「人体の不思議展」(東京国際フォーラム)を見て。
胎児よ
胎児よ
何故躍る
母親の心がわかって
おそろしいのか
これは、私が高校時代に読んで影響を受けた、または特に印象に強く残っている書物のうちの一冊、『ドグラ・マグラ』の冒頭に出ていた「巻頭歌」である。
この『ドグラ・マグラ』は、中井英夫の『虚無への供物』、小栗虫太郎の『黒死館殺人事件』と並び、日本の戦後3大ミステリ作品と呼称される。著者である夢野久作をして「これを書くために生きてきた」と言わしめ、10余年の歳月をかけて書かれた作品だそうである。狂人の書いた推理小説という状況設定の中、若林・正木両博士の論文なども紹介されるなどの作中作のレトリックが作用してか、フィクションだとは分かっていても読者が思わず作品の中に引きずりこまれるかのような錯覚を覚える一大奇書であった。
文中に「胎児の夢」という有名な段落がある。
「人間の胎児は、母の胎内にいる十か月の間に一つの夢を見ている」という仮説の元、胎児はその間に地球上の生物の進化の歴史をたどっているという進化論のようなものを説き、さらに胎児の時期に見る夢が事件の鍵を握っていると博士は推測を立てる。そんな言わばマッド・サイエンティストのような登場人物が、あることないこと書きまくっているという内容の小説なのである。
本日、東京・有楽町の東京国際フォーラムまで足を運んだ「人体の不思議展」は、半年くらい前に東京で行われた同展の続きであると思う。
私はあいにく前回の東京展のときには機会を失って見に行くことが出来なくて非常に残念に思っていた。直後の北海道展が行われた今春、本気で北海道まで見に行こうと思っていたくらい見に行かなかったことを後悔したものだった。
なぜ「続き」かと言うと、私も何故この時期また東京で展覧会を行っているのか興味を持って主催側に問い合わせたところ、ある意味あまりの大反響によるリクエストということも含め、前回の展示内容の70%は違う内容の展示であるという旨を聞いたからであった。冒頭に書いた本などの影響もあるのかもしれないが、この展覧会には一度は行きたいとかねがね思っていた。
本展はいわゆる人体の標本のようなものが幾つも展示されていて、臓器の位置だとか、筋肉や神経はこうなっているだとか、そういったものを解説しているのであるが、単なる標本であれば他にいくらでもある(参考サイト:1・2・3)。また、『ヨーロッパのおもしろい博物館』の中でも紹介されている、イタリアはフィレンツェにある「ラ・スペコラ博物館」での有名な蝋人形の標本(写真集にもなっている)などもあるし、ボローニャにある「ボローニャ人体解剖博物館」なども有名みたいである。
しかし先の「人体の不思議展」の展示内容の何がすごいかと言うと、展示されている標本の全てが、実際の人体そのままであるということなのである!ボローニャ人体解剖博物館では骨格の標本などで人骨が使われているとあるが、骨だけにとどまらず、臓器、筋肉、神経等々、全て本物なのである。そこに胎児の標本などもあった。これももちろん本物だそうである。他には胃癌や肝硬変、肺気腫といった病変した臓器の標本などもあり、一般人だけでなく医療従事者の方などにとってもある意味で楽しめる内容であったのではないか。
もちろんこれは悪趣味の人向けに開催された展覧会ではなく、先の公式サイトの趣旨などを見れば分かる通り、「ひとりひとりが豊かな人間性と教養を得るために、からだについてさらなる考えを進め」ることを推進している展覧会なのである。改めて人体というものが、繊細で精巧で、矛盾するようだが頑強で、そしてある意味神がかった機能を有したものであるかを知らされた展示内容であった。
私自身はどうした理由で見に行ったかと言うと、実は今、インターネット系の仕事をしているのだが、もっと細かく言うと、どちらかというと医療系の仕事が混じっている。その関係で、「インフォームド・コンセント」などに対する知識を改めて深めたいという気持ちもあり、公式サイトの趣旨で書かれていた「「自分自身が自分の<からだ>を知らなければ、医師とのコミュニケーションは図れない」という考え方」に対して、頭の中だけでなく、五感で理解を示したいと思ったからなのであった。
本物の人体を使った標本ということで、現代解剖学の最先端であることが謳われていたが、監修に加わった方々の肩書きもさることながら、本展の後援に名を連ねる名前――、日本赤十字社、日本医学会、日本医師会、日本歯科医学会、日本歯科医師会、日本看護協会などからは信憑性の高い学術的な側面も伺え、子供から大人まで幅広く興味の持てる展覧会ではないだろうか?
脳の重さを体感したり、実物の標本に触ったりできるコーナーもあり、今日は雨にも関わらず大勢の人が見に来ていました。でも、私は実はこの手の展示内容というのは結構苦手なのである(笑)。意外にも女性の姿が多く、「すごぉ~い!」とか言いながら標本を凝視する光景が見られたが、目黒の寄生虫博物館とかにしてもそうだと思うのだが、女性とはこの手の内容に強いなぁと思ってしまった。私は「夢に出てきそうだな……」とか思い、ぶるっと震えながらも頑張って、(触ってよい)標本に触ってみたが、その後数時間は食事をとる気になれなかった(笑)。
幼少の頃に親しんだ学研の「ひみつシリーズ」の中の「からだのひみつ」を、ふと思い出した。人間のからだというのは、ちょっとしたことくらいでは大事に至らないかもしれないが、ある一線を越えたら最悪死に至ることもある――、そんな簡単なようで難しい「境界」を知らない人が今でも多くいる。昨今でもニュースになった「長崎小6女児殺害事件」もその例だと思うし、いい大人が相手を殺傷して平気な人だっていっぱいいるのである。
当たり前のことだが、人間のからだはアニメやゲームのキャラクターのからだとは全く違う。そんなことさえも正しく理解できないまま成長してゆく人は、今でもいっぱいいるのではないか?
また、医者自身のあり方についてもそうである。患者に対するセクハラ・ドクハラなどは言語道断だとしても、自身または自分の医院の利益のため、もしくは「対病気」という医療的視点に立ち過ぎるがために、その前にある「対人間」に対する治療だということを忘れてしまっている医者がいると新聞で見かけることもある。
今回の「人体の不思議展」は、医療を提供する側、そして医療を提供される側も等しく、主催者の趣旨に共感するに値する展覧会なのではないかと思った。
カテゴリー:美術展