押井守監修『イノセンス』公開記念 「球体関節人形展」を見てきました!
本日の土曜日は休みをもらい、先日同僚より紹介された表題の「球体関節人形展」を見に、東京都現代美術館に足を運んだ。
同僚が営業に行った先の代表の方が、どうやら本展の作品の一つのモデルになったと言って、怪しげなチラシをもらってきてくれたのだが、妙にそそられるものがあって今日から開催したにも関わらず早速赴いた。
まず、本展の大テーマである、「人は何故自分の似姿を造りたがるのか」が、どこから来ているか。本展の監修を務めた、押井守氏の人となりを理解する必要がありそうである。
古くは80年代初頭の劇場用アニメ『うる星やつら』から始まり、私の中学時代には同窓にファンも多くいた『機動警察パトレイバー』や『攻殻機動隊』のシリーズ、また『タイムボカンシリーズ』や、『ニルスのふしぎな旅』、『まいっちんぐ マチコ先生』、『スプーンおばさん』、『赤い光弾 ジリオン』などの映像・映画制作に携わった人だそうである。
本展では関連作品や実際の人形制作の実演なども行われていた今春公開予定の、日本テレビ、電通、ディズニー、東宝、三菱商事などが提携して制作された映画『イノセンス』において、押井守氏は脚本を担当しているのだが、スタジオジブリに協力を仰いで制作に絡んでいるのが、プロダクション I .Gという会社だそうだ。
私は「プロダクション I .G」について初耳だったのだが、『イノセンス』の公式サイトを調べてみると、先の押井守氏の作品に加え、映画『アルスラーン戦記』、『電影少女~VIDEO GIRL AI~』のOVA、あの『新世紀エヴァンゲリオン 劇場版』のシリーズ、ゲームで言えば、『グランストリーム伝紀』、『テイルズ オブ デスティニー』、『鉄拳3』、『サクラ大戦 2,3,4』、『VALKYRIE PROFILE』、『テイルズ オブ エターニア』などで制作に絡み、押井守氏との関連が深いことが知れ、その手のものが好きな人からは有名なプロダクションであることが分かった。
この公式サイトでは予告編を動画で視聴できるようになっているが、本展でも大きなスクリーンで堪能することができる。ここで展示されていた「球体関節人形」とは一体何なのだろうか?これも先の「球体関節人形展」の公式サイトに説明があった。「人形のパーツのジョイント部分が球体状になっている人形。西洋では古くからある人形の様式であり、量産モデルの人形でも一般的に見られる形」とあるが、殊日本においては、60年代以降の澁澤龍彦を中心としたハンス・ベルメールの紹介者らの影響を受けて、先の説明とは赴きを変えたテイストで多くは広まっていったものだということが分かった。このハンス・ベルメール、私も一時期、好きだった作家の澁澤龍彦の影響を受けて読んだジョルジュ・バタイユの『マダム・エドワルダ』や、ルイ・アラゴンの『イレーヌ』などで、アンドレ・マッソンなどとともに、ハンス・ベルメールの描く挿絵にも興味を持ち、画集が欲しいと思ったこともあった。
押井守氏もそのハンス・ベルメールの影響を受けた一人と書かれていたが、本展に作品も出展された四谷シモン氏もその代表的な一人だろうと思う。四谷シモン氏に関しては、2000年の夏に新宿小田急美術館で開催された『四谷シモン 人形愛』という展覧会を見に行き、画集を購入したときに本人にサインをもらったことがあった。そのときの氏の印象は、私から見れば芸術家というよりも、もはや職人のように見えた。もちろん球体関節人形に限らず、日本の伝統的な五月人形なども作るのは職人に違いないのだが。
四谷シモン氏の自叙伝に『人形作家』(講談社)というものがある。その中で氏は次のように過去を振り返っている。「人形を作ることはもっとあたり前のどこにでもある職人的なことなんだ」「それからの僕は、職人技に徹しようと決心しました」――。
また、今渋谷東急文化村で『金子國義展』が開催中だが、この金子國義氏や先の澁澤龍彦とともに、先日観に行った『肉体のシュルレアリスム 舞踏家 土方巽抄展』で語られた土方巽氏の舞台を観劇しに行ったことなども書かれてあり、その感想として、「すべてを削ぎ落とした冬を思わせる極限状態では、肉体と言語、もしくは、肉体と観念とは完全に同化してしまう一緒のものである」と言われている。
この「肉体」と「観念」という表現に、本展を見終えた後では何かしらの連想を覚えてやまない。先ほどジョルジュ・バタイユの『マダム・エドワルダ』を引き合いに出したが、この作品の評を松岡正剛氏が書いている。松岡正剛氏はその昔、氏が20代のときに『遊』という雑誌を創刊したが、その中の書き物から誕生した人物評をまとめた『遊学』(中央公論社)という本を、まさに今読んでいるところだったりする。
そこには度々「物質」という言葉が登場するが、勝手な私の憶測で、この「物質」という言葉が妙に先の「肉体と観念」という言葉に共鳴する。「肉体(人間)と観念(言語)」がそのまま「物質と意識(魂)」、それがそのまま「機械(人形)と感覚(個性)」という風に連想してしまうのは読み違いだろうか。
以前、自分の好きな澁澤龍彦と同世代の手塚治虫氏の作品である『鉄腕アトム』の話を書いた。この鉄腕アトムの容貌を思い出せば、それは人型ロボット(機械)であった。
今春放映される「イノセンス(制作時の仮題は"攻殻機動隊2")」、それは2032年の日本を舞台とした物語――。『銀河鉄道999』では、もっと先の時代だったかもしれないが主人公が目指したサイボーグの体が当たり前のように手に入れることができる設定となっていた。――サイボーグ(もしくはロボット、人形)というイノセントな存在に、少女型愛玩ロボットが暴走するストーリーで近未来の危機感を描き、映画の主題でもある「いのちってなに?」というアンチテーゼをぶつけている。
叶わぬ相手への思慕を募らせ、人形(人造人間)の持つ「永遠の命」的な概念に救いを求めようとして作られた作品に、ヴィリエ・ド・リラダンの『未来のイヴ』がある。
特に面白いのは、映画『イノセンス』に登場するキーとなるキャラクター、少女型愛玩用ロボット(アンドロイド)の名前が「HADARY(ハダリ)」、そしてそのアンドロイドがどこで作られたかというと「ロクス・ソルス社」という設定になっている。
もう気が付かれたかと思うのだが、先の澁澤龍彦も愛してやまなかった作品『未来のイブ』の登場人物の中に英国人貴族エワルド卿がいる。彼はその"容貌のみ"を愛したアリシアにうりふたつの人造人間「ハダリー」を密かに作るのだ。
そして、あのレーモン・ルーセルの一大奇書『ロクス・ソルス』(主人公カントレルが発明に勤しんだ"ロクス・ソルス荘"という別荘の名より)は、機械論者とも評される高山宏氏の訳本内で「独身者の機械(=愛のない快楽や慰みのための機械)」とも評されるが、『未来のイブ』に登場するエディソンの影響を受けていると言われる。『ロクス・ソルス』の訳者、岡谷公二氏はさらにその作品と、澁澤龍彦訳で有名な『さかしま』(J・K・ユイスマンス)に関連づけてゆく。「ロクス・ソルス」という言葉が、「孤立した場所を意味するラテン語が基になっている」という見地より、『さかしま』の主人公デ・ゼッサントが閉じこもった郊外の「城」――邸宅に重ね合わせている。
そうした意味で、ある種のペダンチズムに満ちたというか、押井守氏の選抜オールスター的演出の『イノセンス』で、その問題の"ハダリ"を巡る物語が、どのように展開されてゆくのか見物だと思った。
今回の展覧会を見て感じたことは、展示の仕方の工夫にもよるのだろうが、まるで私たちには分からない言語で人形同士は会話をしているのではないか?という錯覚に陥るくらい、独特の世界観を醸し出していたことだ。私たち「実在の人間」に対し永遠に他者でいようとする「球体関節人形」は、もしかしたら近い将来、20世紀初頭の機械崇拝の時代とは少し赴きを変えて、再び我らと相対峙することになるのではないか?そんな思いに駆られた展覧会であった。
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