「未知の世界へ 児童文学にえがかれた冒険」展 ~過去の冒険小説には「夢」や「教養」があった。~
今日は朝から暑い一日であった。
以前上野に行った際にポスターをちらっと見て気になっていた展覧会があり、今日はその国際こども図書館で開催中の、「未知の世界へ 児童文学にえがかれた冒険」展を見に行ってきた。
ジュール・ヴェルヌの小説や講談社の「少年倶楽部」文庫などもそうだが、私にとって冒険小説の類はもともと好きなジャンルの小説の一つで、中学時代に出会った、『ロビンソン・クルーソー』、『宝島』、『十五少年漂流記』などをはじめとした広義の意味での冒険小説に心躍らされた時代があったものだった。
それは幼少時代に経験した「探検ごっこ」――或いは"秘密基地"づくりと呼んだ――、もしくは『家族ロビンソン漂流記 ふしぎな島のフローネ』などをはじめとした「世界名作劇場」の記憶などを回顧する郷愁のようでもあった。小学校時代、国語の授業の中で一枚の地図を見て小説を書くという課題があったが、そこには先の「世界名作劇場」の無人島モノの物語の影響が色濃く出てしまったものであった。
一口に冒険小説と言っても、内容に科学的なものを含めばSF小説になり得る場合もあり、謎解きの要素が強ければ推理・探偵小説になるかもしれず、またある種の政治・思想・宗教観などを含めば幻想文学あるいはユートピア小説足り得る可能性もあるし、一人の主人公の生涯を通じて彼の成長に関わる冒険譚などが書かれてあればビルドゥングスロマン(教養小説)としての体系を組むかもしれない。
いずれにしても、本展の中で「宝探し」系の冒険小説を展示したコーナーで書かれていた――、
「子どもたちにとって宝は必ずしも金品とは限らない。また宝探しが、徒労に終わることも多い。しかし、子どもたちにとっては、宝を探している間の、ともに知恵や力を出し合って過ごした時間こそがかけがえのない宝なのである」
――という掲示の中にプロセス主義的でもある冒険小説の醍醐味の本質を見出し、夢を忘れた現代人が憧れや賛同を持ち出してしまうのかもしれない。
密航を企て親に怒られた少年時代のジュール・ヴェルヌが、「もう空想の中でしか旅をしない」と誓って、代わりに家で書かれた作品群、また私の学生時代、卒論用に文庫化する前にもう少し早く出会っておきたかった谷川渥氏の『幻想の地誌学―空想旅行文学渉猟』などで描かれた空想上の旅――。
19世紀から20世紀にかけてパリなどを中心に行われてきた万国博覧会で、世界がある面でボーダレスの時代を迎えると、日本でもその後急速に歴史・冒険小説ブームが広がり、今の講談社の前身であった大日本雄弁会講談社や、博文館などをはじめとした出版社が数々の冒険小説の傑作を刊行し、このような夢物語の最盛は、第一次世界大戦後に現実を見ることを余儀なくされ衰退の一途を辿るまでの間、子供を中心とした庶民の間で随分と人気があったそうである。
――今でこそ、ただでさえ情報が氾濫するネット社会の中にあって良書・悪書がごった煮となった大型書店などが横行し、有名老舗出版社が次々と倒産する時代だが、鈴木三重吉が『赤い鳥』創刊を決意したのも、ちょうど今の世にあるような、子供向けの本とおもちゃ屋が合体したような「赤本屋」と呼ばれた店に失望したことがきっかけとなったようなので、近くそのような名作復古のような動きがあれば良いのになと感じた。
総評としては、先にも「プロセス主義」なんて言葉を使ってしまったが、昨今の「政治批判」や、「諦めムード」、「不条理なバイオレンス」などが蔓延するご時世の中にあって、大人も子供も忘れかけている、もしくは知り得ぬ、冒険小説中に見るある種の教養のようなものが、本展で知ることが出来るのではないか?と感じた。特に、入館・閲覧が無料というのがとても嬉しかった。
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