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2006年03月26日

文化人類学者、米山俊直氏が死去 ~人間社会に対する人々の興味を広げた功績~

米山俊直氏が死去 日本に文化人類学広める

先ほどのエントリーでホワイトバンドの件でアフリカの話に触れて思い出したニュースである。氏の著作は一冊だけ所有していた。

cf.文化人類学を学ぶ人のために

上記の著作である。学生時代に一般過程で教育学を受講した際、「21世紀に求められる教育」をテーマに発表するという内容があった。私はその頃ゲーテの「知るに値せぬものや、知り得ぬものに携わることによって、学問は非常に阻止される」という言葉に傾倒していて、知の狩猟目的というか、つまらない授業を勝手に楽しむために、また現行の教育制度へ対する辛辣な風刺を込めて、「大学教育」という蓑にくるまりながら、めちゃくちゃペダンチズムに満ちたスノッブなレジュメを作ってやろう!と一人燃えたことがあった(笑)。

内村鑑三の後世への最大遺物(cf.「金も名誉もない人間は後世に何をのこせるか?と問うて、"勇ましい高尚な生涯を遺せるではないか"と教えた」)や、フィリップ・アリエスの「教育」の誕生に始まり、山本五十六やファシズムの思想、「君が代」問題、カジュアルデーの適用(学校五日制、ゆとり教育)、いじめ問題やヴァルネラビリティについて、あるいはI・M・ペイ氏(香港にある中国銀行ビルや、ルーブル美術館横のピラミッド型建造物の建築デザイナー)の作品解説から中国に伝わる風水学について(cf.風水先生―地相占術の驚異)、果ては、後年になってから知ることになる言葉でいうと「ファシリティ・マネジメント」という言葉に近いかもしれないが、千葉にある幕張総合高校の校舎や、当時施工が済んだばかりだった大分のコンベンションセンター「B-CON PLAZA」(磯崎新氏設計)などを引き合いに、近未来型のコンピュータルーム、多目的ホールや円形劇場や地下施設の利用等ユートピア小説の影響も色濃く、パウル・シェーアバルト(cf.永久機関 附・ガラス建築―シェーアバルトの世界)やブルーノ・タウトのガラス建築(cf.「グラスハウス」)に移り、エンデとベックマンの仕事(cf.明治のお雇い建築家 エンデ&ベックマン)まで、その他今後一生読むことがないだろうと思われる教育学の専門誌等を参考文献として、生涯教育女子大生亡国論(cf.『若者論を読む』)、ルソーや雷鳥、サルトルの思想、価値相対主義、千葉大の先進科学課程、学生が教師を評価するという「生徒指導・生活指導に関する学校評価項目」、学級新聞の発行、参加型授業、ディベートの方法、ロビン・ウィリアムスのいまを生きるetc……、結論としては旧文部省・中央教育審議会の進めてきた「内容知」(cf.「方法知」)中心の授業カリキュラムが、子供たちの「未知への欲求」を減退させ、「生きる力」を失いやすい子供たちを生んできたのでは?という結論というか、揶揄を書いただけの風刺で終わったクソ論文であった(笑)。たまたま大学の教授にしては珍しく、熱っぽく授業をして下さった若い先生だったので、期待に応えようと私も熱く書いたものであった(上記『いまを生きる』の影響が強かったw)。

その後、ブログを書くようになってからも、そうした傾向は続いたものである。

『闇をひらく光』 ~照明について、ふと考えた~
闇をひらく光―19世紀における照明の歴史(ヴォルフガング・シヴェルブシュ)や、「縮み」志向の日本人(李 御寧)について触れた。
新札発行の『夜明け前』(島崎藤村) ~真実はすべて闇の中~
武士道(新渡戸稲造)、菊と刀―日本文化の型(ルース・ベネディクト)、日本人とユダヤ人(イザヤ・ベンダサン)とヴェニスの商人(シェイクスピア)等について触れた。
『菊池君の本屋 ヴィレッジバンガード物語』(永江朗著) ~こだわりの編集方針「定番をEDITする」(前編)
※レヴィ・ストロースの著作(cf.悲しき熱帯)、あるいは後年になって、マルクスの階級闘争の周辺について(cf.フランスにおける階級闘争)や、ホイジンガ(cf.『中世の秋)、コメニウス(cf.世界図絵)の作品に対して抱くこととなる興味の源泉について触れた。

いずれにしても、そのような多感期の時期に触れた氏の著作(編著)には、直接的な影響を受けたという程のものではないが、少なからず多方面における興味をもたらしたと言うべきであろう。

冒頭に挙げた文化人類学を学ぶ人のために中にあるフィリップ・アリエスの子供の誕生とピーテル・ブリューゲルの作品比較については、自分のブックレビューのサイト内でも、評の内容をパクってしまった格好である(汗)。また、併記されていたユゴーのレ・ミゼラブル(ユーグ版)については、後年になって鹿島茂氏の「レ・ミゼラブル」百六景―木版挿絵で読む名作の背景などへの興味へと派生していったものである。

「文化人類学」は、「自然人類学」に対する言葉である。平たく言えば、人類学へ対する文系的アプローチを試みる学問である。それは民族性や風俗・習慣、儀礼、信仰・宗教、言語学や社会学、都市論etc…、およそ広大無辺な博物学的遊覧をも展望させる学問である。
私は別に専門家ではないということもあるが、小難しい話は抜きにして、人や世界への興味を引き出してくれるような本が好きである。そうした観点でいくと、米山俊直氏の遺した功績は偉大である。追悼。

カテゴリー:書評

投稿者 cyberpoet : 02:41 | コメント (0) | トラックバック (0)

2006年03月25日

「ホワイトバンドはアフリカを救ったか」(Newsweek)を読んで

※同じ記事をmixiの方でも書いてしまっているが、次のエントリーに関係する内容が含まれているためログを残しておきます。

最新号のNewsweekの特集は「ホワイトバンドはアフリカを救ったか」であった。

このホワイトバンドについては、以前に自分のブログでも話題に出したことがあった。

「ほっとけない 世界のまずしさの"ホワイトバンド"」は、なぜ怪しまれるのか?

否定派の出典元を多く紹介したからか、マイナスのイメージで捉えているように思われたかもしれないが、個人的には、ホワイトバンドは(ああいうオシャレちっくなアクセは身に付けるタイプの人間ではないので、)結局買わず終いに終わっているくらいで、実はほとんど興味を持たなかったので詳しいことは知らない(汗)。

ただ、当時話題に上がったサニーサイドアップ社側の見解に倣い、アフリカなど普段あまり気にすることのない世界情勢にも少しは興味を持つようになったきっかけにはなったかもしれない。

cf.
Yahoo!Japan 海外トピックス
外務省 G7 / G8 -特にアフリカにおける飢餓に対する行動-
クーリエ・ジャポン バックナンバー
ロイター > ワールド

Newsweekの中ほどには、当のサニーサイドアップの次原社長の言葉が掲載されている。
多くの意見が広報活動(テレビCM等)に芸能人やセレブを起用したことに批判の矢が向いている(賛成派もいるが)。個人的に言えば公共広告機構のCMなんて昔から好きである。「ホワイトバンドの収益は当社の売り上げにはなりません」「出演者はもちろん全員ノーギャラです」と次原社長は言う。

私がブログで採り上げた当時も、販売価格300円の内訳のうち、直接支援には1円も使われていないという事実を槍玉に上げた人が多かったが、実行委員会もサニーサイドアップ側も売り上げの一部が寄付される仕組みでない旨(cf.「アドボカシー」)を元々謳っている。

でも、記事を読み進める内に、論点がそこに集中するのは筋違いかとも思えてきた。論点はそんな部分ではない。先進国を名乗るのなら、民度の低さが露呈するような議論はお互い避けたいものである。

「直接支援にならない不毛な論議」を交わしている間にも、アフリカでは3秒に1人、貧困のために命を落とす子供がいて、その数は減ることがない。また、こうしている間にも国を代表するような人が、私利私欲のために国のお金を使い込んでいるかもしれないのである。

正直自分も、アフリカの現状を知らないで言っている。また、目の前の問題もあるかとは思うが、アフリカの貧困問題にだけ視点を移しても解決しない部分も多い。"アフリカ"と一口に言っても当たり前だが大陸の名前だし、一つの国を指しているわけではない。サハラ以北と以南では政治・経済や文化も全く違う。自給社会をつくり上げるまでは本誌でも書かれているように、「絶えず支援を必要とする、無力で希望のない大陸というアフリカのイメージを定着させただけ。アフリカ人の自助努力を見くびり、自信を低下させた」だけで、このまま政治的に変わらないようでは無政府主義も台頭し、テロや内紛は絶えないことだろう。

未知のアフリカには世界遺産や遺跡が多くある。何よりも真の大自然がある。ピカソやアポリネール、レーモン・ルーセル、ジャコメッティやブランクーシの表現したアフリカ――、大変魅力的な国々が多い。自分もいつかこの目でそれを見てみたいなとも思った。

カテゴリー:書評

投稿者 cyberpoet : 23:32 | コメント (0) | トラックバック (0)

2006年03月22日

「タカラトミー展」 ― 夢の玩具考 ―

オーギュスト・コントの発見した人間精神の三段階の法則は、玩具の発達の歴史をながめた場合にも、ほぼ、ぴったり当てはまるように思われる。すなわち、最初は「神学的状態」であり、次は「形而上学的状態」であり、最後は「科学的状態」である。

幻想の画廊から』(「玩具考 古き魔術の理想」より)/澁澤龍彦

2006年3月1日、日本の玩具メーカー大手、タカラとトミーが合併して、新会社タカラトミーができた。それを受け、先日まで渋谷パルコミュージアムでは、「タカラトミー展」を開催しており、私は最終日の21日に訪れた。

タカラと言えば、ライブドア堀江元社長が製作に関係したといわれる「人生ゲームM&A」(cf. Yahoo!辞書)が生産・販売中止になったというニュースが記憶に新しい。そのシリーズもののボードゲームの代表作である「人生ゲーム」、他にも「ダッコちゃん人形 」にはじまり、「リカちゃん」、「チョロQ」、「ベイブレード」、一方トミーの方は、「モノポリー」、「黒ひげ危機一発」、「ゾイド」、「トミカ」、「プラレール」、「Nゲージ」等々――。

仏作家ボードレールの言葉に(私の記憶が正しければ)、「玩具は芸術への小児の最初の入門である」というものがある。

cf. 「おもちゃとは」/財団法人 日本玩具文化財団

単に右脳開発のための……といった商品コンセプトでなくとも、玩具、つまりおもちゃが私たちの子供時代にもたらした影響は絶大である。個人的に言えば、今となっては「幼少時代はなぜ、デパートのおもちゃ売り場のショーケースの前で執拗なくらい親に買ってくれとせがんだのだろう?」と思うけれど、昨年夏に美術館巡りのために箱根にひとり二泊の旅に出た際に立ち寄った「箱根おもちゃ博物館」で感じたことでもあるのだが、過去回帰的ノスタルジーと、ある種の幼稚性(アンファンティリスム)がもたらす収集癖、それにデパートのきらびやかな夢の演出とが、とてつもなく大きな魅力として小さな胸を満杯にしてしまったのだろうと思う。

cf.
「「花と緑の物語展」 ~東京都現代美術館(後編)」
「「サムライ魂でデパートを創れ!~近代百貨店誕生物語~」」

先にも挙げたように、タカラとトミーは合併直前まで両社共に子供はもちろんのこと、大人まで巻き込んでのロングセラー商品を多く開発してきた企業である。その発案の過程の中には単に利益追求だけでない、信念のようなものも多分に含まれているだろうと思う。企業合併のケースは様々だが、そのような競合他社同士の強みを合わせあうような2社の合併によって、両社の持つ強みが一層倍増されてゆくようなイメージさえ感じる。

ところで、教育心理学の用語に「ピグマリオン効果」というものがある(派生して、人形愛を「ピグマリオン・コンプレックス」と呼ぶこともある)。ギリシア神話に登場するキュプロス島の王ピュグマリオンが、ガラテアという自らの理想像である女性の彫刻をつくり、それが人間になることを念じ思いが叶うという一種の変身譚で、それをモチーフとして描かれた有名な絵画もあるが、この神話を語源として、「教師が期待することで、被教育者の成績が上がる」ということを唱えたアメリカの教育心理学者であるローゼンタール氏が命名したものだそうである。

幼少期の子供が飛行機のおもちゃなどを片手に、エンジン音を真似ながら擬似的に飛ばして遊んでいるのを見かけるに、レオナルド・ディカプリオが演じたハワード・ヒューズの映画『アビエイター』を思い出す。おもちゃには無限の可能性が秘められており、子供のみぞ持つ無限の可能性を引き出す「夢の玩具」としての力が宿っているものと信じている。暗い世相ばかりでは大人もつまらない。せめて新生タカラトミーの紡ぎ出す夢が、今まで以上に子供たちの夢を叶える夢の増幅装置として機能し、それを見守る大人たちも楽しめるようなエンターテイメントな世の中にしてほしいと思った。

カテゴリー:美術展

投稿者 cyberpoet : 02:49 | コメント (0) | トラックバック (0)