<<2004年07月 | メイン | 2004年09月>>

2004年08月20日

世界の中心で愛を叫んだけもの ――『廃墟大全』、『廃墟の美学』について

 最近は、第何次廃墟ブームと言うのか、殊に「廃墟」がブームのようである。

 自分も行くことのあるコミュニティサイト内でも専用のトピックが立ち上がるなど、私自身は行ったことはないけれども、長崎県にある島全体が廃墟化している「軍艦島」や、90年代になって取り壊された香港の「九龍城砦」の写真集などについて、話が盛り上がっている。

 自分にとっての「廃墟」の印象は?と聞かれても、あまりそうしたものを見かけるケースは多くないので返答に窮する。なので、もう7年くらいも前のことになるが、大学の卒業旅行で訪れたイタリアはローマで見たコロッセウムやフォロ・ロマーノなどが、いわゆる廃墟のようなものだなと感じるくらいであった。

 かつて読んだ幻想の地誌学―空想旅行文学渉猟(筑摩書房)などを書いている、私の好きな作家でもある谷川渥氏の著作に、廃墟大全(トレヴィル、中央公論新社)や、廃墟の美学(集英社)というものがある。

 廃墟というのは、過去のもので言えば何世紀もの歳月をかけて廃墟化したとか、戦争や災害などによって一夜のうちに滅ぼされたとか、先の本の中の言葉を借りて言えば、廃墟を構成するものは大きく「時の仕業」と「人の仕業」とに大別される。

 こうした様を描写した画家や写真家も多く、代表的な画家の中では、クロード・ロラン、ユベール・ロベール、モンス・デジデリオ、(ジョバンニ・バティスタ・)ピラネージなどがよく聞く名前である。俗に「廃墟画派(ルイニスティ)」と呼ばれる18世紀末のイタリアで興った作風の系統などである。

 不思議とこうした絵画を眺めていると、アニメやゲームにも通づるその非日常性の時空間を醸した世界観に自身の想像力を掻き立てられたりなどして見とれてしまうことは誰しもにあると思うのだが、そうした嗜好はもしかしたら本来は日本人であれば多くの者が有する共通感覚なのかもしれないと思うまでになった。

 「諸行無常の響きあり」とそんな無常観を謳った者もいれば、春の桜の散り方に風情を感じる者もいる。華やかさや艶やかさが、極限られた期限をもって終息に至る過程が日本人の歴史の中では、様々な修辞や芸術で表現されてきている。

 廃墟も同様に「崩壊」や「終末」、「無人」など、およそ廃墟に至るまでの過程の中に、そうした無常観をもって見ることができるかもしれない。

 『廃墟大全』の中で、あの人気アニメ新世紀エヴァンゲリオンに言及した解説のようなものが収められている。
 この『新世紀エヴァンゲリオン』については、テレビ番組やアニメに疎い私でさえ名前を知っているし、数年前にテレビ東京の再放送版で4夜連続で放映されたときには、友人の薦めもあり毎晩タイムリーに見ていた覚えがあるほどだし、賛否分かれる劇場版も見に行った覚えがある。

 このアニメの制作は、あのガイナックスである。ガイナックスと言えば知る人ぞ知る会社なのだろうが、私も先日別の日記で創設者である岡田斗司夫氏について触れたばかりだった。ちなみにガイナックスは今年で創設20周年を迎えるとのことで、様々なキャンペーンを行っているようである。

 『廃墟大全』の中で、この奇妙奇天烈なラストを迎えた『新世紀エヴァンゲリオン』について、『GUNDAM CENTURY』などを書いた永瀬唯氏が言及する、「伝道」または「福音」を意味する「エヴァンゲリオン」の物語の中で執拗に語られる独特なキーワード――、すなわち「人類補完計画」「使徒」「死海文書」「アダム」「セカンド・インパクト」などの専門用語や、身近な存在感を醸し出す主人公碇シンジの内面へと掘り下げてゆく心理状況をダブらせながら展開する物語構成などに、私も当時多くの疑問とともに強い興味がわいたものだった。

 永瀬氏は、『新世紀エヴァンゲリオン』TV版最終回のタイトル、『世界の中心でアイを叫んだけもの』が着想を得たオリジナル本は、ハーラン・エリスンという作家のSF短編、世界の中心で愛を叫んだけものだと断言する。謎の組織「ネルフ」、「ゼーレ」といった存在、そして地下深くに保存された巨人アダムと、その体を貫くロンギヌスの槍についてを触れ、「大きな物語にまつわる謎やら小道具やらのラッシュ・アワーと、自己救済にまつわる主人公の独白がサンドイッチ構造となったまま、物語は進行してゆく」という見解に至り、それから明るく元気なキャラクターの惣流・アスカ・ラングレーの自虐的かつ狂気的行動や、水槽に浮かぶ無数の綾波レイの姿などを通して、そこに廃墟的様相を見、また自己救済と世界終末とを結びつけてゆく展開をグノーシス主義に結びつけて考えていく試みがあったところが面白いなと感じた。

 こうしたある種異端的な主義・思想・オカルティックな物語の誕生の仕方としては、昨今話題となった『イノセンス』(cf.「イノセンス・都市の情景展(森都市未来研究所)」)や、球体関節人形展などに通づるものがあるのかもしれないと思った。

 最近ではこうしたオリジナルのテクストから影響を受けたと思われるアニメ作品が増えていると聞く。それはもしかしたら、昨今の絶え間ない戦争の繰り返し、言わば人類の闘争の歴史に文明の行き詰まりを予測した警鐘のようでもあり、ネット上で呼びかける集団自殺のような、グノーシス主義者風に言うところの「悪の宇宙」を構成する行為などが、逆にそうした作品を生むきっかけとなっているのかもしれないと思った。

 そういった終末的思想が、どことなく廃墟ブームへと繋がっていっているのではないか?つまり、滅びゆく文明の姿こそに真の美を感じるといったような特異な感情が一般の人の中にも芽生え始めてきているというか……。

 遺跡だ廃墟だと言いながらも、実は私たちはつい3年程前にも大きな廃墟というか、哀しい鉄の残骸を見せ付けられているのである(cf.「凄惨な対米同時多発テロ事件から1年……。」)。
 これは論理を飛躍して言えば、インターネット上の情報などに対しても言えるかと思う。言葉の残骸が多数眠る共同墓地のようでもある。

 もはや「廃墟」は、最も身近な存在となって私たちの目の前にあるのである。
最後に、ワンダーランドを書く作家、荒俣宏氏の「廃墟は常に「できたての廃墟」として生まれ出る」という言葉が帯に書かれた、万―懐古文化綜合誌 (臨時増刊号)(ゆとり文化研究所愚童學舎)で、博覧強記の作家、高山宏氏の寄稿した興味深い記事(「十八世紀末廃墟庭園・絵画論 廃墟のパラドキシア」)が読めることを加筆しておくことにする。

カテゴリー:[ 書評 ]

投稿者 cyberpoet : 22:34 | コメント (0) | トラックバック (0)

2004年08月07日

『ホットドッグプレス(講談社)』休刊!?

※旧「楽天広場」時代のブログより転載。

 そんな見出しがヤフーのページに踊った――。

「え、ウソでしょ?講談社ってこんなネタやるの?」

などと一瞬思ってしまった程、すぐには信じがたいニュースであった。

 私と同世代(昭和50年生まれ)ならもちろんのこと、前後数年の世代にとってはまさに青春のバイブル!?思春期をホットドッグプレスを教科書に過ごしたという人も多いことと思う。

 中学・高校時代は購読している友人がとても多かった覚えがある。
"俗なタウン誌"とは思いつつも、合コン前にはこっそり家で読んで来ていた輩もいたに違いない。

 「合コンではまずブスから攻めろ!」という、まったく根拠のない格言に踊らされては逐一実践し、そうした相手を実際に持ち帰った友人もいた。ラブホテル特集などでも、しっかり綴じ込み特集だけは捨てずに保管している友人もいたものだった。

 北方謙三氏の、試みの地平線の中で、「そんなにやりたきゃ風俗へ行け!」と、「これって生徒よりもむしろ先生が読んだ方が良いのでは?」と妙な感心をしてしまう程の人間の深層心理をえぐった傑作連載モノなど、1979年の創刊以来、若き男子高生を魅了して止まなかったあの雑誌が部数低迷のため休刊だなんて、一体誰が信じられるというのだろうか――?

 今日、会社に届いていた帝国データバンク発行の日刊誌、帝国ニュースを見ると、ちょうど先日も日記に採り上げたばかりだった「青山ブックセンター」の閉店についての記事が冒頭にあった。

 その中で、ニッソーという会社の民事再生の申し立てが受理されたことについての言及もあった。

 私はこの会社について全く知識がないのだが、熱帯魚の飼育セットなどを販売する会社だそうである。熱帯魚と言えば、先の『ホットドッグプレス』が流行っていた高校時代、周囲で熱帯魚を飼育するブームがあり、高校卒業後はその手の道に進む友人などもいた程であった。

 それが、20代の人口を30代の人口がしのぐ今や一時の熱帯魚ブームは廃れ、その手の企業が廃業に追い込まれる時代となった。誌面にも書かれていたが、「若者向け」商品は衰退の一歩を辿る運命にあるのか――?

 上司との雑談の中で、まもなく納税の時期が近づいていることを知らされる。私どものような小さな事業所規模の会社でさえ、私からすれば目が飛び出る程の額の納税額を一時期に収めなくてはならないらしい。

 何十億、何百億、下手をすれば数千何百億円もの債権を抱えた会社であっても、市場に対する影響力が強い立場にある会社は、大手行のドタバタに紛れながら、なんだかんだで国から守られているようにも見える。私たちのような会社が銀行から借りたお金を、「すいません、不景気のせいで支払えません……」なんて言ったら、きっと「ふざけるな」って話になってしまうと思う。赤字の会社には所得税や法人税の納税もほとんどない。一体どっちが国に貢献しているだろうか?と思ってしまう。これではまるで、子供に苦労をかけているダメな親を見る目になってしまう。

 ダメな親を持つと、それを反面教師にして立派に育つ子供もいれば、そのままひねくれる子供もいる。同様に、ふと我に返った際、納税がバカバカしく思えて脱税をする中小企業の存在も決して否定できないような気もしてくる。

 原資があろうとなかろうと、赤字であったとしても安定した収入が得られる組織は、ある意味資本主義社会の中の独立国家のようにも思える。これは"ひがみ"でもなんでもなくて、その存在意義自体が実は日本の資本主義経済を支えているものなのではないだろうか?と一抹の疑問を持たされるのであった。

 『ホットドッグプレス』休刊の話を冒頭で冗談風に書いた。しかし、これは冗談ぽく話そうと思えば話せるが、老年層を支える若者層が着実に減ってきている市場原理を意味しており、負担の大きくなった今の若者が将来に備えて財布のヒモをかたくしている現われでもあり、ある面で目に見える警鐘であるのかもしれない。最近生保関係のテレアポが日増しに増えていて、個人情報保護だか企業の危機管理だか知らないが、そうした「リスクヘッジ」は中小企業の足元を見て営業するのではなく、きちんと自分たちも含めた「危ない会社」を見分けて営業活動をおこなってほしいとも思った。

カテゴリー:[ 書評 ]

投稿者 cyberpoet : 02:45 | コメント (0) | トラックバック (0)

2004年08月05日

【訃報】 仏の写真家アンリ・カルティエ・ブレッソン氏死去。 ~「決定的瞬間」に対する思い~

 今日のヤフーニュースで知った。
ブレッソンは、日本でも人気の写真家ロバート・キャパとともに高名な写真家集団マグナム・フォトを結成したフランスの報道写真家。「決定的瞬間」という言葉の生みの親とも言われている。

 私自身は写真を仕事にしているわけでもないし、デジカメを初めて使い始めたのも、楽天広場の方で日記を書き始めてからのことだが、実は日記で写真家のことについて書くのは2回目となる。

 1回目は、今年1月26日に交通事故で亡くなられたヘルムート・ニュートン氏について書いたときである(「ヘルムート・ニュートン氏の事故死に黙祷を。」)。
 ヘルムート・ニュートン氏が『VOGUE』誌をはじめとしたファッション・広告業界の写真について撮っていたのに対し、ブレッソンは第2次世界大戦下のパリや、ベルリンの壁崩壊など、いわゆる歴史的事実を撮っている。

 なぜ私がこうした亡くなったカメラマンのことについて書くのか?自分でもよく分からないのだが、おそらくは普通に、画集やポストカードを見ていることが好きだったことが起因しているのかもしれないし、シュルレアリストたちが多く活躍した20世紀初頭のパリを中心に華やいだ独特な芸術運動にほんのうわべだけであるのかもしれないが、常々興味を抱いていてこうした著名なアーティストを好む傾向があるところから、単なるミーハー、もしくはスノビストだと自覚している部分もある。

 あるいは全く別の経験から来ているものもあるのかもしれない。小学6年生の頃、1年間だけ夏休みや冬休みまで全て返上して進学塾に通っていたことがあった。国語の授業の際、どこかの中学校の入試問題がいつものように「演習」として配布されたものだったが、その中に画家だか写真家の精神状態を綴った文章があり、そこに「決定的瞬間」という言葉が含まれていて、それが文脈から何を指すか?といったような記述問題があり、出典の書名は忘れてしまったのだが(ブレッソンの話ではないかもしれないが)、どうにも「決定的瞬間」という、言わば「切り取られた歴史の断面」のような表現を好むようになってしまい、それ以降書くことになる作文などで頻繁に流用していた思い出がある。

 それから、この時代のアーティストたちの交流は素人目に見れば、まるでロートレアモン(イジドール・デュカス)の言葉で言うところの「ミシンと洋傘との手術台のうえの、不意の出逢い(『マルドロールの歌』)」のような蠢惑的な邂逅であって、後述のマン・レイとキキ、マン・レイとブランクーシ、フジタとケルテス、ケルテスとブラッサイ、ブラッサイとピカソ、ピカソとドラ・マール、ミュシャとサラ・ベルナール、コクトーとシャネル、アポリネールとローランサン、バルテュスと節子夫人、サルトルとボーヴォワール、ブレッソンとサルトル――、といったようなどんな因果か知らないが、たとえば「アフリカ芸術」を先の「手術台」に見立て、画家や写真家、作家や思想家など偉大なアーティストたちの職種を越えた不意の出逢いを想像していると、何だか楽しくてワクワク・ゾクゾクしてくる感じがするのである。

 この「アフリカ芸術」。私は詳しくは知らないのだが、ピカソがその影響を受けていたことがあったのは有名である。そのことを論じたマルセル・デュシャンロクス・ソルス』や『アフリカの印象で熱帯夜に伴う幻覚症状のような奇想天外な夢物語を表現したレーモン・ルーセル、そんな神秘的なアフリカを『幻のアフリカ』で語ったミシェル・レリス、モデルのか細さに根源を見るモディリアーニの絵画、先日六本木ヒルズの森美術館に見に行った「MoMA ニューヨーク近代美術館展」の中でひときわ異彩を放っていたアルベルト・ジャコメッティやコンスタンティン・ブランクーシなどの抽象的な作品群、ジャコメッティを詩ったモーリス・ブランショ、ブランクーシに師事したイサム・ノグチetc……、何かあの太古の時代より変わらぬように見える「アフリカ芸術」こそがアバンギャルドであると言わんばかりに、実は20世紀芸術の根底に横たわっているのではないか?といったような錯覚に陥らされるような感じがするのである。
 それから個人的に、別の繋がりから言えば、ブレッソンの亡くなられた本日8月5日は、私の好きな澁澤龍彦の命日でもあった。

 今、改めて本棚に入った様々な写真家の写真集を手に取って、何某かの思いに浸って見返したい気持ちである。昔、東京都写真美術館で買い求めたオムニバスの写真集や、ブレッソンの作品の掲載されている写真集、マン・レイやウジェーヌ・アジェやブラッサイ、ロベール・ドアノー、土門拳、細江英公、森山大道、果てはクリフォード・コフィンまで、普段は眠ったままになりがちな写真集ばかりなのだが、今日に限っては珍しくそのありとある歴史の群像をさらけ出した「決定的瞬間」が刻まれた作品群は、一歴史の傍観者たる私の目を奪って止まないのだった――、合掌。

カテゴリー:[ ニュース時評 ]

投稿者 cyberpoet : 02:30 | コメント (0) | トラックバック (0)