※旧「楽天広場」時代のブログより転載。
先日の「小6女児監禁事件」はひどい事件であった。
同じくらいの年の子を持つ親の方は、もう心配で子供だけで繁華街に遊びに行かせたくないと思った人も少なくない筈である。
容疑者は普通の仕事で生計を立てていた人ではないようだが、それにしても生計が成り立つということは、それを支えている"消費者(賛同者)"が存在するということで、悲しいことに、ともすると容疑者以上に異常心理に興味を持つ"予備軍"が他にもまだいっぱいいるということを示しているような気がしてならない。その辺の"現実"を、社会はもっと自覚し、次の備えを急ぐべきである。
あまりニュースを見てないので、詳細は分からないのだが、一体どんな風に連れ去られたのだろうか?
私の時代でさえ小さい時から学校などで、「お菓子をくれるとか言われても、知らない人には絶対に付いていかないように!」と言われ続けていたものである。
この事件とはあまり関係がないと思うが、ふと思い出した話があったので書くことにする。昔何かで読んだ、『ハーメルンの笛吹き男』という童話をご存知だろうか?
グリム兄弟が収集した民話の中にある童話である。今手元に、昔読んだ『ハーメルンの笛吹き男 伝説とその世界』/阿部謹也(筑摩書房)と、ドイツ文学者の高橋健二氏監修の図録『メルヒェン街道物語』があったので、それらを見返しながらいろいろ思った。
余談となるが、今では私は絵本や童話はもちろんのこと、本すらもろくに読まなくなったが、幼少時代に読んだ、『ごんぎつね』や『手ぶくろを買いに』などの影響があったのか、一時期童話系の物語に興味を持った時期があった。
中学に上がってからは、愛読書に新潮社刊のシェイクスピアやドストエフスキーなどが入ってくるのだが、同時期にオスカー・ワイルドの作品を好きになった。そこから道を踏み外したのか(笑)、ユイスマンス、ヴェルヌ、ウェルズ等、19世紀末から20世紀初頭にかけての英米・ヨーロッパ文学、とりわけ幻想文学やSF小説に興味を持ってゆくようになる。
また高校生になって澁澤龍彦を知り、先の高橋健二氏の訳で楽しんだゲーテ(ファースト博士について等)や、その他ユイスマンス、ヴェルヌ、ネルヴァル、それから吸血鬼・魔女伝説や錬金術、ゴーレムや人造人間、サイボーグ、ロボット、ヒューマノイド、自動機械人形(オートマタ)、ホムンクルス、その他ボルヘスなどが集めた幻獣系と読みすすめるうち、どうしても彼らのことと並行して、俗に「秘密結社」と呼ばれる集団との関係を調べなくてはならなくなり、またそれらの神秘思想などが、コリン・ウィルソンやエリファス・レヴィ、イエーツのような隠秘学者(オカルティスト)・実践魔術系の人が言ったことにしろ、エリアーデのような宗教学者が言及したものにしろ、シュタイナーのような人智学者が唱える思想にしろ、フロイト、ユング、ショーペンハウアーといった心理学者・哲学者の説にしろ、アタナシウス・キルヒャーやパラケルススといったような医学者・錬金術師のエピソードにしろ、シュレンク・ノッチングやブルーノ・グレーニングのような謎に包まれた人物がもたらす奇蹟にしろ、ラブクラフトの神話中に語られる恐怖体験、ジェームズ・チャーチワードやブラヴァツキー夫人が描いたムー大陸やレムリア大陸の様相であるとか、ガリレオやレオナルド・ダ・ヴィンチのような天文学者・発明家の功績にしろ、スウェーデンボルグのような科学者が書いたものにしろ、カサノヴァやカリオストロ伯爵、サンジェルマン伯爵といったペテン師ともとれるような秘密結社の中心人物が遺した伝説の数々などが、昨今の多くの新興宗教団体やセクト(またはカルト集団)の集団催眠等の手口や根幹思想にもなり得るようなことをニュースなどで垣間見ることになった時期とも重なったものであった。
高校生当時、私が人生の中で唯一、某出版社主催の公募に佳作当選した懸賞作文があった。倉橋由美子女史の作品に興味を持ち、シルヴァスタインの、『ぼくを探しに』という有名な絵本があるが、その話を意図的に引用し、「○○のカケラ」を探すために、現実社会の様々な現場に取材をし、社会の必要悪を発見してしまって動揺する子供を主人公とした風刺童話を書いたものだった。
また大学にあがってからは、先のグリム童話が、他の有名なアンデルセンの創作童話などと違って、グリム兄弟によって集められた民話集的な成り立ちを背景にしている点で、フランス文学風に言えば"コント(小咄)"についてを調べたり、果ては「月刊MOE」を読んだり、宮沢賢治、柳田國男系の東北文学や民俗学の系譜について、極一部についてだとしても少しはかじらねば卒論を書くことが不可能であった。その影響で童謡や挿絵画家などについても読むことになるのだが、その過程の中に、先の『ハーメルンの笛吹き男』があった。
この有名な話は、まだら模様の服を着た男がドイツのハーメルンという都市を訪れた際、当時その街で困っていた鼠の大量発生をどうにしかして欲しいと頼まれ、男がそれを果たしたのにも関わらず見合った報酬が支払われなかったため、今度は鼠退治に用いた笛を吹きながら子供たち約130名を連れ去り失踪したというものである。この時点で何となく象徴的な話のようにも思われてくるが、この童話がある意味で全世界的に有名となったことの理由に、実際の史実を元に作られた童話であるということがよく言われる。今でもハーメルンでは5月から9月までの毎日曜日に、街をあげてこの童話をモチーフにした無料野外劇が行われていると聞く。
1284年6月26日、ハーメルンの街から子供たち約130名が忽然と消えた――。
この話には諸説があるようだが、どうやら事実ではあるようである。また、それらの諸説を無視した童話の読み方によっては、自身を裏切った社会への復讐劇だとも見てとれまいか。
この話をむやみに昨今の幼児誘拐や殺人事件にあてはめるのも、犯罪心理学の正当性を守るためにもどうかと思うが、ハーメルンの笛吹き男に連れ去られながらも、無事に家に戻った子供のうちの二人は盲目と唖の子供であったという。笛吹き男の巧みな仕草や、魅力的な笛の音を受け入れることのなかった子供たちが助かることになっているのである。
結局私が問題ではないのか?と思ったことは、よく巷で「情報操作」と言われる部分かもしれない。これは何も超特ダネ的な話というわけでなくても、テレビなどで発言する芸能人や専門家などコメンテーターの方や、新聞や週刊誌の記者の方にも言えることなのかもしれない。
ときどき「テレビに出ている学者は芸能人だ」と揶揄される方がいる。誰もがそうというわけではないと思うのだが、フリーで活躍している専門家、もしくは公的な立場にいる専門家でも自身の名前を広めたいと思っている専門家や学者は、基本的には自分の専門下のことで確証のある事実しか述べないとされるが、インタビュアーの質問内容や、媒体側の見えない圧力(今後の仕事の振り方等)などによっては、事実と異なるとまではいかなくとも、例えば「その辺については私は存じ上げません」ばかり言っていたのでは仕事にならないので、「私は~思います」的な婉曲表現で、憶測について話す専門家の方もいるかと思う。それを媒体側は、「専門家の○○さんもそう言っているくらいですからね~」と誇大表現するものだから、誤った見解による伝言ゲームは誤った認識下で視聴する視聴者や読者を似非学者たらしめてしまうことにも繋がったりしないか?ということである。
たとえそこに、意図的な「情報操作」の意思がなくても、視聴者や読者は他の様々なメディア(インターネットなど)を用いて、あらゆる新しいメディアに焼き直しを図る。それが単なる焼き直しで留まればよいのだが、直感的な私情や根も葉もない憶測、果ては捏造や煽動などとあいまって、「架空の犯罪者(事実とは異なる犯人像)」を作り上げてしまうことも問題を大きくしかねない。
昨今話題となった少年犯罪においても、インターネット上の老舗巨大掲示板が発端となった。人権問題について最も厳しく追及している投稿者自身が、実は最も人権侵害をしている張本人となってしまっていることもある。それもちゃんと保護者である親のいる環境下で行われてしまっているという事実がある。「うちの子に限って……」とワイドショーを見たり、週刊誌のページをめくっている間に、自身の子供がインターネットを使って犯罪(インターネット上での規制が設けられれば)に手をそめているということもあり得るかもしれない。