ヘルムート・ニュートン氏の事故死に黙祷を。
ファッション広告界に君臨した女性のヌード写真家の巨匠、ヘルムート・ニュートン氏が交通事故で亡くなられたという訃報をニュースで見た。
私は格別写真やファッションに興味があるわけではないが、結構ミーハーだった時代もあり、機会があればその手の展覧会などへ出かけたことがあったので、このニュースの記事にしばし見入った。
2000年以降だけでも東京や大阪で氏の展覧会が催されたことがあったが、あいにく私はその展覧会へは行かずじまいだった。ヘルムート・ニュートンと言えば、なぜだかファッションに疎い私のような者でもその名に聞き覚えがあるものだ。
ネット上で有名なファッション情報サイト、「週刊ファッション情報」や、「ファショコン通信」などで調べてもその名を見つけることができる。
写真家である氏の携わった仕事の中には、あの「ヴォーグ」誌もあった。「ヴォーグ」誌は、誰もが知るファッション誌である。
私も学生時代に、かの『ミラベラ誌』を発刊した現代アメリカのキャリア・ウーマン、グレース・ミラベラさんの書いた『ヴォーグで見たヴォーグ』を読んだことがあった。このミラベラ女史も、著作の冒頭にある謝辞の部分で、"ヘルムート・ニュートン"の名を挙げ敬意を表している。
この辺の、いわゆるファッション、モード、ヌード、肖像写真、それからちょっとエロティックな作風の写真家とくれば、日本で言えばアラーキー(荒木経惟)が有名だが、外国人で挙げるとするならば、私が今挙げられる限りでは、古くはマン・レイや、ロバート・メイプルソープ、セシル・ビートン、クリフォード・コフィン、最近の新進気鋭の写真家ということであれば、ヴォーグ誌繋がりで、雑誌『STUDIO VOICE』においてかつて特集も組まれたことのあるイギリスのショーン・エリスなどがいるし、変わった路線で言えば、フェンディ、シャネルと渡り歩いたファッションデザイナー、カール・ラガーフェルドなどがそうだろう。カール・ラガーフェルドは、自らがデザインを手がけるブランドで広告写真を撮っていたと言われる。
このうちマン・レイに関しては、1996年に東京駅にある東京ステーションギャラリーで開催された「マン・レイ写真展 1917~75」、2002年には渋谷東急文化村で開催された「マン・レイ写真展」を、クリフォード・コフィンについては、2000年に新宿伊勢丹美術館で開催された「クリフォード・コフィン写真展」を、その他ファッション系の展覧会と広義でいけば、1999年渋谷文化村の「パリ・モードの舞台裏」展、1998年新宿伊勢丹美術館の「アニエスベー エトセトラ」展、同年新宿三越美術館での「ポール・スミス トゥルー・ブリット」展、変り種でいけば、初期「アンアン(雑誌)」のアート・ディレクターを務めた堀内誠一氏の「雑誌と絵本の世界展」(平塚市美術館,1999年)などへ足を運んだが、いずれも興味深く観覧することが出来た展覧会だったと思う。
これら近代写真史の中においても、輝かしく、かつセンセーショナルな業績を残したと言われるヘルムート・ニュートン氏のファンは日本人にも多いと言われている。今回の訃報に、その死を惜しむ声なども多かったのではないだろうか。
ファッションの中心地・発祥の地とも言うべきフランスの風俗史を分かりやすく伝える鹿島茂氏の著作の中に、ベンヤミンやフロイト、マルクスの思想に触れた"モードと肉体"という項を書いたものがあった。
解釈は違うが、そこで語られている上部構造と下部構造を、ファッション(モード)とヌード(肉体)に仮に分けて考えてみる。日々生きて、活動を続ける生身の身体に常に密着して、ファッションは肉体のそうした夢(生)の続きを演じ続けるという役割を担わなければならないのだと思うし、逆に考えれば、かつて読んだ上野千鶴子女史の『スカートの下の劇場』というトンデモ本で語られる女性の下着のように、「今まで隠されていた部分」に凝ったり、転じて露出することで新たな「美」の感覚を世に送り出し、やがてファッションの最先端で迎合されたという意味でも、ヘルムート・ニュートン氏の業績は大きいと言えるだろう。
その名はもはや「ブランド」の冠を抱いたまま、少なからずファッション、広告写真史に永遠に残り続けることだろう。冒頭で書いた「ヘルムート・ニュートン展」(追悼展)が再度開かれることになれば、今度こそ私はその会場に足を運びたいと思っている。
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