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最終日の「パリ1900 ベル・エポックの輝き」(東京都庭園美術館)にて。

 ――昨日の続き。

 そのまま六本木で昼食でもとろうかと思ったが、次の目的である、「パリ市立プティ・パレ美術館所蔵 パリ1900 ベル・エポックの輝き展」が最終日ということもあり、悪い予感がしたので先に向かうことにし、六本木で下車せず白金台駅まで乗って行った。本展を開催していた東京都庭園美術館には、実は93年の「デ・キリコ展」以降、実に10年以上振りの訪問であった。
 最終日ということで、予想通りチケット購入の時点で既に長蛇の列……。もちろん館内は歩くのも困難な程の激混み状態……。展覧会の内容が内容だけに女性の足が多かった。

 昨日分の日記に書いたミュシャの作品もあった。『ジスモンダ』は、当時まだ無名だったミュシャが初めて挑んだポスターだったが、そのモデルとなったのが当時既に世界的女優として名を轟かせていたサラ・ベルナールだった。ユゴーやワイルド、モンテスキューなども魅了したそのサラ・ベルナールを描いた絵画も見れた。また、サラ・ベルナールを嫉妬させたとも言われる日本出身の貞奴の陶器なども置かれていた。

 本展のテーマとなった1900年のパリは、既に5度目のパリ万国博覧会を迎えた年であった。その年の万国博覧会で、エミール・ガレはガラスと家具の部門で、それぞれグラン・プリを受賞している。古くは1851年のロンドンで開かれた第1回万国博覧会に出品したバカラ社など、全世界が注目する場所でグラン・プリの栄誉を受けることは、個人としても、企業としても重要な褒賞制度であったと思われる。万博で認められることは世界で認められるのとほぼ同義であり、認められた製品はたちまちのうちに世界で流通する。

 身の回り(家具やアクセサリーなどはもちろんのこと、行った先の建物など)が美しい美術品に囲まれたベル・エポック。なんだか今の時代からはとても想像がつかない。

 「生活に芸術を」――。

 そのように唱えたのは、他でもなくアール・ヌーヴォー期に活躍した芸術家モリスであり、またその師ラスキンである。このことについては後述するとしよう。

カテゴリー:美術展

投稿者 cyberpoet : 2004年04月12日 00:16

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