実は私も高校~大学時代はセゾン美術館(旧西武美術館)が好きで、テーマによっては時々足を運んだことがあった。閉館になったときは淋しい感じがしたものだった。普通の百貨店の中にある美術館なのに、上野に匹敵するくらい、否それ以上に独創性に富んだ内容の濃いテーマの展覧会を多く催していたところが好きだった。帰りはリブロ池袋店で、値段は高いのだけど奮発して関連本を買って散財するという週末を過ごしていた。
永江朗氏が『菊地君の本屋 ヴィレッジバンガード物語』を書いている。永江朗氏と言えば、今春休刊となった『噂の真相』の中で、「メディア異人列伝」などのコーナーを持つなど、特異なテーマで若者の支持を仰いだ方だと思う。今手元に『噂の真相』、通称「ウワシン」についてを回想する永江氏のコラムが書かれた『出版ダイジェスト』というタブロイド版の専門紙があって、それを目に通しながら書いている。
永江氏は「菊池君」、すなわち冒頭でエピグラムとして挙げた、「ヴィレッジバンガード」創業者である菊池敬一氏についての人となりと、ヴィレッジバンガードの創業秘話のようなものを先の本の中で書いている。
途中は菊池敬一氏自身による回想や、先に挙げたリブロ池袋店の店長を務められたという今泉正光氏の対談などで構成されている本書である。
1948年生まれの菊池敬一氏は、大学時代よりずっとアウトドアや山登りやジャズやブルースなどの音楽が好きだったと書いている。店名の由来も、ビル・エヴァンスをはじめとした往年のジャズミュージシャンが発表しているアルバム、『Sunday At The Village Vanguard(サンデイ・アット・ザ・ヴィレッジ・バンガード)』のタイトル、あるいは同名の名門ジャズクラブの店名から採ったものとどこかで聞いた。
cf.『ヴィレッジ・ヴァンガードで休日を』(新風舎文庫)
こだわりのある店内は、どこの店舗もいかにもメインターゲット層である男子大学生を魅了してやまない本やグッズで埋め尽くされている。有名なクルマやビリヤード台などのインテリア、というか棚についての話や、「黄色い手書きPOP」のエピソードなども書かれている。他の書店で売れないものでも、ヴィレバンなら売れるという法則もあるそうで、本ならば片岡義男氏、山川健一氏の著作、雑誌のバックナンバーで言えば、「BRUTUS」「スタジオ・ヴォイス」「BT(美術手帖)」「ユリイカ」などだそうである。なるほど、これらの雑誌は私も学生時代にハマったものである。
この「ヴィレバン」がすごいのは、単にそうした自店で売れる本を集めたことではないのである。「売るためのレイアウトを考える」。すなわち本書にあったエピソードで言えば、L・L・ビーンやエディ・バウアーのフィールドコートのポケットにヘミング・ウェイの文庫をさして販売したりなど、ボヘミアンと言わないまでも、放浪好きバックパッカー学生が見たら思わず手に取りたくなってしまうだろう。そうした「あるテーマに沿った"モノ"(オブジェ)」が、アカデミックな方向に深入りし過ぎない程度に、およそ直感的な感じで有機的に絡んだ展示となっているというか、アマゾンなどのネットショップで言うところの「関連商品を買う」「あわせて買いたい」「この商品を買った人はこんな商品も買っています」系の、いわゆるマーケティング用語で言う「クロス・セリング」のようなものが、店員や客までをも巻き込んで楽しく表現されているのである。
私は書店や出版業界にいたことのある者ではないが、本書の随所に表れる菊池敬一氏の、本の品揃えやレイアウトに対する思いのようなものが不思議と分かるような気がした。
就職活動をしていた頃、実は出版社をはじめとしたマスコミ関連も数社受験したことがあった。出版社というのはご存知の方も多いと思うが、筆記試験や面接を受ける前に大抵書類審査がある。履歴書のほかに自己PRのような書類の提出が必要となり、中にはさらにそれとは別に課題作文を強いられるところもある。実は私はこの課題作文を書くのが面白そうで受験していたというのもあった。
そのうちの1社の課題作文のテーマに「私の本棚」というものがあり、当時の私は熱を込めて書いたものであった。今でこそ、「ブクログ」などのWEBサービスがあるが、当時の私はパソコンなんて触ったこともなかった。強いて言うなら大学の授業で、「パソコンらしきモノ」に触ったこともったが、OSはWindows3.1と呼ばれる型式のパソコンだったから、記憶にほとんどあるわけもない(笑)。
そこでどう熱弁したかというと、本棚というのはつまり自身による自身の編集であり、表現の場であり、それがいかに自己満足であろうとも、少なくとも意図的なメッセージを有しているのが望ましいといったようなことであった。要するに自分にまつわるエピソードとして書いたのは、例えば自分の本棚の中に、違和感のある隙間があったとする。これはあくまでも意図的な隙間であって、実はまだ探し得ていないが、自分の理想としている本が存在して、いつの日か本を辿り読んでいくうちに該当の本に出会った際に入れるスペースとしてとってある――、だとか、この本とこの本の間にこの本があるということが「こだわり」である――だとか、ここの書店は何で「地理・歴史」のコーナーにレヴィ・ストロースの『悲しき熱帯』が置いてあるんだ!と嘆いたエッセイストのエッセイを引用して、自分の住んでいる近所には同じように自分の理想とする書店がないことを嘆くエピソードなどを熱を込めて語ったのであった。
――とそんなどうでもいい?「こだわり」だが、後年になって知ることになる松岡正剛氏の言う「編集」とはまさにそういった意味も含んでいるのではないか?という仮説が立った。
別冊宝島134の特集に『編集の学校』というのがあって、これは内容が結構面白くて、学生時代に何度か読み返したことがあった。「編集」をテーマに、様々な実生活上のものに置き換えて仮想的に編集に取り組む練習をしようという内容だった。例えば、「店を編集する 自分好みの品揃え、自分好みの空間の店をしつらえてみる」という「ワークショップ(項になっている)」の冒頭で、「都市は書物である」という言葉を引用して、空間を構成してゆくプラクティス・パターンを書いている。
その他、お店ではなくて「旅(ツアー)を企画」するという「編集」を行い、そうしたものを実際に雑誌の誌面に置き換えて考えてみたりするという企画などのケースがいっぱい掲載されていて、楽しんで企画をすることができる本だった。
ヴィレバンで言えば、私も以前、石津謙介氏のことなどについて触れたことがあったが、VANが好きだったという菊池敬一氏らしく、店内に置いた商品の額やカレンダーにはノーマン・ロックウェルなどを置いたり、客足の多い少ないや、そのとき店内にいた客層の年齢構成比でBGMを切り替えたりなど。冒頭で挙げた「定番」の見せ方が勝負なのである。
私の表現が正しいか間違っているか分からないのだが、こだわりのある書店というのはある種の箱庭主義というか、ジオラマ装置のように感じる。菊池敬一氏も本書の「理想的な本屋」という項で、「本当の理想的な本屋は二〇坪だと思う。二〇坪を手塩にかけて。店長一人でやったらすごい店になる」と書いている。
【明日の日記へつづく】