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2002年08月25日

麻布十番納涼祭りのエピソードエトセトラ

■麻布十番商店街ホームページ
http://www.azabujuban.or.jp/

 8月23日(金)から25日(日)まで、毎年恒例のお祭りがあった。私は行ってはいないのだが、今日が最終日である。たまたま通ったという姉が、豆源の豆菓子を買ってきていた。これはよく、仕事で外出中に麻布に行くと、社内へのおやつのお土産としてときどき買っていっていたりもしたものだ。
 期間中、上司がその辺に用事があり、行ったらすごい混みようだったと業連電話で言うので、ゆっくり焼鳥なりモツ煮込みなりタイ焼きでも堪能してから帰社してはいかがでしょう?と提案した。

 私が行ったのはいつだったろう?学生の頃は、よくお祭りとか縁日の雰囲気が好きで、商店街の小さなお祭りをはじめ、靖国神社のみたま祭りとか、浅草の三社祭とかに足を運んだものだった。

 提灯の薄暗い明かりが夜の闇に溶け込む様子、小さな子供たちのざわめき、金魚すくいなどの露店から聞こえる発電機のモータ音や水臭いにおい、極普通の人が感じるのとおそらく同様の「異世界感」が私も好きであった。

 私が以前、麻布十番祭りに行ったのは確か社会人1年目の夏だから、もうかれこれ4年経つ。
当時は派遣スタッフとして某企業で働いていて、仲間の派遣スタッフを誘って行ったものだった。学生時代の女友達を誘ってみたところ、彼女はレースクィーンの仕事をしているということで驚いたことがあった。事務所の友人も連れて来てもらい、4人でお祭りに行った。

 現在の麻布は、隣町六本木6丁目などとともに、あの森ビル再開発計画の一環として、六本木ヒルズや元麻布ヒルズの建設が進んでいるところである。昔から「芸能人を見かける」「ドラマの舞台になった」とか、何かと高級住宅&オフィス街のイメージが強いこの近辺。一方で平安時代、空海が関東一円に真言宗を伝えるために今の麻布に開祖し、その流れを受けて今の善福寺が建立されたようで、古いものと新しいものが混在する街というイメージがある。それでいて同時に大使館や公園なども近くに点在し、閑静な住宅街というイメージもあります。

 麻布商店街のお店の店長さんと当時話したことだが(これは本当の話かどうか分からないですが)――、

 今の大江戸線が開通するまで、麻布十番というと私の場合、日比谷線六本木駅から歩いて行くことが多かった。したがって、余程用事があるとか目的がないとなかなか行くというようなことはなかった。

店員さん曰く、本来日比谷線は六本木ではなく、「麻布十番」を通るべきだったという。地形的に見ても、六本木だとわざわざ周って行くような経路となるそうである。ここに政治的背景があったかどうかは分からないが、とにかく今になって念願の線路が通って商店街が盛り上がって良かったと思う。しかし代官山などでも言えることだが、昔から住む住民たちにとっては、全く違う感性を持った他者(マンションなどに入る有産階級の人、観光や遊びに来る人)が、どんどん土足で入ってくるような感覚がある人も中にはきっといることだろうと想像した。だからタバコの投げ捨てなんかで、きれいな麻布の街並みが汚されないことを心より願いたいと思った。

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2002年08月09日

「丸ビル」逍遥 ~新生丸の内ビルディングに胸ときめいて~

 かつて、中原中也や西条八十&中山晋平も詩った、ランドマークの先駆けとも言える「丸ビル」が、来月6日に新装開業するという話が今朝の新聞にあった。これも様々な情報誌で取り上げられている東京地区再開発プロジェクトの一環事業の一つなのであろうか?


■三菱地所
http://www.marubiru.jp/pre/
http://www.mec.co.jp/report/marubiru/maru_top.html

 ここ丸の内界隈は、今でも「三菱村」などと呼ばれるが、歴史上名高い岩崎弥太郎で知られる三菱財閥の後継者が切り開いた土地である。ちょうど渋谷が、東急と西武の戦いで発展していったように、他の区域との差別化を図りながら摩擦を起こして「近代」への発展を遂げていったホワイトカラーの象徴として、バブルの時期は学生たちの多くが就職先に望み、またトレンディードラマの舞台にもなるほどエリート色の強いモダンな街としての印象が強かった。もちろん調べていくと、もっとすごく歴史と内容のある街のようである。

 学生時代私は、特に丸の内に憧れていたというわけではないのだが、偶然、東京駅のそばの会社でアルバイトをすることになったことがあった。昼時や終業後はときに丸ビルにあった森永の喫茶店でお茶をすることもあった。

 そういうこともあり、特に建築を専攻していたことはないのにも関わらず、「唱歌・童謡学」というゼミに入っていた関係で、中原中也と立原道造の比較論文を作品鑑賞とフィールドワークとを絡めて書いたことがあって、その際にも丸ビルを眺めに行ったことがあったので、何となくの思い出に残っていたということでこれを書いているだけである。

 平成9年、そんな丸ビルも老朽化は否めず、再開発の計画に入っていたようで、皆に惜しまれつつも取り壊しが決まった。当時、取り壊し反対派の人々によって、丸ビルを手を繋いで取り囲んだというニュースがまだ記憶に新しい。もしかするとその頃既に国や企業の方針で、今の東京再開発の大プロジェクトが密かに進行していたのかもしれない。私は当時そんなことは全く知らなかった。

 オープン後はありきたりなテナント展開だけでなく、ITベンチャーや学識者の他、異業種交流を進めるスペースが確保され、グルメやファッションなどのエンタテインメント性も取り入れられることになるという。

 もし台場や晴海のようではなく、本当に期待通りの街に大変身するようだったら、是非一度、刺激を求めて訪れてみたいと思った。

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2002年08月06日

街角考現学・第3部 「住基ネット導入問題」

 国民の個人情報をオンラインで共有管理出来るという、渦中の「住基ネット」こと、「住民基本台帳ネットワークシステム」が5日朝、一部不参加の自治体を除き全国で一斉にスタートした。新聞などに写った「住民票コード通知表」と書かれた封書に、サイバーな匂いを感じて思わず固唾を飲んで、しばしその写真を見入る。

 初日から各地でトラブルが起こったというニュースが各メディアを賑わせたようである。仮に「個人情報保護法」が制定されたとしても、もとより「法」とは破られるためにあるもの。こうして各自治体の不参加運動のラッシュを見ていると、国民の不安が法整備だけで収まるとは到底思えない。かと言って、設備投資などに既に血税何百億円も注いでしまっている当システムが、「やっぱりダメだった」というくらいの理由ですぐに廃止になってしまうのも哀しいジレンマである。

 誰もが思う不安点として、悪意のあるハッカーなどの侵入、情報漏えいなどが挙げられると思う。しかし、実際パソコンの世界をよく見ていると、ハッカー自体が起こしている情報漏えいというのは極一部にしか過ぎない。「ハッカー」やら「ウイルス」という興味深い名称のみが、私企業の商売上隠された喧伝によってか一人歩きしたような結果にも感じる。

 しかし私が言いたいのはそういうことではなくて、不可抗力によって情報漏えいをされてしまっているケースが実に多いということである。たとえば、私企業の配信するメールマガジンなどに登録すると、ときに個人情報を登録する場合がある。とすると故意でなくとも、誤ってその一部の情報を公開してしまうこともあり得るわけである。システム化出来ない部分は手動で配信するが、グループ化したメールアドレスをメーラの「BCC」欄ではなく、「CC」欄に入れて配信してしまったケースは何も中小企業だけではなかった筈。大企業と言っても担当者はやはり普通の人間であることには変わりない。全く過失のない人間なんていないのである。もちろん配信など、こちらから動かなければいいか?サーバー上で管理している以上、他人は見る気がなくても見えてしまうケースもある。でも、その場合はあまりにも管理者がずさんな場合だけである。

 本当に恐いのはこういった過失以上に、担当者のモラルの問題だろうと思う。いつの時代でも、人のプライバシーについて知りたくなってしまう人間はいるものだ。ましてや、それを知ることによって、何らかのメリット(金銭的、精神的等)を得る立場の人間が必ず存在する。

 クレジットカードの規格でさえも、日本で普及し始めてから40年以上、関連した事件の数に比べれば驚くほどの進化はしていない。むしろデビッドカードなどの普及が進み、クレジットカードが今後定着しないのではないか?という不信感さえ募りつつあるような感もあるくらいだ。 
 今度の「住基ネット」の住民票コードは、そのクレジットカードの番号の桁数よりもさらに少ない、11桁の数字で僕らの何もかもが、まさに生殺与奪の権限下において管理されることになる。

 担当者のモラルによっていかようにも悪用できるシステム。もはやアニメやゲームの世界である。RPG系ゲームの主題の大半は、今挙げた懸念点――、すなわち私利私欲や悪い野心を抱いた人間が主人公というパターンが多い。「ハッカー」が金で雇われる時代が来るかもしれない。勧善懲悪モノの時代劇なんて、まさに風刺劇ではないのか?と思ってしまうくらい……。

 ただでさえ最近は、この「システム」や「モラル」という部分に関して、私たちを嫌がおうにも不信にさせるような事故や事件が目立ってきているので、時期的にも国民が過剰反応をしてしまうのは否めない気がする。

 完全な世界なんて、どこにもないのかもしれない。完璧な施行を望むのは野暮なことなのかもしれない。でも、私たちはきっと高望みはしていないのだろうと思う。ただ、問題なく事が済んでくれればいい――、それは本当にあまりにも高望みの願いなのだろうか?

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投稿者 cyberpoet : 01:38 | コメント (0) | トラックバック (0)