文化人類学者、米山俊直氏が死去 ~人間社会に対する人々の興味を広げた功績~
先ほどのエントリーでホワイトバンドの件でアフリカの話に触れて思い出したニュースである。氏の著作は一冊だけ所有していた。
cf.『文化人類学を学ぶ人のために』
上記の著作である。学生時代に一般過程で教育学を受講した際、「21世紀に求められる教育」をテーマに発表するという内容があった。私はその頃ゲーテの「知るに値せぬものや、知り得ぬものに携わることによって、学問は非常に阻止される」という言葉に傾倒していて、知の狩猟目的というか、つまらない授業を勝手に楽しむために、また現行の教育制度へ対する辛辣な風刺を込めて、「大学教育」という蓑にくるまりながら、めちゃくちゃペダンチズムに満ちたスノッブなレジュメを作ってやろう!と一人燃えたことがあった(笑)。
内村鑑三の『後世への最大遺物』(cf.「金も名誉もない人間は後世に何をのこせるか?と問うて、"勇ましい高尚な生涯を遺せるではないか"と教えた」)や、フィリップ・アリエスの『「教育」の誕生』に始まり、山本五十六やファシズムの思想、「君が代」問題、カジュアルデーの適用(学校五日制、ゆとり教育)、いじめ問題やヴァルネラビリティについて、あるいはI・M・ペイ氏(香港にある中国銀行ビルや、ルーブル美術館横のピラミッド型建造物の建築デザイナー)の作品解説から中国に伝わる風水学について(cf.『風水先生―地相占術の驚異』)、果ては、後年になってから知ることになる言葉でいうと「ファシリティ・マネジメント」という言葉に近いかもしれないが、千葉にある幕張総合高校の校舎や、当時施工が済んだばかりだった大分のコンベンションセンター「B-CON PLAZA」(磯崎新氏設計)などを引き合いに、近未来型のコンピュータルーム、多目的ホールや円形劇場や地下施設の利用等ユートピア小説の影響も色濃く、パウル・シェーアバルト(cf.『永久機関 附・ガラス建築―シェーアバルトの世界』)やブルーノ・タウトのガラス建築(cf.「グラスハウス」)に移り、エンデとベックマンの仕事(cf.『明治のお雇い建築家 エンデ&ベックマン』)まで、その他今後一生読むことがないだろうと思われる教育学の専門誌等を参考文献として、生涯教育や女子大生亡国論(cf.『若者論を読む』)、ルソーや雷鳥、サルトルの思想、価値相対主義、千葉大の先進科学課程、学生が教師を評価するという「生徒指導・生活指導に関する学校評価項目」、学級新聞の発行、参加型授業、ディベートの方法、ロビン・ウィリアムスの『いまを生きる』etc……、結論としては旧文部省・中央教育審議会の進めてきた「内容知」(cf.「方法知」)中心の授業カリキュラムが、子供たちの「未知への欲求」を減退させ、「生きる力」を失いやすい子供たちを生んできたのでは?という結論というか、揶揄を書いただけの風刺で終わったクソ論文であった(笑)。たまたま大学の教授にしては珍しく、熱っぽく授業をして下さった若い先生だったので、期待に応えようと私も熱く書いたものであった(上記『いまを生きる』の影響が強かったw)。
その後、ブログを書くようになってからも、そうした傾向は続いたものである。
・『闇をひらく光』 ~照明について、ふと考えた~
※『闇をひらく光―19世紀における照明の歴史』(ヴォルフガング・シヴェルブシュ)や、『「縮み」志向の日本人』(李 御寧)について触れた。
・新札発行の『夜明け前』(島崎藤村) ~真実はすべて闇の中~
※『武士道』(新渡戸稲造)、『菊と刀―日本文化の型』(ルース・ベネディクト)、『日本人とユダヤ人』(イザヤ・ベンダサン)と『ヴェニスの商人』(シェイクスピア)等について触れた。
・『菊池君の本屋 ヴィレッジバンガード物語』(永江朗著) ~こだわりの編集方針「定番をEDITする」(前編)
※レヴィ・ストロースの著作(cf.『悲しき熱帯』)、あるいは後年になって、マルクスの階級闘争の周辺について(cf.『フランスにおける階級闘争』)や、ホイジンガ(cf.『中世の秋』)、コメニウス(cf.『世界図絵』)の作品に対して抱くこととなる興味の源泉について触れた。
いずれにしても、そのような多感期の時期に触れた氏の著作(編著)には、直接的な影響を受けたという程のものではないが、少なからず多方面における興味をもたらしたと言うべきであろう。
冒頭に挙げた『文化人類学を学ぶ人のために』中にあるフィリップ・アリエスの『子供の誕生』とピーテル・ブリューゲルの作品比較については、自分のブックレビューのサイト内でも、評の内容をパクってしまった格好である(汗)。また、併記されていたユゴーの『レ・ミゼラブル』(ユーグ版)については、後年になって鹿島茂氏の『「レ・ミゼラブル」百六景―木版挿絵で読む名作の背景』などへの興味へと派生していったものである。
「文化人類学」は、「自然人類学」に対する言葉である。平たく言えば、人類学へ対する文系的アプローチを試みる学問である。それは民族性や風俗・習慣、儀礼、信仰・宗教、言語学や社会学、都市論etc…、およそ広大無辺な博物学的遊覧をも展望させる学問である。
私は別に専門家ではないということもあるが、小難しい話は抜きにして、人や世界への興味を引き出してくれるような本が好きである。そうした観点でいくと、米山俊直氏の遺した功績は偉大である。追悼。
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