<<2002年09月 | メイン | 2002年11月>>

2002年10月29日

メルマガ購読がマイブームだったとき。

 一昔前(今もかもしれないが)、おもしろいメルマガを発行するとお店が繁盛するとか、個人的に広告収入が入り儲かるという世間一般の風潮があった。
 私がメルマガを意識し始めたときには割と過渡期に近かったので自分で発行しようという気にはなれなかった。せいぜい、冗談で身近な人への「個人ニュース」程度のものを配信した程度であった。

 私は朝ゆっくり新聞を読んでから出勤ということはあまりしなくなった。帰りも割と遅いのでテレビもつける気になれず――、でも、最近のニュースが知りたいなぁ、なんて思ってヤフーのトピックスをみたり、リンクを飛んでみたりという程度には興味があるようだ。

 一時、ついにそのニュース探しも面倒になった頃、メルマガで自分の欲しいニュースだけをピックアップして配信してくれるというサービスを知ったものだった。特定個人の"許した(望んだ)"カテゴリのニュースのみを配信することから、俗に「オプトイン・メール」だとか、「パーミッション・マーケティング」なんて言われることもあった。

 最近は類似したメルマガも多くそれらすらも読む気力がなくなってきたのだが、不思議なもので、昔から今に至るまで人気のある(おもしろい)メルマガというものには、いくつか共通した特徴があるように見えてくるのである。

 例えば、情報豊富で信頼性がある、短いスパンでの一定配信、重要なリンク先の多さ、広告の少なさ、レイアウトが一定、目次がある、その他キラーコンテンツを持っている等々……。

 簡単に言ってしまうが、配信する側にとっては上記のことをクリアするのは非常に難しいことだと思う。他に何か、もともとメルマガと連動可能な媒体や店舗や商品で実績があるような配信元であればいいのだが、何もない状態からオリジナルの企画・実行するのは極めて困難だと思われる。

 そんなメルマガだが、私が一時期ハマっていて今でも流し読みすることのあるオススメのメルマガをご紹介しておこうと思う。昔からあるのがほとんどだし、有名なものも多いので知ってる方もいっぱいいるかと思いますが。

【オススメのメルマガ一覧】

・Japan.internet.com/デイリーニュース
http://japan.internet.com/mail/newsletters.html

・DragonField/週刊e-Report
http://www.dragonfield.com/main/business/index.html

・DragonField/トレンド☆ナウ
http://www.dragonfield.com/main/internet/index.html

・wunderman dentsu/CRM Newsletter
http://www.wunderman-d.com/newsletter/

・Venture NOW
http://www.venturenow.tv/

・日経ネットナビ
http://netnavi.nikkeibp.co.jp/netnavimail/

・小橋昭彦■マーケティング情報誌『今日の雑学+(プラス)』
http://www.kobashi.ne.jp/mm/index.htm

・ビジネス道場
http://www.global-eye.co.jp

・SmallBiz
http://smallbiz.nikkeibp.co.jp/

・経営戦略考
http://www.mori-office.com/index3.htm

・e-comonオンライン経営コンサルタント/「がんばれ社長!今日のポイント」
http://www.e-comon.co.jp/

・百式
http://www.100shiki.com/index.php3?mode=mm


――他にも購読しているものはあるが、ほとんど読めていないので、主要なもののみピックアップしてみることにした。

 そして上記の最後の「百式」からの今日配信のメルマガ、言い尽くされた内容なのかもしれませんが、久し振りに聞いた内容で、俄然やる気が出た。

 テーマは「あなたの嫌がるものはなくならない」というもので、「人は自分の向いている方向に進む傾向があります」という結論から持論を展開している。気分が滅入っているとき、人はどんどん滅入る方向に向きやすい、それはいみじくも自身が滅入る方向を向いているからだという内容であった。
 別に私が今滅入っているわけではないのだが、様々なシーンにおいても、共通して言えることなのではないか?と自分の行動を振り返ってみたりしていた。

カテゴリー:[ IT関連 ]

投稿者 cyberpoet : 20:22 | コメント (0) | トラックバック (0)

2002年10月20日

『闇をひらく光』 ~照明について、ふと考えた~

 今やどこの国でも家庭でも――、バシュラールの『蝋燭の焔』から引用すれば、「われわれは、管理された光の時代に生きている」というくらい――ほとんど当たり前のように利用されている照明だが、一昔前まではあらゆる意味で貴重な「光」だったそうである。

 昨今、北欧の照明器具がオシャレだとか言われ始めて久しいが、その言われの発端がいつのことだったのかは詳しく分からなかった。ただ少なくとも私が学生時代にその周辺に興味を抱き、ゼミで「直接照明と間接照明の文化圏における文体・物語の構造比較」系のものを書いたことがあったので、おそらくはそれ以前からあるブームのようにも思う。結論がないまま書いたので焦点のぼやけた論文だった記憶があるが、小説や詩、言語(規則)などにまで、対象を語るときのスポットライトの当て方が日本と欧米諸国のものでは違うように感じるが、これは照明の歴史の変遷とリンクしやしないか?という憶測から試みた実験的な論文だった。発想は高校時代の担任が授業中に紹介していた石川啄木の『一握の砂』に出てくる「東海の小島の磯の白砂に われ泣きぬれて 蟹とたわむる」という歌を挙げて日本人観を謳った(cf.『「縮み」志向の日本人』)評論家がいるという話が発端だった。

 当時参考文献として使用したものの中に、闇をひらく光 19世紀における照明の歴史』/ヴォルフガング・シヴェルブシュ著、小川さくえ訳(法政大学出版局)というものがあった。イギリスの産業発展に寄与した工業用照明から始まり、フランスで蝋燭や暖炉の灯にとって代わり各家庭にまでゆき渡ったガス灯、街路を照らし出したアーク灯など、その発展の歴史をざっと振り返ることが出来る本である。

 本書では、人類にとっての火の三大文化機能であった「煮炊き」「暖房」「照明」の中で、太古の時代はそれらが集約された要素であった火の機能だが、最も早くに分離・独立したのが照明であると書いている。

 同時にそれは象徴的な意味合いを強く持つようにもなる。どういうことかと言えば、もし光が発展しなければ影も発展しなかった筈である。具体的に言えば、フランスの画家ラ・トゥールを先駆とする光の明暗を美しく描くそれ以降の画家も誕生しなかったろうし、舞台芸術などもここまで発展していなかったかもしれない。「フォーカス」という言葉も、同名の照明装置がガス灯の発明によって生まれたものであるので、その後の「スター」という概念も誕生しなかったかもしれない。イングリッド・バーグマン主演の名作映画『ガス燈』ももちろん発想され得なかったろう。

 他に今のパリにもしエッフェル塔が建たなければ、当時のコンペでの代案としてあった「太陽の塔」というモニュメントが建造されていたという。文字通り太陽の代わりをなす光源を持つ塔だったようである。その生活の全てを照らす照明だが、時には防犯の上でも役に立ったとある。今でも夜道を女性が一人歩きをするのには抵抗がある人もいると思うが、19世紀ヨーロッパ、とりわけベルリンなどでは閂をおろすのが条例で定められていたほど夜間は危険な時間帯であったそうで、街灯設置後は夜間の犯罪が減ったともいう。また、それだけに街灯を破壊する行為は器物破損という秩序的犯罪というよりも刑事罰が課せられていたほど、象徴的な意味を含んでいたのである。

 事実、1871年3月のパリ・コミューン(自治政府)弾圧の時代、武装解除を要求する臨時政府から自立を宣言した国民軍・労働者・市民たちは、史上初の労働者による政権を握り(パリ・コミューン)、極端な社会主義政策を行ったが、そのときのエピソードとして、自由の確立を象徴するかのように国民軍たちが街中の街灯を壊して歩いたという話もあった。それは以前の1830年、七月革命の際に国王軍に対抗するため、市民が街中のありとあるランタンを破壊し、バリケードを組んで「パリを難攻不落」にしたという史実に基づいているのかもしれない。

 その後、照明の発展に伴ってその眩し過ぎる光源を覆う"かさ"にも効果を含めてデザインや機能性が追求されるようになってゆく。そうして、ガレをはじめとする19世紀末のアール・ヌーヴォー期に花開く芸術的作品の登場までしばらく待つことになるのであった。それ以前までは象徴的意味合いの強かった照明が、今度は人々の生活の中に介在してきたのである。

 今の世の中では、こうした身近な照明がどのように使われているだろうか。こうした歴史を顧みた後で眺めてみると、いつもとは違ったイメージで「物」が見えてくる。これが楽しい。

カテゴリー:[ 書評 ]

投稿者 cyberpoet : 01:26 | コメント (0) | トラックバック (0)

2002年10月05日

「天才の誕生」 ~バルセロナ・ピカソ美術館展~

 今日は午後から仕事が一つあったがすぐに終わった。帰社しようとしたが直帰できるようだったので、その足で上野に向かった。

 9月21日より上野の森美術館で催されている「ピカソ 天才の誕生 バルセロナ・ピカソ美術館展」を見に行くためだった。

 上野の森美術館では、99年にもピカソ展があり、パリ国立ピカソ美術館所蔵の作品が展示されたことがあったが、私がかつてピカソの作品展を見たことがあったのは、それと渋谷文化村で98年に行われた「ピカソと写真展」と「ピカソ展」くらいのものだ。しかも特に普段絵を描いているわけでもなく、専門的に勉強しているというような熱心なファンでもない。だからなのか分からないが、多くの人と同じように感動はすぐに薄れるもので、それだけに度々足を運んでしまうだけなのであった。

 今回の目玉企画はチケットにも印刷された、ピカソ初期の傑作「初聖体拝領」かもしれない。キリスト教信者である人からすればどのような儀式なのか当時の光景をある程度想像出来るかもしれないが、14,5歳のときのピカソが妹のローラを写し取ったものとされる。

 私は本家であるバルセロナのピカソ美術館には行ったことがない。この作品はピカソ一家がバルセロナに移り住んでからの、ピカソ初めの傑作と評されているが、確かにWEBや雑誌で見るのと違い、実際に目の前にすると思わず固唾を飲んでしまう程に特別な光彩を放っているように見える。

 19世紀末のヨーロッパは激動の時代で、万国博覧会が何度も催されるなど科学や産業の一大発展の裏で、俗に言う世紀末思想が蔓延していた時代でもあった。ピカソが15,6歳のときには、今回の展覧会のもう一つの目玉作品である「科学と慈愛」という、あまりにも子供離れしたモチーフの作品が描かれた。先述の「初聖体拝領」同様、人物の配置など絵全体の構図や筆致、絵の奥にまだ何かが続いているような物語性がとても精微で、絵心のない私からすると思わずため息をこぼさずにはいられない。

 そういった、画集などでは伝わらないインパクトを求めて、美術館に足を運ぶ人は非常に多いと思う。元々20世紀を代表する大芸術家の作品展示だということと、"バルセロナ美術館の一部改修工事の時期に合わせた貴重なピカソ初期作品の最初で最後の大量出展"という触れ込みで、大分以前より話題になっていた関係で入場者の数は非常に多く、入場規制や待ち時間さえあって中に入ってからも人の頭越しに見るのがやっとなくらいだった。世界的な画家の展覧会となると、このように非常に混雑することが多く、かつて渋谷文化村で行われたゴッホ展などは私も入場を諦めたことがあった。

 いつかスペインやフランスに行くことがあったら、当地の陽光を浴びた後に是非ピカソ作品を一度拝みに行きたいと思っている感じである。若かりし頃のピカソが浴びた陽光と辿った軌跡とを共有出来る旅、旅行会社の企画などには今まで無数にあったのだろうが、今の私はとてもじゃないがそんなことも言っていられない。でも、いつか行きたい。もうこんな歳になってしまったが、若い時期にそういうことが出来ているような人たちが羨ましく思える今日である。

カテゴリー:[ 美術展 ]

投稿者 cyberpoet : 20:16 | コメント (0) | トラックバック (0)