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2004年09月28日

中秋の名月 -ルナティックス-

「つまり彼らは、太陽の暗示のない夢を織り出そうとしているのだ。」――ヒュネカァ「月光発狂者」

 上記、引用の引用になってしまうが、稲垣足穂の短編集『一千一秒物語に収められている「天体嗜好症」という章の冒頭にあったエピグラムである。

 今日9月28日は「中秋の名月」であった。旧暦でいう8月15日は通常(新月から数えて)15夜にあたり、今年は今日がそれにあたる。古来より花鳥風月雪月花を愛してきた我が国日本では、中秋の名月の日にはお月見の習慣があるとされる。

 今日は一日中内勤で、月を見たのは家路に着く少し前の、既に夜中の1時を回っていた頃だったので、格別月見などという気分にはならなかったが、今年は偶然にも満月に近い中秋の名月であり、そんなことさえ忘れていた、いつもは下ばかり見ながら帰途に着く私も、薄暗い雲の切れ間に見え隠れしながら蒼白くほのかに照らす今夜の月のあまりの妖艶さに、思わず珍しく天を見上げてしまった。

 たまたま昨日の日記の中で、「小学生の約5割は月が満ち欠けする理由を理解していない」などというニュースの話題を出していたので、何だか妙に月が神秘的に見えた夜だった。

 確かに月をモチーフにした書物や絵画は今までにも多くあった。今日の日記のタイトルには、以前も引き合いに出した松岡正剛氏の名著(『ルナティックス 月を遊学する』)より拝借した。また、加賀谷穣氏のコンピュータ・グラフィックや、シム・シメールのシルクスクリーン作品など、月や天体をモチーフとしたものは世に溢れかえっていると思うので、他にも「月」に特別な感情を抱く人が多いのかとも思う(ヤフーでの検索結果)。

 月は実際に、1969年にアメリカの打ち上げたアポロ11号による人類初の月面着陸のニュースや、私も以前書いたZIGGYの音楽レビューで触れたデヴィッド・ボウイの「SPACE ODDITY(69年)」で歌われたことでも、私が生まれる以前の話と言っても既に身近な話題である。

 「朧月夜」や「荒城の月」などの曲もあるし、先ほどは、月を日本人特有の風情のように書いたが、もちろんそんなことはない。

 有史以前から、月をはじめとして天体に対する信仰・崇拝のようなものもあって、イスラエルのダビデ王の子、ソロモンの元へ謁見に来たという伝説のシバの女王の話が映画化などもされたりと有名だが、この「シバ」という名前だが、確かに伝説上の人物とは言っても、実はこれは人名ではなく国の名前だとも言われていて、古代バビロニアで崇拝された「月の女神シン」に由来するとも言われているそうである。

 しかし何と言っても人類でそうした天文全般に人々の興味がわいたのはルネサンス以降の中世ヨーロッパ、とりわけアタナシウス・キルヒャーやヤコブ・ベーメなどが進めた天文学、あるいは占星術が起点となってはいないだろうか。宇宙や地球、また、そのミクロコスモスとしての人体、あるいは運命論的思想まで、それはどうしてもオカルトじみた話にも発展しやすく、そこから多くの怪奇・幻想趣味の物語も多く登場したが、そこでモチーフとなったものとして月は比較的主役級に近い存在だったと思う。

 このように、いつの時代も人を魅了してやまない月、神秘的な天体は、現代でも謎に満ちている。冒頭で話した「月の満ち欠け」だが、先日の週刊誌にも、月齢(公転周期)と地震の因果関係により、今月28日から来月10日くらいにかけて、阪神や関東大震災級の地震が来るかもしれないといったような記事が出ていたが、実は真実はどうあれ、これ以前からも結構話題になっていたりする話だった。

 太陽や月の引力が潮の満ち引きに影響することは何となくは知っている。月はその大きさや質量、地球からの距離からいって、他の天体との相関と比べても、地球に対する引力は強く働いているとされる。地球の7割を占める海水でさえ、大きな影響を受けるくらいだから、そうしたことからも、確かにちょうど地表の割れ目付近にある日本列島が世界でも有数の地震列島として言われる由縁も分かるような気もする。

 「美しいものには棘がある」

 そんな言葉がよく言われるが、「ルナティックス」――、この「月的なるもの」、あるいは「狂気的なもの」の妖艶さを身にまとった今日の中秋の名月に何とも言い難い神秘的な雰囲気が漂っていたために、思わず心の中では、近く大地震でも起こるのではないか?なんて心配をしてしまった程である(笑)。
 まだまだこの神秘的な地球には、小学生ばかりでなく、大人にも分からないことだらけだと心から思う月のきれいな晩だった……。

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2004年09月27日

「古地図から幻の国々を読む方法」/辻原康夫(河出書房新社)

 先日また、以前の日記でも紹介していたメルマガ随筆名言集の記事が目に留まった。
 その号は、私が他のブックレビューサイトでも紹介している深田久彌氏の言葉だった。

「よい地図があるかないかは、文明のバロメーターである。」

 これだけの文章だと何が何だかよく分からないが、たまたま少し前に、タイトルに挙げた古地図から幻の国々を読む方法という新書を読んだことがあったので、ふと内容を見返してみた。

 この本ではオカルトマニアの方でなくともなじみのある、アトランティス大陸やムー大陸、レムリア大陸などの伝説上の大陸をはじめ、大航海時代に人々の誤見で生み出された大陸や島々のことなどが少しづつ紹介されている。

 今では既に途方もないオカルト話のように語られることも、決して笑えることではないと著者は言う。なぜなら、未知のものに対する無知あるいは興味は、人間が想像力を失わない限り必ず存在し続けるからだと著者は言い切る。

 ここでふと思い出したのは、先日のニュースにあった、「小学生の4割が天動説を信じる」とか、「小学生の約5割は月が満ち欠けする理由を理解していない」とか、「「太陽の沈む方角」(東西南北から選択)の正答率が65%」ということが発覚した話である。

 ただ、私も当時は知らなかった話だったかもしれない。今でさえそれらを人から聞いたり本で読んだことはあっても、実際に見たわけではないし弁証法的に確認したことがあるわけでもない。私自身が特に教育現場に携わっているわけでないからかもしれないが、ファンタジーブームに浮かれる世相に対するちょっとした警句程度にしか、このニュースを傍観していない。

 それよりも悪質だと思うのは、大の大人が、それも名のある考古学者が自身の名誉のためか捏造までして世紀の大発掘を謳い、その他真面目な研究者たちのプライドを傷つける行為の方である。これも少し前のニュースにあった。

 知らないで誤った解答をする子供と、知っていて相手を騙そうとする大人とは比較するまでもないのだが。もしこのニュースを言い換えるとするならば、無知からスタートして新しく物事を発見してゆく喜びを持ったコペルニクス的可能性を秘めた人間と、歴史上からは名を消してゆくこととなる大航海時代以前から存在した大法螺吹きとの差に近いと思う。この本の中には、そうした昨今のニュースをも示唆するかのようなコメントが含まれていたようにも感じる。

 私自身が興味を持ったのは、「未知の南方大陸 テラ・アウストラリス・インコグニタ」という章で語られる「対蹠人(紀元前四世紀頃のピタゴラス学派たちは、地球の裏側にはバランスをとるために、何もかもが全く逆の人が住んでいると考えた)」の話に、思わず昨日の日記でも触れた澁澤龍彦の『高丘親王航海記』中に登場する「アンチポデス」を思い出し、この本の中にもオリジナルのテキストに近づく一歩が記されていると思ったりした。

 特に興味をそそられた章は、「聖ブランダン諸島」の話の部分であった。今でも市販されているが聖ブランダン航海譚という本を読んでみたい気になってきた。

 この本のタイトルには「地図」が含まれているので、地図についてはそんなに詳細に渡ってではないかもしれないが、頻繁に触れられている。私自身、特に地図マニアというわけではないのだが、以前にも引き合いに出した『ナショナル ジオグラフィック 1998年2月号』の付録であった「世界を変えた探険家たち」という見出しの入った地図を、未だに机のシートの下に敷いていたりもする。他にも建築MAP東京』やその続編、成美堂出版から出ているムック今がわかる 時代がわかる 世界地図 2004年版なんてものまで手元に揃えるくらいに興味はあり、これはきっと「地図旅行」という言葉があるくらいなので、おそらくは、普段は絶対異国の地を踏むことなんて絶対にない環境に自分がいるという諦めと、もしかしたら!という期待を込めてのことなのかもしれない……。

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2004年09月24日

「エルミタージュ美術館展」(江戸東京博物館) ~"隠れ家"のコレクション~

 実は昨日23日は、昨日付けと一昨日付けの日記に書いた「ピカソ展 躯〔からだ〕とエロス」「花と緑の物語展」を見終えた後、もう一展観に行ったところがあった(合計3展もハシゴすると、結構頭の中が整理つかなくなってきたりしますw)。

 それがタイトルにあるエルミタージュ美術館展江戸東京博物館)である。

 江戸東京博物館は、清澄白河駅から大江戸線で2つ目の両国で降りるとすぐのところにあった。昨年の江戸開府400周年に向けてか、随分と前から既に建設してあった建物だったのだと思うが、まずはそのスケールに驚き、続いてゆっくりとその異形なファサードをはじめとした建物全体のユニークな形に驚かれることとなった。
 何しろこの江戸東京博物館は、以前にも何度か自分の日記で触れたことのある、菊竹清訓氏の手によるものだったのである。
普段両国などあまり来る機会がないので、久し振りに下車して、初めてこのような近代的な複合施設を両国駅で見ることになることに新鮮な気持ちを覚えた。

 両国や浅草、東京丸の内を主に訪れたことがあったのは学生時代だった。永井荷風や芥川龍之介、中原中也etc……そうした文豪の軌跡を追いかけ、小説や詩の中で描かれた原風景と、今まさに私が見ることのできる現在の風景とを比較して、明治~平成にかけての「東京」を形成していた、あるいは変遷してきた不易流行の要素をピックアップし、ゼミで発表するというフィールドワークを行っていたことがあった。

 そんな当時、両国とゆかりの深い芥川龍之介を採り上げ、作品中の「ルサンチマン」的要素をピックアップしていったことがあった。その一つに安岡章太郎氏なども引用していた芥川龍之介の『本所両国』(東京日日新聞連載)という名の随想の中に、下記のようなくだりがある――。

 「僕は生まれてから二十歳頃までずっと本所に住んでゐた者である。明治二三十年代の本所は今日のやうな工業地ではない。江戸百年の文明に疲れた生活上の落伍者が比較的多勢住んでゐた町である。」

 ――確かにこの随想は芥川が青年期を振り返って書いたものである。当時はまだ江戸から明治への変遷の過程で、廃藩置県の名目で職を失った人が多く、貧しい雰囲気が漂っていたのかもしれない。晩年の芥川がそうした人たちを思い出し、変わり果てた生まれ育った本所の街並みを憂うかのような、言い換えればあの文明開化の時代に複雑に揺れ動いた幼心を懐古するかのような「ルサンチマン」的回想であると、私は感想を述べたことがあった。

 そんな「工業地両国」も、今私が降り立った感じではそんな印象は受けない。むしろ近代的な街並みに思えるのだが、それには江戸東京博物館もその効果に一役買っているのかもしれないと思った。

 閑話休題。
この「エルミタージュ美術館展」は、正式には「サンクトペテルブルク古都物語 エルミタージュ美術館展 ~エカテリーナ2世の華麗なる遺産~」として宣伝されており、今電車内の中吊り広告などでも派手な衣装を着たエカテリーナ2世の絵と、同じく派手な馬車などの描かれたポスターを見かけることがあると思う。「華麗なる遺産」と謳うだけあって総数300万点にも及ぶという、まさに「北のルーブル」と異名をとる程の質量のコレクションや、サンクトペテルブルクというまだ見ぬ都市の歴史について興味を持ったので観に行こうと思ったのだった。

 また「エルミタージュ」という言葉には、フランス語で「隠れ家」の意味があるらしく、思わずそこに以前の日記でも触れた、「ロクス・ソルス荘」や、デ・ゼッサントが隠居した郊外の邸宅などを連想した。
 もちろんエルミタージュ美術館は、18世紀後半の君主であったエカテリーナ2世のコレクションが元になっている点で、趣きを異とするものではある。

 昨年2003年に建都300年を迎えたというロシア第二の都市サンクトペテルブルクを記念して開かれたという本展。ピョートル一世(大帝)によって、サンクトペテルブルクが建都したのが1703年、ちょうど江戸開府100年の節目の年であった。1712年にモスクワから帝政ロシアの首都を遷都してからは、ロシア革命までの実に2世紀近くも首都として栄えたことになる。サンクトペテルブルクは、私も一時期読みふけったドストエフスキーや、プーシキンなどが住んだことで文学を愛好する人にとっては一度は行ってみたい都市だと思う。

 当時のサンクトペテルブルクをはじめとした帝政ロシアを治めたエカテリーナ2世が集めたコレクションの数は、かのベルサイユをもしのぐと言われますが、ベルサイユと比較して語られるようになったのは、フランスびいきであったエカテリーナ2世の治世があったからである。

 「エカテリーナ美術館」とも呼べる彼女のコレクションは、多くのフランス絵画にはじまり、金銀で作られた食器、宝石のちりばめられた飾り物や置物など、ロシア帝国の「黄金時代」と呼ばれる由縁がそこにあるのかもしれない。

 文化・芸術に花開いたエカテリーナ2世による治世。
それはある種の享楽的な時代を作り上げたのかもしれないが、幾度かの戦争や叛乱などがあったにしても、ヨーロッパ全土に広まる程の文化や芸術を一から作り上げ、国民の目を争いから反らせ文化的発展によって世界に対抗しようとしていった史実には、現代日本の為政者にも学ぶところが多いのではないかと思った。

 エカテリーナ2世はもともとドイツの小国出身である。まるでコルシカ島出身のナポレオンがフランス皇帝となったように、他国から来た人によって国力を上げることとなるのである。エカテリーナ2世が当時のロシアにおいて女帝となったことで、辺境の地ロシアに住む人々に自信と希望とを与えることになるのである。

 ところで、プーチン大統領も、このサンクトペテルブルクの出身だそうである。
 先日のベスランの学校占拠・人質事件など、今後も対策を迫られることになるプーチン大統領にとっても、エルミタージュ美術館への思いはきっと強い筈である。

 文化・芸術だけが人々を平穏に導く手段ではないのかもしれないが、こうした芸術面における活動を続けることによって少しでも平和に近づけるのであればいいなと、冒頭に書いた「ルサンチマン」的気分で思うのであった。

カテゴリー:[ 美術展 ]

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2004年09月23日

「花と緑の物語展」 ~東京都現代美術館(後編)~

※――というわけで、今日23日は昨日付けの日記の中で書いたピカソ展を見終えた後、同じ東京都現代美術館で開催中だった「花と緑の物語展」チケットはコチラ)を一緒に見て来た。

 本展は「花と緑」をテーマに、私が古くから好きなコローやユトリロをはじめ、クールベ、ミレー、モネ、ルノワール、ピサロ、シスレー、セザンヌ、キスリング、ゴッホ、モンティセリ等の作品の中から、鑑賞する都会生活者の心を癒すかのような花や緑をモチーフとした作品を展示した展覧会となっていた。

 ブースを進むごとにテーマ別に分かれた展示がされていたのだが、最後の「エピローグ:楽園の花と緑」部の最後の最後に展示されていた、アンリ・ルソーの『熱帯風景、オレンジの森の猿たち』を見て、その異質感にそれまでの展示作品のコンセプトを全て覆すかのような感覚を覚えた。

 アンリ・ルソーは、俗に「素朴派」と呼ばれる作風が特徴で、独特なリアリズムと、南方楽園的な亜熱帯地域を描いた幻想的な作風の絵画で知られている。この画家が画壇に姿を現すのは、1886年に行われた「アンデパンダン展(独立展)」のときと言われる。
 印象派でさえなかなか認められることの少なかった当時のアカデミックな画壇にあって、この無資格で参加できた展覧会の主催は非常にセンセーショナルなものとなった。
 ところがここへ出展したアンリ・ルソーの作品は、画家としての技術の欠落を認められ、周囲からの嘲笑を買うことになるのだった。そんなアンリ・ルソーの作品を当時認めていた数少ない芸術家が、あのピカソであった。

 高橋和巳氏の作品の中に逸脱の論理という評論集があって、巻頭に収められた「埴谷雄高論」の冒頭に、「表現者の最大の不幸は、みずから構築した諸観念のもっともよき理解者が、他ならぬ当の本人自身でしかないという閉塞的回帰状態におちいることである」と著者の師を述べるくだりがある。

 これは何も文学者に限ったことではなく、「表現者」という点で画家に関しても言えることではないかと思う。そういった意味で、デュシャンなども述べている、芸術家が芸術家たるために少なからず誰かの同意ないしは賛同を得なければならないのが現実社会でもある。

 先ほどアンリ・ルソーの作風を「独特なリアリズム」と呼んだが、これは何も描かれた植物や動物などが、博物学的に正確に描写されているということを述べたわけではない。アンリ・ルソーの描く生い茂ったジャングルや襲いくる猛獣たちが、画家自身をして、今にも襲ってきそうな雰囲気があって「不安と胸苦しさにおそわれて、新鮮な空気を吸うために窓をすっかりあけ放さねばならなかった」程の想像力としてののめり込み方の逸話を読んでそう感じるのである。

 こう紹介する人は、私の好きな作家にも挙げさせてもらっている岡谷公二氏である。アンリ・ルソーの「素朴」さは、「無垢」という言葉にも置き換えられるだろう。岡谷氏の引用するボードレールの「天才とは、意のままに取り戻される幼年期だ」という言葉や、目先の名声や勲章へのこだわり方などのエピソードを読んで、他の芸術家の中にも多く見られたある傾向を彷彿とさせる。

 それこそが「アンファンティリスム(幼児性)」である。
しかもその空想癖や収集癖、想像力、老いても変わらない執拗な思い込み、自己顕示欲etc……、これらは非常に強烈な個性だと思う。

 岡谷氏は、私がオススメ本の紹介をしているサイトでも紹介している別著や訳本のいくつかでも、この種のことについて多くを論じている。また特に、同時代人であったレーモン・ルーセルや、かの郵便配達夫シュヴァルなどと並んで論じられることが多い。

 私が所有する岡谷氏に関する本だけでも、アンリ・ルソー 楽園の謎(新潮社)』、『ロクス・ソルス/レーモン・ルーセル著(ペヨトル工房)』、『アフリカの印象/レーモン・ルーセル著(白水社)』『レーモン・ルーセルの謎 彼はいかにして或る種の本を書いたか(図書刊行会)』、『エグゾティスムという病 ピエル・ロティの館(作品社)』、『郵便配達夫シュヴァルの理想宮(河出書房新社)』、『幻のアフリカ/ミシェル・レリス著(イザラ書房)』それから、『夜想 27 特集:レーモン・ルーセル(ペヨトル工房)』、『ユリイカ 1977年8月号 特集:シュルレアリスムの彼方へ デュシャンとルッセル 「アフリカの印象」(青土社)』、『is 36 特集:南方楽園(ポーラ文化研究所)』などの雑誌への寄稿などがあり、そうした作品や解説の中でもアンリ・ルソーや、メインテーマでもある南方楽園幻想に関係する評論を読むことが出来る。派生してゆくと、先のレーモン・ルーセルが敬愛してやまなかったジュール・ヴェルヌの冒険譚の中にも、直接的でなくともそうした影響を垣間見ることもできるかもしれない。これら全てをフリーメーソン的影響と断定することは出来ないのかもしれないが、彼ら幻視者の生き様を読んでいると、いずれもある種の崇高な「旅」の中に自己を置いて作品を生み続けていたかのように感じないこともない。
 今日の「花と緑の物語展」の最後にアンリ・ルソーの作品が置かれたことで、作品を見るために立ち止まった私はふいに先ほど触れたことがらを思い出し、思わず息苦しさを覚えるほどに別世界にのめり込んでしまうという事態に陥った。

 「緑」色は、一般的に疲れた心を癒す色として有名である。この展覧会はきっと、日々の都市生活の中で疲れた現代人の心を癒す意味も含めて開かれたのだろうと勝手に解釈している。9月26日(日)までの展示であるし、昨日触れたピカソ展も面白かったので、まだ行かれていない人で興味を持たれた方は是非訪れてみてはと思う。疲れがとれます(笑)。

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2004年09月22日

「ピカソ展 躯〔からだ〕とエロス」 ~東京都現代美術館(前編)~

※実は23日に行ってきた展覧会なのですが、企画展も一緒に見たことで長くなりそうだったので、この日の日記に書くことにします。

 昼過ぎから新木場にある東京都現代美術館で開催中のピカソ展 躯〔からだ〕とエロスを見に行った。

 現地に着くまでに少し驚いたことがあって、大江戸線・清澄白河駅から向かう途中の深川資料館通り商店街が「ピカソ通り」と銘打っていました。有名画家の展覧会が行われるからなのかもしれないが、行く前からワクワクしてしまう。

 受付でチケットを購入すると、2002年以前くらいまでは通常のバーコードだった販売記録の模様が、それ以降にはQRコードのようなタイプの2次元バーコードが使用されていて、そんなところからも「現代美術館」の名に思わず納得させられてしまうが、前回私が訪れた「球体関節人形展」での異様な雰囲気や、その前の「ガウディ かたちの探求展」でのいくつものビデオモニターを駆使した展示など、コストを掛けた仕掛けにしばしば驚かされることのある美術館である。
 2年程前に訪れた「フェラーリ&マセラッティ展」のときなどは、あの広い駐車場に観覧しに来た方のフェラーリやマセラティをはじめ、国内外の高級車がズラリと並んでいて、美術館に着いた瞬間これが既に展示なのでは!?と間違えそうになったこともあった(笑)。とにかく、いろんな意味でネタに事欠かない美術館だと思う。

 話を元に戻して今回の展覧会についてだが、これまでにもピカソに関する展覧会は多くあったろうし、私自身もいくつか見に行った記憶がある(管理人のHPに情報を載せてある)。

 しかし、美術展の面白いのは、基本的には学芸員などの主催者側が毎回テーマを変えて展示内容を変えているところで、今回のピカソ作品は、「変貌の時代」と本展監修が呼ぶところの1925年から1937年の間の作品を集めている。

 有名な「青の時代」にはじまり、「バラ色の時代」「キュビスム時代」「古典主義時代」「シュルレアリスムの時代」と、年代の変遷とともに社会的背景やピカソ個人を取り巻く環境の変化が起こり、それにに応じるかのように驚くくらい作風を変えていったピカソの画家人生の中で、最も画家個人の本質に迫ったのではないか?と思われる時代にスポットライトを当てた展示内容となっている。

 様々な愛人との交際の中で激しく推移する画家の心情が表れた作品群は、他のどの時代の作品よりも象徴的な作風の作品が多く、いわゆるパーツがめちゃくちゃになっている女性を描いた作品(cf.「キュビスム時代」)だったり、ピカソが興じた闘牛をテーマに野蛮性や暴力的なものを表現した作品(cf.「フォーヴィスム」)だったり、はたまた彫刻に挑戦したりと、人間の深層心理に近いある意味で狂気じみた感情から生まれた作品には理解に苦しむものもある。

 ブルトンやデュシャンをはじめとしたダダ・シュルレアリスムの中心人物との優雅な交友を続けたり、パリへ訪れたロシアバレエ団(ディアギレフのバレエ・リュス)との出会いから生まれた前衛的な芸術運動への参加などをする一方で、こうした一人、あるいは数人の女性を巡っての狂おしいばかりの愛(エロス)や、自身の老いへの恐怖や死(タナトス)について、荒々しくと同時に繊細に揺れ動く心情を描いたピカソ――。

 「絵は日記の一ページにしかすぎない」というピカソの言葉を先述の作品の変化に重ねて考えてみても、ある種のミスティフィカシオン(神秘化)が行われているようで、この変幻自在さがピカソをよりミステリアスな画家に仕立て上げている要因となっているような気がした。

 天才画家と評されるピカソの暗黒の時代と言うべきか、疲弊した精神を告白した「日記」としての作品群に興味を持たれた方は是非行ってみては?と思った。

 今度時間ができたら、損保ジャパン東郷青児美術館で開催中の、もう一つの展覧会にも行ってみようと思っている。

 ――ということで、後編は次の日の日記へ。

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2004年09月12日

「マティス展」(国立西洋美術館) ~絵とはどのように生まれてくるものなのか?~

 今日は日曜日だったが、平日よりも早い時間に仕事があり、15時過ぎまで出向先に出向いていた。その帰り、上野の国立西洋美術館で開催中の「マティス展」に立ち寄ってきた。

 なんでも今回のマティス展は没後50周年を記念して行われたもので、日本でこのような大規模な展示を行うのは23年ぶりとのことであった。23年前の展覧会はどのようなものだったのだろう?池田満寿夫氏のエッセイに『私のピカソ 私のゴッホ』というものがあり、文中に以下のようなくだりがある――。

東京にピカソ展があった。あれは高校三年の時だったような気がする。(中略)ピカソ展の少し前に開催されたマチス展は、それをわざわざ東京まで観に行っていながら、熱狂はやって来なかったのだから。マチスに対する不理解はこの時から続いているとも言える。

 すなわち、1951年に上野で開催されたピカソ・マティス両展についての感想を述べている。これは「23年前」の展示のことを言っているわけではないが、この年に20世紀を代表する二人の画家の作品が日本に初めて同時上陸したようで、当時の日本の美術旋風が想像出来る。
 マティスと言うと、ピカソと並ぶ20世紀美術の大家といったイメージがあるが、ひょっとしたらこの1951年時の日本への紹介のされ方が、半世紀という一つのサイクルを経て影響するアンソロジー的要素もあるのかもしれない。

 また先の著作の中で池田氏は、「ピカソの伝記を読んでなによりもうらやましいと思ったのは、彼をとりまく交友関係であった。」「青春ピカソの存在がひときわうらやましく見えたのは、これらの詩人たちや、画家たちとの交友関係がなによりも輝かしく見えたからである。」とも書いている。

 ピカソを取り巻いた交友関係については、私も以前に同じようにピカソの交友関係筋をたどることによって、他の同時代を生きた偉大な作品の生みの親に出会うことが出来たので、そういった意味でピカソの作品に興味を覚えたものだった。一方でマティスについてはどうだろう?

 事実個展ともなるとピカソに関する展覧会へは何度か行ったことがあるものの、マティスに関する展覧会というのは誰かのコレクションや企画展でしか見たことがない。同じ二大画家と言われていても、正式に「マティス展」として私が見ることになるのは確かに今回が初めてであったし、ピカソ作品に比べるとやはり熱狂して観入るようなことはなかった。
 しかしそれだけに新しい発見もあった。展示内容のキラーコンセプトとも言える「絵とはどのように生まれてくるものなのか?」という命題。これは後世の人たちがマティスを語る上で用意した言葉かもしれない。この美術の根幹思想とも言える深い哲学のもと、「ヴァリエーション」「プロセス」という手法を用いてマティスは絵を描いたと言われているそうである。

 描くときの感情や感覚を大切にし、同じ主題を何度も描くところ(ヴァリエーション)はモネの連作を代表として印象派のそれと似ているが、そもそもこうした試みは美術界独自の要素であるわけでもない。音楽でも文学でも「ヴァリエーション」はあるし、展示の中で解説のあった「グラッタージュ(引っかき線)」、「ネガティブライン(色面と色面の境界によって作られた線)」、「塗り直しの痕跡」、「重ね塗り」、「輪郭線と色彩面の不一致」などの技法なども、そうした「プロセス」に重きを置いた主題の作品は他にもあると思う。

 それでは改めて今回のマティス展の見どころは何だろう?
おそらくは「野獣派(フォーヴィスム)」を代表する荒々しい筆致から生まれる野性的な色彩感覚かとも思う。また、先のプロセス主義な面に注目しても、何度も何度も描き直すという行為(プロセス)が生み出す永遠性も魅力の一つかもしれない。ちょうど先のモネが円形の画廊を、連作「睡蓮」で埋め尽くすことで永遠に続く安堵感を求めたように、被写体の永続的可能性が込められたのかもしれないと思った。

 様々な女性の表情をデッサンした「ヴァリエーション」は、自身の習作としても新たな作品を生み出す原動力となったろうが、その後様々な分野に派生したものもあるだろう。
 私が絵画を見るときに感じる醍醐味というのは、いつも思う持論だが、一般的な絵画論や美術史も楽しいのだが、自由連想的な発想が許されるということだと思っている。つまり、ある絵画を見たことによって、全く別の何かを生み出す発想の原動力になり得るということである。それは関連の深い文学かもしれないし、あるいは全く別次元にある生き方そのものだったり、仕事や趣味の分野かもしれない。

 「絵とはどのように生まれてくるものなのか?」
これは画家の言った言葉である。それでは我々が「○○とはどのように生まれてくるものなのか?」と、自分に置き換えて考えることがあってもおかしくない筈である。そこから様々なオートマティスム、インプロ(ビゼーション)的発想が生まれ、同一の主題に対する試行錯誤や挑戦を続けることによって、より本質(に近いもの)に対峙することができるようになれるのではないか?と考えた。

 ただ、この考え方が仮に正しいとして、私自身にこうしたあまりに壮大な探求によって閉塞的な自己完結を結ぶような行為があるとすれば、それは私の理想とすることではない感じがした。
 全く飛躍して間違った解釈であるとは思うが、「帰納的」「演繹的」ということで言えば、とかく人は年を経るにつれて、前者の考え方のようにある一つの思想を見出してそこに帰結することが多いように思うが、どちらかというと私はそうしたストイックな考え方よりも、もう少し場当たり的な快楽主義に近い考え方に興味を覚えているような気がする。

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2004年09月06日

追悼、ドイツ文学者・翻訳家、種村季弘氏

※1日出張に出ていたため7日の深夜に書いています。

 8月末~9月頭のあまりの忙しさのため、気が付かなかった――。

 先月29日、私の好きな作家に挙げさせていただいている種村季弘氏公認ページはコチラ)が胃がんのために亡くなられたとのニュースを見た。

 種村季弘氏の作品について、私はそれほどの愛書家ではないのだが、大学の卒業論文で澁澤龍彦の遺作小説を論じた際に、氏の言及については多くを引用したものだし、山師カリオストロの大冒険』や『化学の結婚(付・薔薇十字基本文書)などの著作に関しては、自分のオススメ本を紹介するブックレビューサイトでも紹介していたところだった。

 先の澁澤龍彦に関して言えば、種村季弘氏はまさに盟友とでも言えようか、澁澤龍彦の葬儀の際に出棺の辞を務め、最新の澁澤龍彦の全集(河出書房新社刊)では編集委員の一人も務めた方でもあった。澁澤龍彦と種村季弘氏の交友譚については、別著澁澤さん家で午後五時にお茶をに詳しい。

 ヨーロッパ、特にドイツ怪奇幻想系の異端派小説や黒魔術系の秘密結社、あるいは詐欺師に関する評論等、文学や美術、建築などに造詣の深い氏の作品はもう読めないのか……と哀しく思った。

 ここに慎んで哀悼の意を表します。

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2004年09月05日

「人体の不思議展」(東京国際フォーラム)を見て。

胎児よ

胎児よ

何故躍る

母親の心がわかって

おそろしいのか

 これは、私が高校時代に読んで影響を受けた、または特に印象に強く残っている書物のうちの一冊、『ドグラ・マグラ』の冒頭に出ていた「巻頭歌」である。

 この『ドグラ・マグラ』は、中井英夫の『虚無への供物』、小栗虫太郎の『黒死館殺人事件』と並び、日本の戦後3大ミステリ作品と呼称される。著者である夢野久作をして「これを書くために生きてきた」と言わしめ、10余年の歳月をかけて書かれた作品だそうである。狂人の書いた推理小説という状況設定の中、若林・正木両博士の論文なども紹介されるなどの作中作のレトリックが作用してか、フィクションだとは分かっていても読者が思わず作品の中に引きずりこまれるかのような錯覚を覚える一大奇書であった。

 文中に「胎児の夢」という有名な段落がある。
「人間の胎児は、母の胎内にいる十か月の間に一つの夢を見ている」という仮説の元、胎児はその間に地球上の生物の進化の歴史をたどっているという進化論のようなものを説き、さらに胎児の時期に見る夢が事件の鍵を握っていると博士は推測を立てる。そんな言わばマッド・サイエンティストのような登場人物が、あることないこと書きまくっているという内容の小説なのである。

 本日、東京・有楽町の東京国際フォーラムまで足を運んだ人体の不思議展は、半年くらい前に東京で行われた同展の続きであると思う。
 私はあいにく前回の東京展のときには機会を失って見に行くことが出来なくて非常に残念に思っていた。直後の北海道展が行われた今春、本気で北海道まで見に行こうと思っていたくらい見に行かなかったことを後悔したものだった。

 なぜ「続き」かと言うと、私も何故この時期また東京で展覧会を行っているのか興味を持って主催側に問い合わせたところ、ある意味あまりの大反響によるリクエストということも含め、前回の展示内容の70%は違う内容の展示であるという旨を聞いたからであった。冒頭に書いた本などの影響もあるのかもしれないが、この展覧会には一度は行きたいとかねがね思っていた。

 本展はいわゆる人体の標本のようなものが幾つも展示されていて、臓器の位置だとか、筋肉や神経はこうなっているだとか、そういったものを解説しているのであるが、単なる標本であれば他にいくらでもある(参考サイト:)。また、『ヨーロッパのおもしろい博物館』の中でも紹介されている、イタリアはフィレンツェにある「ラ・スペコラ博物館」での有名な蝋人形の標本(写真集にもなっている)などもあるし、ボローニャにある「ボローニャ人体解剖博物館」なども有名みたいである。

 しかし先の「人体の不思議展」の展示内容の何がすごいかと言うと、展示されている標本の全てが、実際の人体そのままであるということなのである!ボローニャ人体解剖博物館では骨格の標本などで人骨が使われているとあるが、骨だけにとどまらず、臓器、筋肉、神経等々、全て本物なのである。そこに胎児の標本などもあった。これももちろん本物だそうである。他には胃癌や肝硬変、肺気腫といった病変した臓器の標本などもあり、一般人だけでなく医療従事者の方などにとってもある意味で楽しめる内容であったのではないか。

 もちろんこれは悪趣味の人向けに開催された展覧会ではなく、先の公式サイトの趣旨などを見れば分かる通り、「ひとりひとりが豊かな人間性と教養を得るために、からだについてさらなる考えを進め」ることを推進している展覧会なのである。改めて人体というものが、繊細で精巧で、矛盾するようだが頑強で、そしてある意味神がかった機能を有したものであるかを知らされた展示内容であった。

 私自身はどうした理由で見に行ったかと言うと、実は今、インターネット系の仕事をしているのだが、もっと細かく言うと、どちらかというと医療系の仕事が混じっている。その関係で、「インフォームド・コンセント」などに対する知識を改めて深めたいという気持ちもあり、公式サイトの趣旨で書かれていた「「自分自身が自分の<からだ>を知らなければ、医師とのコミュニケーションは図れない」という考え方」に対して、頭の中だけでなく、五感で理解を示したいと思ったからなのであった。

 本物の人体を使った標本ということで、現代解剖学の最先端であることが謳われていたが、監修に加わった方々の肩書きもさることながら、本展の後援に名を連ねる名前――、日本赤十字社、日本医学会、日本医師会、日本歯科医学会、日本歯科医師会、日本看護協会などからは信憑性の高い学術的な側面も伺え、子供から大人まで幅広く興味の持てる展覧会ではないだろうか?

 脳の重さを体感したり、実物の標本に触ったりできるコーナーもあり、今日は雨にも関わらず大勢の人が見に来ていました。でも、私は実はこの手の展示内容というのは結構苦手なのである(笑)。意外にも女性の姿が多く、「すごぉ~い!」とか言いながら標本を凝視する光景が見られたが、目黒の寄生虫博物館とかにしてもそうだと思うのだが、女性とはこの手の内容に強いなぁと思ってしまった。私は「夢に出てきそうだな……」とか思い、ぶるっと震えながらも頑張って、(触ってよい)標本に触ってみたが、その後数時間は食事をとる気になれなかった(笑)。

 幼少の頃に親しんだ学研の「ひみつシリーズ」の中の「からだのひみつ」を、ふと思い出した。人間のからだというのは、ちょっとしたことくらいでは大事に至らないかもしれないが、ある一線を越えたら最悪死に至ることもある――、そんな簡単なようで難しい「境界」を知らない人が今でも多くいる。昨今でもニュースになった「長崎小6女児殺害事件」もその例だと思うし、いい大人が相手を殺傷して平気な人だっていっぱいいるのである。

 当たり前のことだが、人間のからだはアニメやゲームのキャラクターのからだとは全く違う。そんなことさえも正しく理解できないまま成長してゆく人は、今でもいっぱいいるのではないか?
 また、医者自身のあり方についてもそうである。患者に対するセクハラ・ドクハラなどは言語道断だとしても、自身または自分の医院の利益のため、もしくは「対病気」という医療的視点に立ち過ぎるがために、その前にある「対人間」に対する治療だということを忘れてしまっている医者がいると新聞で見かけることもある。

 今回の「人体の不思議展」は、医療を提供する側、そして医療を提供される側も等しく、主催者の趣旨に共感するに値する展覧会なのではないかと思った。

カテゴリー:[ 美術展 ]

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【社名の由来】 青山ブックセンター、9月末営業再開のニュース

※旧「楽天広場」時代のブログより転載。

 31日付けの「日刊帝国ニュース」(帝国データバンク刊)を見た。

 以前にも日記で触れた「青山ブックセンター閉店」のニュース(「青山ブックセンター」閉店 ~東京からまた一つ、カルチャーが消える~」と、今月末営業再開のニュースに絡むコラムが掲載されていた。

 青山ブックセンターの営業再開を支援したのは、日本洋書販売(洋販)という会社のようである。多くの人が閉店を残念に思っていた矢先のことで、このニュースを聞いて嬉しく思った人も多いかと思う。

 ところで、先の「日刊帝国ニュース」のコーナー、「これが倒産だ」の中で書かれていた、青山ブックセンターの社名の由来についての話が面白い。

 私はてっきり、"青山(地名)に本店を置くから"だと思っていたが、どうやら違うようである。確かに1号店は六本木店(1980年開業)と言われているが……。

 以下抜粋すると――、

 (前略)幕末の詩僧・釈月性が吉田松陰に贈った「男児立志出郷関、学若無成不復環、埋骨何期墳墓地、人間到処有青山」という漢詩にちなむという。この句の「人間」は「じんかん」と読み人間世界を意味し、「青山」は「せいざん」と読み「墓」を意味する。全体では「男がいったん志を立てて故郷をあとにしたからには、万一、学業がならなくても死んでも帰郷しないという決意を持ち続けるべきだ。先祖と同じ墓地に骨を埋めなくともよい。世の中どこにでも活躍の場はあるし、どこにでも骨を埋める場所はあるものだ」という意味となる。(後略)
 ――そんなこと、初めて知ったが、思わず惚れ直すほどに良い話である。

 以前、社名変更についての日記の中で、社名の命名は大切なことではないかと思ったことを書いた。社名の由来が有名なところは多くあるが、青山ブックセンターの社名の由来ほどに深いエピソードを元に命名された社名は少ないのではないかと思った。

カテゴリー:[ 都市を遊歩する ]

投稿者 cyberpoet : 03:00 | コメント (0) | トラックバック (0)

2004年09月04日

「LOUIS VUITTON 150周年」 (雑誌『BRUTUS』より)

 最新号の「BRUTUS」の綴じ込み特集の中に、日本人に特に人気のあるブランド「ルイ・ヴィトン」の名を見かけた。なんと今年で創業150周年だそうである。

 本場フランスでの盛り上がりは分からないが、日本では昨日3日にリニューアルオープンした銀座並木通り店で150周年が祝われたそうである(「LOUIS VUITTON」公式サイト)。
 リニューアルにあたって店舗建築を手掛けたのは、あのルイ・ヴィトン表参道店>や、六本木ヒルズ店、それからニューヨーク5番街のショップの設計も手掛けたという青木淳氏だそうである。また公式サイトの中でも150周年を祝う専用ページが開設されていたし、先の「BRUTUS」の中では、日本の音楽界を代表する巨匠、坂本龍一氏が150周年を祝う曲を提供していることなどが書かれており、150周年という企業史の重みを感じた。
 
 それから、別のコミュニティサイト上のレビューで読んだ『私的ブランド論―ルイ・ヴィトンと出会って』という本を連想した。

 私自身もルイ・ヴィトン製品は、モノグラムのシリーズだが財布や名刺入れ、キーホルダーなど学生時代から何度か買い換えたりしたものもあったし、以前読んだ『ブランド帝国の素顔 LVMHモエ ヘネシー・ルイ ヴィトン』という本についてかつてレビューを書いたこともあった程、生産される商品に関しては自身の生活とは無縁ながらも、一私企業として見れば興味のある企業ではあった。

 伝統的な職人ブランドでありながら、昨今では以前にも増してメディアを中心に露出が増えてきているような気もする。この150年の歴史の中で殊携わったデザイナーだけ見ても、カール・ラガーフェルドをはじめ、ジル・サンダー、マーク・ジェイコブズetc……とそうそうたるメンバーである。デザイン、機能、丈夫さ、信頼性と何をとってもここまで支持の高いブランドは他に類を見ない。

 「BRUTUS」は2年程前にも一度、「ルイ・ヴィトンの謎?(2002年8月15日号)」という特集を組んでおり、このときは先に書いた表参道店がオープンする前の時期で、誌面のほぼ全編に渡ってルイ・ヴィトンについてが書かれていたもので、他に手元にある雑誌では、装丁が珍しかった2000年度刊行の「エスクァイア日本版 1月号増刊 All About LOUIS VUITTON ルイ・ヴィトンは好きですか。」がある。誌面ではルイ・ヴィトン製品の各ラインがビジネスやトラベルやタウンといった具合にシーン別にオススメのスタンダード商品が紹介されていて楽しめた。それから所有はしないが、あの高級雑誌VISIONAIREの第18号「FASHION SPECIAL」でも表紙を飾っている。

 150年を経てもマンネリ化するどころか、新たな価値観を付加しながら常に成長し続けるブランド。私自身はもう、こうしたブランド物を購入できるような力はないが(笑)、陰ながらルイ・ヴィトン150周年を祝うことにしようと思った。

カテゴリー:[ ニュース時評 ]

投稿者 cyberpoet : 03:50 | コメント (0) | トラックバック (0)