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【クレーム論考】 ~クレームは「火事」のようなもの?~

クレーム……。この世にクレームの一切ない会社などあるのだろうか――。

 中にはきっとあるだろう。しかし、対消費者向けのサービスを提供する場合、抱える顧客の数にも比例するものと思うが、サービス業とクレームは切っても切れない関係にあるように思う。

 幸い私の通う会社ではクレームが少ない。しかし昨今のプロバイダー情勢などを静観していると、投資の割に見返りが少なそうで、かつ顧客満足度の沸点はかなり高く、恩を仇で返されているかのような厳しい条件下に立たされているように見受けられる。そんな厳しい環境で育ったサポセンの方々は、ものすごい対応のプロなのだろうと推測する。

 不特定多数の人を十把一絡げに同一ないしは同類のサービス内容で満足させるのはまず不可能だ。ただし、だからと言ってそれがクレームの出る主因になるとは限らない。それにクレームが出た場合の立ち回り方というのが必ずある筈だ。最近ではそんな陰気なクレーム体験談も、本まで出版された程話題となった「絶対サポセン黙示録」のサイトなどのように、完全にパロディー化されるという明るい側面も表面化してきて、今まで包み隠されていた光景が一般の方の目に触れる程に社会的進出を遂げるようになってきているように感じる。

 また、最近では「クレームを顧客に変える!」系のタイトルで、いかにも美談・美辞麗句を書き連ねたのだろうと推測させられて止まないような本も多く出版されている。
 なるほど。確かに言い得て妙で、クレーム顧客に真剣に対峙・対応すると、その後優良顧客となるケースも時にはあるものだ。考えてみれば至極最もな話で、火のないところに煙は立たないように、サービスあるところにクレームありき!なのである。そもそもその火種のほとんどがサービス提供側が撒いているものなので、ある意味その対応のイニシアティブはサービス提供側が持つこととなる。とすれば、対応者の熟練度やセンスにもよるのだろうが、基本的にはある面で優位に立つことができるのではないだろうか?

 そう、先ほど「火種」という言葉を用いたが、私見だがクレームとは「火事」のようにも思えてならない。
はじめは本当に小さな火種だった(もちろん爆発からスタートする火事もある)。その火種が、燃えやすい乾いた木片に移り、火は大きくなる。その後周囲の燃えやすい素材(サービス提供側の過去の過失、約款などのような法的な社会的事実など)に飛び火し勢力を増してゆく。その地獄絵巻はまさに、現代のサービス業全般に共通して言える天災であり、人がときに自然の力に屈することのあるように、自分の信じている事柄から挫折しかけるのだ。

 その昔「東芝事件」なんていう事件があった。
私は詳細を知らないが、伝え聞いた話から想像するに、この事件の中で、ある面で言えば「開拓者(英雄?)」となったものが「消費者」であり、「犠牲者」となったものが「東芝」というだけだったような気もする。悪意はなくとも、未だに旧態依然とした体質の企業などで対応の悪いところはいくらでもあるようだが、それは「サポート」と呼称する部署ないしは個人に対して利用者がどこまでを求めるのかにも因ると思う。利用者のスキルや理解度、性格に由来するものなどもあるだろう。もちろん対応する側の経験値、話し方などのような基本的要素が原因することもある。

 このように必然とも偶然とも言いがたい、ある種数奇な運命をたどって「クレーム」は生成される。それはおよそ人知では計り知れない、無限の確率で起こり得るものである。
 もはや、今では他人事では済まされぬクレーム。下手をすれば、小さな組織では全焼もまぬがれ得ないことになりかねない。何かしらの対策を講じる必要性があるように思う。

 そこで私は考えた。私はクレーム処理を行う仕事をしているわけではないし、それほど対応の経験があるわけでもない。しかし、まだこの自然の摂理の公式に気がついていない方がいるのであれば、恐縮ながらこれを参考にしていただければ……と思い勇気を持ってこれを書こうと思い立った。今以上の悲劇を繰り返さないためにも!

「火は他に燃やすものがなくなれば、また酸素がなくなればいつか必ず消える」

 少なくとも私はこの公式を信じている者の一人だ。
これはもちろん、火事は放っておけばいいという話ではない。火種が他に移る前に、周囲の燃えるものを取り払え!という意味である。慌てて水をかけて消火しようとすると、油のように反応するケースもあるだろう。まず、どんな火事なのかを「ゆっくり急ぎ」ながら考えるべきである。

 あとは、消火の仕方さえ経験の中で学べば、ボヤ程度の火事にいちいち慌てなくても済むようになるだろう。とにかく最初はバケツ1杯の水をかけても、全く火は収まっていないように見える筈だ。しかし、大勢の人が連携して何杯ものバケツの水をかけたらどうだろう?放っておくよりも、確実に早く消火出来る筈である。いつかは消えるということを信じて、ひたすらに消火活動に励むのである。

 問題なのは、この「水」自体をどうするかである。
これこそがまさに、現実の貴重な「水」のように、皆にとっての大事な共有資源なのではなかろうか――。

カテゴリー:IT関連

投稿者 cyberpoet : 2002年09月26日 05:17

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