<< 「ピカソ展 躯〔からだ〕とエロス」 ~東京都現代美術館(前編)~ | メイン | 「エルミタージュ美術館展」(江戸東京博物館) ~"隠れ家"のコレクション~ >>

「花と緑の物語展」 ~東京都現代美術館(後編)~

※――というわけで、今日23日は昨日付けの日記の中で書いたピカソ展を見終えた後、同じ東京都現代美術館で開催中だった「花と緑の物語展」チケットはコチラ)を一緒に見て来た。

 本展は「花と緑」をテーマに、私が古くから好きなコローやユトリロをはじめ、クールベ、ミレー、モネ、ルノワール、ピサロ、シスレー、セザンヌ、キスリング、ゴッホ、モンティセリ等の作品の中から、鑑賞する都会生活者の心を癒すかのような花や緑をモチーフとした作品を展示した展覧会となっていた。

 ブースを進むごとにテーマ別に分かれた展示がされていたのだが、最後の「エピローグ:楽園の花と緑」部の最後の最後に展示されていた、アンリ・ルソーの『熱帯風景、オレンジの森の猿たち』を見て、その異質感にそれまでの展示作品のコンセプトを全て覆すかのような感覚を覚えた。

 アンリ・ルソーは、俗に「素朴派」と呼ばれる作風が特徴で、独特なリアリズムと、南方楽園的な亜熱帯地域を描いた幻想的な作風の絵画で知られている。この画家が画壇に姿を現すのは、1886年に行われた「アンデパンダン展(独立展)」のときと言われる。
 印象派でさえなかなか認められることの少なかった当時のアカデミックな画壇にあって、この無資格で参加できた展覧会の主催は非常にセンセーショナルなものとなった。
 ところがここへ出展したアンリ・ルソーの作品は、画家としての技術の欠落を認められ、周囲からの嘲笑を買うことになるのだった。そんなアンリ・ルソーの作品を当時認めていた数少ない芸術家が、あのピカソであった。

 高橋和巳氏の作品の中に逸脱の論理という評論集があって、巻頭に収められた「埴谷雄高論」の冒頭に、「表現者の最大の不幸は、みずから構築した諸観念のもっともよき理解者が、他ならぬ当の本人自身でしかないという閉塞的回帰状態におちいることである」と著者の師を述べるくだりがある。

 これは何も文学者に限ったことではなく、「表現者」という点で画家に関しても言えることではないかと思う。そういった意味で、デュシャンなども述べている、芸術家が芸術家たるために少なからず誰かの同意ないしは賛同を得なければならないのが現実社会でもある。

 先ほどアンリ・ルソーの作風を「独特なリアリズム」と呼んだが、これは何も描かれた植物や動物などが、博物学的に正確に描写されているということを述べたわけではない。アンリ・ルソーの描く生い茂ったジャングルや襲いくる猛獣たちが、画家自身をして、今にも襲ってきそうな雰囲気があって「不安と胸苦しさにおそわれて、新鮮な空気を吸うために窓をすっかりあけ放さねばならなかった」程の想像力としてののめり込み方の逸話を読んでそう感じるのである。

 こう紹介する人は、私の好きな作家にも挙げさせてもらっている岡谷公二氏である。アンリ・ルソーの「素朴」さは、「無垢」という言葉にも置き換えられるだろう。岡谷氏の引用するボードレールの「天才とは、意のままに取り戻される幼年期だ」という言葉や、目先の名声や勲章へのこだわり方などのエピソードを読んで、他の芸術家の中にも多く見られたある傾向を彷彿とさせる。

 それこそが「アンファンティリスム(幼児性)」である。
しかもその空想癖や収集癖、想像力、老いても変わらない執拗な思い込み、自己顕示欲etc……、これらは非常に強烈な個性だと思う。

 岡谷氏は、私がオススメ本の紹介をしているサイトでも紹介している別著や訳本のいくつかでも、この種のことについて多くを論じている。また特に、同時代人であったレーモン・ルーセルや、かの郵便配達夫シュヴァルなどと並んで論じられることが多い。

 私が所有する岡谷氏に関する本だけでも、アンリ・ルソー 楽園の謎(新潮社)』、『ロクス・ソルス/レーモン・ルーセル著(ペヨトル工房)』、『アフリカの印象/レーモン・ルーセル著(白水社)』『レーモン・ルーセルの謎 彼はいかにして或る種の本を書いたか(図書刊行会)』、『エグゾティスムという病 ピエル・ロティの館(作品社)』、『郵便配達夫シュヴァルの理想宮(河出書房新社)』、『幻のアフリカ/ミシェル・レリス著(イザラ書房)』それから、『夜想 27 特集:レーモン・ルーセル(ペヨトル工房)』、『ユリイカ 1977年8月号 特集:シュルレアリスムの彼方へ デュシャンとルッセル 「アフリカの印象」(青土社)』、『is 36 特集:南方楽園(ポーラ文化研究所)』などの雑誌への寄稿などがあり、そうした作品や解説の中でもアンリ・ルソーや、メインテーマでもある南方楽園幻想に関係する評論を読むことが出来る。派生してゆくと、先のレーモン・ルーセルが敬愛してやまなかったジュール・ヴェルヌの冒険譚の中にも、直接的でなくともそうした影響を垣間見ることもできるかもしれない。これら全てをフリーメーソン的影響と断定することは出来ないのかもしれないが、彼ら幻視者の生き様を読んでいると、いずれもある種の崇高な「旅」の中に自己を置いて作品を生み続けていたかのように感じないこともない。
 今日の「花と緑の物語展」の最後にアンリ・ルソーの作品が置かれたことで、作品を見るために立ち止まった私はふいに先ほど触れたことがらを思い出し、思わず息苦しさを覚えるほどに別世界にのめり込んでしまうという事態に陥った。

 「緑」色は、一般的に疲れた心を癒す色として有名である。この展覧会はきっと、日々の都市生活の中で疲れた現代人の心を癒す意味も含めて開かれたのだろうと勝手に解釈している。9月26日(日)までの展示であるし、昨日触れたピカソ展も面白かったので、まだ行かれていない人で興味を持たれた方は是非訪れてみてはと思う。疲れがとれます(笑)。

カテゴリー:美術展

投稿者 cyberpoet : 2004年09月23日 22:56

トラックバック

このエントリーのトラックバックURL:
http://www.furuhon.info/blog/mt-tb.cgi/63

コメント

コメントしてください




保存しますか?

(書式を変更するような一部のHTMLタグを使うことができます)