中秋の名月 -ルナティックス-
「つまり彼らは、太陽の暗示のない夢を織り出そうとしているのだ。」――ヒュネカァ「月光発狂者」
上記、引用の引用になってしまうが、稲垣足穂の短編集『一千一秒物語』に収められている「天体嗜好症」という章の冒頭にあったエピグラムである。
今日9月28日は「中秋の名月」であった。旧暦でいう8月15日は通常(新月から数えて)15夜にあたり、今年は今日がそれにあたる。古来より花鳥風月や雪月花を愛してきた我が国日本では、中秋の名月の日にはお月見の習慣があるとされる。
今日は一日中内勤で、月を見たのは家路に着く少し前の、既に夜中の1時を回っていた頃だったので、格別月見などという気分にはならなかったが、今年は偶然にも満月に近い中秋の名月であり、そんなことさえ忘れていた、いつもは下ばかり見ながら帰途に着く私も、薄暗い雲の切れ間に見え隠れしながら蒼白くほのかに照らす今夜の月のあまりの妖艶さに、思わず珍しく天を見上げてしまった。
たまたま昨日の日記の中で、「小学生の約5割は月が満ち欠けする理由を理解していない」などというニュースの話題を出していたので、何だか妙に月が神秘的に見えた夜だった。
確かに月をモチーフにした書物や絵画は今までにも多くあった。今日の日記のタイトルには、以前も引き合いに出した松岡正剛氏の名著(『ルナティックス 月を遊学する』)より拝借した。また、加賀谷穣氏のコンピュータ・グラフィックや、シム・シメールのシルクスクリーン作品など、月や天体をモチーフとしたものは世に溢れかえっていると思うので、他にも「月」に特別な感情を抱く人が多いのかとも思う(ヤフーでの検索結果)。
月は実際に、1969年にアメリカの打ち上げたアポロ11号による人類初の月面着陸のニュースや、私も以前書いたZIGGYの音楽レビューで触れたデヴィッド・ボウイの「SPACE ODDITY(69年)」で歌われたことでも、私が生まれる以前の話と言っても既に身近な話題である。
「朧月夜」や「荒城の月」などの曲もあるし、先ほどは、月を日本人特有の風情のように書いたが、もちろんそんなことはない。
有史以前から、月をはじめとして天体に対する信仰・崇拝のようなものもあって、イスラエルのダビデ王の子、ソロモンの元へ謁見に来たという伝説のシバの女王の話が映画化などもされたりと有名だが、この「シバ」という名前だが、確かに伝説上の人物とは言っても、実はこれは人名ではなく国の名前だとも言われていて、古代バビロニアで崇拝された「月の女神シン」に由来するとも言われているそうである。
しかし何と言っても人類でそうした天文全般に人々の興味がわいたのはルネサンス以降の中世ヨーロッパ、とりわけアタナシウス・キルヒャーやヤコブ・ベーメなどが進めた天文学、あるいは占星術が起点となってはいないだろうか。宇宙や地球、また、そのミクロコスモスとしての人体、あるいは運命論的思想まで、それはどうしてもオカルトじみた話にも発展しやすく、そこから多くの怪奇・幻想趣味の物語も多く登場したが、そこでモチーフとなったものとして月は比較的主役級に近い存在だったと思う。
このように、いつの時代も人を魅了してやまない月、神秘的な天体は、現代でも謎に満ちている。冒頭で話した「月の満ち欠け」だが、先日の週刊誌にも、月齢(公転周期)と地震の因果関係により、今月28日から来月10日くらいにかけて、阪神や関東大震災級の地震が来るかもしれないといったような記事が出ていたが、実は真実はどうあれ、これ以前からも結構話題になっていたりする話だった。
太陽や月の引力が潮の満ち引きに影響することは何となくは知っている。月はその大きさや質量、地球からの距離からいって、他の天体との相関と比べても、地球に対する引力は強く働いているとされる。地球の7割を占める海水でさえ、大きな影響を受けるくらいだから、そうしたことからも、確かにちょうど地表の割れ目付近にある日本列島が世界でも有数の地震列島として言われる由縁も分かるような気もする。
「美しいものには棘がある」
そんな言葉がよく言われるが、「ルナティックス」――、この「月的なるもの」、あるいは「狂気的なもの」の妖艶さを身にまとった今日の中秋の名月に何とも言い難い神秘的な雰囲気が漂っていたために、思わず心の中では、近く大地震でも起こるのではないか?なんて心配をしてしまった程である(笑)。
まだまだこの神秘的な地球には、小学生ばかりでなく、大人にも分からないことだらけだと心から思う月のきれいな晩だった……。
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