「古地図から幻の国々を読む方法」/辻原康夫(河出書房新社)
先日また、以前の日記でも紹介していたメルマガ「随筆名言集」の記事が目に留まった。
その号は、私が他のブックレビューサイトでも紹介している深田久彌氏の言葉だった。
「よい地図があるかないかは、文明のバロメーターである。」
これだけの文章だと何が何だかよく分からないが、たまたま少し前に、タイトルに挙げた「古地図から幻の国々を読む方法」という新書を読んだことがあったので、ふと内容を見返してみた。
この本ではオカルトマニアの方でなくともなじみのある、アトランティス大陸やムー大陸、レムリア大陸などの伝説上の大陸をはじめ、大航海時代に人々の誤見で生み出された大陸や島々のことなどが少しづつ紹介されている。
今では既に途方もないオカルト話のように語られることも、決して笑えることではないと著者は言う。なぜなら、未知のものに対する無知あるいは興味は、人間が想像力を失わない限り必ず存在し続けるからだと著者は言い切る。
ここでふと思い出したのは、先日のニュースにあった、「小学生の4割が天動説を信じる」とか、「小学生の約5割は月が満ち欠けする理由を理解していない」とか、「「太陽の沈む方角」(東西南北から選択)の正答率が65%」ということが発覚した話である。
ただ、私も当時は知らなかった話だったかもしれない。今でさえそれらを人から聞いたり本で読んだことはあっても、実際に見たわけではないし弁証法的に確認したことがあるわけでもない。私自身が特に教育現場に携わっているわけでないからかもしれないが、ファンタジーブームに浮かれる世相に対するちょっとした警句程度にしか、このニュースを傍観していない。
それよりも悪質だと思うのは、大の大人が、それも名のある考古学者が自身の名誉のためか捏造までして世紀の大発掘を謳い、その他真面目な研究者たちのプライドを傷つける行為の方である。これも少し前のニュースにあった。
知らないで誤った解答をする子供と、知っていて相手を騙そうとする大人とは比較するまでもないのだが。もしこのニュースを言い換えるとするならば、無知からスタートして新しく物事を発見してゆく喜びを持ったコペルニクス的可能性を秘めた人間と、歴史上からは名を消してゆくこととなる大航海時代以前から存在した大法螺吹きとの差に近いと思う。この本の中には、そうした昨今のニュースをも示唆するかのようなコメントが含まれていたようにも感じる。
私自身が興味を持ったのは、「未知の南方大陸 テラ・アウストラリス・インコグニタ」という章で語られる「対蹠人(紀元前四世紀頃のピタゴラス学派たちは、地球の裏側にはバランスをとるために、何もかもが全く逆の人が住んでいると考えた)」の話に、思わず昨日の日記でも触れた澁澤龍彦の『高丘親王航海記』中に登場する「アンチポデス」を思い出し、この本の中にもオリジナルのテキストに近づく一歩が記されていると思ったりした。
特に興味をそそられた章は、「聖ブランダン諸島」の話の部分であった。今でも市販されているが『聖ブランダン航海譚』という本を読んでみたい気になってきた。
この本のタイトルには「地図」が含まれているので、地図についてはそんなに詳細に渡ってではないかもしれないが、頻繁に触れられている。私自身、特に地図マニアというわけではないのだが、以前にも引き合いに出した『ナショナル ジオグラフィック 1998年2月号』の付録であった「世界を変えた探険家たち」という見出しの入った地図を、未だに机のシートの下に敷いていたりもする。他にも『建築MAP東京』やその続編、成美堂出版から出ているムック『今がわかる 時代がわかる 世界地図 2004年版』なんてものまで手元に揃えるくらいに興味はあり、これはきっと「地図旅行」という言葉があるくらいなので、おそらくは、普段は絶対異国の地を踏むことなんて絶対にない環境に自分がいるという諦めと、もしかしたら!という期待を込めてのことなのかもしれない……。
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