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「ピカソ展 躯〔からだ〕とエロス」 ~東京都現代美術館(前編)~

※実は23日に行ってきた展覧会なのですが、企画展も一緒に見たことで長くなりそうだったので、この日の日記に書くことにします。

 昼過ぎから新木場にある東京都現代美術館で開催中のピカソ展 躯〔からだ〕とエロスを見に行った。

 現地に着くまでに少し驚いたことがあって、大江戸線・清澄白河駅から向かう途中の深川資料館通り商店街が「ピカソ通り」と銘打っていました。有名画家の展覧会が行われるからなのかもしれないが、行く前からワクワクしてしまう。

 受付でチケットを購入すると、2002年以前くらいまでは通常のバーコードだった販売記録の模様が、それ以降にはQRコードのようなタイプの2次元バーコードが使用されていて、そんなところからも「現代美術館」の名に思わず納得させられてしまうが、前回私が訪れた「球体関節人形展」での異様な雰囲気や、その前の「ガウディ かたちの探求展」でのいくつものビデオモニターを駆使した展示など、コストを掛けた仕掛けにしばしば驚かされることのある美術館である。
 2年程前に訪れた「フェラーリ&マセラッティ展」のときなどは、あの広い駐車場に観覧しに来た方のフェラーリやマセラティをはじめ、国内外の高級車がズラリと並んでいて、美術館に着いた瞬間これが既に展示なのでは!?と間違えそうになったこともあった(笑)。とにかく、いろんな意味でネタに事欠かない美術館だと思う。

 話を元に戻して今回の展覧会についてだが、これまでにもピカソに関する展覧会は多くあったろうし、私自身もいくつか見に行った記憶がある(管理人のHPに情報を載せてある)。

 しかし、美術展の面白いのは、基本的には学芸員などの主催者側が毎回テーマを変えて展示内容を変えているところで、今回のピカソ作品は、「変貌の時代」と本展監修が呼ぶところの1925年から1937年の間の作品を集めている。

 有名な「青の時代」にはじまり、「バラ色の時代」「キュビスム時代」「古典主義時代」「シュルレアリスムの時代」と、年代の変遷とともに社会的背景やピカソ個人を取り巻く環境の変化が起こり、それにに応じるかのように驚くくらい作風を変えていったピカソの画家人生の中で、最も画家個人の本質に迫ったのではないか?と思われる時代にスポットライトを当てた展示内容となっている。

 様々な愛人との交際の中で激しく推移する画家の心情が表れた作品群は、他のどの時代の作品よりも象徴的な作風の作品が多く、いわゆるパーツがめちゃくちゃになっている女性を描いた作品(cf.「キュビスム時代」)だったり、ピカソが興じた闘牛をテーマに野蛮性や暴力的なものを表現した作品(cf.「フォーヴィスム」)だったり、はたまた彫刻に挑戦したりと、人間の深層心理に近いある意味で狂気じみた感情から生まれた作品には理解に苦しむものもある。

 ブルトンやデュシャンをはじめとしたダダ・シュルレアリスムの中心人物との優雅な交友を続けたり、パリへ訪れたロシアバレエ団(ディアギレフのバレエ・リュス)との出会いから生まれた前衛的な芸術運動への参加などをする一方で、こうした一人、あるいは数人の女性を巡っての狂おしいばかりの愛(エロス)や、自身の老いへの恐怖や死(タナトス)について、荒々しくと同時に繊細に揺れ動く心情を描いたピカソ――。

 「絵は日記の一ページにしかすぎない」というピカソの言葉を先述の作品の変化に重ねて考えてみても、ある種のミスティフィカシオン(神秘化)が行われているようで、この変幻自在さがピカソをよりミステリアスな画家に仕立て上げている要因となっているような気がした。

 天才画家と評されるピカソの暗黒の時代と言うべきか、疲弊した精神を告白した「日記」としての作品群に興味を持たれた方は是非行ってみては?と思った。

 今度時間ができたら、損保ジャパン東郷青児美術館で開催中の、もう一つの展覧会にも行ってみようと思っている。

 ――ということで、後編は次の日の日記へ。

カテゴリー:美術展

投稿者 cyberpoet : 2004年09月22日 21:00

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