「肉体のシュルレアリスム 舞踏家 土方巽抄展」
本日、わりと自宅に近い、川崎市岡本太郎美術館に行ってきた。
ここは、1998年に自宅兼アトリエを改修して作られた、青山の岡本太郎記念館に次いで、1999年10月30日に開館した美術館のようで、私が赴くのは初めてのことであった。
第一の目的は、企画展の「肉体のシュルレアリスム 舞踏家 土方巽抄展」を見に行くためだった。自分にとって土方巽の情報と言えば、最近で言うと、ちょうど1年程前に渋谷区立松涛美術館へ行った際に観た「細江英公の写真 1950-2000 展」での写真による情報が最後だった。私は決して、(モダン)バレエはもちろんのこと、舞踏や演劇にそれほどの興味を持っていた者ではないが、大学の卒業論文で澁澤龍彦を書いたときに、どうしても紹介しなくてはならなくなり、少し調べたことがあったことがあった。
岡本太郎美術館は、駐車場に車を停めた後、木と土とで出来た階段をひたすら降りたところにある。下山、下山、とにかく下山、秘境か?とも思える鬱蒼と茂った林の中に、氏のモニュメントに囲まれるようにして建っていた。
企画展と常設展(岡本太郎)が両方見れるお得なチケットだった。岡本太郎についても、先の卒論の中で少し紹介したものだった。彼の芸術活動(文学運動)の中にあった「夜の会」の情報も含め、当時参考とした書籍には、『美術手帖 【特集 岡本太郎の世界】(1992年5月号)』/美術出版社、『病める舞姫』(白水社)/土方巽、『アヴァンギャルド芸術』(講談社)/花田清輝、『別冊新評 花田清輝の世界(1977年秋号)』(新評社)などであった。もちろん学生街の古本屋にて買い求めた資料もある。
今回も図録の他に、『美術手帖 【特集 岡本太郎と万博】(2000年10月号)』/美術出版社、『岡本太郎 EXPO’70 太陽の塔からのメッセージ』というカタログを購入した。もちろん、氏についての知識が乏しかったから購入したということもあるが、万博系の催しが結構好きなもので。他にあの澁澤龍彦氏が、なぜ大阪万博に批判的だったのかを少し知りたくて購入した。また、先日大阪では、33年ぶりに「太陽の塔」の内部が公開されたようである。
※参考
・「日本万国博覧会記念機構」
http://www.expo70.or.jp/
・【PDF】「太陽の塔内アンコール公開のご案内」
http://park.expo70.or.jp/pdf/taiyou_ancoal.pdf
「太陽の塔」は、日本の高度成長期に開催された「大阪万博」を記念するために制作された、氏の作品を代表する巨大モニュメントである。「いま・かこ・みらい」といったように多角的に時代を捉え、難しいことは抜きとして、万博をひたすら「祭り」というイベントに仕立てようとする、氏の意向があった。
一見、今の時代だと、接頭に「太陽の~」という語が付くとどうしても宗教的・思想的なものを連想してしまう。それは学生時代に読んだ、トマス・モアやマルキ・ド・サドなどの描いた一連のユートピア小説、例えば獄中小説としても代表的な、イタリアのカンパネッラによる『太陽の都』(岩波書店)の影響もあるのかもしれない。
ただ大阪万博は、それらのことを全て超越した、まさに「爆発的」な芸術観によって催された。それは氏によって「ベラボーなもの」と一言に集約されたかもしれないが、政治や国際情勢不安、不景気の真っ只中で催されようとしている2005年の愛知万博では、果たして氏のような「ベラボー」なイベントプロデューサーが現れるであろうか?当時とは全く真逆の情勢の中で、その手腕が問われることとなるのかもしれない。
また、企画展の中には、土方巽の奥様が会期中に亡くなられたことを偲ぶ追悼の言葉もあった。そのことは、サイト上――「土方巽記念アスベスト館」でも、早速、故元藤あき子さんのお別れ会についての情報に触れていた。
先に紹介した、『病める舞姫』の解説を澁澤龍彦氏が書いている。澁澤氏の、あの得意な遠近法で捉えた60年代――、その狂気的とも言うべき大衆の熱気の渦の中に、ひっそりと佇む東北の土俗的神話のように、土方巽は紹介されている。寺山修司を"陽"とすれば、あたかも"陰"に位置する人物であるかのようである。
当時、澁澤龍彦をはじめ、三島由紀夫、瀧口修造、そして石原慎太郎氏なども絶賛した、その極限まで身体的限界を求めたエネルギッシュな「舞踏」の中に、今のどんよりとした時代を切り開くヒントがあれば良いのになと感じた。
カテゴリー:美術展