「ヴィクトル・ユゴーとロマン派展」 ~ユゴー生誕200周年記念~
※旧「楽天広場」時代のブログより転載。
ヴィクトル・ユゴーとは、自分がヴィクトル・ユゴーだと思い込んでいる狂人だ。/ジャン・コクトー
今日は前から楽しみにしていた「ヴィクトル・ユゴーとロマン派展」を見に行って来た(チケットをアップ)。場所が八王子にある東京富士美術館で家からも割と遠いので行く機会を失っていた。前回訪れたのは高校生のとき、「大ナポレオン展」を見に行ったときであったが、ユゴーとナポレオンとはゆかりも深い。
ヴィクトル・ユゴーは、代表作『レ・ミゼラブル』や、ディズニー映画の『ノートルダムの鐘』の原作である『ノートル=ダム・ド・パリ(ノートルダムのせむし男)』など、近代フランス文学史上における金字塔的作品を多く残した19世紀の大文豪として知られる。確かに文学のみならず、詩、演劇、絵画、そして政治の世界でも、その人となりをあらわすフランスロマン主義・人道主義(ユマニテ)が大衆を虜にした偉業は本国フランス以上とはいかなくとも、多くの日本人を魅了したことだろう。
確かに、「あなたが知っている代表的なフランス文学者は?」と聞かれたら、まず初めに「ヴィクトル・ユゴー?」と思わず答えてしまうだろうなと思い、自分のオススメ本を紹介していこうとしているサイトの別館にて、「フランス文学」作品として第一に採り上げてみた。
2002年に生誕200周年を迎えたユゴーの業績を讃えた本展では、ユゴーや革命に対するオマージュのような箴言で埋め尽くされていた感がなくもなかったが、フランス国宝を含む稀少な展示も多く、それなりに満足した展覧会であった。
ユゴー作品に関しては、幼少時代に読んだ「レ・ミゼラブル(もしくは「ああ、無情」)」の児童文学と、以前読んで強く感銘を受けたあまり推薦詩を書いたことがあったくらい熱狂した『死刑囚最後の日』くらいしかない。ミュージカルなどでは何度も公演されているし、フランス史や革命や悲哀をテーマにした作品なので日本人女性の多くは、私などよりもはるかにユゴー好きの人が多いと思われる。
まず、ユゴーの人となりを知るのに重要だと思われる『レ・ミゼラブル』についての話を書きたいと思う。社会人になるとなかなか長編作品を読む機会がなくなるものだと思われるが、実際、私もかつて読んだのは児童文学版しかない。以前タラナイさんも日記の中で「心温まるただの人情物語ではなくて、革命を背景にした、大叙事詩でもあるのだ。」とおっしゃっていたが、おっしゃる通りだと思った。ユゴーの生きた時代はまさに革命期、日本で言えば板垣退助などがユゴーと外交に当たっていた時代と言われる。
松岡正剛氏が「千夜千冊」の中でも書いているが、私も以前に鹿島茂氏の『「レ・ミゼラブル」百六景 木版挿絵で読む名作の背景』という著作を読んでいたことがあり、にわかにその感動がよみがえった。この本はフランスの「ユーグ版」と呼ばれる360以上もの挿絵の入った版を読んだ作者が、代表的なシーン毎に挿絵を紹介しつつ物語の背景にある当時のフランス社会について説明をしながら、原作を読んでいようといまいと、読者が物語としての醍醐味を味わえるという構成になっている。
表紙はミュージカルの公演告知ポスターなどにもよく使われている、貧しい身なりをしたコゼットが体の割に異常に大きな箒を持たされている場面。他にも展覧会で彫像となっていた、有名なコゼットの水汲みシーンの版画もあった。
一切れのパンを盗んだがために19年間を牢獄を過ごした主人公ジャン・ヴァルジャンをはじめ、ファンチーヌとコゼット、主人公とともにユゴー自身の思想を投影させたかのようなマリユスの人となりについて書かれていて、その他ミリエル司教、ジャヴェール警部、テナルディエ夫妻、アンジョルラス、「ABCの友」etc……、『レ・ミゼラブル』の登場人物は本当に一人一人が、役割を持って今すぐにでも動き出しそうな程のリアリティで表現されている。
少年犯罪が増えていると言われる日本。最近では幼少期にこうした本を読まない風潮があるのが原因だとも聞かれる。本を読んだからといって犯罪を起こさないわけではないと思うが、弱者の救済に関するテーマの本には、その背景に深い意味や歴史があることが多いものである。
パン一つを盗んでなぜこんな厳刑に処されるのか?
ジャン・ヴァルジャンに対するミリエル司教の救済、法の番犬ジャヴェール警部に対する盗人ジャン・ヴァルジャンの救済、それは20世紀フランスにも生き続け、ジャン・ジュネに対する大統領の特赦(参考:「松岡正剛の千夜千冊」)、そうした経緯をおいて、1981年、ギロチンの生みの国フランスでフランス革命以来使用されていたギロチンとともに死刑制度は廃止された(cf.『そして、死刑は廃止された』)。
死刑制度についてユゴーは反対者であったが、日本では未だに死刑に処される人がいる。これ自体の良し悪しは私には思想はないが、死刑に値するだけの犯罪が絶えない事実を証明されていることにはなると思う。
ユゴーの実践した人道主義が単なる理想主義とさえ成り果ててしまうような社会、もしくは政治下においては救済も何もないが、いつの時代も没個性化はマスコミやセクト、カルト集団を介して全体主義を生みだす風潮であった。もしかするとマスコミに変わらんとする、それ以上にゴシップの流れやすい今日のネット社会にもそうした没個性化を生み出す元凶があるかもしれない。
いろんな思いが錯綜し止まないが、本題とはズレるのでこの辺で……。ユゴーの作品には、『レ・ミゼラブル』以外にも多くあるので、今度ゆっくり読みたいなと思った。
カテゴリー:[ 美術展 ]