よりメンタルに、よりエモーショナルに……。
「願ったことはいつか必ず報われる!」
――そう信じて物事にあたっていくことは決して無駄ではないように思う。
学生時代に読んだ本で、気に入っているもので【『類推の山』/ルネ・ドーマル著】という本がある。たとえ結論が最後に出なかったとしても、確信を掴んだ事柄に際して、とことん突き進む姿勢には心打たれるものがある。
今日読んでいた新聞に、私の好きなチョコレート菓子「白い恋人」を長年作り続ける北海道の石屋製菓の社長、石水勲氏のインタビュー記事が出ていた。
その中で社長は言う(正確な抜粋ではありません)。
「笑う人もいるかもしれないが、お菓子を作るときに私は従業員に対して、"もっと美味くなれ!"と念じながら作るようにと指導しています」
――というものだった。
私はもちろんこの手のおまじないや占い的な類のものに全くもって興味がないのだが、純粋に「マインド(・コントロール)」の一つとして捉えると、非常に重要な要素に感じた。
なぜなら、先のような「おまじない的行為」を笑い飛ばせるような人間が、まず昨今いるのかどうか疑わしいからである。労組などが自社の犯す犯罪を内部告発するほど、利益追求の極地をいき、大手企業が自ら先陣きって瀕死状態であることを世にさらけ出し、株価不安の中更なる景気低迷に一役買ってしまうような格好となっている滑稽な世の中である。
極一部の者の考えなのかもしれないが、彼らの唱える拝金思想こそが、当たり前だがメーカー(製造元、作り手)として、最も行ってはならない行為を生み出した悪の元凶ではなかったか?
確かに企業が利益追求を行う場合、大きく2つのやり方しかない。一つに、アイデアや付加価値を付けて単価を上げるやり方。二つ目に、スケールメリットを利用して仕入れ値を下げたり、中間マージンをなくし原価を下げたりするコスト・パフォーマンスの向上を図るやり方。
アイデアも投資も人材も何もかもが出尽くし、競争激化によって企業の基礎体力だけの勝負になると、勝負事と同じで、ずるい行為に走ったり、あからさまに負けを認めたくなるようになるところが出てきたりする。
産地・日付・成分表示の偽装問題にしても、全社的なソフトコピーの問題にしても、脱税なんかにしても、早期撤退にしても、みんなそれら企業自体の慢性的疲労、もしくは過度の焦りに因るものではないのだろうか。もちろんある程度の社会悪は必要であり、きれい事ばかり並べててもうまくいくはずはないのだけれども……。
また、日本経済が現在のようなマクロなものに移行する以前、「製造」という行為こそが経済を支える支えであり、国力の証明でもあったのではなかろうか。
「誰よりも良い物を作りたい!」――そういう職人的な、ストイックな考えの作り手は減った。というより抹殺された。逆に「どうしたら儲かるか?」「どうしたら消費者の気をひけるのか?」そんな類のものだけが、「ブランド戦略」だの「キャラクターマーケティング」などのような、その本を販売するためのレトリックだらけの衣を着せられて書店を埋め尽くし、本末転倒も甚だしいご時世だと思う。
少し前に日本3大デザイナーの一人である川久保玲さんが、昔に取引されていたという織物業社の衰退を嘆くドキュメンタリーが放映されたことがあった。廉価販売を推進する企業が増えるのは、正直今の私たちにとっては嬉しいことなのだが……。
本当に大切なものは、先の石屋製菓の姿勢ではないが、恒久的な日常の中の「もっと美味くなれ!」という作り手の気持ちであり、これは開発者や一般個人の趣味的問題にまで派生する考え方だと思う。
私自身、自戒の念を含めて今後は取り組んでいきたいと思っている。たとえばメールでクレームをよこしたお客様の元に、実際訪問してお詫びしてみる。パソコンばかりの世の中、人間不信の念が高まる中で、こういったアナログ的なコミュニケーションの効果は絶大であったりする。メールでの文体は厳しいが、実際に会ってみると話の通るお客様だったりすることが多い。そして面白いことにクレームを形成している要素のほとんどが、「怒っている」のではなく、ただ「困っている」だけだったりするのである。
よりメンタルに、よりエモーショナルに……。私のチャレンジは続く。
カテゴリー:雑事断章