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2003年07月27日

「箱庭幻想」 ナチュール・クー・ドイユ ~世界を一望の下に~

 ――「テイト・ブリテン発世界巡回展 ヴィクトリアン・ヌード,―19世紀英国のモラルと芸術」展を見終えた足で、今度はそのまま上野駅から日比谷線へ乗って、一路六本木へと向かった(約25分)。以前にも何度か書いたが、都市部再開発事業の一環である六本木ヒルズを見に行くためという目的もあった。

 しかしメインの目的は、何といっても森アーツセンター52Fで開催中の「世界都市展 都市は空へ」を見に行くことであった。これも前々から雑誌などで見て、すごく行きたかったものである。

 日本をはじめとした、欧米、アジアの主要都市の模型が展示されている展覧会で、江戸開府400年事業の一環として開催されたとされる、六本木ヒルズオープニング展覧会である。
 このときの感動を思わず自分のホームページにも写真付きで載せてしまった程だが、展覧会&展望スペースに一人で2時間以上もいてしまった(笑)。
 ため息が出る程精巧に作られた都市の模型群。建物の上部には航空写真で撮影した写真を切り抜いた実際の写真が切貼りしてあり、単なるミニチュア製作として見ても驚いてしまう。

 これが何故そんなに面白いのか?
先にも書いたが、江戸開府400年事業の一環として開催されたということもあり、施設53Fの関連展示として置かれた「江戸マップ」などにも示される「江戸」に始まり、商業、IT、生活etc――、と高次の機能集積都市「東京」に至るまでの「都市の変容」、そしてかつて私も日記で触れたことのある、マンハッタンの模型で示された安藤忠雄氏などによるグランドゼロのモニュメントに見る「都市の再生」、そして、各国の都市を全て同じ縮尺下において模型化したという「都市の比較」という、およそ都市論の基本とも言うべき概念を、たったこれだけのスペースに全て凝縮しているという点に真の醍醐味があるのだと思う。

 私は学生時代に「東京学」というゼミを履修していたことがあった。勉強嫌いの私が唯一面白いと感じていた授業だった。この件については以前も書いていると思うので今回は割愛するが、この都市の模型には、かつて伊藤俊治氏がジオラマ論の中で書いたような、単なる写真史や美術史を超越した人類の辿ったあらゆる社会史、文化史、技術史(土木建築)、思想史などを含んだ、一大パノラマ史と呼べる壮観さがある。

 これが52Fの展望スペースの入場券で入場できるところに、私は思わず、ロバート・バーカーに始まる「パノラマ館」や、今回のタイトルも想起を得た、ジョセフ・コーネルによる「箱庭」をも思わせる、まさに「ナチュール・クー・ドイユ ~世界を一望の下に~」の幻想を見るような気がした。

 もしもまだ見られていない方がいれば、この展覧会は超お勧めである。今年の9月21日(日)までとのことなのでお急ぎ下さい。

カテゴリー:[ 美術展 ]

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テイト・ブリテン発世界巡回展 ヴィクトリアン・ヌード,―19世紀英国のモラルと芸術

 今日は夏とは思えない程一日中涼しく、気分転換に散歩に出かけるにはもってこいの一日であった。
まず、東京藝術大学大学美術館で開催中の、「テイト・ブリテン発世界巡回展 ヴィクトリアン・ヌード,―19世紀英国のモラルと芸術」を見に行ってきた。

 本展の情報は以前にも雑誌『芸術新潮(2003年6月号)』で見ており、前々から行こうと思っていた展覧会であった。内容の方は展覧会のタイトルからも想像が付くと思う。
 「ヌード」や「ワイセツ」などという言葉はご法度だったヴィクトリア王朝時代(1837-1901)下のイギリスにおいて(1857年に猥褻出版物取締法が成立)、それ以前よりあったイギリス画壇の最高権威ともいえるロイヤルアカデミー(王立芸術院)の精神を根本から覆すような運動が起こった。ウィリアム・エッティを先駆とした、ジョージ・フレデリック・ウォツ、そしてフレデリック・レイトンやアルバート・ムーアらによるヌード作品の発表ラッシュである。

 本展は、彼らの作によるヌード作品のオンパレードとなっている。本展の見どころは、もちろんそういったヌード作品が基本的に好きな人には全てが見どころだと思うが、そもそもヌード画であれば何もヴィクトリア王朝下の作品にこだわる必要がなければどこでも見ることができる。これはやはり、ロイヤルアカデミーによる画壇支配などの影響で、厳しい規制下にあった中で行われたある種の「闘い」として見ることが勧められる。先の『芸術新潮』での特集名も「ヴィクトリア朝の闘うヌード」であった。

 「ヌードを巡っての闘い」は、日本でもかつて某写真家によって繰り広げられたこともあり、「猥褻と芸術の境目」は、絵画に限らずとも今も昔も変わらず微妙なところではある。
 本展の一作品目に出てきたエッティ作の「快楽に針路を委ね」という作品は、昨今の暗いニュースさえ彷彿とさせた。この作品中では、全裸のニンフに自身の乗る船を囲まれた男が描かれている。男は薄笑いを浮かべながら、「はかなさ」を象徴したシャボン玉をつかもうとして体を伸ばし、背後から近づく、「波乱」を象徴した暗雲にさえ気がつかない様子。一過性の快楽に身を委ねていると、人生の破綻を招くという意味合いを含んでいるといい、直感的な象徴性に、当時のお堅い画壇を意識した作りを垣間見ることができるだろう。

 つまり、厳しいヌード規制下においてはその強大な権力に抗うため、ヌード画にはある種の教訓などを含む必要があった。そういう意味での絵の醍醐味を伝えようとした向きも本展にはあったのではないか。
 美術展のテーマとして、本展は自分にとっては新鮮なものに感じた。

カテゴリー:[ 美術展 ]

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2003年07月21日

『ハーメルンの笛吹き男』に見る誘拐犯の心理と社会の病理

※旧「楽天広場」時代のブログより転載。

 先日の「小6女児監禁事件」はひどい事件であった。
同じくらいの年の子を持つ親の方は、もう心配で子供だけで繁華街に遊びに行かせたくないと思った人も少なくない筈である。

 容疑者は普通の仕事で生計を立てていた人ではないようだが、それにしても生計が成り立つということは、それを支えている"消費者(賛同者)"が存在するということで、悲しいことに、ともすると容疑者以上に異常心理に興味を持つ"予備軍"が他にもまだいっぱいいるということを示しているような気がしてならない。その辺の"現実"を、社会はもっと自覚し、次の備えを急ぐべきである。

 あまりニュースを見てないので、詳細は分からないのだが、一体どんな風に連れ去られたのだろうか?
私の時代でさえ小さい時から学校などで、「お菓子をくれるとか言われても、知らない人には絶対に付いていかないように!」と言われ続けていたものである。

 この事件とはあまり関係がないと思うが、ふと思い出した話があったので書くことにする。昔何かで読んだ、『ハーメルンの笛吹き男』という童話をご存知だろうか?

 グリム兄弟が収集した民話の中にある童話である。今手元に、昔読んだハーメルンの笛吹き男 伝説とその世界』/阿部謹也(筑摩書房)と、ドイツ文学者の高橋健二氏監修の図録メルヒェン街道物語があったので、それらを見返しながらいろいろ思った。

 余談となるが、今では私は絵本や童話はもちろんのこと、本すらもろくに読まなくなったが、幼少時代に読んだ、ごんぎつね手ぶくろを買いになどの影響があったのか、一時期童話系の物語に興味を持った時期があった。

 中学に上がってからは、愛読書に新潮社刊のシェイクスピアやドストエフスキーなどが入ってくるのだが、同時期にオスカー・ワイルドの作品を好きになった。そこから道を踏み外したのか(笑)、ユイスマンス、ヴェルヌ、ウェルズ等、19世紀末から20世紀初頭にかけての英米・ヨーロッパ文学、とりわけ幻想文学やSF小説に興味を持ってゆくようになる。

 また高校生になって澁澤龍彦を知り、先の高橋健二氏の訳で楽しんだゲーテ(ファースト博士について等)や、その他ユイスマンス、ヴェルヌ、ネルヴァル、それから吸血鬼・魔女伝説や錬金術、ゴーレムや人造人間、サイボーグ、ロボット、ヒューマノイド、自動機械人形(オートマタ)、ホムンクルス、その他ボルヘスなどが集めた幻獣系と読みすすめるうち、どうしても彼らのことと並行して、俗に「秘密結社」と呼ばれる集団との関係を調べなくてはならなくなり、またそれらの神秘思想などが、コリン・ウィルソンエリファス・レヴィ、イエーツのような隠秘学者(オカルティスト)・実践魔術系の人が言ったことにしろ、エリアーデのような宗教学者が言及したものにしろ、シュタイナーのような人智学者が唱える思想にしろ、フロイト、ユング、ショーペンハウアーといった心理学者・哲学者の説にしろ、アタナシウス・キルヒャーパラケルススといったような医学者・錬金術師のエピソードにしろ、シュレンク・ノッチングブルーノ・グレーニングのような謎に包まれた人物がもたらす奇蹟にしろ、ラブクラフトの神話中に語られる恐怖体験、ジェームズ・チャーチワードブラヴァツキー夫人が描いたムー大陸やレムリア大陸の様相であるとか、ガリレオレオナルド・ダ・ヴィンチのような天文学者・発明家の功績にしろ、スウェーデンボルグのような科学者が書いたものにしろ、カサノヴァカリオストロ伯爵サンジェルマン伯爵といったペテン師ともとれるような秘密結社の中心人物が遺した伝説の数々などが、昨今の多くの新興宗教団体やセクト(またはカルト集団)の集団催眠等の手口や根幹思想にもなり得るようなことをニュースなどで垣間見ることになった時期とも重なったものであった。

 高校生当時、私が人生の中で唯一、某出版社主催の公募に佳作当選した懸賞作文があった。倉橋由美子女史の作品に興味を持ち、シルヴァスタインの、ぼくを探しにという有名な絵本があるが、その話を意図的に引用し、「○○のカケラ」を探すために、現実社会の様々な現場に取材をし、社会の必要悪を発見してしまって動揺する子供を主人公とした風刺童話を書いたものだった。

 また大学にあがってからは、先のグリム童話が、他の有名なアンデルセンの創作童話などと違って、グリム兄弟によって集められた民話集的な成り立ちを背景にしている点で、フランス文学風に言えば"コント(小咄)"についてを調べたり、果ては月刊MOEを読んだり、宮沢賢治、柳田國男系の東北文学や民俗学の系譜について、極一部についてだとしても少しはかじらねば卒論を書くことが不可能であった。その影響で童謡や挿絵画家などについても読むことになるのだが、その過程の中に、先の『ハーメルンの笛吹き男』があった。

 この有名な話は、まだら模様の服を着た男がドイツのハーメルンという都市を訪れた際、当時その街で困っていた鼠の大量発生をどうにしかして欲しいと頼まれ、男がそれを果たしたのにも関わらず見合った報酬が支払われなかったため、今度は鼠退治に用いた笛を吹きながら子供たち約130名を連れ去り失踪したというものである。この時点で何となく象徴的な話のようにも思われてくるが、この童話がある意味で全世界的に有名となったことの理由に、実際の史実を元に作られた童話であるということがよく言われる。今でもハーメルンでは5月から9月までの毎日曜日に、街をあげてこの童話をモチーフにした無料野外劇が行われていると聞く。

 1284年6月26日、ハーメルンの街から子供たち約130名が忽然と消えた――。

 この話には諸説があるようだが、どうやら事実ではあるようである。また、それらの諸説を無視した童話の読み方によっては、自身を裏切った社会への復讐劇だとも見てとれまいか。

 この話をむやみに昨今の幼児誘拐や殺人事件にあてはめるのも、犯罪心理学の正当性を守るためにもどうかと思うが、ハーメルンの笛吹き男に連れ去られながらも、無事に家に戻った子供のうちの二人は盲目と唖の子供であったという。笛吹き男の巧みな仕草や、魅力的な笛の音を受け入れることのなかった子供たちが助かることになっているのである。

 結局私が問題ではないのか?と思ったことは、よく巷で「情報操作」と言われる部分かもしれない。これは何も超特ダネ的な話というわけでなくても、テレビなどで発言する芸能人や専門家などコメンテーターの方や、新聞や週刊誌の記者の方にも言えることなのかもしれない。
 ときどき「テレビに出ている学者は芸能人だ」と揶揄される方がいる。誰もがそうというわけではないと思うのだが、フリーで活躍している専門家、もしくは公的な立場にいる専門家でも自身の名前を広めたいと思っている専門家や学者は、基本的には自分の専門下のことで確証のある事実しか述べないとされるが、インタビュアーの質問内容や、媒体側の見えない圧力(今後の仕事の振り方等)などによっては、事実と異なるとまではいかなくとも、例えば「その辺については私は存じ上げません」ばかり言っていたのでは仕事にならないので、「私は~思います」的な婉曲表現で、憶測について話す専門家の方もいるかと思う。それを媒体側は、「専門家の○○さんもそう言っているくらいですからね~」と誇大表現するものだから、誤った見解による伝言ゲームは誤った認識下で視聴する視聴者や読者を似非学者たらしめてしまうことにも繋がったりしないか?ということである。

 たとえそこに、意図的な「情報操作」の意思がなくても、視聴者や読者は他の様々なメディア(インターネットなど)を用いて、あらゆる新しいメディアに焼き直しを図る。それが単なる焼き直しで留まればよいのだが、直感的な私情や根も葉もない憶測、果ては捏造や煽動などとあいまって、「架空の犯罪者(事実とは異なる犯人像)」を作り上げてしまうことも問題を大きくしかねない。

 昨今話題となった少年犯罪においても、インターネット上の老舗巨大掲示板が発端となった。人権問題について最も厳しく追及している投稿者自身が、実は最も人権侵害をしている張本人となってしまっていることもある。それもちゃんと保護者である親のいる環境下で行われてしまっているという事実がある。「うちの子に限って……」とワイドショーを見たり、週刊誌のページをめくっている間に、自身の子供がインターネットを使って犯罪(インターネット上での規制が設けられれば)に手をそめているということもあり得るかもしれない。

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2003年07月07日

「追悼もまた文学なり」/嵐山 光三郎 ――「ことば」を残す作家たち

 先日、某全国紙の記事の中で、ふと目をひいたものがあったので書くことにする。
今年5月に亡くなられた、作家の堤幸子さんに関する記事だった。「堤幸子」と聞くと聞きなれない名前だったが、その記事のそばに大きな活字で「桐生操」とあったので思い出した。

世界悪女大全』や『本当は恐ろしいグリム童話』などのベストセラーを生み出した、作家の共同ペンネームである。先の記事とは堤さんの共同執筆者である、上田加代子さんのインタビューを交えた記事である。

 実際、私はまだ著作を読んだことはない。大学の卒業論文で澁澤龍彦氏のことを書いたことがあったが、当時は河出書房新社から氏の全集(再編集版)が出るとかで、随分と河出書房新社の出版物をさらったものであった。そこで「桐生操」の名前を見つけ、参考文献にしようとも考えたものだったが、結局読まず終いであった。

 最近では、この手のジャンルは根強いファンが多いのかと思うが、古くは池田理代子さんから、藤本ひとみさんまで、中世のヨーロッパや歴史、異端性を題材とした内容というのは――、先の澁澤龍彦リング?と勝手に言うと語弊もあろうが、女性を中心に特にファンが多いような気がする。

 実はこの日記で、過去にも文学者が亡くなられたことを書いている。矢川澄子さんや、山本夏彦氏、窪田般彌氏と、私自身も著作を数冊所持し、かねてより興味を抱いていた作家が亡くなられた。実は、堤幸子さんの後には岸田理生さんも亡くなられている。岸田理生さんと言えば、元寺山修司の演劇実験室「天井桟敷」のメンバーで、後年劇作家になられた方だった。私は演劇は知らないが、2003年はその寺山修司の没後20年、堤幸子さんや澁澤龍彦年表?で言えば、シャルル・ペロー没後300年の年にあたる。

 さらに、数年前に興味を持って読んだ安原顕さんの評伝があったが、元「マリ・クレール」や「GQ」、「リテレール」などの編集長、副編集長を務めた安原顕さんも、まだ60代の若さでお亡くなりになっている。

 ここ1、2年は、先の日記のリンク先で書いた方以外にも、私の知るところでは、三枝和子さん、黒岩重吾さん、生島治郎さん、宮脇俊三さんなどがお亡くなりになられている。

 これらの訃報については、文壇や出版界でどのくらいの波紋を呼んでいるのかは私の知る由もないのだが、少なくとも現世から二度と、先の偉大な方々が生み出すような言葉は生まれないことだろう。
 確かに各文学賞の選考委員の方も、年々世代交代をされているので、流行的には変遷もあることだろう。また既出のものより、より良く出来た文学も生まれるかもしれない。

 そこで、ふと思い出した言葉がある――。
先にも話題に挙げた澁澤龍彦氏の言葉である。私は氏の最後の小説『高丘親王航海記』を卒論で採り上げたが、これは読まれた方なら分かるかと思うが、"裏のストーリー"が本当に哀しい内容なのである。小説の内容が、というより作家の病床時に書かれた小説で、まるで死を予期したかのような予言めいた言葉を、読者は小説のあちらこちらに垣間見ることになるのである。

 偉大な作家が後年抱いた死生観のようなものが文章に表れている。なかでも途中、人の言葉を話すジュゴンが登場するが、そのジュゴンのセリフ、「――おれはことばといっしょに死ぬよ。たとえいのち尽きるとも、儒艮の魂気がこのまま絶えるということはない。いずれ近き将来、南の海でふたたびお目にかかろう」には、氏の代弁とも取れる節が見受けられる。

 私の読後感としては、世間一般的に正しく論じられている内容とは異なるのかもしれないが――、氏が生前におこなったロールシャッハテストにおいて、「観念ばかりが活動して、情動との連結が隠されてしまう」と診断されるのだが、氏が自分の死期を悟って(作中に、空海上人<弘法大師>が死期を悟って入定するという件がある)、病床に伏せながらも果てぬ想像の旅(高丘親王の天竺までの旅と重ねながら)を続け、最後の最後で「ことばを残す」という作家的行為を高らかに謳いあげ、プラグマティズムの精神で自身の「観念」に打ち勝った時の作品なのだと思い込んでいた。もう、それだけに涙なくしては読めない作品で……。

 ――そうした自分の気持ちの前段階があり、昔書店で買い求めた、「NHK人間講座」のテキスト、「追悼もまた文学なり」(嵐山 光三郎)をタイトルに引用する。

 そこには歴代の文豪、三島由紀夫、太宰治、芥川龍之介、川端康成、永井荷風、谷崎潤一郎等の作家たちが寄せた、または彼らの死に寄せられた「追悼」について言及した評が並ぶ。元、雑誌『太陽(平凡社)』編集長を務めた作家が描く「追悼文学の世界」である。

 嵐山光三郎さんは、その序文でこう言う。

「追悼には本心が出ます。書くほうは、追悼文が後世まで文献として残るとは思っていませんので油断します。」

 要するに、それだけ本音が語られる部分であると言うのである。当時の作家は、必ずしも人生をまっとうして亡くなっていった方ばかりではないと思う。それを悪く言うにも、良く言うにも、追悼する側の生き方が問われてくるのだそうだ。自分のファンだった方が亡くなったとき、皆さんはどのような「言葉」をもって自分の感情を表すのだろうか?

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投稿者 cyberpoet : 01:47 | コメント (0) | トラックバック (0)