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「追悼もまた文学なり」/嵐山 光三郎 ――「ことば」を残す作家たち

 先日、某全国紙の記事の中で、ふと目をひいたものがあったので書くことにする。
今年5月に亡くなられた、作家の堤幸子さんに関する記事だった。「堤幸子」と聞くと聞きなれない名前だったが、その記事のそばに大きな活字で「桐生操」とあったので思い出した。

世界悪女大全』や『本当は恐ろしいグリム童話』などのベストセラーを生み出した、作家の共同ペンネームである。先の記事とは堤さんの共同執筆者である、上田加代子さんのインタビューを交えた記事である。

 実際、私はまだ著作を読んだことはない。大学の卒業論文で澁澤龍彦氏のことを書いたことがあったが、当時は河出書房新社から氏の全集(再編集版)が出るとかで、随分と河出書房新社の出版物をさらったものであった。そこで「桐生操」の名前を見つけ、参考文献にしようとも考えたものだったが、結局読まず終いであった。

 最近では、この手のジャンルは根強いファンが多いのかと思うが、古くは池田理代子さんから、藤本ひとみさんまで、中世のヨーロッパや歴史、異端性を題材とした内容というのは――、先の澁澤龍彦リング?と勝手に言うと語弊もあろうが、女性を中心に特にファンが多いような気がする。

 実はこの日記で、過去にも文学者が亡くなられたことを書いている。矢川澄子さんや、山本夏彦氏、窪田般彌氏と、私自身も著作を数冊所持し、かねてより興味を抱いていた作家が亡くなられた。実は、堤幸子さんの後には岸田理生さんも亡くなられている。岸田理生さんと言えば、元寺山修司の演劇実験室「天井桟敷」のメンバーで、後年劇作家になられた方だった。私は演劇は知らないが、2003年はその寺山修司の没後20年、堤幸子さんや澁澤龍彦年表?で言えば、シャルル・ペロー没後300年の年にあたる。

 さらに、数年前に興味を持って読んだ安原顕さんの評伝があったが、元「マリ・クレール」や「GQ」、「リテレール」などの編集長、副編集長を務めた安原顕さんも、まだ60代の若さでお亡くなりになっている。

 ここ1、2年は、先の日記のリンク先で書いた方以外にも、私の知るところでは、三枝和子さん、黒岩重吾さん、生島治郎さん、宮脇俊三さんなどがお亡くなりになられている。

 これらの訃報については、文壇や出版界でどのくらいの波紋を呼んでいるのかは私の知る由もないのだが、少なくとも現世から二度と、先の偉大な方々が生み出すような言葉は生まれないことだろう。
 確かに各文学賞の選考委員の方も、年々世代交代をされているので、流行的には変遷もあることだろう。また既出のものより、より良く出来た文学も生まれるかもしれない。

 そこで、ふと思い出した言葉がある――。
先にも話題に挙げた澁澤龍彦氏の言葉である。私は氏の最後の小説『高丘親王航海記』を卒論で採り上げたが、これは読まれた方なら分かるかと思うが、"裏のストーリー"が本当に哀しい内容なのである。小説の内容が、というより作家の病床時に書かれた小説で、まるで死を予期したかのような予言めいた言葉を、読者は小説のあちらこちらに垣間見ることになるのである。

 偉大な作家が後年抱いた死生観のようなものが文章に表れている。なかでも途中、人の言葉を話すジュゴンが登場するが、そのジュゴンのセリフ、「――おれはことばといっしょに死ぬよ。たとえいのち尽きるとも、儒艮の魂気がこのまま絶えるということはない。いずれ近き将来、南の海でふたたびお目にかかろう」には、氏の代弁とも取れる節が見受けられる。

 私の読後感としては、世間一般的に正しく論じられている内容とは異なるのかもしれないが――、氏が生前におこなったロールシャッハテストにおいて、「観念ばかりが活動して、情動との連結が隠されてしまう」と診断されるのだが、氏が自分の死期を悟って(作中に、空海上人<弘法大師>が死期を悟って入定するという件がある)、病床に伏せながらも果てぬ想像の旅(高丘親王の天竺までの旅と重ねながら)を続け、最後の最後で「ことばを残す」という作家的行為を高らかに謳いあげ、プラグマティズムの精神で自身の「観念」に打ち勝った時の作品なのだと思い込んでいた。もう、それだけに涙なくしては読めない作品で……。

 ――そうした自分の気持ちの前段階があり、昔書店で買い求めた、「NHK人間講座」のテキスト、「追悼もまた文学なり」(嵐山 光三郎)をタイトルに引用する。

 そこには歴代の文豪、三島由紀夫、太宰治、芥川龍之介、川端康成、永井荷風、谷崎潤一郎等の作家たちが寄せた、または彼らの死に寄せられた「追悼」について言及した評が並ぶ。元、雑誌『太陽(平凡社)』編集長を務めた作家が描く「追悼文学の世界」である。

 嵐山光三郎さんは、その序文でこう言う。

「追悼には本心が出ます。書くほうは、追悼文が後世まで文献として残るとは思っていませんので油断します。」

 要するに、それだけ本音が語られる部分であると言うのである。当時の作家は、必ずしも人生をまっとうして亡くなっていった方ばかりではないと思う。それを悪く言うにも、良く言うにも、追悼する側の生き方が問われてくるのだそうだ。自分のファンだった方が亡くなったとき、皆さんはどのような「言葉」をもって自分の感情を表すのだろうか?

カテゴリー:ニュース時評

投稿者 cyberpoet : 2003年07月07日 01:47

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