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グランドキャバレーと呼ばれていた時代。

 私にはそのようなお店にあまり縁がないので、今でもそのように呼ばれているのかどうかは分からない。

 以前にどこかの速報に掲載されていた大手検索ポータルサイト「エキサイト」内の新コンテンツ「イズム」内で特集されていた「グランドキャバレー2002」を見た。

 「銀座白いばら」という名前に惹かれて見た。学生時代、アルバイト先の上司に連れられて歩いた夜の銀座界隈。当時はまだ私も、新しいものやモダンなものばかりを追いかけるミーハーな一学生であった。初めて「白いばら」の外観を見たときは、正直「なんだか古臭いお店だな」としか思わなかった。どんな人たちが利用しているのかさえ想像つかなかった。やがて流行や斬新といったもの以外にも、伝統や格式といったものに価値を見出すような感覚が少しづつ備わっていくと、軒先に掲げてある看板や日本地図が放つ、あの独特な、言い様のないノスタルジーのようなものを若干は理解できるようになってきたものだった。

 最初に断っておくと、もちろん高級店「白いばら」に入店したことなど一度もない。ただ、この「イズム」内に、もう一つ興味深い文字を見つけたので書くことにした。それは「福富太郎」の文字であった。

 ページ内では「キャバレー文化生き証人」という肩書きが付いている。河出書房新社より、『昭和キャバレー秘史』という著書を出されているが、私が知ったのは鹿島茂氏の『この人からはじまる』(小学館)の中であった。
 学生時代より各所のキャバレーのボーイなどを勤め、今では都内各所にあるキャバレー「ハリウッド」チェーンを展開する、生涯現役のキャバレー経営者である。
 東京オリンピックの年(昭和39年)に、銀座に女の子1000人がいたという「銀座ハリウッド」をオープンさせたらしい。当時のキャッチコピーは「おどろくなかれ、万里の長城、戦艦大和、銀座ハリウッド」で、当時の巨大なものと並列させることでその規模を形容していたようである。

 先述の『昭和キャバレー秘史』の中で、福富太郎氏の意気込みが書かれている。

「私にとっては、"キャバレー"ほどいい商売はない"のである。もう一回生まれてきても、私はまたキャバレーをやるだろう」

 これが、「私にとっては、"キャバレー"ほどいいお店はない"のである。もう一回生まれてきても、私はまたキャバレーに行くだろう」になってしまう私どもとの大きな違いなのだろうと、福富太郎氏の生き様の書かれたそのWEBページを食い入るように見つめながら、過ぎ行く連休最終日の夜を名残惜しそうに憂う、今夜の管理人であった。

カテゴリー:雑事断章

投稿者 cyberpoet : 2002年11月24日 20:47

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